エピローグ
エピローグ
夜が、明けていた。
窓の外で、セミが威勢のいい鳴き声を「これでもか」と響かせている。
太陽は、まだ昇りはじめのクセに、既に灼熱の光を世の中に撒き散らかせていた。横になっているだけで、全身から汗が噴き出し、服をべったりと背中に張りつけている。
う〜ん、とあまりの暑さに耐えかねて、弥生と和美は目を覚ました。
「あ・・・・・・暑うぅ」
開口一番、弥生はうなるようにつぶやいた。
「たまんないですねえ・・・・・・」
和美も目をこすりながら、ハンカチで顔の汗を拭う。
いつの間にか、二人とも生徒会室のソファで眠り込んでしまったらしい。サウナのように蒸し暑い室内に、二人は悲鳴を上げる。
窓は開けっ放しなのに、入ってくる風は熱風だ。
「わあ、弥生さん見てくださいよ。今日はすごくいい天気・・・・・・」
「ホントだ、暑いわけだわ」
ばたばたと胸元をあおぎながら、二人は窓から空を見上げる。
何日ぶり・・・・・・いや、何ヵ月ぶりかのように晴れ渡っている空であった。抜けるような青空に、ぎらぎら照りつける灼熱の太陽が輝いている。
まぶしい、空だった。
「よお、寝ぼすけ共、ようやく起きたかよ」
ふいに、真下から声をかけられて、まだ半分眠っていた頭が、しゃきっとする。
「乱丸! あんたいつの間に帰ってきたのよ?」
見ると、窓のすぐ下の芝生に乱丸がにやにやしながら寝そべっていた。
「・・・・・・どうしたんです、何か嬉しそうですね?」
和美が言うと、ますます乱丸の顔にしまりが無くなる。
「にひひ・・・・・・そう見えるか? ひひひひひ」
そう言う間にも、乱丸は思い出し笑いをするので、弥生と和美は顔を見合わせた。
「何よ、気持ち悪いヤツねえ。きちんとあの化け物から、『夏』は取り戻したの?」
にやにやしながら、乱丸は空を指さした。
「見りゃ判るだろ? オレに盗めねえモンなんてねえんだよ」
「また、えらそーに」
「でも弥生さん、ほら」
和美はまぶしげに目を細めて、青空を見上げた。
入道雲の浮かぶ空。
木もれ日でさえもまぶしい、陽射しの強さ。
熱気をはらんだ風。
目前の木で、全身を震わせてシャウトしているアブラゼミたち。
どこか、遠くからは麦わら帽子を被った子供たちの笑い声・・・・・・。
「感じますよね?」
和美の言葉に、弥生はうなずいた。
「・・・・・・『夏』、だわ・・・・・・」
異世界で何があったのかは知らない、しかし、途方もない冒険をしてきたであろう乱丸は、のんびり寝そべって、しまりのない表情で、にやにや空を見ている。
その顔から足の爪先まで、弥生はじろりと眺める。
「乱丸、それにしても今回は地味ね。あんたの事だから『あちら側』の珍しいモノ、片っ端から持ってきそうなものだけれど・・・・・・」
「手ぶら、みたいですね」
二人の言葉を聞くと、乱丸は大笑いして、
「いーや、ちゃんと盗んできたさ」
とウインクする。
「はあ? 何も持ってないじゃない」
「一体何を盗んだんです?」
――――珍しい貴重な宝石とかを隠していないだろうか。
好奇心で、和美の目がきょろきょろ乱丸の身の回りを見回す。
構わずに、乱丸はまっすぐ空を見つめていた。
そこにある、とてつもないもの。
それを乱丸は手に入れたのだ。
そっと右手の人差し指で、唇に軽く触れてみる。
「にひひひひひ・・・・・・」
また、一人で思い出し笑いを始めたので、弥生と和美は互いに顔を見合わせて肩をすくめた。
すると、
空を見上げる乱丸の視界を、一匹の青いチョウが横切ったので、彼はぎょっ、として起き上がった。
「あ・・・・・・」
「あのチョウは!」
弥生と和美もほぼ同時に気づき、舞い飛ぶチョウを目で追った。“まさか、あの白い帽子を被った少女が再び姿を現すのか!”
どきん、と三人の胸が高鳴った。
しかし、
木の影から姿を現したのは、黒い服に身を包んだ生徒会長、蘭堂京平だった。
「なんだよ、がっかりさせやがる」
がくっ、と肩の力を抜いて、乱丸は手元の草をぶちっと抜いた。
「何を期待していたのです、乱丸君?」
くすくす笑う彼の手には、『マリーの箱』が乗せられている。
京平は、その中に捕らえられていた青虫を、マリーに頼んで開放してやったのだ。
「別にい」
恐らくなんでもお見通しであるはずの京平に、乱丸はとぼけて見せ、青空をバックにゆっくり飛んでいくチョウを見ていた。
上へ向かって飛んでいく。
空へ、空へ、青空へ・・・・・・。
やがて、青い羽根持つ美しい虫は、大空の青さと同化して見えなくなっていった。
そして、その空のもと、
――――夏休み最後の日。
本当の『夏』が、ようやく訪れて来たのであった。
この日は今年最高に暑く、情熱的な一日となった・・・・・・。
(『斎木学園騒動記(夏騒動編)』 完)