ダンジョンが出現した世界は荒廃したようです
蓮田宗二郎は、特に目標もなく生きるのが当たり前となっていた。
荒廃した大地。金よりも物資の方に価値があり、さらに『食材』が全てにおいて上を行く世界――それが、日本という国に『ダンジョン』が出現した結果であった。
そんな世界で宗二郎は、三十代からおよそ十年以上……生き続けてきた。
突如現れた『魔物』という存在。
宗二郎はただ、襲い掛かる彼らの脅威から逃げ、生き続けるのに必死だった。
人間並みの知能を持つ魔物は、あっという間に人々の暮らす建物を占拠し、人々は抵抗する術を失った。
無論、軍隊が機能しなかったわけではない。
ただ、地下から突如やってくる彼らに、成す術がなかっただけだ。
結果として、この国は衰退し――今では、他国がどうなっているかも分からない。
電子的な連絡手段などない、旧時代へと逆行したのだ。
こんな形で文明が終わるとは誰が予想しただろう……だが、人々の中には、宗二郎のように生き延びた者がいる。
「『魔石』が少し足りねぇか……」
自らの持つ『猟銃』に視線を送り、宗二郎はぽつりと呟く。
今、銃を扱うのに必要なのは火薬などではない。
ダンジョンがもたらしたのはただの破壊と衰退ではなく――新たな超常の力であった。
ゲーム知識などには詳しくはない宗二郎であったが、現実がゲームやファンタジーに近しい世界になってしまったのだということは、宗二郎にも理解できる。
『銃』を扱うのに必要なのは、魔石と呼ばれる『魔力』を宿した石だ。
これらは持つだけでも力を与えてくれ、使い方次第ではどんな武器にも応用できる。
宗二郎の年齢が四十代ということを考えれば、近接的な武器よりも、銃のような距離を保ったものの方が戦えるというのは道理だ。
扱ったことがあったわけではないが、今では自在のままに銃を使える。
どんどん衰える他ないと思っていた身体も、魔物を打ち倒すうちによく動けるようになった。
そういう世界に、宗二郎も気付かぬうちに適応してしまったのだ。
生きるのは決して楽ではないが、今もこうして宗二郎は生きている。
先ほど狩ったばかりの魔物を加工し、調理をするところだった。
調理と言っても、やることは実に単純で、『鹿』に近しい見た目の魔物を血抜きし、肉を捌いて焼くだけだ。
味の良し悪しなどは気にしたことはない――だが、魔物の肉は意外と美味しいものが多く、不満に思ったことはないというのが正しいのかもしれない。
パチパチと音を立てる焚火に視線を送りながら、宗二郎は今日という日を終えようとしていた。
……暗くなるにつれて、『火』はむしろ周囲から目立つようになる。
だが、長年この世界を生きてきた宗二郎は、だんだんと寄ってくる魔物の気配についても分かるようになっていた。
(後方に一匹、か)
宗二郎は傍らに置いた猟銃を手に取ると、ほとんど予備動作もなく振り返り――一発。
タァン、と乾いた音と共に、情けない『動物』らしき鳴き声が聞こえた。
立ち上がって確認すると、血を流して倒れる魔物の姿があった。
肉食の、『狼』の魔物だ。
名前などは分からず、ただの『狼』ではないことは分かる。
サイズも大きいし、何より通常の武器などはまるで効かない。
今の宗二郎が持っているような、魔石で『魔力』を得た一撃でないと、彼らには通用しないのだ。
打ち倒した狼に、さらに追撃で二発食らわせる。
万が一、生きている可能性を考えて――トドメを刺したのだ。
ビクリ、とわずかに狼の身体が跳ねて、動かなくなる。
宗二郎はそれを確認すると、狼の下へと近寄った。
その時、さらに近くから別の気配を感じる。
「……」
宗二郎は、気配のする方向へ銃を構えた。
――だが、すぐには撃たなかった。
気配が分かる、というのはその言葉通りで、ある程度『何者』であるかも分かるようになっている。
敵意というよりは、警戒。宗二郎に対して、怯えにも近い感情を抱いている者がいる。
草食の魔物は宗二郎から逃げ出すし、肉食の魔物は敵意をむき出して襲ってくる。
こういう場合、大抵は残された最後の選択肢となる。
「出てきな。別に、お前さんに危害を加える気はないからよ」
宗二郎はそう言うが、暗闇で気配を消した者は、姿を見せることはない。
だが、言葉は通じているのか――幾分か、警戒した気配が薄れたのが分かった。
宗二郎は銃を下ろすと、腰に下げた縄を狼に結び、引きずっていく。
焚火の近くまでは持って行かない。
血の匂いがそのままついた食材は、別の魔物を引き寄せやすい――今夜はもう寝るだけだ。
少し離れたところに置いておけば、いいだろう。
「よっこらせ」
狼を置いた宗二郎は、そのまま焚火の前に座り込み、調理の続きをする。
依然、宗二郎に対し警戒の念を強めていた何者かが、やがて宗二郎が少し離れたところに置いた狼に対し、『何か』をし始めた。
ちらりと視線を送ると、人影が肉を捌いて、一部を持って行こうとしているのが分かる。
――たまに、ある光景だ。
同じ人間でも、敵か味方はもう分からない世界。
だが、宗二郎は同じ人間に対しては敵意を持たない。だから、持っていきたいのなら持っていけばいい――そういう意味合いも込めて、宗二郎は自らが討った獲物を置いたのだ。
弱肉強食の世界と言えば当然なのだが、そんな世界でも――これくらの優しさはあってもいい。
それが、宗二郎の考える生き方である。
「……」
肉が焼けるのを待っていると、何故か人影は宗二郎の下へと近づいてきた。
すぐに持って帰って逃げるのかと思ったが、肉の一部を持った人影が、宗二郎の隣に立つ。
「どうした。姿を見せる気になったか?」
「……お肉、焼きたくて」
宗二郎の言葉にそう答えたのは、少女の声。
ちらりと視線を送ると、まだ年齢から言えば、十歳くらいの少女が――そこには立っていた。
ひどく汚れたローブと、灰色の髪。
こんな世界になってから生まれた『人間』であることは、宗二郎にもすぐ理解できた。
そして、少女はこんな世界の中でも、生き延びてきたのだ、と。
「新鮮な魔物は生でもいける」
「生は嫌い。血なまぐさい、から」
「このご時世に好き嫌いか。面白いことを言うな」
ふっ、と宗二郎は笑みを浮かべる。
宗二郎は、少女が手に持った肉を受け取ると、そのまま焼き始めた。
少女は少し驚いた表情をしていたが、やがて宗二郎の隣に腰を下ろす。
「お肉、焼いてくれてありがと」
「この肉を提供したのも俺だぜ」
「お肉も……ありがと」
随分と素直な少女であった。
思わず笑ってしまうほどに、純粋に宗二郎の言葉に答えてくる。
実に久しぶりの――人間との会話でもあった。
「一人か?」
「ちょっと前に、一人になった」
「そうか」
「おじさんは?」
「見ての通りさ。ずっと独り身だよ」
「そっか」
宗二郎と少女の会話は、ほとんどない。
焼ける肉を見ながら、再び宗二郎が口を開く。
「俺は宗二郎だ。名前はあるか?」
「名前は、シロってつけてもらった」
「犬みたいな名前だな」
「……そうなの?」
犬につける名前、というのも少女――シロには通じないらしい。
今の時代に、名前の意味など必要ないかもしれないが、少女に対して『シロ』というのは、随分と合っているようにも感じた。
「家はあるのか?」
「ここはおじさんの家?」
「俺が聞いてんだ。俺は旅人だからよ」
「そっか。わたしも旅人」
「随分と若い旅人もいたもんだ」
「わたしも、おじさんくらいの人は初めて見た」
「そうか? 俺くらいの奴の方が、しつこく生き残ったりしてるもんだぜ」
「生きている人、ほとんど見たことがないから」
「まあ、こんな世の中だしな」
「うん。だから……」
だから、とシロは言って、その後に言葉は続かない。
ただ、焚火を見つめてじっとしていた。
宗二郎は、そんなシロに続く言葉を模索し――口を開く。
「ここで会ったのも何かの縁、か。しばらく、一緒に動くか?」
「! いいの?」
「俺も独り身だが、二人で行動すると結構楽になるかもしれないからな」
「……うん。じゃあ、よろしく」
ぽつり、とシロがそう答える。
実に軽い感じで――二人は一緒に行動することになった。
荒廃した世界で、おっさんと少女は出会ったのだった。
ローファンのダンジョン物のネタを考えたはずが、こうなりました。