第二十話 魔王さまの理由
こ、殺されてしまう……!!
いつの間にか、俺の後ろへと回り込んでいた三段腹……もとい、魔王。
彼女から発せられる尋常でない威圧感に、俺は死を予感した。
身体が自然と震える。
ヤバイヤバイヤバイ、これはマジでヤバいぞ……!
「た、た、助けて……くれ……ま……せぬか候?」
あまりのことに、言葉遣いが混乱した。
候ってなんだ、候って。
自分でも何を言っているのか分からない状態に陥っていると、魔王は驚いたように目を見開く。
「おぬし、リュカか?」
「あっ……!」
しまった、地声を出したせいでバレた!
魔王は俺の前へと移動すると、前のめりになって顔を覗き込んできた。
慌ててマスクの位置を移動させるものの、もはや手遅れ。
完全に俺だと気付いた魔王は、表情を一気に険しくする。
「やはり気づいておったのだな。余の惨状に!」
「いや、お腹のことについては今初めて知った! 本当だ!」
「ではなぜこのような場所にいる? 大方、余の恥ずかしい場面を魔導具か何かで撮影するつもりだったのだろう? そうして得た証拠で、余を脅そうとしたのではないか?」
「そ、そんなことは! 滅相もない!」
恥も外聞もかなぐり捨てて、魔王に平伏する。
こうなったら、とにかく慈悲を乞うしかない。
俺のステータスで魔王とぶつかれば、もって十秒ほどなのだから。
しかし――。
「まあいい、こうなってしまってはやるしかなかろう。なに、苦しむことなく逝かせてやる」
「ひぃッ!? だ、誰か助けて!!」
「無駄だ。闇の領域を展開した、どれほど声を上げようが、外に聞こえることはありえぬ」
言われてみれば、心なしか周囲が薄暗い。
これが闇の領域ってやつか……?
思っていたのと少し違うが、効果は確かなようだ。
喉が裂けんばかりに叫ぶが、まったく反応がない。
「では、死ね」
魔王の手が黒い光を帯びた。
魔法の素養が薄い俺ですら、そこに膨大な魔力が秘められているのがわかる。
証拠が残らないように、魔王は俺のことを完全に消し去ってしまうつもりのようだ。
「ぐぐぐ……! あれ?」
覚悟して目を閉じたが、いつまでたっても衝撃は来なかった。
恐る恐る薄目を開くと、構えをとったままの状態で魔王が静止している。
あれ……なんでだ?
魔王の動きを止めるものなど、この場にはないはずだ。
「…………動かないんですか?」
「黙れ! おとなしくしていろ!」
そうは言うものの、魔王はちっとも攻撃してこなかった。
よくよく見れば、構えられた拳がわずかに震えている。
額にも嫌な汗が浮き、顔つきは渋かった。
これと似たようなのを、昔見たことあるぞ……!
武器を構えたはいいが、いざ無抵抗の相手を攻撃しようとすると怖くなってしまったチンピラ冒険者。
今の魔王の表情は、不思議との顔に似ていた。
「もしかして、怖いんです?」
「そ、そんなことあるわけが……!」
構えなおすものの、やっぱり攻撃のできない魔王。
やがて彼女は振り上げた手を下ろすと、フーッと大きなため息をつく。
その顔は疲れ切っていて、見ていて心配になるほどだ。
「あの……大丈夫ですか?」
「案ずるな、昔からこうなのだ」
「昔から?」
「そう、いざとなると甘くなってしまってな。魔族の王たるものが、なんたるざまよ……!」
あらま、まさか魔王がこんな性格をしているなんて……。
さすがにちょっと予想できなかったな。
普段の穏やかな暮らしぶりは、人里に溶け込むためのフェイクだと思っていた。
が、そうではなかったようだ。
「このぬるい心を捨てるため、余は人間界に来た。ここで適当に、破壊と殺戮を繰り返せば慣れると思ってな。だが実際は……」
そう言うと、魔王はグッと拳を握りしめた。
彼女はそのまま悔しげな顔をすると、絞り出すような声で語る。
「魔界よりうまい飯! 適度に甘やかしてくれるギルドマスター! ことあるごとに飴玉をくれる近所のおばさま方! 人間界の居心地の良さに、いつの間にか身も心もさらに、さらに堕落してしまった!」
「その結果が、そのお腹ですか」
「そう! 人間のおばさんというのは、なぜあんなに人に菓子を渡したがるのだ? 食べきれないと断っても押し付けてくるのだ?」
あー、確かにおばさんってお菓子をよくくれるよな。
何かをお手伝いしたりすると、すぐに飴玉を差し出してくるイメージがある。
まして、魔王は近所のおばさま方に可愛がられていた。
もらうお菓子の量も、結構なものだっただろう。
「ま、まあいいんじゃないですか? 無理しなくても」
「何?」
「魔族だからって、何も殺戮大好きでなきゃいけないとかそんなことないんじゃないですかね?」
「貴様に余の何がわかる!!」
声を張り上げる魔王。
その音量ときたら半端なものではなく、雷で直撃したかのようだった。
しまった、迂闊なこと言って怒らせてしまったか……!?
「魔族にとって破壊と殺戮というのは、何よりも重要なのだ! 確かに、やらねばならぬと定めた掟はない。しかし、周囲の空気というものがあってな……。いい年して経験がないと『あの年で殺しをしたことないの? マジあり得ねー!』みたいな眼で見られるんだぞ! わかるか! この気持ち!」
拳を振り上げ、力説する魔王。
なるほど……それはつらい、確かにつらい!
俺も前、一人でオークを倒したことがないと言ったらそういう眼をされた。
だからその気持ち……わかるぜ!
「大丈夫だ、わかる! わかるって!」
「本当か? 適当なことを言ってたら、許さぬぞ?」
「適当なものか。俺も鑑定ばかりしてたから、あまり戦闘経験がなくてさ。先輩冒険者に、よくそんな感じの目をされるぜ!」
「言われてみれば……」
ポンッと手を叩く魔王。
ギルドの受付嬢でもある彼女は、普段から俺の様子を見慣れている。
いま言ったような場面を、すぐに想像することが出来たようだ。
……俺としては、ちょっと悲しいけれども!
「そのさ。嫌だったら、戻らなくてもいいんじゃないか?」
「む? どういうことだ?」
「こっちの世界、居心地良いんだろ? だったら何も、白い目で見られる魔界に戻らずにさ。ずーっとこっちにいればいいんじゃないかな?」
俺がそう言うと、魔王は呆けたような顔をした。
どうやら、考えたことすらなかったらしい。
まあ、当然だよな。
魔王にしてみれば、魔界は大事な故郷なわけで――。
「なるほど、それはいいな!」
「ぶふっ!?」
あっさりと決めおった!?
フットワーク軽いというか、思い入れがなさすぎというか。
いろいろとすげえよ、魔王様!
「あ、ああ……そうですか」
「うむ。別に、魔界は余がいなくても問題なく回るようにしてあるからな。しばらく羽目を外すのも良かろう」
「なるほど……?」
何はともあれ、危機は回避できたようだ。
これでようやく安心して寝られるな……!
ここ二週間ほど、魔王のことが心配でろくに休めもしなかったからな。
やれやれ、助かったぜ。
「じゃあ、俺はひとまず失礼します! みんなのところに行かないといけないので!」
「あ、ちょっと待ってください!」
すっかり受付嬢モードに戻った魔王が、俺を呼び止めた。
まだ何かあるのだろうか?
俺が不思議に思っていると、彼女は妙に迫力のある笑みを浮かべる。
「いい雰囲気になったので、すっかり忘れられてますけど……。私、許したとは言ってませんよ?」
「へ?」
「覗きの件。それから、私のお腹をみて三段腹って言った件」
そう言うと、魔王はコキコキと手の指を鳴らし始めた。
や、待って!?
そう言うの苦手ですって、さっきから言ってたことないか!?
破壊とか殺戮とか苦手だって、だから魔界では立場がないって!!
「物騒なこと、できないんじゃ……?」
「はい、なので平和的にお尻叩き千回ほどで」
「嫌だ!? そんなことされたら、尻がもげる!! 全然平和的じゃない!!」
「大丈夫ですよ、すごく痛いだけ――ん?」
ここで急に、魔王の動きが止まった。
彼女は周囲をきょろきょろと見渡すと、ひどく焦った表情を浮かべる。
「なんですか、このまがまがしい気配は!? 魔界でも感じたことないですよ!!」
「え? 俺は特に何も感じられないですけど……」
「鈍感すぎですよ! 今この瞬間にも、何かろくでもないものが迫ってきてる感じがします!」
「そんな、いったい何が……?」
「わかりません。ですが恐らくは、どこかの愚か者が魔神の類でも召喚しようとしているのかと!」
おいおい、そんなことするのはいったいどこの誰だよ!?
魔神と言えば、気まぐれに降臨しては手当たり次第に世界を破壊する大災厄だ。
そんなものを呼び出そうとするなんて、完全にイカレちまってる!
くそ、なんつー迷惑な……!
こうして俺が憤慨していると、脱衣所の扉が乱暴に開かれ――。
「リュカはいるか!? 大変だ、リーツの魔法陣が暴走した!!」
「…………あ、すまん。俺たちが原因だ」