闇夜の侵入者
━━夜陰に乗じて、街の屋根を音も無く渡る者が居た。
漆黒の装束に身を包み、彼の者は目的地にたどり着く。
「……」
姿を見られる訳には行かない。
故に、月が雲に隠れる今宵を選び実行に移した。
決して認められる事ではないが、彼の者は実行せねばならなかった。その手を血で染める事になろうとも。
━━全ては、護るべき者の為に。
「今宵は月の無い夜。貴様の要件は知らぬが、我が主人の館と知っての侵入と見た。相違ないか?」
「無駄だベリト、奴は言葉を交わせぬ様に術を掛けられておるのだろう? なぁ、猫人族の暗殺者よ……いや、カルロと言う名だったか?」
「!?」
彼の者の前に現れたのは、龍をモチーフにした兜の騎士と、一度対峙した人狼族と思われる女。
そして、女の口から出たのは己の名だった。
一度対峙した際に手を抜かれているとは感じていたが、眼前に居る女は、以前の時とはまるで違う、底知れぬ圧力が襲い掛かってきた。
隣の騎士も、隙が有るが間違いなく誘っている。恐らく、踏み込めば一太刀に伏す結末が待っているだろう。
「退く事も進む事も出来ぬか? まぁ、ルークを暗殺しようとて、お前の実力では無理であろう。寝込みを襲わぬ限りな」
「!?」
「余りに五月蝿いと、ルーク様が起きてしまいますから、速さと暗殺術なら私も負けてはいませんしね」
退路は完全に断たれた。
喉元に突き立てられたのは、黒刃のナイフ。
いつの間にか背後に、もう一人の騎士が居た。
後方に気配と魔力が有るのは知っていたが、この騎士からは、それが感じられなかった。
「私の魔力は残念ながら、生前の頃から少ないのでね、この身体に成ってからは随分と出来る事が増えましたが……」
くつりと笑う。
生憎、その笑いに対して抱く感情など持ち合わせて居ない。
最早ここまでの命だったと諦め、自決用の薬を噛み砕く……筈だった。
「悪いんだけどさ、人の家で死ぬのとか止めてくれないか? アンタさぁルーチェの叔父さんなんでしょ?
全く、こんな物まで用意して……首輪も外したから、もう話せる筈だよ」
「!?」
そこに居たのは、己の標的として指示された子供。
ルーク・フォン・アマルガム子爵の姿だった。
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【シャガールとの邂逅から数日後 王都 自分の屋敷】
「ルークを狙う貴族が、刺客を放ったようだぞ」
日課となった神力トレーニングを終えた所で、カミナが何食わぬ顔で呟いた。
「どこの貴族? 俺が狙われる理由は?」
「神龍皇国の近くにある王国の貴族のようだ。恐らくだが、セレーナの小娘が追っている組織に一枚咬んでいる様だぞ?」
「その事はセレーナ伯爵に伝えてる?」
「伝えてはいないが、一つ気になる事があってな」
カミナは袋から、布切れを取り出し見せてきた。
「これは、少し前に対峙した暗殺者の持ち物なんだがな、ルーチェの毛の色が良く似ているだろう? 猫人族の物に違いないらしい。この持ち主が、その貴族に雇われている所までは掴んでいる」
「確かに似ているけど、かなり傷んでるね」
「推測だが、カルロと言う名だったか? ではないかと思うのだ。手を抜いたとは言え、逃げ仰 せた手際は一目置ける。それに魔剣に関してキナ臭い話が、その貴族から出てきたらしいからな」
「どんな話?」
「人喰いの魔剣だそうだ。何でも人の生け贄を捧げることで願いを叶えるらしい。昔から眉唾物として広まっている物らしいが、代替わりしてから街の資金繰りが良くなった事に加えて、奴隷商の出入りが増えた事も、噂の拡散に繋がっている様だぞ」
「火の無い所に煙は……って事だね」
もしそうなら、手を打った上でその貴族を問い詰める必要がある。
むしろ、俺が狙われている状況を逆手に取る方が、却って有利になるんじゃないか?
そんな思惑を考えながら、俺達は暗殺者を誘い込む計画を進めていった。
天候の条件は、偶然にも月の無い夜となり、屋敷のメンテナンスと結界のメンテナンスを理由に、全ての魔術を一時的に解除する事と魔石と核の交換が済む迄はその状態が続く事。
商業ギルドや冒険者ギルドに依頼を出したりとしていき、漸く準備が整う。
それは奇しくも、学園の入学式の2日前の事だった。
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【現在 温泉館内】
「何故俺を殺さない。……俺はお前を殺しに来たのだぞ? 身勝手な理由で」
男━━カルロが口を開いた。
「それはそうでしょう? いくら暗殺者とは言え、そんな簡単に人は殺しませんよ?」
「随分と落ち着いているな? 本当に子供なのか?」
「まぁ、これだけの精鋭がいますし? 貴方も逃げられないと判断したから薬を噛み砕くつもりだったんでしょ? 毒が効かないとは言え、薬なら効く……納得です」
毒を無効するスキルでも、薬を無効化する事は無い。
しかし、薬も分量を違えれば身体を蝕む毒に変わる。
カルロさんは、自己血輸血と同じ様な事をしようとしていた。
カプセルには、血液と魔石の粉が多量に含まれており、噛み砕く事でドーピング作用を引き起こす仕組みが施されている品だ。
「取り敢えず……ルーチェ」
「!?」
「……」
カルロさんの瞳は、信じられない物を見た様に驚いている。
一方、ルーチェは怪訝な瞳でカルロさんを見ていた。
「な、何故ここに!? 奴らの仲間に捕まっていた筈じゃ!?」
「彼女は、悪徳奴隷商の貴族を殺害し、捕らえられた仲間を逃がして力尽きたところを、私の知り合いの商人に助けられてここに居ます。現状は奴隷として働いて貰っていますが、最終的には解放するつもりです」
「アタシは、解放されても出ていく気は無いからな? 給金貰えてご飯は美味しいし、メイド長は怖いけど……でもお姉ちゃんみたいに最近は感じてるし」
「ルーチェ……」
カルロさんの瞳には、様々な感情が蠢いている様だった。
「……ノリス家」
「えっ?」
「俺を差し向けた貴族の大元だ。 孤児院を壊してルーチェ達を拐ったのも、野心家であったが、俺と義姉さんを逃がした兄の本当の仇だ!!」




