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ACT・3『再び、中庭』

ACT・3


「まいったなあ」

 絵の『扉』を通って、夏見が部屋から出ていったのを確認して、ずるずると乱丸はソファに沈み込んでいった。

 窓際に立った京平が、笑いながらその様子を見ている。


「笑い事じゃねえよ京平、助けてくれよ」

 青色のネコ型ロボットにおねだりをするメガネの少年のように、乱丸は情けない声を出す。しかし、

「だめです、自分の不始末は自分で処理して下さい」

 表情は優しいものの、京平の返事はきっぱりしていた。


「冷てえなあ」

 ばりばりと、乱丸、頭を掻く。

「いっその事、外国へでもしばらく逃げちまおうかな」

 妙案が浮かんだとでも言いたげに、乱丸はニヤリと笑ったが京平はため息をついた。


「もしかして、こんな事態になる事を予想して、逃亡資金調達のために『マリーの箱』を盗んできましたね?」

「バレたか? こんな呪いのかかった不気味な代物でも欲しがる物好きは結構いるもんでなあ」

 わっはっは、と笑う乱丸に、京平の視線は冷たかった。


「余計なこと言ってる間に、彼女を探し出す努力をした方がいいと思いますよ。もし、時間内に彼女を本来の場所に連れ戻す事に失敗した場合、夏見さんが君に与えるペナルティがどんなものか知っていますか?」

「……ああ」

 と、不貞腐れた顔で乱丸は頷いた。


「『あちら側』での刑罰の噂は聞いてるぜ、つまり『影』にされちまうってんだろ?」

 そう言って、ばりばり頭を掻く。

 京平は頷いた。


「その通りです。処罰されることが決定したら、もうどこにも隠れる場所はありませんよ。例え、日本から遠く離れたとしてもムダです。『あちら側』の住人が本気になればどれほどの力を持つか……それぐらいは君でも知っているでしょう?」

「まーな」

 乱丸は気のない返事をするだけだ。


――――影にされてしまう。


 つまりそれは、二度と陽の光を見ることのない場所へ、引きずり込まれてしまう事である。

 『こちら側』と『あちら側』のどちらにも属さない曖昧な空間。『混沌』とでもいった空間に、幽閉されることになるのだ。

 そうなったら、その人間の持つ個性、パーソナリティーといったものは全て奪われてしまう。

 すると、どうなるか?


 自分を自分たらしめているものが消え、自己と他者の境界が曖昧になっていく。当然肉体は影の中に溶け去り、自分が自分でなくなり、『全て』の一部となり、存在というものが意味をなさなくなってしまう。

 しかし、恐ろしいことに、そんな状態になってしまって尚、意識だけは消えないのだ。

 影という全体の一部に成り果てても、自我だけは残される。


 『永遠の牢獄』という名で呼ばれる刑罰であった。


 そこに囚われた者は、もはや何者でも無くなってしまったのに、残った自我だけで、『自分は何者なのか』という問いを繰り返し続ける事になるのだという。それこそ、永遠に。


「冗談じゃねえ」

 ぶるっ、と乱丸は身震いした。


「そうなりたくなかったら、一刻も早く彼女を見つけ出す事です。大丈夫、『神威の乱丸』の凄さを良く知った上で、ボクも話しているのですから。自信を持ちなさい、君が本気になればこの世で見つけ出し、手に入れられない物などありはしませんよ」

 にっこり笑って、京平は乱丸を見つめた。

 が、

 褒めてはいるけれど、今のセリフを要約すると、『自分でやれ』という訳である。

 どうしても、この魔法使いは、乱丸を手助けするつもりはないらしい。


「やれやれ、友達がいのねえヤツだな」

 そんな気配を感じ取ったのか、ため息をつきながら乱丸はソファから立ち上がった。

「やる気になりましたか?」

「自信があろーがなかろーが、やるしかねえじゃねえか。オレはまだまだ自分の人生に未練たっぷりなんだよ。山ほどやりてえ事があるのに、この若さでイッちまいたくねえからな」

 鼻の頭にしわを寄せて、乱丸は牙を剥いて見せる。


「ボクも影ながら応援してますよ」

 静かに微笑む京平に、

「そりゃまた、頼もしいこって」

 と、言い捨てて、乱丸は背を向けた。

 その手がドアノブにかけられた時、


「あ、乱丸君、ちょっと待ちなさい」

「?」

 そう言って、京平は片手に持った品を乱丸に見せた。


――――『マリーの箱』。


 いつの間に、乱丸のザックの中から京平の手の中へ移動していたのだろうか、学園怪盗を目の前にしての鮮やかなマジックだった。


「これは、やはりボクが預かります。これ以上不幸な人が増えるのを見過ごす訳にはいきませんからね」

 空っぽのザックを片手で振り回して、「へえへえ」と乱丸は承知した。


「おや、ずいぶん素直ですね。今回盗みを失敗した事といい、どこか調子でも悪いのですか?」

 眉をひそめた京平を、じろりと、乱丸はにらんだ。


「言い訳するつもりはねえけどよ、彼女に手を出そうとした時、邪魔が入ったんだよ」

「邪魔?」

「つまり、オレ以外の何者かが、あの場にいたってこった」

「……なぜ、それを夏見さんに言わなかったのです? あの方は、全て君がやった事だと思い込んでいますよ」

 ふん、と乱丸は鼻を鳴らした。


「別に関係ねえからさ、どっちみち、失敗のまま終わらせるつもりはねえし、あのおっさんに言われるまでもなく彼女は手に入れるつもりだったんだからな」

 それは乱丸の、ドロボウとしてのプライドだろうか。一度失敗しても、ライバルがいたとしても、己の信念に従い、欲する物を手に入れる……。

 彼の目には、強い光が輝いていた。


「それじゃーな」

 短く別れを告げると、背中越しに手を振って、今度こそ乱丸は生徒会室から出ていった。

 彼の背中が、閉じられたドアの向こうに消えたとき、美しい顔をした魔法使いは、微笑を浮かべて窓の外に顔を向け、どんよりと曇った空を無言で見上げた。


      ☆       ☆       ☆


「あ、出てきましたよ」

 玄関から出てくる乱丸の姿に、和美が気づいた。

「はいはい、今は練習中よ、集中して! よそ見なんかしない!」

 ぴしゃり、と言い放った弥生の声に、和美がびくっ、と身をすくませる。

 乱丸が京平と会っていた間に、何がどうしたものか、和美が弥生のコーチにより、木刀の素振りを行っているようである。

 しかも、乱丸が出てくるまでにどれだけシゴかれたものか、半べそ状態になりながら、和美は木刀を振っている。

 それを見た乱丸が、片眉を上げて弥生をにらむ。


「このくそ暑いのにシゴきかよ? 後輩いじめとは暗い奴だなあ」

「失礼ね、“ヒマだから剣道教えて下さい”って頼まれてやってるのよ」

 きーっ! と弥生が目をつり上げた。素振りをしている和美が、苦笑して頷く。


「ホントか? 弥生にチャンバラを教わろうなんて自殺行為だぜ、物好きだなあ」

 心底あきれた、というような口調で乱丸がつぶやくので、より一層弥生の目がつり上がっていく。

「うっさいわねえ、あんたもう帰るんでしょ? あ、和美ちゃんはそのまま素振り続けてていいわよ」

「ひ〜ん」

 小さく悲鳴をあげながら、和美は木刀を振りつづけるので、乱丸は憐れむような目つきでそれを見ていた。


「どーせ、またあやしげな物を狙って、会長に説教でもされたんでしょう」

「うるせえ」

 ぎょっとして、乱丸はへらず口でやり返す事ができなかった。

 図星をついた手応えを感じた弥生は、ここぞとばかりに追い打ちをかける。


「いい加減、そんな胡散臭い稼業は足を洗って、カタギになったらどう?」

「ばか言っちゃいけねえ」

 その言葉を聞いて、乱丸の目がきらめいた。


「まだまだやめらんねーぜ、こんな面白えコト、スリル、サスペンス、ロマン……人生に必要なモノを全て兼ね備えてる最高の職業だぜ? 判んねーかなあ」

 肩をすくめて、「やれやれ」というジェスチャーをしてみせる。いかにも馬鹿にしている態度がありありだったので、弥生のほっぺたがぷうっ、とふくれた。


「あったまくるわね、いつもいつも人をバカにして!」

「へえ? 頭にきただ? だからどうしたってんだよ」

 ニヤニヤしながら、乱丸が挑発する。

 それを聞いて、弥生がキレた。


「このぉ、いちいちムカつくわねえ、こーなったら勝負よ! その曲がった根性を叩き直してあげるわ!」

 そう叫ぶや、素振りを続ける和美から木刀をひったくり、弥生は上段に構えた。

 この少女の特徴だが、木刀を構えるとより一層迫力が増し、その全身から、むっと殺気がほとばしる。弥生の身から立ち昇るオーラが、陽炎のようにゆらめくのが、目に見えるようだった。


「おーおー、凄えすげえ、やっぱ腕を上げたな、てめえ」

 口調はおどけているが、乱丸の目つきもまた、変化していった。じわり、と乱丸の内部に、気が満ちていくのが感じられる。

 臨戦態勢に入ったのだ。


「あの……」

 和美は声をかけようとして、言葉を飲み込んだ。


 にらみ合う二人の構えは実に対照的なのを、彼女は見て取った。

 木刀を頭上に振りかざし、ずっしりと大きな構えを取り、周囲に闘気を放出している弥生。

 それに対し、自然な姿で立っているだけの乱丸。

 しかし、ひっそりとその内側にエネルギーを充填し、爆発させる瞬間に備えているのだった。


 まさしくこれは、陽の弥生と陰の乱丸のせめぎ合いである。どちらが優れているとは言えない。各々の個性に合った戦闘方法にすぎないからだ。


 二人の間の緊張感により、ぴん、と空気が張り詰めていくのが、息をひそめて見守る和美にも感じられた。

 ごく、と和美ののどが動く。

 と、


「いざ!」


 先に仕掛けたのは弥生だった。

 ためらいのみじんも無い強烈な一撃を、上段から真っ直ぐ振り下ろしていく。

 陽の技。

 飾り気の無い、シンプルで豪快な技だ。

 当たるものを粉々に打ち砕く、威力の物凄さが目に見えて判りやすい一撃である。

 だが、


「きゃっ!」

 見ていた和美が、口の中で悲鳴を上げる。


 弥生の木刀が乱丸に当たったと見えた瞬間、吹き飛ばされたのは弥生自身の方であったのだ。


「くうぅ」

 地面に腰をしたたかに打ちつけて、弥生は呻いた。すぐには立ち上がれない。

「勝負あり、だな」

 見上げると、右手の掌で、何かを押し出すようなポーズを取った乱丸が、得意気にウインクしている。


 陰の技。

 豪快で威力の判りやすい弥生の技に比べ、乱丸のそれは、一見何をしたのか判らない、見えにくい一撃である。

 ほとんど動きもなく、外見からは威力などないように見えるが、そのダメージの深さは、受けた者にしか判らない。

 今の攻防も、和美になどいくら目を凝らしていても、何が起こったのかまるで理解できなかったに違いない。


 弥生の木刀が頭上に降ってきた時、乱丸がしたのは、一歩前に出て、ひょいっと掌を弥生の腹に当てただけである。

 まるで、知人の肩を叩くような感じのその動作によって、弥生は派手に吹き飛ばされていたのであった。


「今のは……、一体?」

 目をぱちくりさせて、和美がつぶやく。

 にっ、と笑いながら乱丸は振り向いた。


「覚えときな、今のは『神威』って技だ」

「か・む・い?」


「古武術の奥義の一つよ」

 腹を押さえながら、弥生が立ち上がってきた。


「あ、大丈夫ですか弥生さん?」

 慌てて和美が駆け寄る。

「タフだなあ弥生、充分手加減したけどよ。今のは見た目は地味でも、想像以上のダメージがあったはずだぜ」


「確かにね、死ぬかと思ったわよ、かよわい乙女にまさか神威を食らわすとは思ってなかったわ、この人でなし」

 べー、と弥生は負けた腹いせに舌を出す。


「ぬかせ、てめえの一撃だって冗談じゃねえぜ。本気でオレの頭、狙ってきやがって、それなりの反撃をしただけだ、思い知ったか」

「うっさいわねえ、あんたがあれぐらいで死ぬもんですか、あ〜、くやしい!」

 後で和美が聞いた話によると、乱丸は古流の必殺武術も身につけているそうである。

 『神威』とは、その中に伝わる最高の奥義であるらしい。

 伝説によると、戦国時代にこの古武術の使い手が神威で打った相手は、ヨロイはそのままで、内臓だけが爆発したように背中から飛び出したという、とてつもない技である。

 そんな人間ばなれした技であるため、マスターできる人間は限られており、それゆえ、体得できた乱丸は、『神威の乱丸』と呼ばれて、武術界でもわりと名の知れた男なのだそうだ。


「盗みやってて、荒っぽい事になった時に便利だぜ。武器の一つも身につけていない時だって、誰にも負けねえからな」

 そう言って、乱丸はえらそうにふんぞり返ってみせた。


「はは」と、和美は困ったように笑ってみせる。

 ここで、やっぱり盗みに思考がつながっているのが、いかにも乱丸らしい。


「誰にも負けないですって?」

 急に、弥生の声が高くなる。

「ウソおっしゃい、文兄ちゃんがつけたその顔の傷、……立派な負けの証拠を忘れたの?」

 びっ、と人指し指を突きつけられて、乱丸はばりばりと頭を掻いた。


「あちゃー」

「“あちゃー”じゃないわよ、あたしの文兄ちゃんを差し置いて、負けなし宣言をしたら承知しないわよ!」


「あ、あたしの文兄ちゃん?」


 突然、いつもと違う様子で取り乱す弥生にびっくりして、和美も唖然としてしまう。


「何だてめえ、まだあいつの事あきらめてねえのかよ?」

「当たり前じゃない! あたしに剣術を教えてくれたのは『文兄ちゃん』よ、あの人を超えて、長年の夢をかなえるのよ!」

 ぐっ、と拳を握って、弥生は熱く語った。


「けどよ」

 乱丸は、困ったような顔つきであごを指先で掻きながら言った。

「少しは上達したようだが、まだまだ、だな。オレに勝てねえようじゃ、あの安芸文太郎の足元にも及ばねえぜ?」

 その名をはっきり口に出されて、弥生の顔が真っ赤になった。


「うっさいわねえ! 判ってるわよ、そんな事!」

 ぷうっ、とほっぺたをふくらませて、そっぽを向いてしまう。

「弥生さん、弥生さん?」

 つんつん、と、袴の袖を和美が引く。


「あの……安芸文太郎さんって、何か特別な人なんですか?」

 そう言った途端、


「そーなのよ、まさしくその通り!」

 つん、と横を向いていた弥生の顔が、食いつきそうな迫力でこちらに向き直った。

「あたしの知る中で、あの人ほど完璧に剣を扱う人はいないわね。そう、心・技・体全て揃った言うことなしの人よ! 今は武者修行の旅に出てて居場所は判んないけど、あの人に勝つことで、剣術教えてくれた恩に報いようと思っているの!」


 憧れのアイドルのどこが好きかを熱弁するミーハーな少女のように、目をぎらつかせながら一気にまくしたてる。


「あの、もしかしてその人の事好……」

「やだもー和美ちゃん、そんな事ないってえ!」


 和美の言葉を最後まで聞かずに、弥生は真っ赤になりながら彼女の背中を張り飛ばした。

 骨がへし折れそうな張り手を食らい、声も出せずにのたうつ和美の向こうで、


「何だ、文太郎の居場所知らねーのかよ。それじゃ、肝心の腕だめしは一体どうやってるんだ?」

 と、乱丸が聞く。

 エキサイトしまくった弥生は、ぜいぜいと息を切らしつつ、


「最初はあたしの方からあちこち探したけどね、一人の人間を見つけるのには、やっぱ世の中広すぎてあきらめたわ。今じゃひたすら姿を現すのを待ってるってだけね。その代わり、いつ来てもいいように常に鍛練は続けて……ってどうしたの、あんた?」

 弥生の眉が、いぶかしげに寄った。

 乱丸が、弥生の話の途中で、突然固まってしまったのである。

 その口はぽかん、と開き、目は何か遠くを見ているようだった。目の前で手をひらひらさせても反応がない。


「?」

 弥生と和美は、顔を見合わせた。

 すると、乱丸の身体がぶるぶるっと震えだし、


「そぉか、その手があったかよ、そいつはいいや!」

 突然大声を出し、ぱん、と手を打ち鳴らした。

「ちょっと、何なのよ一体」

 なぜか燃えている様子の乱丸の顔を、弥生が覗き込む。

 にっ、と乱丸はふてぶてしく笑った。


「なーに、ひらめいたのさ。……おい、もう一度京平ん所へ行く。二人とも一緒に来てくれねえか」

 そう言うが早いか、すでに乱丸は玄関に歩き出している。


「はあ?」

 何を言っているのか理解できない少女二人は、一度顔を見合せ、慌てて乱丸の後を追った。


      ☆       ☆       ☆


――――生徒会室。


 ばかでかい会長卓に座った蘭堂京平が、机に両肘をついてこちらを見ている。


「と、いう訳で、この箱を借りてくぜ」

 ニヤニヤしながら、乱丸は京平の目の前に置かれた小さな宝石箱を指さした。

 『マリーの箱』と二人が呼んでいたものだ。


「“と、いう訳”と言われても何の事だか……」

 そう言って、美しい生徒会長は軽く眉をしかめた。

 その苦笑した顔がまた、ぞくぞくするような妖しい魅力を秘めていて、乱丸の後ろに立っていた弥生と和美は、思わず頬を赤く染めていた。

 感受性の強い少女だったら、京平にウインクでもされれば、失神してしまうかもしれない。


 乱丸の後について生徒会室に入るには入ったが、その魔的な美しさに少女二人はどぎまぎしてしまい、まともに京平の顔を見つめる事ができなかった。気の強い弥生ですら、内気な少女のように、そわそわしている。

 意識して視線を美形の生徒会長から外し、室内の様子を珍しげに眺め、キョロキョロしていた。


「まあ、これはもともと君が盗んできた品物ですからね、自由に使ってよいのではないですか?」

 少女たちが自分に対して示す態度を、京平はまるで気にしていないらしかった。それどころか、さらっとヤバい話を口にするので、乱丸は咳払いをしてごまかした。

「ま、まあ確かにそうだけどよ。このテのものはお前に預かってもらってるのが、一番安心だからなあ」

「他にも、君から預かっているこのテの品物がありますが、そちらは持ち出さなくてもよいのですか?」


「とりあえず、うまくいけばこれだけで用は足りるだろうさ」

 何かよほどいいアイディアが浮かんでいるらしく、乱丸は得意そうに鼻の穴をふくらませている。

 だが、一体何のアイディアなのか。


「それに乱丸君、この箱を働かす方法をご存じなんですか?」

 そう聞く京平に、にっ、と笑みを浮かべた乱丸は背後を指で指し示した。

 所在なさげに立っている弥生と和美が、きょとん、とこちらを見た。


「なるほど、手回しがいいですね」

「だろ?」

 何か、二人にしか判らない秘密を、京平と乱丸は目と目で確認し合ったようであった。

「何を男同志でごちゃごちゃ言ってんのよ、やーらしいわねえ」

 何事か京平と乱丸が企んでいるらしいという事を、弥生が敏感に感じ取る。


「あたしら、用がないならもう帰るわよ」

 すると、乱丸は箱を手のひらの上に乗せて、振り向いた。

「まーまー、そう手間は取らせねえからよ」

 そう言って、二人によく見えるように、箱を目の高さまで持ち上げる。


「箱……」

 思わず、和美が判りきった事をつぶやいた。


「そう、箱」

 うんうんと乱丸、大げさに頷く。

「何のつもりよ? まさか浦島太郎みたいに、白いケムリがもわっと出るんじゃないでしょうね?」


「さあどうだろうなあ、二人とも、よおくこの箱を見つめてみな」

 興味をそそる乱丸の口調であった。

 何が起こるのか、軽い期待をしながら、弥生と和美はじっと箱を見た。


 ヨーロッパ……中世ぐらいの品だろうか? 周りに施された装飾が古めかしく、しかも謎めいた形を表しているが派手さはない。

 宝石箱のようだが、今、乱丸が持っている感じでは、中身は空っぽなのだろう。


「ところでお前ら、今、夏休みだよな?」

 不意に、乱丸はとんちんかんな質問をした。

「思い出はいっぱい作ったか?」

 この問いに、二人は顔を見合わせた。


「まあ、そりゃ一応ね」

「ええ、あたしも……きゃっ!」

 弥生と和美がそう言った途端、思いがけない早さで乱丸が箱のフタを開けたので、一瞬二人は悲鳴をあげた。


「ビンゴ」

 乱丸は、箱を開けたそのポーズで小さくつぶやき、会長卓の向こうで京平が薄く笑みを浮かべた。


「何だっていうのよ乱丸、びっくりさせないでよ!」

 胸を手で押さえながら、弥生が口をとがらせる。

 だが、本当にびっくりするのはこの後だった。

「や、弥生さん!」

 和美が震える声で、弥生の頭上を指さした。

 その指し示すものを見て、弥生はぽかん、と口を開く。


「うわあっ、何よこれっ!」

 見ると、弥生のつむじの辺りから、湯気のような綿菓子のような白いもやもやしたものがにじみ出てきていた。

「やっ、あたしも!」

 和美の頭からも、同じものが出てきている。

 きゃあきゃあと、二人がパニックになっているうちに、ピンポン玉ぐらいの大きさになったそれは、ふわふわと空中を漂い、乱丸が手にした箱の中にすうっと吸い込まれていった。


「よし、ご協力感謝」

 すかさずフタを閉め、乱丸は二人に片目をつぶってみせた。


「はあ?」

 すぐに京平に向き直り、


「どうだ、うまいもんだろ?」

 これまたウインクするのに対して、京平が軽く拍手をしていた。


「その箱をそこまで使いこなせるんだったら大丈夫、きっと君の考えている事はうまくいきますよ。それにしても、よくこういった方法を思いつきますね」

「まーな、オレが欲しいと思うものは、常に常識を超えたシロモノだからな、既成概念にとらわれず、柔軟な発想をする事ができなけりゃとても盗めねえもんばっかりさ。また、それを盗む過程で、面白いモンを見たり普通じゃできない体験をしたりする。それこそ、最高の快感だぜ、生きてるって実感できる……。オレは、その目的を達成するためなら、どんな事でもするつもりだぜ」

 熱く語る乱丸に対して、


「そのバイタリティ、うらやましいことです」

 ぽつり、と京平はつぶやいた。それはどこか、長い年月を生きてきた老人を思わせるような口調だった。

「ちょっと、あんたたち!」

 ダン! と弥生は手にした木刀の先を、強く床に突きつけた。


「さっきから何をごちゃごちゃ言ってるのよ、今の妙な現象も含めて、納得のいく説明をしてほしいものだわね。まさか……」

 もはや気後れすることなく、京平の顔を真っ直ぐ見つめる。


「あたしたちに変な魔法をかけたんじゃないでしょうね、会長?」

 自分で言った言葉で、改めてぞっとしたものか、弥生の顔が強張っている。

 和美も怯えてしまい、両手で胸の前を押さえていた。


 頭の中に、京平は魔法使いだという弥生の言葉がぐるぐる回っている。

 訳も判らないうちに呪いをかけられ、カエルにでも変身させられてはたまったもんじゃない。涼しげな微笑を浮かべた彼の表情が、なまじ美形であるだけに、とてつもなく恐ろしい存在であるように思えてきた。


「二人とも、そんな顔をしないで下さいよ。そんなにボクは恐い男ですか?」

 みるみる内に青くなっていく少女たちに、京平は優しく声をかけた。クスッと小さく笑うその表情は、冷たさを感じさせない、むしろ見るものを安心させる暖かさを持っていた。


 それだけで、ぴりぴりしていた弥生と和美の全身から、ふっ、と力が抜ける。

 それこそ、魔法のようであった。


「大丈夫ですよ、ボクは自分の欲望のために、この学園の者を傷つけることは絶対にしませんから」

 穏やかな口調で言いながら、一瞬視線を手元に落とし、

「その代わり、君達に害なすものには、容赦なく罰を与えますけどね」

 と、つぶやく。


 こんな時、わずかだが魔人としての素顔がのぞき、この男が人外の者である事を、人は感じ取るのである。

 人を魅了する笑みの中に、一瞬垣間見せる闇の顔。

 奇人変人揃いのこの斎木学園中で、最も謎めいた男でもある。


「そうは言っても、誤解を与えて不安にさせてしまった事は謝らねばなりませんね、申し訳ありません」

 きちんと頭を下げて、京平は二人に詫びた。


「い、いや、何もしてなきゃいいわよ……って、じゃあ今の『もやもや』は乱丸の仕業ね」

 ぎん、と殺気すら込めて弥生は、にやにやしている乱丸に目を向けた。

「いやあ、弥生の怯えた顔なんて珍しいモン見れて、ラッキーだぜ……わわっ!」

 その瞬間、問答無用で襲ってきた木刀の横殴りの一撃が、首を引っ込めた乱丸の頭上をかすめていく。

 すぐさま翻って面打ちに来たのを、乱丸は床にひっくり返って、足の裏で受け止めた。


「イテーッ! 殴りゃいいってもんじゃねえだろ、このバカ女!」

「おほほほ、いい加減、あんたという存在が目障りになってきたわよ」

 ぎりぎりと、木刀と足で押し合いになって固まってる二人を横目に、恐る恐る和美が京平にたずねる。


「……生徒会長さん、つまり、さっきの『もやもや』は何だったんですか?」

 弥生と乱丸のケンカを、子猫のじゃれあいを見るような目つきで眺めていた京平、ふ、と片眉をあげて、


「あれはですね、簡単に言うと、お二人の『夏の思い出』をほんの少し乱丸君が盗んだのですよ」

「え? ええ?」

 この美形の生徒会長は、あっさりと、和美の理解を超える事を口にした。


「別に身体や精神面に害はありませんから、心配しなくてもいいですよ」

 箱を開ける前に、乱丸が二人に夏の思い出の事について話しかけたが、その時にすり取ったのだという。


「で、でも、そんな事できるわけないじゃありませんか」

 思わず声が高くなる。が、京平は静かにつぶやいた。


「乱丸君ならできるんですよ、たとえ形のない概念のようなものであってもね」

 その会話を聞いていたものか、乱丸はこちらを向いて、にっ、と歯を見せた。

「言ったろ? オレの盗む対象は、常に常識を超えたシロモノなんだよ」

 弥生が押しつけてくる木刀に耐えながらも、誇らしげに言う。


「はあ、でも何のために?」

 改めて、常識外れな男であることを認識し直して、もう一度和美は京平に聞いた。


「乱丸君は、これから形のないものを盗まなければならないんですが、それには道具が必要なのです。それが、あの手に持っている箱なんですが、あの箱の機能を発揮させるために中に入れるエサというか、触媒が必要だったんですよ」


「はあ……」

 説明されても、よく判らない。


 箱に夏の思い出をつめて……一体何をやろうとしているのか?


 その時、「だーっ!」と叫んで、乱丸が弥生の木刀をはねのけていた。

「ったく、こんなことして遊んでる時間はねえんだよ。エサの仕込みはできた、後は仕掛けなきゃあな」

 がばっ、と立ち上がる。


「それなら、学園裏手にある森の、あの木の辺りが良いと思いますよ」

 そっと京平がアドバイスする。

「そうか、サンキュ、お前らも協力ありがとうよ」

 乱丸は手短にそれだけ言うと、もう振り向きもせず、足早に部屋を出ていってしまった。まるで、つむじ風のような退出の仕方である。


 ぽつん、と三人が取り残された。


「ちょっと、何よあいつ……」

 木刀を肩に担いで、弥生が呆然とする。


「もしかして、あたしたちから『夏の思い出』をすり取ったから、もう必要ないってことじゃないですか……」

 こちらも呆気に取られている和美がつぶやく。


「あっきれた、あたしらそれだけのために付き合わされたっての?

しかも用が済んだら知らん振りって……どう思う! 会長?」

 きーっ、と目をつり上げっぱなしの弥生、今度は京平に食ってかかる。

「確かに、ちょっと自己中心的すぎますね」

 京平は、考えこむように、少し首を傾ける。


「そうだ、二人とも乱丸君の後を追って、彼が手に入れようとしているものを見せてもらうといいですよ。きっと面白いものが見れるはずですから。それで、失礼な点はかんべんしてあげてくれませんか?」

 京平にそう言われて、弥生と和美は顔を見合わせた。


「そうねえ、何だか乱丸に頭の中のもの、勝手にいじくられたみたいだし……、それを使って何をしようってのか、最後まで見せてもらう権利ぐらいあるかもね」

「ええ、そうですね」

 和美も同じ気持ちであった。


 二人の目が、好奇心に輝く。


 その様子を見て、京平は会長卓に肘をついた姿勢で、穏やかな笑みを浮かべていた。






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