心のすれ違い(前編)
自宅に戻った了はすぐさまCB400のカバーを外し、出撃準備を整える。
ヘルメットやカバーなど一式を購入したやや大型のシートバッグに詰め込み、自身は変身したままCB400にまたがり、エンジンをかけた。
アクセルを吹かすと四気筒独特のウォンウォンという音が聞こえる。
レミントンはシートバッグの上に起用に座り、いつもの移動スタイルとなった。
1速に入れ、了はCB400で駆け出した。
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周囲の風景はめまぐるしく変わっていく。
変身した状態の了は、その立場と身体能力を生かし、殆どの場所で信号を無視していた。
いつもならそういうことはしないが今はとにかく急いでいた。
CB400はワァゥゥゥという音を奏でる。
それは四気筒独特の咆哮である。
了は音を聞きながらこんなことを思っていた。
四気筒エンジンだけが吼えるという表現を用いていい。
単気筒は低回転だとドドドドッドドドドであり、エンジンの回転数を上げてもボルルルルという音である。
この規則的な機械音を生物的に表現するのは難しく、まさに単気筒というのは木霊するという言葉が似合う。
二気筒はVツインと並列型で音が違うが、V型だとドッドッドッド、並列だとドコドコドコという音だが、これらは回転数を上げるとドラララララといった感じであり、楽器でいうと太鼓といった感じで、鼓という表現がまさしく当てはまる。
だが四気筒はこれらとは全く音が違う。
まずアイドリングや低回転時の音が他の高回転の音である。
それもそのはずだ。
何しろ単気筒の4倍、二気筒の2倍なのだから、そうなる。
そこからアクセルを捻れば、ギュァァァァと鳴り、ヴォワァァァァという、生物の咆哮としか例えようがない音があたりに響き渡る。
CB400の場合、他の四気筒エンジンと比較するとやや大人しいが、それでもワゥゥゥゥワァァという四気筒らしい咆哮を心臓部から撒き散らすことが出来る。
この官能的ともいえる咆哮の虜となった者たちがかつては国内に沢山おり、そしてバイクごと絶滅危惧種となった今でも、極少数、了のような次の世代が生まれてくるのだ。
咆哮という言葉、吼えるという言葉は四気筒だけのものだと言い切ってしまう者達が、CB400に手を出すのだ。
こんな状況にも関わらず、普段よりエンジン回転数が上がっていたので、了はこの咆哮によって癒され、すこしだけ気分が晴れていた。
「VTECを常用するとさらに燃費が悪くなるよ」というレミントンの声すら了には届いていなかった。
今の彼にはこういうものが無ければやってられないほど、ここ最近の出来事は彼にとってストレスの強いものであったのだ。
いくら精神回復力はあっても了は泣きも笑いもする感情豊かな人間であり、強いストレスに怒りや不満を感じる男である。
今の状況に少しでも前向きになれるよう、了はCB400に手助けしてもらいながら、ヴェノムが沸くのを只管に待った。
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「お盆前だからなのか、夏休みだからなのか、ヴェノムは全く沸かないな」
夏休みに入る前は1日に何度もヴェノム警報が出たが、ここ1週間は1日に1度あるかないかの状態であったことに了はため息を吐く。
CB400は常時VTECだった影響で3時間程度で早くも16Lもの燃料を消費し、現在ガソリン補給中である。
「リッター8kmとか……リッター8kmとか……18Lのタンクが数時間で……」
「だから言ったのに……」
レミントンは座席に座ったまま、残念そうな表情を了に向けている。
この20分前、了はリザーブタンクに入ったことを知らせるインジケーターを見て発狂しかけた。
燃費はツーストバイクのそれであるが、そもそもCB400は250cc2ストバイクと十分対抗できるようにと作られた存在なので、燃費よりもパワーが優先されていたのだ。
さらにNC42の新型になった現在、その傾向はより顕著となっていて、実はNC42は初心者向けではない。
NC42は中型で最高のパワーをもったバイクとしてスタイリングされており、燃費はSPEC3より悪かった。
そんな意外な事実を認知していなかった了はタンクに穴でも開いているんじゃないかとレミントンに愚痴ったが、レミントンはエンジン回転数を6300以上のままにしたからだと了にビシッとツッコミを入れた。
了は咆哮のために8000回点以上回しながらも速度をそこまで出さなかったためにこのような状況となったのである。
「くっそ、ウォーロックの問題解決したらボーナスでも出してくれにゃガス代で破産してしまう……」
意外と手のかかる子であったCB400のガソリンタンクをなでながら、しばらくは4000回転以上回すのはやめようと思った了なのであった。
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燃料を補給したあと、再びCB400で駆け回り、夕刻になった頃、ついにその時が訪れた。
「付近の小学校にヴェノム反応? この時期に……?」
すぐさま反応先を端末で確認したレミントンは違和感を感じて首を傾げる。
「1km先か。どうする?」
「まずは人気のいない場所に隠れて偵察。CB400は音が邪魔だ。どこかで下りよう」
レミントンは人気のない場所にCB400を置いて隠すよう促し、了もその指示に従った。
そして、遠くから学校が見渡せそうなマンションの屋上に駆け登り、給水タンクの真下に隠れるようにして状況を伺う。
了はレミントンの特性により、遠距離目視、暗闇目視、赤外線や紫外線など特殊な光を捉える能力などを得ていたが、特に遠距離目視能力についてはレミントン曰く、Aランクでもない限り自分の特性によって付与される能力を超えて目視できる者はいないと自信満々であった。
元来、レミントンの契約者とはどちらかといえばスカウトといったような立場で、身を隠しつつ渾身の一撃を弱点に当てて一気に倒すスタイルを基本としていた。
現状の了はそれが不可能とはいえ、それらを支えるための知覚能力だけはきちんと備わっていたのである。
よって、戦闘時に接近する必要性はあるが、非戦当時であれば圧倒的な範囲を索敵可能だった。
「うちらが一番乗りだ。敵に一番近かったらしい」
ヴェノムが単体で動き回る様子を同じく遠距離目視で確認したレミントンが呟いた。
「すでに校庭開放すら終了時刻。この時間帯は被害者が出るといったって警備員ぐらいだし、待てばいい」
やや焦りをみせるレミントンに対し、了はじっくり腰を据える様子である。
「というか、了は気にならないの?」
レミントンは了の顔を見つめる。
「何が?」
「この時間帯にあんな場所でヴェノムが生まれるなんて不自然じゃないかな……ってさ」
「そんなのは倒してみればわかる」
「それもそっか」
了の言葉にレミントンは伏せをするような状態で全身から力をぬいた。
――しばらくして――
「なんだ……突然目の前に子供が現れた?」
ヴェノムを観察していた了は光に包まれて突然子供が現れたことを目撃した。
「転送だね……あんな大っぴらにやって、何故今まで誰も通報とかしたりしなかったんだ……」
「誰も通報しないから大っぴらにやるようになったんだと思う」
レミントンの独り言に対し、了はツッコミを入れた。
担い手と契約者同士はなるべく獲物の取り合いは避ける傾向にある。
了は短い間とはいえ、これまでの活動からその実態を理解していた。
ヴェノムの出現を伝えるシステム自体、それらを避けるようにしていたし今まで遭遇した契約者達も、こちらが先に到着しているとあえて手を引いて別の場所に向かい、逆にこちらが後の立場になってしまった場合、横取りはするなとレミントンから指示され、離脱していた。
恐らく、一番乗りが確定であるという状況の時に、あえて敵の場所に人員を転送するのだ。
自分が知覚できる範囲、調べられる周囲の状況の範囲の中に別の担い手や契約者がいないならば、堂々と転送しても見つかることはない。
転送され戦っている状況を目撃されても他の者は手を引く。
この間は様々な意味で失敗したのだろう。
了は現状をそう分析する。
つまり、この段階である1つの答えが出ていた。
「今、俺らの周囲に担い手がいる様子はない、よって俺らが知覚できる範囲にウォーロックはいないが、多分相手もこちらを補足できていない。だから転送を目撃される失態を犯した」
「映像記録はとったが、証拠不十分だ。なによりも誰がやったかわからない限り意味がないよ……ウォーロックの招待を掴まないと……」
レミントンは小型端末を操作して何やらいろいろやっていたが、特に成果は出せていない様子であった。
転送された少年はマキとは違い、まだ元気なのかかなりの善戦をしている。
ただし、まだヴェノムは成型前であり、この状況で倒しきれない場合はどうなるかわからなかった。
「あの子のステータスも低い。 最初に了が戦ったのと同じ状況だ。もうしばらくしたら成型して手も足も出なくなる」
レミントンは心配そうな顔で状況を見つめている。
「成型が終わってしばらくしたら突撃する。それでいいよな?」
「うん。あの子が死ぬのを見過ごすわけにはいかない」
了とレミントンはお互いに意思を確認し、いつでも突撃できる体勢をとる。
再び時間が経過し、ついにヴェノムは成型した。
それは珍しい獣型で、犬のようであった。
ただのアクシオンの塊が生物のようなものへと変化したことで一気に形勢が逆転し、一転して男の子は不利な状況となる。
男の子は槍のような武器を持って戦っていたが、変身している様子はなかった。
契約者人の能力や担い手のランクが低すぎると変身すら存在せず、武器が出現するだけという話を聞いていたが、その一例であるらしい。
了がそろそろいくかと身構えたその時であった。
多数の光がほとばしる。
「あれは!」
了が目撃したのは、沢山の子供達が転送されてくる姿であった。
人数的に8人ほどはいるようである。
そして了はその中にマキの姿を見つけてしまった。
小さな勇者達は怪しい瓶入りのドリンクを飲むと、変身し、あるいは武器を発現させてヴェノムに挑んでいくが、勝ち目のある様子ではない。
了がエマージェンシーアプリに目をやると生存率86%。撃破セヨという指示がきている。
すぐさま了はレミントンに伺うこともなく飛び出していった。
(了、ボクは今、あの子達について緊急保護するよう上と掛け合っている。サポートは満足に出来ない。気をつけて)
いつもならついてくるレミントンはこの間と同様、ついてくることはなく、どうやら上層部に自体を伝えてあの子供達を保護しようと画策しているようだった。
その行動に偽りがないことを知っている了は、自分だけでもどうにかなると意気込み、そのまま突撃する。
1km弱を僅か1分程度で移動した了は、息を切らしつつも戦闘に参加した。
「エヘヘ……あれぇ? おにぃさん?」
マキは了の姿を見て、ハイになりながらも了のことをギリギリで認識していたが、了はそんなことを構うことなく突撃し、獣のようなヴェノムの顔をめがけて飛び蹴りを入れる。
アストラルの制御が戦闘を重ねる度に上達していた了にとって、このレベルのヴェノムはもはや敵ではなく、データが蓄積されたエマージェンシーアプリも低級ならば70%以上の生存率を示し、了へ攻撃を行うように指示することも珍しくなくなっていた。
ステータスは確認していなかったが、レミントンは精神制御能力がかなり上昇傾向であると言っていたが、その恩恵かもしれないと了は感じた。
とび蹴りの反動で地面に落ちた了は、受身をとるがごとく手を地面につき、そして体を腕によって支えつつさらに蹴りを入れる。
ヴェノムは大きく怯んだ。
「よし、やれる! マキちゃん。俺は君をまもっ――うぐあっ」
倒せると自信がわいてきた了は、己の言葉が届くかどうかも気にせず、マキに話しかけようとした。
その刹那、己の腹部に鈍い痛みが襲い、吹き飛ばされる。
何か硬いものが命中していた。
しかも推進力か何かをもっており、高速で一気に吹き飛ばされていく。
地面に足がつかず、明らかに何かによって空中を運ばれている状態であった。
速度による風圧で視界不良に陥った了であったが、持ち前の知覚能力を生かしてそれがなんであるかを理解しようとした。
それは、杖のようであった。
錫杖のようであった。
だが、錫杖のリングの先についていたのはロケットブースターのようなもので、そこからジェット気流のような炎を吹き出し、推進力を生んでいる。
そして了を学校の校舎めがけて吹き飛ばしている。
「うぐっ、ウォーロックの手先かッ?」
息が上手くできない了は苦しみながらもがいた。
頭に浮かべたのはウォーロックの仲間がこちらを襲撃してきたこと。
了はかねてよりレミントンより契約者同士の縄張り争いのような紛争はよくあると伝えられていたが、自らそういった紛争に首をつっこんだ手前、こうなることを予感していたとはいえ、思った以上に強力な一撃であり、ランクが低いと思われるウォーロックとは違う担い手とその契約者であることをすぐさま看破した。
そのまま抵抗もできず吹き飛ばされ、小学校の校舎に叩きつけられ、あまりの推進力の強さにそのまま壁にめり込み、教室の中にまで吹き飛ばされた。
腹部にダメージを受け続けた了は立ち上がることが出来ない。
「貴方がマキをあんな目に……絶対に許さないッ!」
声が聞こえた先に了が目をやると、そこには錫杖を手に持つ少女の姿があった。
それはブレザーの制服のような姿にセーターを着て、胸には大きなリボン。
そこまでは女学生のような姿だが、毛皮のフード付きのマントやアクセサリーはあきらかに魔法少女といった姿である。
やや大人びた雰囲気だが、背丈から小学校5年生ぐらいで背伸びした女の子といった感じである。
それはウォーロックの手先か、ウォーロックの掌で踊る者か――
後に二人は初めての出会いは最悪だったと懐柔する、パーティメンバーの一人との出会いであった――




