ガヴェルテス・フィル・エステングラートの最後
「何故だ! 何故!? クラーケンは師団レベルの戦力が無ければ討伐出来ない筈では無かったのか⁉」
男は頭を抱えながら、絶望と困惑の表情を浮かべ部下からの報告書を握り締めていた。
男の名は、ガヴェルテス・フィル・エステングラート。
━━中肉中背、少し赤茶色の短髪のパッとしない姿ではあったが、この都市の領主であった。
「今日はクラーケンが船を襲う日では無かった筈だ……幾ら魔力供給が必要だとしても、あの海域にそれ程高い魔力を持った物は無い……一体どういう事だ?」
ガヴェルテスは、船の運行状況を記した書類を取り出すと、別件の物も含め確認をし始める。
「今日は1件だけ……しかも帝国軍の廃船予定の船が、解体用の資材を取りに行くのみだ。行き先の倉庫はあの襤褸倉庫、まるで意味が分からん!」
ガヴェルテスとしては、オットマンの倉庫は汚いと思っていたが、一番商品を取り扱う量が多い事と、他領や国の船が持ってきた商品を、一度に大量に広げられる利点があった為、維持出来るだろう最低限の援助を寄付という形で数回行っていた。
━━実際は、全く見当違いの金額だった事に加え、自身が行っている税収の関係で、寄付した金額では赤字に成る金額であり、オットマンが別の仕事で収入を得て居る事は知らなかったが……。
そんな考えも、外からの言葉と共に扉が開かれ、一人の使用人服を着た男が部屋に入った時点で消え去った。
「領主様、失礼致します」
「無礼者め!! 一体何だ!! 私は今、忙しいんだ! 斬り捨てるぞ?」
「コチラの手紙を」
「手紙? コレは!!」
部屋へと入って本来ならば、勝手に部屋に入ってきた者を斬り捨てるという言葉を、簡単に口にする男の使用人に成りたい者は先ず居ない。
そして、ガヴェルテスは一々使用人の顔を覚えるという事に労力を使おうとはしない人間だった。
今の屋敷に残っている者の大半は、先代のガヴェルテス伯爵が存命の際に使用人となった者ばかりで、それも現当主では無く、今は亡き先代の願いにより『孫であるサリエラが一人前に成るまで側で支えてほしい』というものから残っている者ばかりだ。
だからこそ、能力ばかりで判断を下すガヴェルテスは、このタイミングで現れた人物を疑うことをしなかった。
「ハハハッ!! 成程、これも作戦なのですね……スバラシイ!! そこのお前!良くぞこの手紙を持ってきた! この粉を飲めば私は助かるぞ!!」
「いえ、それでは失礼致します……ガヴェルテス様」
手紙を持って来た使用人風の男は、扉が閉まると徐ろに耳の後ろへ指を突き刺し皮を剥いだ。
「まっだぐ、お゛ろがものだな?」
その姿は、人と言うには余りにグロテスクな物で、本来そこにある筈の血管や肉は、無数の蠢く虫で覆い隠す様に見えないものと成っていた。
「オデのわだじだもの、つがえば、ダノジィナァ……ミンナ、ナガマダァ」
「変装者、仕事が終わったなら早く戻りなさい。貴方の仕事は未だ在るのですよ!!」
「ゴベンナザイ、マズダー! すぐ、むがぅ」
“デギズマン”と呼ばれた男は、小さな突起物を自身の腹部へと突き刺し、暗闇へ姿を消した。
「ふぅ……人の姿を移すのは、余り痛く無いとは言え、マスターに頂いだ姿を変えるのは、些か抵抗がありますね……あ、あ……ンッ!! 無礼者め!! ……こんなものか?」
再び姿を現した男の姿は、先程の使用人でも、本人の言った本来の姿でも無く、先程まで自身が会っていた人物。
ガヴェルテス・フィル・エステングラートの姿だった。
ガヴェルテスの姿へと姿を変えたデギズマンは、我が物顔で先程出てきた扉を開く。
だが、そこに居た筈のガヴェルテスの姿は既に無く、残されていたのは衣服のみという状況。━━正確には、血管の様に赤い人の形をした筋に衣服が掛けられていた。
「全く、人としても醜い塊だったが、私と同じ者と成っても醜いとはな? まぁ良い、貴様の服は貰っていく。なんせ、此処まで醜い身体に成ったのは初めてだからな。手持ちに服がなくて適わんよ」
デギズマンはそう言い放ち、筋の塊を握る。
そして、握られた箇所から、同化する様に赤い紐状の筋が握った手に水に溶かした綿飴のように吸い込まれていく。
「記憶を持っていないと、次の手を出す事が出来無いとはいえ、この男のは勘弁願いたかったな……食肉場の家畜と変わらない。寧ろ家畜の方が未だ利口だな」
深くため息をつくが、そのまま瞳を閉じて深く息を吸い込む。
小一時間程過ぎた頃、デギズマンはゆっくりと瞼を開き口元に笑みを溢した。
「流石は先代ガヴェルテス伯爵、まさか、この事態を予想していたとでも言うのか? ……だが、記憶の端々に映る男は憶えたぞ」
吸収したガヴェルテスの記憶、その全てを見返したデギズマンは、欲した記憶が無かった為、少しばかり苛立ちを浮かべていたものの、先代の傍らに常に控える男の姿を鮮明に記憶していた。
そんな最中、扉の外が騒がしくなり、様々な物音が鳴り響く。
「ガヴェルテス様! 大変です、黒騎士ハーガン様が!!」
「……最悪だな」
「如何なさいますか?」
「後は、どれ位で此処に来る?」
「最早逃げられ無いかと……えっ?」
「ごのがわ、もぅ、イラナイ。ミガワリダァ」
腹部に深く剣の様に突き刺さる腕からは、夥しい数の赤い紐が剥がれていき、突き刺された使用人の姿が醜い肉塊へと変化していく。
数秒の後、肉塊が蠢き始めると、その姿はガヴェルテスへ変貌を遂げる。
━━しかし、その命は既に尽きた骸。
デギズマンは、身代わりの骸を椅子に座らせ、自身が貫いた傷口に同じ幅の剣を握らせ差し入れると、そのまま近くにあった小窓から外へと抜け出した。
「ガヴェルテス・フィル・エステングラート、ドーラン帝国領内にて犯罪組織ノートリアスと手を組んだ国家反逆罪、その他、不正行為の疑いがある!! 大人しく投降せよ!!」
直後、扉を荒々しく蹴破って、複数の黒騎士が部屋へと到着した。
恐らく突入するまで、誰も物言わぬ骸が鎮座しているとは思わなかっただろう。
腐っても帝国内で伯爵の爵位を持つ者だ。
少なくとも、ガヴェルテスの性格から、逃げるか抵抗するだろうと思っていたのだから。




