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025 悪夢

「……終わりました、フィクスさん」

「ご苦労様でした。では約束通り」

 

 そうフィクスが告げると同時、彼の目の前にあったテーブルの上に皮袋が出現する。

 見るからに重そうな袋の中身を覗いたセグリットは、途端に表情をほころばせた。


「ありがとうございます……! これだけあれば装備どころか失った人員まで補充できますよ!」

「それは何よりです。また何かあれば気軽に私のことを頼ってくださいね」

「フィクスさん……!」

 

 感激した様子のセグリットは、フィクスに深々と頭を下げてこの場所を後にする。

 残ったフィクスは優しい微笑みを浮かべたまま、いつの間にか手に持っていた紅茶を小さく口に含んだ。


「————つくづくペテン師じゃのう、お主は」


 そんな声と共に、暗闇の中からぬるりと一人の女が姿を現す。


「おやおや、いつから見ていたのですか? アビス様」

「安心せい、今さっき目覚めたところじゃ。ようやく傷が癒えてきたんでな」

「その傷をつけたのも、竜の力を得た少年、でしたか。まさか人間が竜に痛みを与えられるようになるなんて、夢にも思っていませんでしたよ」

「ふん、よく言うわ。お主とて理から外れた人間だろうに」


 アビスの皮肉を含んだ言葉に、フィクスは相変わらずの微笑みで返す。

 

「……それよか、あの男はもう用済みか?」

「セグリットさんのことですか? ええ、ネズミの始末にはひと役買ってくださいましたし、もう私には必要ありませんね」

「ほう……ならば次は我が遊んでも構わないな?」

「おや? セグリットさんに興味がおありで?」

「人間の中でも、奴が恐ろしく阿呆であることは分かる。故にああいう者の行く末が知りたいと思ってな」


 お前さんと同じだよ————。

 

 アビスがフィクスにそう告げれば、彼は心底楽しそうな笑みを浮かべる。

 

「あなたもおもちゃで遊ぶのが相当お好きなようだ」

「お主ほどではないがな……ま、遊ぶなどと言ったが、我からすればあの男をいじるのは一種の保険でもある」

「保険?」

「我が血を与えた者とあの男はいがみ合う関係にあるらしい。万が一の話になるが、ディオンと呼ばれているあの男が二つの竜の血に耐えるようなことがあれば、我は奴を支援しなければならぬ。そうなった時のために、多少なりとも強くなってもらわねば困るんでな」

「ああ、なるほど。あの時あの場にいた彼にセグリットさんをけしかけるつもりですね。うーん、ですが彼、想像以上に使えないかもしれませんよ?」


 フィクスはセグリットが出て行った出入口の方へと視線を向ける。

 そこには当然彼の姿はない。

 それに加えて、剣で刺されたはずのクリオラの姿もなくなっていた。


「ご覧の通り、ネズミ一匹仕留められなかったようですし」

「ふん。奴自身に価値など感じとらんわ。都合のいい人形、そんな評価で十分じゃ」


 口角を吊り上げたアビスは、再び闇に体を溶かしていく。


「……フィクスよ。くれぐれも我の邪魔だけはせんようにな」

「あなたの邪魔など頼まれてもしませんよ。私は私でやるべきことがありますからね」

「そうか……ならよい」


 その言葉を最後に、アビスの姿は完全にこの場から消える。

 残されたフィクスは紅茶に口をつけ、小さくため息を吐いた。


「……羨ましいですね。アビス様から施しを受けるなんて」


 そうつぶやいたフィクスは、テーブルの上に紅茶のカップを置く。

 

 ――――その瞬間には、すでに彼の体はこの場から消えていた。

 

 気づけば紅茶のカップも、それを置いたはずのテーブルも、彼が座っていた椅子も、あたかも最初からなかったかのようにその存在を消してしまう。

 そこにはもう、何もないただの廃墟の部屋だけが広がっていた。


◇◆◇

 ――――コワセ。


 また、胸の奥から声が響く。


 ――コワセ。


 その声は徐々に近くなり、俺はその圧力に押し潰されそうになる。


 コワセ、コワセ、コワセ。


 ――――すべてをコワセ。



「う――――うわぁぁぁあああああ!」

 

 絶叫と共に、俺は跳ね起きる。

 いつもの寝室の光景、それに安心感を覚えていると、顎を伝う汗の感覚に気づいた。

 体を見下ろせば、びっしょりと寝汗によって寝間着ごと濡れている。

 これだけ水分を垂れ流せば、当然ながら喉もカラカラだ。

 

「はぁ……はぁ……」


 運動もしていないのに、息切れしている。

 気分も最悪だ。

 それもすべては今日見た謎の夢が原因だろう。

 

 最後に聞こえたあの声。


 信じがたいことだが、あの声はどう聞いても俺の――――。


「――――ディオン! 大丈夫か⁉」

「ゆ、ユキ……?」


 寝室の扉を開けて、ユキとエルドラが雪崩れ込んでくる。

 二人は俺の様子を見て目を見開くと、血相を変えて俺のベッドへと駆け寄ってきた。

 

「叫び声がして驚いた。ディオン、どうしたの?」

「いや……ちょっと変な夢を見て飛び起きただけだ。何かあったわけじゃない」

「……そう」


 俺とエルドラが話している途中、俺の体に手を置いたユキが、訝しげな視線を向けてくる。


「酷い寝汗だ……ディオン、これじゃ何もないと言われても信じられないぞ。一体何の夢を見たんだ?」

「……ずっと、頭の中に声が響くんだ」


 コワセ、コワセ。

 その声は俺の声のはずなのに、憎悪や怒りを含んだ恐ろしい呪詛のように聞こえてくる。

 

「アビスの影響かも……」


 エルドラのその発言をきっかけに、沈黙が広がった。

 

 アビスの血を無理やり与えられたという話は、レーナさんに罰金を払って帰宅した時にすでに聞いている。

 その影響が出始めていることは間違いない。

 だからと言ってどうすればいいのか。


「ディオン、やはり私とエルドラは貴様の側で寝るべきだ。この先何かあっても、私たちなら抑え込める」

「……そう、だな」


 セグリットを殴りつけた時のような暴力性が再び湧きだした時のために、二人には俺の部屋から一番遠い部屋で寝てもらった。

 もちろんメリーも。

 かなり恥ずかしい話だが、これまでずっと一緒にいた二人が離れたことで不安を感じていた部分もあるかもしれない。


「エルドラ、本当に何か対応できる策はないのか?」

「……あるのかもしれない。でも、私にそれを知る術はない。……ごめん」

「謝るな。貴様を責めるつもりはない」


 二人のやり取りを聞きながら、俺は自分の汗ばんだ胸に手を当てる。

 

 自分が徐々に自分ではなくなっていく感覚というのは、こんなにも恐ろしいものなのか。

 エルドラにもユキにもメリーにも、これ以上心配をかけたくない。

 そしてこのままではダンジョンを攻略するなんて目標も夢のまた夢だ。

 

 重い沈黙がさらに俺たちに心に暗雲をもたらす。

 そんな中、誰かが口を開こうと息を呑んだ瞬間、ドタドタと慌てた様子のメリーが部屋に飛び込んできた。


「ディオン様! 玄関の方まで来てくださいませんか⁉」

「え……どうしたんだ?」

「具合の悪そうな方を背負った女性がディオン様を呼んで欲しいと……」


 エルドラとユキと顔を見合わせた後、俺はベッドから立ち上がる。

 俺の意図を酌んでくれた二人についてきてもらいながら、俺は急いで玄関に向かって走り出した。

 いくら自分が危機的状況だったとしても、困っているであろう人を放っておくことはできない。

 そして玄関に辿りついた俺の前には、見知った二つの顔があった。


「シンディに……クリオラ⁉」

「ディオン……!」


 俺の顔を見たシンディが、悲痛は表情で俺の名を呼んだ。

 彼女の背中には、青い顔をしたクリオラがいる。

 意識はなく、呼吸も荒い。

 何やら悪い状況であることは間違いなさそうだ。


「昨日突然私の家に転がり込んできて……具合が悪そうだったから回復魔術師に見せに行ったんだけど、原因が分からないって言われて……それでっ!」

「落ち着け、シンディ。ゆっくり話せ」

「う……うん」


 ユキの言葉でそれまで荒げていた息を整えたシンディは、ことの顛末をゆっくりと話し出した。

 

 

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