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愛を求めた傾国

作者: 秋司椎茸


 蝋燭を右手に持ち、暗く細い螺旋階段を下る。石畳特有の足音と、鍵がぶつかる高い金属音が閉じた空間に反響していた。この牢には一人の女性が入っている。王族を誑かした大罪人らしい。曰く、見る者すべてを惑わせる容姿である。曰く、彼女と会話したものはいつの間にか恋に落ちてしまう。曰く、百人を超える男どもを誑かした。と、まあ。とてもではないが信じられないような噂ばかりが僕の耳に入ってきていた。正直こういった噂には誇張表現が多分に含まれていると僕は考えている。そもそも、噂が事実なのだとしたら、こんな場所にいる訳がない。今頃その誑かしたという王子様とよろしくやっているころであろう。

 しかし、すべてが嘘だとも思えなかった。火のない所に煙は立たない。ならばきっと、絶世の美女とまではいかずとも、美しい女性なのだろう。会話で恋に落とすことはないが、好感を持てる話し方をするのだろう。百人とまではいかずとも、多くの男どもを落としたのだろう。と。

 僕が牢番として指名されたのは、なんということはない。『恋愛』という言葉からはおおよそ無縁な生活を送ってきたが故である。愛したり愛されたり、恋に落ちたり落とされたり。そういった情事にはいっそ、言い様のない虚しさすら覚えた。だからと言って男色の気があったわけではない。ただただ、愛を求める神経が理解できなかった。要するに、僕には『愛』を理解できなかったのである。

 勘違いしないでほしいのだが、恋愛事に興味がなかったわけではない。彼らが溺れていくその『愛』という感情を知りたいという好奇心はあった。であるからこそ、僕は彼女に期待すらしていた。もしかしたら。ひょっとしたら。彼女は僕に愛を教えてくれるかもしれないと。僕は彼女を愛せるかもしれないと。


 長い螺旋階段の奥、腰に掛けていた鍵束の中から一つを選び、木製の扉を開く。中にはいくつかの牢。その一つに彼女はいた。

「あら、牢番さん?こんにちは、それともこんばんはかしら。ふふ。ごめんなさいね。ここ窓がないでしょう?だから時間が分からなくって」

 そう冗談めかして言う彼女の眼を見て、僕は落胆すら覚えた。何のことはない。彼女も僕とある意味では同類だったのだ。『愛』の存在に振り回される、ただの人。

「今日から処刑までお前の見張りをすることになった。名前は知らなくてもいい。何かあったら言え。その 時まで死なせるわけにはいかないからな」

彼女の言葉はあえて無視をして、必要最低限を告げる。

「そう。わかったわ。 ……ねえ。牢番さん。私の話。ちょっと聞いてくれないかしら?」

 少し迷うようにして、おずおずと彼女は尋ねた。どことなく不安げな、親に許可を求める子供のような調子だった。が、あからさまな演技だった。

「断る」

 聞いてやる必要などなかった。興味を持っていたのはさっきまで。今はもう。どうだっていい。

「残念ね……」

 落ち込んだ声色を出してはいたが、その表情は全く落ち込んでいなかった。残念だとはみじんも思っていないようだった。

 しばらくして、彼女は何かを思い出したかのような声を上げた。

「そうだわ。話を聞いてくださらなくてもいいわ。だけど、独り言は許してくれるわよね?」

 彼女の真意を理解できなかった。独り言という名目で、外部に助けを求めようとしているのだろうか。否。そんなことは、不可能だ。この牢内の音は、外には届かない。ではなぜ?そうまでして僕に話を聞いてもらいたいのだろうか。

「……好きにしろ」

 拒否してもよかったのだが、少しだけ気になった。彼女はいったい何を求めているのか。

「ありがとう」

 今度は心底嬉しそうに、彼女は礼を述べた。

 それから彼女は、ぽつりぽつりと言葉を漏らし始めた。それは独白というよりもむしろ、告白に近かった。


 私ね、愛という感情を知りたかったの。私には愛という感情がわからない。『愛』が何かはわかっているつもりよ。別に両親に愛されなかったわけじゃないもの。それなり。いえ。かなり大事にしてくれたわ。だからきっとあれが愛だったのでしょうね。だけど、私には彼らの感情を理解できなかった。『愛』が分かっていても、『愛』という感情はわからない。私を愛した両親は、なぜかとっても幸せそうだった事は、よく覚えているのだけれども。

そうそう。聞いてみたこともあったのよ。

「どうしたら人を愛せるの?」って。

 彼らは答えたわ。

「その時が来ればわかるよ」って。

 けど、待てど暮らせど、そんな時は来なかった。私は、そんな彼らがうらやましかったわ。誰かを愛せる。愛ゆえに幸せになれる。そんな彼らを見ていたら、私も愛という感情が知りたくなった。でも、私には人の愛し方なんてわからなかった。だから、愛を偽ったわ。愛するふりをしていれば、愛を振りまいていれば、いつかは本物の愛になるかもしれないって、そう思っただけなのよ。ほら。形から入る愛があるかもしれないじゃない? 嘘から出た誠があるかもしれないじゃない? だから私。期待したの。いつか私にも愛がわかるかもしれないって。

 最初に『愛した』のは、十のころに近所の男の子を。随分とかわいらしくってね。いつも私に道端の花を一輪差しだしながら頬を染めて。私を愛してくれた。だから、私も『愛して』見ることにしたの。大人たちがする『愛』をまねして、完璧な愛をふるまえたと思ったのだけれども。結局、半年が過ぎたころかな。彼は怒り出してしまったの。「僕をからかうな。」ってね。私。別にからかってなんていなかったのよ? 愛そうと努力したのよ? 今思えば、それがいけなかったのかもしれないわね。努力するなんて。愛していないことを認めたようなものだもの。

 それで、結局彼とは別れたわ。別れてから、何がいけなかったのか反省したのだけど、当時の私はもっとうまく愛さなくては。なんて思ってしまったのよ。


 そこまでで彼女は『独り言』をやめてしまった。


 今日はここまでにしておくわ。だって、まだ先は長いもの。一日ですべてを語りつくしてしまったなら、もったいないじゃない。それに。


 それに、私も思い出に浸りたいのよ。


 確かに彼女はそういった。今は亡き、遠くの日々を見つめながら。結局、彼女はそれきり黙ってしまった。


 翌日。牢の様子を見に行くと、思い懐かしむような表情はすっかり消えていた。そして、今度はこちらに問いを投げかけることもせず、いきなり語りだしたのだった。


 彼と別れてから数年してちょっと怪しい人たちから「愛を売らないか。」って誘われたの。私は即答したわ。もちろん「YES」ってね。ああ、勘違いしないで。彼らは私を無理やり引き込もうとしたり、甘い言葉をささやいたりはしなかったわ。むしろ、本当にやるのか? 誰かに脅されていないか? って何度も確認してきたくらいだから。笑っちゃうわよね。自分から誘ってきたくせに、「脅されていないか」なんてね。そういう意味で、私は本当に運がよかった。至極『まっとう』で、『上等』な娼館に務めることができたのだから。

 いいお姉様方に囲まれて、質の良いお客様をご案内して、愛し。愛され。愛に溺れる。ふりをした。恋愛ごっこの日々を送った。そう。恋愛ごっこ。どうしたってそれは恋愛ごっこに過ぎなかったのよ。わかっていたはずなのだけれどもね。体を重ね合わせて、愛をささやきあったとしても、それは『フリ』なのよ。あそこはそういう場所だったから。愛を求めて飛び込んだ場所が、一番愛しちゃいけない場所だったのだから。ほんと。笑っちゃうわよね。

 それに、安心しちゃう私がいたの。


「さて。確か。私の処刑は明日だったかしら? それとも明後日だったかしら。ねえ。牢番さん?」

 また唐突に彼女は『独り言』をやめた。それから思い出したように自分の死期を問うのだった。

「明後日の正午だな」

「そう。そうなのね」

 そういってうなずく彼女は、まるでこれからの予定を立てようとしているように見えた。

「それじゃあ。また、明日」

 また明日。さようならば、また明日。いつしか彼女の話を楽しみにしている自分がいた。明後日になれば彼女は死ぬ。別に悲しいわけではない。悲しくなるほど親しくもない。彼女が一方的に話し、僕が一方的に聞く。ただそれだけの関係。人と人との関係というよりもむしろ、モノとモノの関係に近かった。しかしそれが、どうしようもなく心地よいと感じてしまう自分がいた。あるいはこれが愛の芽生えとでもいうのだろうか?


 しかし翌日、彼女はなかなか口を開こうとはしなかった。待てど暮らせど彼女は語らない。様子をうかがうと、どことなく申し訳なさそうで。どことなく迷っているようで。とことなく悲しそうだった。結局、彼女が語りだしたのは日が落ちる頃になってからだった。

「ねえ。牢番さん。私……謝らないといけないことがあるわ」

語り始めた彼女の声は、どこか震えていた。


 私。本当は愛という感情が知りたくて愛を求めていたわけじゃないの。愛の存在を否定したくて愛を求めていたの。そんなこと、できるわけないのにね。悪魔の証明なんて誰もできないじゃない。『ある』ことの証明はたやすくても、『ない』ことの証明なんてできっこない。なのに。私はそれをやろうとしたの。言ってなかったことがあったわ。それは私の両親の話。私を愛した。私の両親の話。

 私の両親は、私をかばって死んだわ。その時のことはよく覚えていないのだけれど。ただ、盗賊に襲われて。私に覆いかぶさるようにして。死んだわ。彼らは最後まで私を愛した。愛していたから、私を助けた。幼くて足手まといな私さえいなければ、きっと彼らは死ななかったでしょうに。私を愛した彼らは愛に死んだ。

だから私。彼らの愛を否定したかった。愛を知ることによって、彼らの愛は愛ではないことを証明したかっ た。『その時』を否定したかった。

だけれども。私は出会ってしまったの。愛おしくて、ずっとそばに居たいと思えて、それから、あなたのためならば死んでもいいと思える存在に。


 彼が来たのは、『社会勉強』のためだった。煩わしいしがらみも、人間関係もない。あとくされなく『経験』を積むにはうちみたいな高級娼館がぴったりだったから。初めてうちを訪れたかれは、まるで借りてきた猫か、未知におびえる子犬のようだったわ。うん。未知におびえる子犬ね。間違いない。ともあれ、彼のお相手は私がすることになったのだけどね。結局、最後まで何もせずに時間切れ。少しずつ緊張を解きほぐして、楽しくおしゃべりして終わり。それだけならば、一夜限りの夢で済まされるはずだったのにね。どうしてだか彼は何度も何度も私を訪ねてきたの。おしゃべりを楽しんで帰っていくだけ。正直最初は何をしたいのかわからなかったわ。あぁ、でも、きっとその時、私は幸福に浸っていた。幸福という名の毒は私の全身をじわじわと回っていた。誰にも気づかれないうちに。手放しがたくなるほどに。依存するほどに。そして彼が言った。


 ともに来てくれないか。


 目が覚めたようだったわ。私は初めて気が付いてしまったの。私は、彼を愛してしまっていた。穏やかで、優しくて、それ故に残酷な。私が否定したくてたまらなかった『愛』がそこにはあった。

 私は恐怖した。自分を構成していたすべてが崩れていくような気がした。自分が大気に溶けていくような錯覚を覚えた。だから私は叫んだ。できる限り大声で。誰しもが知り得るように。自分自身に言い聞かせるように。ちゃんと私が『この場所』に来られるように。


 馬鹿じゃないの。あなたの事を愛していたことなんてないわ。すべては、そう。お遊びに過ぎなかったのよ。


 もちろん彼が『王子様』だってことは知っていたわ。知っていたからこそ、私は叫んだのよ。愛し。愛され。愛に溺れて。愛に死ぬなんて。私は嫌だった。

 きっと私は間違ってる。間違っててもいいの。だってそれが私の選択だから。私が望んだ結末だから。なのに。なのに。どうしてこんなに胸が痛むの?

ねえ、牢番さん、私、どうすればよかったのかしら。


 閉ざされた扉。かけられた鍵。扉の向こうに彼女はいる。後悔を後悔と認められないまま、愛を愛と認められないまま彼女は明日死ぬ。断頭台の露と消える。その時僕は、僕は無事でいられるだろうか?


 そして朝日が昇り、とうとうその時はやってきた。断頭台の上に彼女は上る。その顔に恐怖はない。ただ、初めて彼女を見た時と同じ、どこか余裕のある表情を浮かべていた。一度だけ群衆に紛れる僕を見つけ、〝ありがとう〟と笑いかけた。刑吏が乱暴に彼女の首を二枚の板切れに固定しようとも、彼女は彼女のままだった。娯楽に飢えた聴衆どもの、聴力を奪うような歓声と罵倒の中、縄は切り落とされた。落ちる刃。落ちた首。僕は。気が付くと歓喜していた。

認めよう。僕は間違いなく彼女を『愛して』いる。それは人と人の愛ではなく、人とモノ、あるいはモノとモノの愛とでもいうべきものだった。彼女は今セイブツからナマモノになった。名実ともにモノになったのだ。それをどうして喜ばずにいられようか。

ああ、なんて愛おしいのだろうか。もう二度と開くことのない目が。聞くことのできない声が。体温を失っていくその肢体が。僕に甘美な興奮をもたらす。

そうだ。彼女を持ち帰ってしまおうか。二つでどこか遠くに行ってしまおうか。僕は今日。愛し。愛され。愛に溺れて。愛に死ぬ。


翌日、国を傾けようと王族を誑かした悪女の死体はどこかへと消えてしまった。ともに消えた牢番の存在を、誰一人として知らぬままに。


~終わり~


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