007 私の居場所
「ディオン、あれ」
エルドラの目線の先で、ダンジョンボスである巨人の体が粒子となって消えていく。
そして巨人がいた場所には、一振りの剣が落ちていた。
形としては、巨人が持っていた剣がそのまま人間サイズに小さくなったもの。
俺とエルドラは、ゆっくりとその剣の下へと近づく。
「黒い剣……とても綺麗。それに強い力を感じる」
「ああ……あまり剣は扱ったことがないんだけど、持ち帰って損はなさそうだ」
ダンジョンボスを倒した際に見つかるアイテムは、例え俺たちが扱わなくても高額で売れる。
少なくとも持ち帰らないという選択肢はない。
そう思い、俺は黒い剣へと触れた。
「いっ……!」
その瞬間、まるで電気でも走ったかのような刺激を受け、思わず手を離してしまう。
「ディオン、大丈夫?」
「あ、ああ……問題はないけど――」
世の中には呪いを与えてくる道具があると言うが、そう言った感じがあるわけでもない。
火傷ができているわけでもなく、本当に何の異変も感じなかった。
もう一度剣に触れてみれば、今度は問題なく持ててしまう。
(何だったんだ……?)
「ディオン、周りが変」
「え?」
エルドラの言葉で顔を上げてみれば、周囲の景色が歪み始めていることが確認できた。
初めは何のことかと思ったが、俺はほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫だ。これはダンジョンボスが倒されたことで、中にいる者を外に転移させるための仕掛けが起動しただけだから。できる限り側にいてくれ。距離によっては別々の場所に転移してしまうかもしれない」
「うん、分かった」
突然、エルドラが俺の腕にしがみついてくる。
ふわりと甘い香りがして、柔らかいものが腕に当たった。
「ま、待て待て待て! こんな近づかなくていい! 見える範囲にいてくれればそれでいいんだ!」
「そう? でもこの方が確実」
「いや、あの! そうじゃなくて!」
きょとんとした顔を浮かべるエルドラの顔を見て、思わずたじろぐ。
駄目だ、俺には彼女を振り払えない。
苦悩している間に、俺の体を浮遊感が包む。
意識が天に吸い込まれていくような感覚に襲われた後、俺の視界は光に覆われた。
『——約者』
(何だ……?)
光の中、どこかから声がする。
『————契約者よ』
『我の――』
『我の名は――』
『————神剣、シュヴァルツ』
その言葉を最後に、声は聞こえなくなる。
気づけば、俺は森の中にエルドラとともに立っていた。
おそらくはダンジョンの近くにある森の中だ。
ずっと満足に明りのない場所にいたからか、木々の隙間から見える木漏れ日ですら今は少し眩しい。
(神剣シュヴァルツ……こいつのことか?)
俺は手に握った黒い剣に視線を落とす。
今は何の声も聞こえてこない。
幻聴ではなさそうだが――。
「どうしたの? やっぱり様子が変」
「いや、問題があるわけじゃないんだ。この剣から何か声が聞こえた気がして……」
「……難しい話はよく分からない」
エルドラは困った表情を浮かべている。
確かに、理屈が分からないことをとやかく考えていても仕方がないのかもしれない。
俺たちで分からないのであれば、分かる人を見つければいいだけの話だ。
(ユキも……くよくよ考えるのが嫌いだったな)
ここにはいない、そしてもう二度と会えないかもしれない幼馴染の顔が浮かんでくる。
それは寂しくもあるが、いつまでもユキに頼って生きているわけにはいかなかった。
巣立ちと考えれば、まだ少しは前向きだろうか。
「よし――休める場所に移動しよう。ここから西に行ったところに街がある」
「分かった。人里、楽しみ」
「案内する約束だったな」
これから行く予定の街は、ダンジョンに二番目に近い街である『レーゲン』。
俺たちが拠点にしていた『セントラル』という街は大陸の中心にあり、ダンジョン攻略の拠点としてかなり優秀だったのだが、レーゲンも細々とやっていくのであれば十分だ。
「ここからどれくらいかかるの?」
「徒歩だったら朝から晩までかかる。だから基本的には馬車なんだけど――」
「じゃあ、背中乗る?」
「え?」
突如として、エルドラは自身の体を竜へと戻した。
日の光の下で見ると、その体は一層美しく見える。
エルドラは俺に背中を見せると、登りやすいように尻尾を俺の方へと差し出してきた。
「方向さえ言ってくれれば、多分一時間もかからない」
「そ、そうかもしれないけど……かなり目立つし、それは望ましくないというか」
「乗りたく、ない?」
エルドラがなぜか寂しげな表情を浮かべている。
竜の顔なのに何と分かりやすいことか。
いたたまれなくなってしまった俺は、一つため息を吐いて彼女の背中によじ登る。
「できる限り上を飛んで、あまり目立たないようにすること。それと……あまり速度を出さないでくれると嬉しい。空を飛ぶのは初めてなんだ」
「分かった、気を付ける。ディオンの初めて、嬉しい」
「誤解を招きそうなこと言わないでくれ!」
俺の叫びは、羽ばたく音で空しくかき消された。
ダンジョンから出るときとはまた別の浮遊感に包まれ、青い空が急速に迫ってくる。
「うわっ⁉」
「しっかり掴まってて」
言われなくても、手を離している余裕などなかった。
高度が上がれば上がるほど、肌に感じる温度が下がっていく。
しかし雲と同じ高さまで到達した瞬間、突然寒さや息苦しさがどこかへと消えた。
「楽になった?」
「エルドラが守ってくれてるのか?」
「うん。ディオンは慣れてないから大変だと思って」
目を凝らせば、俺の回りだけ薄く幕のようなものが張られている。
この中にいる限り、環境に苦しめられることはなさそうだ。
「ドラゴンベールっていう魔術。竜の力を持ったディオンならきっと扱えるから、後で教える」
「竜の力――他にもできることはあるのか?」
「たくさんある。ディオンはだんじょんぼす相手にもう竜の力を少しだけ使った。けど使いこなせてはいないと思う。だから、ディオンはもっと強くなれる」
「もっと強く、か」
自分の拳を握りしめる。
もっと強くなれたのなら、名高い冒険者たちにも手が届くだろうか。
せっかく拾えた命なら、有意義に使っていきたい。
「エルドラ、俺は目標を決めたよ」
「目標?」
「三大ダンジョンに挑もうと思う」
現在発見されているダンジョンの中で、もっとも難易度が高いと言われている三つ――。
『紅蓮の迷宮』、『群青の迷宮』、『深緑の迷宮』。
初期に発見されたこの三つの迷宮は、何十年と時が経った今でも攻略されていない。
今日攻略したダンジョンは五本の指に入る難易度と言ったが、三本の指には決して入れないのだ。
三大ダンジョンを攻略することが、多くの冒険者の悲願である。
「きっと楽な道じゃないけど――」
「私はディオンについて行く。私の今の居場所は、あなたの隣だから」
「……ありがとう」
エルドラが嬉しそうに身を揺らす。
そして少しずつ、飛行の速度が上がっていった。
雲を置き去りにし、地上の景色が流れていく。
彼女の言った通り、そう時間のかからないうちに小さく街が見えてきた。
——最初の波乱は、今からほんの数分後に起きる。
♦
「これは……」
ディオンを探していたユキは、周囲の景色が突如として地上に変わったことに困惑していた。
ダンジョンから脱出する方法は、現在発見されている限りでは三つ。
一つ、通常の出入口を使用する。
二つ、高価だが転移する魔道具を使用する。
三つ、ダンジョンボスを倒した後の強制転移を利用する。
このとき、ユキは間違いなく出入口にはいなかったし、転移の魔道具も使っていない。
つまり考えられる可能性は三つ目の方法だけ。
(あのダンジョンに潜っていたのは確認できる範囲で私たちだけ……まさか違法冒険者? いや、その程度の連中に攻略できるとは思えない)
ユキは顎に手を当てて思案する。
彼女は決してたどり着かない。
ディオンがダンジョンボスを倒したという可能性に。
「こうしていても仕方ない……か」
ダンジョンから強制転移するとき、どこに転移するかはダンジョンの周辺からランダムで決まる。
ディオンが生きているのなら、ここからそう離れていない場所に転移しているはずなのだ。
ユキはそんなわずかな希望に縋るようにして、歩き出す。
「どこにいるんだ、ディオン……私にはお前がいないと――」
氷の女王とまで呼ばれてしまうような冷静沈着なユキの表情が、一瞬くしゃりと歪む。
ディオンと彼女が再会するのは、また少し先の話――。
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