第121話 白銀の羽根
アヤメの件が解決してから4ヶ月が経った。
冬を越し、芽吹いた種が鮮やかな緑を作り、ゆっくりと雪を溶かしつつある今日。
リビングでセナ用の靴下を編んでいると、ミリアが俺の膝に乗ってきた。
「こ〜ら。前が見えないだろ〜?」
「ふふ、いいでしょ? 貴方の愛するミリア様よ?」
「愛しのミリア様、どうかそこを退いてくださいな」
肩に顎を置き、耳元で囁いてみると擽ったそうに身をよじるミリア。いつもと変わらない生活に幸せを感じていると、バタン! と扉が開いた。
「ガイアさん! 春休みなので帰ってきました!」
入ってきたのはアヤメだった。
以前とは違い、元気に尻尾を振っての登場だ。今の彼女の姿を見れば、これまでのアヤメを知る人物は皆驚くだろうな。
本当のアヤメは、こんなにも明るい子なのだから。
「お〜、おかえり。またメイドするか?」
「......はい。あの服も恋しくなっていたので......」
暗殺者ギルドを潰してから暫く、アヤメは森でメイドをしていた。一言にメイドと言っても、ぐーたらするセナやエメリアのお世話係のような仕事だったが。
それでも社会復帰する時は涙を流してくれた。
エメリアとは学園でも会えるお陰でショックは小さかったが、それでも俺達と別れるのはつらそうにしていた。
......また帰ってきてくれるとは。嬉しいものだ。
「もう、ガイアったらお父さんみたいな顔よ?」
「知らん。家を出た娘、なんて思っとらん」
顔に出てたか。そしてミリアもよく気付くものだ。
アヤメの方を向いてるクセに、いつも俺を見てくれている。そう言えば前に聞いたな。部屋の空間を支配しているから、いつでも俺の顔を見れるとか何とか。
自分の力を理解しているのは良いが、如何せん使い方に一言申したくなる。
「え〜? ガイアさん、そんな風に思ってたんですか? 心外ですよ!」
「思ってないって。ただ少し、寂しいとは感じたが」
「えへへ、そう思ってくれるのは嬉しいですね」
尻尾の振り方が尋常じゃないな。どれだけ嬉しがってんだか。いや、俺も嬉しいんだけどさ。流石に......ね?
そこまでこの家を良く思ってくれてるとは知らなかった。
「それじゃあアヤメには仕事をあげましょう。かなり責任重大な仕事だけど、構わないかしら?」
「責任? はい! ミリアさんの頼みならば!」
何を任せる気なんだ? 俺も気になるな。
「仕事の内容は出産の手伝い。私......出来ちゃった」
「「え?」」
今、なんて? なんて言ったんだ?
「ガイア。本当にパパになったわよ?」
「え......マジで?」
「マジのマジ。大マジよ。私、定期的に体を支配してチェックしていたのだけれど、つい先週に見付けたの。安定するまで秘密にしていようと思って。ふふっ」
1週間で安定するものなのか......流石精霊。
だけど、これで俺もパパになるのか......なんだか実感が湧かないな。取り敢えず、ミリアに負担をかけないよう、料理や掃除を俺がするか。
出来ることから少しずつ。徐々に進もう。
「ありがとう、ミリア。本当にありがとう」
「頑張ったのはガイアの方よ? 私をずっと愛してくれてありがとう。これからも愛してね?」
「当たり前だ。俺の愛に負けるなよ?」
「ふっ、誰を前に言ってるのかしら? 私が貴方の愛に屈するとでも? やれるものならやってみなさい」
ほぉ〜ん? いいだろう。やってやるさ。
煽られたからには乗ってやる。ミリアの体が持つ限り、ヒンヒン鳴かせt──
「ダメですよ? 流石に産まれるまでは我慢です」
「「......は〜い」」
「相変わらず元気ですねぇ? 歳も取らないし。ビックリです」
俺もビックリだ。子どもの方が先に死なれるのは嫌だからな。ある種の地獄を味わう人生だが......受け入れよう。
「さぁ、アヤメはエメリアを呼んできて。泉で水浴びしているはずよ。私とガイアは子どもの名前を考える。いいわね?」
「分かりました。着替えてからすぐに行きますね!」
「はいよ。ちゃんと考えさせて頂くか」
こんな時でも現場を仕切るとは、やはりミリアのリーダーシップは凄まじい。戦闘時、ミリアのような人が居ればどれだけ生存者が増えるか。
昨今の冒険者にも学んでもらいたいところだ。
さて、名前か。俺とミリアの子ども......悩む。
お互いの名前から取っても良いが、それでは子どもへの苦労が大きくなりそうだからな。名前はその人が一生背負う在り方なんだ。じっくり考えよう。
「ふふっ、改めて確認しても、不思議な感じね」
「不思議?」
「えぇ。精霊と人間の子どもなんて、10年で1人出来たら良い方なのよ。そもそも今生きてるハイエルフは、きっと片手で数えられる人数しか居ないのよ?」
「確かに、そう考えたら不思議だな。......俺達で良かったのか」
他に子を求めている精霊と人間が居るはずだ。
種族は違えど、気持ちが通じ合う者は出てくる。俺がそうであったように、この世界で『おかしい』と言われる者がどこかに──
「私達じゃなきゃダメだったのよ。きっと」
お腹を摩るミリアの瞳は、力強く輝いていた。
「子どもが産まれる前提で建てられた家に、子どもと生きやすいトレント達の生み出した環境。そして、永い時を生きる知識を持った者が集まるなんて、それはもう偶然じゃない。この子は私達の元に、来るべくして来た子だわ」
呟くように、されどぶつけるように。
送り出すような期待で誘うのではなく、羽ばたく鳥が巣に帰るように、温かく迎え入れる。
あぁ、ミリアの考え方は大好きだ。斯くして『こうあるべき』という理念が無いのは非常に魅力的だ。
俺は今までの経験から、そういった固定観念を持っている。それが足枷になると分かっていながら、無意識に武器として使っていたからな。
本当に、この人が好きで良かった。
ミリアが妻で良かった。
ミリアと幸せになれて、本当に良かった。
これから様々な苦難が待っているだろう。けれど、ミリアとなら乗り越えて行ける。時に壁を砕き、ハードルを潜り抜けることも出来る。
俺にとってミリアは、命の半分と言ってもいい。
感謝と尊敬の念を忘れない為にも、子育てを通じて還元しよう。
願わくば、この子が自由に羽ばたかんことを。
「アイン。アインはどうだ? 自由に羽ばたく鳥のように、この世界を謳歌して欲しい。そして、立派になって巣に帰れるように。そう願って」
鳥の羽根のように、降ってきた名前だ。
空色の世界を羽ばたく白銀の鳥から抜けた、1枚の羽根。それが『アイン』
「......流石私のガイア。言葉に出来なかった私の思いと、全く同じことを導いてくれたわ」
「それじゃあ決まりだな。この子はアインだ!」
こうして、精霊樹の森に新たな命が芽吹いた。
精霊と人の子という、本来有り得ない命に胸を踊らせ、森全体がソワソワと揺らめいている。
◇ ◆ ◇
私は飛んでいた。
美しい青の世界を、二枚一対の翼で駆けていた。
世界は美しく、汚れていた。まるで光に差す影のように。
私はそんな世界が大嫌いだった。
生き物が皆どこか、闇を持っていたから。
人も、犬も、猫も、馬も、鳥も。
誰しもが抱えると言わんばかりの闇を見せ、私の見えるキラキラの世界を汚していた。
そんな世界で、おかしいと感じる番を見付けた。
片方は世界を統べる力を持つ精霊。
もう片方は、その精霊すらも支配する魔力をもった人間。
いつ殺し合ってもおかしくない2人は、闇を持っていなかった。
ううん、違う。お互いの闇で闇をかき消したんだ。
足りない物を理解して2人で手を取り合うから、キラキラの世界がずっとキラキラのままでいられる。
いつか、こんな世界に生まれたい。
キラキラした親の元で、自由に羽ばたきたい。
世界を見て、知って、大きくなったら巣に帰る。
そんな世界に、私は──




