008 冒険者ギルド
「この辺りで竜を目撃しませんでしたか? 影を見たという行商人が先ほど訪れまして……」
「い、いや……知らない、なぁ?」
レーゲンの街に入るには、まず外敵を通さないために作られた外壁を潜らなければならない。
外壁にはそれぞれ東西南北に門が置かれており、そこで検問を受けた上でようやく入れるようになる。
俺は抜き身で持っていた剣にしっかりと布を巻き付け、冒険者ライセンスという一種の身分証提示まで済ませて信用を勝ち取ったところだったのだが――。
「ここ、東門では現在警戒態勢が敷かれております。お通しすることはできますが、ここから外へ出ることは許可できません。あらかじめご了承ください」
「……分かりました」
「では、ようこそレーゲンへ」
門番である騎士はそう告げて、由緒正しき敬礼の姿勢を取る。
俺は後ろめたさから、エルドラの手を掴んでそそくさと中に入ってしまった。
「ねぇ、ディオン。多分私のこと――」
「今は何も言うな」
俺はとにかく門周辺から離れたかった。
なぜなら、あからさまに武装した騎士団が集まっていたから。
どうやら竜……というかエルドラを迎撃するために集まっているらしい。
竜が人に化けるなんて話はほとんどの人間が知らないだろうから、エルドラが竜であると気付く者はほとんどいない――と思う。
しかし頭で理解していても心は違うのだ。
少なくとも、俺はこの状況で堂々としていられるほど肝は据わっていない。
「これからは緊急のとき以外は飛ばないようにするね」
「……ぜひそうしてくれ」
騎士の姿が見えなくなったところで、俺はようやく胸を撫で下ろす。
エルドラが良かれと思ってやったことであるが故に、決して責める気はない。
責めるにしても、それに乗った俺も同罪だ。
「よし――気を取り直そう。まず済ませておかないといけないことがある」
「何?」
「エルドラの服だよ」
俺は首を傾げる彼女の手を取り、まずは商店街の方へと足を向けた。
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「うぅ……可愛いけど、締め付けがちょっと」
「悪いな、人間社会で生きる以上は最低限のマナーなんだ」
「……なら、仕方ない」
さすがにローブ一枚で体を隠すのには限界がある。
だからエルドラにはちゃんとした服を買い与えてみた。
肩の布がないノースリーブの服に、彼女の目の色に近い青いスカート。
ただ彼女に適したサイズは置いてなかったらしく、息苦しいとのことで胸元のチャックがかなり大胆に開いている。
染み一つない肌がかなりさらけ出されてしまっているが、丸出しよりはマシであると自分に言い聞かせた。
ちなみに、下着に関しては店員に選んでもらっている。
エルドラ本人はかなり抵抗があったようだが――。
(ともあれ……かなりの痛手だな)
俺は自分の懐に収まっている財布を擦る。
突然この街に来ることになったため、今までの貯金などを持ち出す余裕はなかった。
一文無しではなかったが、この服を買ったことでもうカツカツである。
「ねぇ、ディオン?」
「ん、どうしたんだ?」
「私、冒険者になってみたい。ディオンの職業がもっと知りたい」
エルドラが期待を込めた目で俺を見ている。
突然の申し出で一瞬フリーズしてしまったが、よく考えれば俺にとっても好都合だ。
今の課題は資金。
冒険者の仕事はダンジョン攻略だけにとどまらず、雑用からダンジョン外の魔物討伐まで幅広い。
主にダンジョンにて成果を上げられない実力不足な冒険者が、ある程度経験を積むためにそういった仕事を受けている。
(離れて行動することもあるだろうし、エルドラが身分証を持つことは悪いことじゃないな)
ダンジョンに挑むという目標を立てたものの、やはり下準備は必要だ。
エルドラは実力に関しては申し分ないと思うが、冒険者としての常識を身に着けるのは決して無駄にならない――はず。
小さな依頼をこなして、まずは生活用の資金を集めるか。
「じゃあ最初に案内する場所は、冒険者ギルドってことで」
「ギルド?」
「冒険者が集まるところだ。冒険者になる場合は、そこでライセンスを取らないといけない」
冒険者ギルドは、基本的にどの街にも存在する。
一度ライセンスさえ作ってしまえば、例え別の街でも同じように依頼を受けたり、素材買取をしてもらえるのだ。
「ほら、あそこだよ」
この街のギルドには何度か足を運んでいるため、案内は比較的スムーズに行えた。
やはりセントラルほどではないが、ここのギルドもかなり大きい。
「人がいっぱい」
「冒険者はもはや人気職だからな……大きい街なら大体こんな感じだよ」
冒険者は命を張る仕事であるが、同時に金になる仕事でもある。
初めは男が多かったが、やがては女性も珍しくなくなり、今では比率としてほとんど変わらないくらいまでに増えた。
「だいぶ混んでるけど、新規登録のためのカウンターはまだ空いてるな……」
「あそこで登録すればいいの?」
「そういうことだ。種族を問われたりすることはないから、問題はないと思うけど」
カウンターの前に並んでしばらく待てば、すぐにエルドラの番が来る。
受付嬢の指示通りにカウンターの前に立つと、一枚の用紙が差し出された。
「冒険者ギルドへようこそ! 新規登録でしたら、この用紙に個人情報を書き込んだ後、血液にて前歴がないかどうかの調査をさせていただきます」
「ぜんれきって?」
「犯罪行為を行ったり、奴隷契約を結ばれている方は冒険者にはなれないのです。冒険者ライセンスは身分証として強い力がありますので」
「そうなんだ」
おおよそ理解した様子のエルドラは、改めて書類と向き合う。
それから数秒、彼女の顔はあからさまに曇っていた。
「ああ……受付さん、これは代筆でも大丈夫でしたっけ?」
「ええ、問題ありませんよ」
文字を学んだことのないエルドラが個人情報を記入できるわけがなかった。
俺は彼女からペンを受け取ると、代わりに名前や年齢を記入していく。
もちろん、年齢に関しては詐称だ。
「ディオン? 私の年齢はもっと――」
「分かってるよ、今年で19になるって話だろ?」
余計な部分に突っ込まれる前に、強引に年齢を書いてしまう。
実際問題、ライセンス習得に必要なのは血液による経歴調査だけだ。
名前や年齢、プロフィールに関して誤魔化すことは問題にはならない。
「エルドラさん……はい、確認いたしました。ではこちらの容器に一滴だけ血を垂らしてください」
用紙を受け取った受付嬢は、代わりに器とナイフを差し出してくる。
エルドラはナイフで親指に傷をつけると、そこから血を器に垂らした。
「ありがとうございます、では――」
受付嬢が血に手をかざせば、器が輝きだす。
それから数秒、受付嬢は一つ頷くと、器を下げた。
「ふぅ、エルドラ様の経歴に問題はありませんでした。これにて冒険者ライセンス発行の手続きは終了となります。どうぞこちらをお持ちください」
「これがライセンス?」
エルドラが受け取ったのは、手のひらサイズのカード。
血液審査にて申請した本人にしか持つことができない特別な物で、大変貴重な素材でできているらしい。
「本来ライセンス発行には金銭が必要なのですが、かなり高価なものなので依頼達成にてギルドに支払われる報酬から少しずつ返済していただくことになります。あらかじめご了承ください」
「うん……? 分かった」
多分分かってないな。
後で説明しよう。
「あ、そうだ! 最近導入された制度なんですが、ランク検定というものがありまして――」
受付嬢が、俺でも見たことがない書類をエルドラの前へ置く。
ランク検定――最近導入されたということは聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。
「冒険者のランクには、FからAの六段階に、最高ランクのSを含んだ七段階があります。通常であれば新人はFから始まるのですが、冒険者が増えてきたこともありFランクがだいぶ飽和状態でして……そこで現役の冒険者を審査員に置き、戦闘力を測定します。その結果次第で、初期のランクを高い位置から始めることができるのです」
「……なるほど」
思わず俺は感心した。
確かに、Fランクの依頼だって無限じゃない。
仕事がなければ報酬を得られない人間が現れ、ギルドはライセンスカードの金を回収できなくなってしまう。
そうなれば割を食うのはギルドの方だ。
「審査員となる冒険者はAランク以上の方が担当します。もちろんあくまで腕試しなので、加減してくださるようお伝えしていますが……いかがでしょう?」
「……した方がいい?」
エルドラが俺の方を見ながら問いかける。
悪い話ではないと思った。
ランクが高ければ高額の依頼が受けられ、ダンジョンへの挑戦もスムーズになる。
俺のランクがBだから、それ以上の結果が出てくれれば――。
「やってみよう。物は試しだ」
「うん、分かった。じゃあやってみる」
エルドラは素直に頷くと、ランク検定の手続きを始めた。
彼女のことだから、戦闘に関しては何の問題もないだろう。
問題があるとすれば……むしろ相手の安全の方なのだが。
「確かに承りました。では担当する冒険者の方を探しますので――」
「そういうことならオレがやってやってもいいぜ?」
「……ブランダルさん」
突然真後ろから声がかかり、どういうわけだか受付嬢の表情が曇る。
ブランダルと呼ばれた大男は偉そうに俺たちの前に回り込むと、まるで品定めするような目でエルドラを見た。
「へぇ、いい女じゃねぇか。どうだい? 抱かせてくれたらAランク認定してやるけど?」
「ブランダルさん! そういうのは困ります!」
「へっ、冗談だっつーの。ま、俺が本当にやろうと思ったらてめぇらギルド職員じゃ逆らえないんだろうけどな」
「っ……」
受付嬢は悔しげな表情を浮かべている。
Aランク冒険者は、Bランクまでの連中と比べて希少性がかなり違う。
Bランクの依頼やダンジョンを単独で攻略し、尚且つAランクダンジョンでその時々で定められた魔物を規定数狩る――――それが昇格の条件だ。
この単独攻略というのが大変厄介であり、これのせいで俺もBランクに止まっている。
つまりAランクであるというだけで、このブランダルという男が強いのは間違いない。
そしてこのギルド内では大きな影響力を持っているということも。
「あなたと戦えばいいの?」
「おうよ。ところで、そいつはパーティメンバーか何かか? ランクは?」
突然、ブランダルは俺の方を見てそう問いかけてくる。
「……Bだけど」
「はっ、雑魚か。じゃあ決まりだな! 女、お前オレのパーティに入れ。それならBランク認定をくれてやる。そんでもってオレのパーティに参加すりゃもう実力なんざ関係ねぇ。何たってオレがリーダーなんだからな! オレを喜ばせる限りは良い飯を食わしてやるよ」
ブランダルの目は、エルドラの胸元に向いていた。
どう見ても傲慢さが溢れ、思考が歪みきっている。
この男と関わるのは危険だ。
「エルドラ、ランク検定は一回諦めて――」
「いや。私はこの男とやる」
「は⁉」
エルドラの手を引こうとしたが、びくともしない。
真っ直ぐブランダルを睨み、険しい表情を浮かべている。
「こいつはディオンを馬鹿にした。だから――」
————絶対に許さない。
エルドラは決してブランダルから目を離さぬまま、そう告げた。