第八話 魅了魔法
「うわ、色っぽいなぁ……! たまらへんわ」
通りの向こうから現れた女性。
それを見たリーツさんが、途端におっさんと化した。
まあ無理もない。
おばさんが奥様と呼んだその人物は、それはもうすさまじい色香を放っていた。
露出の少ないドレスを着ているというのに、メリハリの効いたボディラインが逆に際立ってしまっている。
年のころは、二十代後半と言ったところだろうか。
流れるような黒髪と愁いを帯びた表情が、この上なく艶めかしい。
まさに完成された大人の色気ってやつだ。
「ぐぬぬ……! 負けたか……!」
「大人っぽいのですよー……! 私なんて、まだまだ……!」
早くも敗北を認めるサーシャさんたち。
実年齢で言えばはるかに年上であろうアルトさんまで、悔しげな表情をしている。
そりゃ、おばさんも自信満々になるわけだ。
この人と比べてしまっては、うちの三人なんてまだまだである。
見ているだけで、頭がくらくらしてきてしまう。
「マイア、何をしているの?」
「奥様、この人たちですよ! あの屋敷を買おうとしていたのは!」
「いえ、違いますよ!」
おばさんだけでなく、この人にまで誤解をされたのではたまらない。
俺は慌てて二人に割って入ると、事情の説明を始めた。
事件の詳細などは伏せつつ、ことの概要だけを語っていく。
「ということはつまり、アンタたちはあそこの買主じゃないと?」
「そうです。さっきからそう言ってます!」
「あらやだ、失礼したわ! ごめんなさいね、さっきは嫌なこと言っちゃって!」
口元を抑えながら、豪快に笑うおばさん。
さっきは割とひどいことを言っていたが、この陽気な姿を見てしまうと憎めない。
たぶん、いろいろとしゃべりすぎるだけで根は悪い人じゃないんだろうな。
一方奥様の方は、どことなく悲しげな顔をしていた。
まあ、だまし取られた家の話なんてあんまりしたくないよな。
「しっかし、不思議やなぁ。なんで奥さんみたいな人がジンなんかに騙されたん? こういたらあれやけど……相手ぐらい、いくらでもおるやろ?」
怪訝な顔をしながら、尋ねるリーツさん。
確かに、彼女の言う通りであった。
これほどの美貌に恵まれた奥様である、ジンなんかに頼らなくても男はいたはずだ。
口説き文句とかにも、相当慣れているだろう。
加えて、あまり無駄遣いをするようなタイプにも見えない。
「それは……」
言葉を詰まらせる奥様。
彼女は形のいい顎に手を当てると、軽く首を傾げた。
アンニュイなため息が、口からこぼれる。
「何故でしょう。ジンさんと話していると、気分がすっかり高揚してしまって。今思えば彼に溺れてしまっていたのだと思います。今でも、彼のことを思い出すと……ぼんやりするくらいで」
奥様の目から光が消えた。
これは……ちょっと普通じゃないかもしれない。
俺は即座に鑑定を使うと、奥様が状態異常にかかっていないかを確認した。
すると――。
「あっ! 魅了されてますよ!」
「えっ!?」
「そんな! 何度も確認したのに!」
俺の指摘に、目いっぱい驚いた顔をする奥様とおばさん。
しかし、表示されたステータスにははっきりと「魅了」の文字が躍っていた。
己惚れるわけではないが、俺の鑑定スキルは絶対的。
まず間違いないだろう。
「確認した、とはどういうことなんです?」
「いえね。奥様は前にも高名な治癒術師様にも見てもらったのよ。でも、何もおかしな様子はないって!」
「でも、リュカさんの鑑定は信用できますからねぇ」
「せやで。念のため浄化魔法をかけとこか」
即座に呪文を詠唱するリーツさん。
さすが、ギャンブル大好きでも賢者である。
高位の神官でもなかなか難しいと言われる浄化魔法を、いともたやすく使いこなして見せる。
たちまち彼女の指先から光の波紋が広がり、辺りを覆って行った。
頭の芯を、すうっと爽やかなものが通り抜けていく。
清涼な風が吹き抜けていったかのようだ。
「……あら?」
奥様の目に光が戻った。
彼女は何度か瞬きをすると、驚いたように周囲を見渡す。
その様子は、長い長い夢から覚めたかのようであった。
鑑定結果からわかっていたことではあるが……やはり、魅了にかかっていたようだ。
「あらま! 本当に魅了にかかっていらしたとは……!! 奥様、大丈夫ですか!?」
「ええ、今のですっきりといたしました。ここ最近、ずうっと頭の底にもやがかかっていたようになっていたのですが……それがなくなって」
「ま、私の浄化魔法は一級品やからね。あ、治療費忘れんといてな! うちの魔法は安くないで!」
「は、はい」
「……相手にしなくていいぞ。こいつに金を与えても、カジノに消えるだけだ」
そういうと、サーシャさんはリーツさんの頭をゴツンと叩いた。
うわ、痛そう……!
たまらず涙目になったリーツさんがぽかぽかと反撃するものの、相手は高ランクの剣士。
効果がないどころか、逆にリーツさんの拳の方が赤くなる。
「いたぁ……! 相変わらず、アホみたいに頑丈やな……!」
「まあまあ、二人とも仲良くしましょう! それより今は、魅了の件が先決です」
「そうですね……」
アルトさんの言葉にうなずいた奥様。
彼女は深呼吸をして息を整えると――。
「あんの腐れ聖騎士が! 絶対許さねぇ! 二度と×××を使えないようにしてやる! ああ、思い出すだけで胸糞ワリィ!!」
がりがりと背中をかきながら、大声で叫ぶ奥様。
……やべえ、何か目覚めさせちゃいけないものを目覚めさせたような気がするぞ!!




