表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/71

002 ドラゴン

「う……」


 全身の痛みとともに、俺は目を覚ます。

 どうやら落下中に何かに引っかかったようで、何とか命は繋ぎ止めたらしい。

 

「これは、糸……?」


 自分が体重を預けているものは、地面というよりネットのようなものだった。

 わずかな粘つきと、反発性。

 これによって落下によるダメージはほとんど軽減できたようだ。

 この全身の痛みは、おそらく最後に放たれた魔術師のシンディの火球によるものだろう。


「回復させないと――」

 

 俺は自分の体を治すため、魔術を行使しようとした。

 しかしその前に、視界の端で何かが動く。

 俺はとっさにナイフを抜き、構えた。


「やっぱり、蜘蛛(・・)か」


 暗がりから現れたのは、無数の巨大蜘蛛。

 このダンジョン内に巣食う魔物だ。

 名称は確か、『奈落蜘蛛』。

 崖から落ちた犠牲者をこうした蜘蛛の糸で捕らえ、捕食するのが特徴だったはず。

 俺はまんまと奴らの巣へと落ちてしまったようだ。


(まずい……!)


 危機察知能力が働くと同時、一斉に蜘蛛たちが距離を詰めてくる。

 俺はナイフを持って迎撃しようとするが、火球によるダメージで一瞬怯んでしまった。

 奴らはそんな獲物の隙を逃してはくれない。

 うち1匹が、俺の腕へと噛み付いた。


「くそっ!」


 俺はナイフを蜘蛛ではなく、自分の乗っていたネットを切るために振るった。

 崖から落ちた時と同じ浮遊感が、再び襲ってくる。

 自分に噛み付いたままの蜘蛛とともに、俺の体は今度こそ奈落の底の地面へと落ちて行った。

 しかし幸いなことに、今度は一人ではない。


「食らえ……!」


 地面に衝突する寸前、俺は蜘蛛を下敷きにする形で受け身を取る。

 嫌な音が響いた。

 それは蜘蛛が潰れる音であり、同時に俺の腕の骨が砕ける音だった。

 噛み付いたままの蜘蛛を下敷きにするに当たり、腕まで庇うことはできなかったのだ。


「はぁ……はぁ……回復(ヒール)


 俺は自分の腕にもう片方の手を重ね、魔術の名を口にする。

 すると骨折特有の腫れがみるみるうちに引いていき、完治した。

 

「あとは火傷の方も――っ!」


 体の火傷を治そうとした瞬間、俺は急激な吐き気に襲われてその場に崩れ落ちた。

 同時に口から溢れ出してきたのは、大量の血液。

 

(ああ、そうか)


 どうやら骨折を治している場合ではなかったらしい。

 俺はその場に何度も血液を吐きながら、理解する。

 奈落蜘蛛の毒を受けてしまったのだ。

 毒の質からして、出血性の致死毒であることは間違いない。

 毒を抜かない限り、間も無く俺は死ぬだろう。

 いつもなら、こんな毒の治療だってお手の物だ。

 しかし、今は違う。

 ここまでのダンジョン攻略で使った魔力、そして今の腕の治療。

 残りの魔力からして、使える魔術はどれか一つ。

 毒抜きか、火傷の治療か。


(酷い火傷だ……これじゃ長くは生きられない。毒を抜いたとしても、どの道詰みか)


 不思議と、気持ちは落ち着いていた。

 幼馴染であるユキに故郷から連れ出されて以来、彼女とともにいた時間は楽しかった。

 いつの間にか仲間が増えて、俺たちはいずれ冒険者たちの高みにいるものだと思っていた。

 

(誰も見たことがないものを見てみたい……それがユキの夢だったな)

 

 きっと、ユキは俺がいなくてもその夢を叶えるだろう。

 やっぱり俺は役立たずだったのかもしれない。

 そう思えば、ここで散ることもそこまで恐ろしくは感じなかった。


「ゲホッ」


 ついに、悍ましい量の血液を吐き出してしまう。

 苦しさに呻きながら、俺はわずかに顔を上げた。


(何だ……あれ)


 霞む視界に映ったのは、美しい白い何かだった。

 輝く体、そして民家を一捻りで壊してしまえそうなほどの巨体。

 あの縮こまった羽が目一杯広がれば、いったいどれだけの大きさになってしまうのだろう。

 そう、あれは――。


「――ドラゴン」


 その名が口から漏れる。

 人の立ち入りが不可能と言われる霊峰に住み、滅多に見ることができない最高位の種族。

 幻かもしれないと目をこするが、どうやらそこにいることは間違いないようだ。

 

「ははっ……ユキが見たら喜んだだろうな」


 俺はドラゴンの美しさに当てられる形で、ゆっくりと体を引きずりながら近づいていく。

 最後に、その神秘的な美しさを目に焼き付けたかった。

 近づいてみれば、どうやら眠っているらしい。

 それによく見れば、全身に酷い怪我を負っている。

 ドラゴンを見たことは初めてだが、おそらくは瀕死の重傷だ。


「――どうせ死ぬなら」


 俺はドラゴンに手をかざす。

 なぜこんなところにいるのかは知らない。

 しかし、俺は回復魔術師だ。

 苦しむ誰かを治すために、この魔術を身につけた。

 どうせ死ぬなら、魔術師として死にたい。

 せめて、誰かの役に立ちたい。


「……エクストラ、ヒール」


 俺の持てる全力の回復魔術を、ドラゴンに向かって放つ。

 魔力を限界以上に使ってしまうが、死に行く俺には関係ない。

 エクストラヒールは俺の扱える魔術の中でもっとも強い回復力を持っている。

 例に漏れず、ドラゴンの傷も何とか治すことができそうだ。


(っ……もう、限界か)


 ぐらりと意識が揺れる。

 魔力切れの症状と、毒の影響だ。

 消える意識の端で、ドラゴンが動くのが見える。

 ああ、ちゃんと治せたようだ。

 

「よか――った」


 そう告げると同時、俺の意識は深い深い闇の中へと落ちていく。

 もう、何も聞こえることはなかった。





「人間、私はあなたに感謝する」





 全てが消えていく世界で、その寸前の寸前まで残っていた触覚が、唇に触れた柔らかい何かの感触だけを伝えてきた。

 俺はその感覚を、『死んでも』忘れることはないだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ