第7話「でも探偵がひきこもりなんて矛盾ですよね」
「……くん。……くん」
なんだか体を揺すられている気がする。それに、天井から綺麗な音が聞こえてくる。
「……でくん。……でくんってば」
な、なんだ? どんどん強く揺すられている気が……。
「楓くん。起きてください!」
はっと目が覚めると、そこには見知った女の子がいた。肩を少し越えるくらいの黒髪をポニーテールにしている女の子だ。
「もしかして……。ここはギャルゲーの世界?」
起きたら目の前に女の子。それに可愛い。これはもう、ギャルゲーの世界のはず!
「なに寝ぼけたこと言ってるんですか? 準備してください」
呆れたような顔でこちらを見る女の子。……あ。夏咲だった。なんだよー。一気に現実に戻った気分だ。
俺は瞼をこすりながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。
「俺を眠りから目覚めさせるには、お姫様のキスが必要なんだけど……」
「どこの国の王子さまですか、楓くんは。頭の中ファンタジーですね。ていうか、ひとりパジャマパーティーだったんじゃないんですか?」
「そうなんだけど。よく考えたら、昨日一睡もしないで出歩いてたから、疲れちゃって……。気づいたらベッドの上だったんだ。だから、今からパジャマパティー始めるよ」
「ちょっと待ってください。もう一一時ですから、着替えて出発しますよ」
「え? どこに」
もう、いいよ。今日は家で大人しくしようよ。特に用事もないし。
「鈴原さんのことを見守りに行くんですよ」
「鈴原? ……えっと、鈴原……。あ。思い出した。そうだった」
すっかり忘れてた。
夏咲は俺にわかるようにため息を吐き、さらに言う。
「ですから、早く着替えてください」
なんだか、反抗するのも意味がないように思えてきたので、俺は大人しく着替えることにした。
「変に大人しいですね。寝起きだからですか?」
「ひきこもりは実は大人しいんだよ」
ふぁ、とあくびをしながら答えた。まだ、ちょっと眠いかも……。
駅前では鈴原友美が携帯の画面を見ながら待っていた。
俺たちは来るであろう里山くんに気づかれないように、充分に距離の空いたところにあるベンチに座りながら彼女のことを見ている。
「なんだか探偵みたいだね」
眠気なんて吹っ飛んだ俺は、夏咲に同意を求めるように言った。
「そうですね。でも探偵がひきこもりなんて矛盾ですよね」
「そ、そうだね……」
同意はしてくれたみたいだけど、何故だかダメージをくらってしまった。
五分ほど待つと、坊主頭の高校生が鈴原に接触した。状況から察するに、彼が里山慎吾くんだろう。なにやらものすごい笑顔で会話を始める里山くん。それに合わせて反応する金髪ツインテール。
少しすると、彼らは街に向かって歩き始めた。
「行動を開始しました。行きますよ、楓くん」
ベンチから腰を上げる俺と夏咲。
一定の間隔を保ったまま鈴原たちの後を追う。
彼らが最初にやってきたのは、ファミレスだった。まぁ、お昼ということを考えれば普通のことか。
俺も朝からなにも食べてないから、もう空腹で空腹で……。
鈴原たちが入店してから、少しだけ間を空けて入店する。
日曜日ということもあり、店内には家族連れが目立ったが、なんとか鈴原たちの近くのテーブルにつくことができた。
「いや~。なんだか、緊張するね。夏咲」
「そ、そうですね。今回ばかりは楓くんに同意です。私もこんなことをするのは、初めてなので……」
とりあえず、レストランに来たのだからなにか注文しないと。俺はテーブルに置いてあるメニューを開いた。
料理のイメージ画像が俺の空腹を加速させる。迷うなぁ。
そんなことを思いながら夏咲に目を向けると、彼女もメニューを見ていた。しかも、目が真剣だ。
「ず、随分と真剣だね、夏咲」
「そ、そうですか? 私としてはこれが普通なのですが……」
そう答えるも、彼女の視線は俺ではなく、メニュー表へと向けられている。それを真剣って言うんじゃないの!
俺たちがそんなことを話していると、奥の方から店員さんが水を持ってきてくれた。予想以上に短い店員さんのスカートに思わず目が吸い寄せられる。もうあと少しでスカートの中の布が見えてしまいそうだ。おお……これは、けしからんよ。ファミレスなのに、これでは子供への刺激が強すぎるのでは……。
俺たちが店員さんに料理を注文すると、店員さんは笑顔で戻って行った。すると、夏咲が今までと比べて一際冷たい視線でこちらを見ていることに気がついた。
「ど、どうしたんだよ。夏咲」
「さっきから、視線がおかしなところに向いてましたよ。それに鼻の下も伸びてました。どこ見てたんですか?」
「いやいや。どこも見てないよ。全然。俺は健全なひきこもり男子だから!」
決して邪な目でスカートを見ていたわけじゃないよ! ましてや、もしかしたらスカートの中も見えるかも、なんて思ってないよ!
「ひきこもりである時点で、果たして健全なのか……」
軽く頭を悩ませる夏咲。それでも俺は、健全だと言い張りたい。
しばらくすると、俺たちのテーブルに料理が運ばれてきた。俺の方には和風ハンバーグが、夏咲の方にはミートスパゲッティが置かれた。
いよいよ俺の空腹が満たされるよ!
俺はナイフを使いハンバーグを中央から半分に分けた。中から溢れんばかりの肉汁が流れ出し、高温に熱された鉄板の上でジュゥゥと音を立てる。
「うん。美味しいね。夏咲はどう?」
「はい。私も美味しく頂いてますよ」
そう答える彼女の口元には、ミートソースがついている。いつも冷静な夏咲でも、こんな一面を見てしまうと、可愛く思えてしまう。
だが、高校生の女の子が口元にミートソースをつけているというのは、いかがなものか。拭き取ってあげるべきではないか?
ここはあくまでも紳士的に振舞おう。口元についているミートソースを、俺がさも当たり前のように拭ってあげるのだ。
俺はテーブルの端に置いてある紙ナプキンを二枚ほど取り、夏咲の口元に当てた。
「ちょっと、かかか楓くん。なにするんですか!」
急に顔を真っ赤にし、震えだす夏咲。
「口にミートソース、ついているよ」
にっこりと微笑み、夏咲の口元をふきふき。今の俺ってすごく紳士な気がする。
「や、やめてください!」
言うと、夏咲は強引に俺から紙ナプキンを奪い取り、自分で口元を拭ってしまった。
「あ、ちょっと! せっかく紳士的に振舞ってたのに」
「し、紳士? ただの変態的行為ですよ、あれは」
水を一口飲み、夏咲は呼吸を整えるかのように深呼吸をする。
「それより、鈴原さんたちを見てください」
夏咲は鈴原たちが座っているテーブルの方を目で指し、俺に見るように合図する。夏咲に言われ、とりあえず彼女らのテーブルに目をやる。
『俺、昨日センター守ったっス』
『そうなんですか。すごいですね』
『しかもっスよ、何回も何回もセンターにボールが飛んできたっス! これミスったら終わりだーって思ったっスけど、なんとか取ったっスよ!』
『や、野球上手なんですね』
『い、いや~。そんなことないっス。でも普段から、練習してたんで、いざっていう時に力を出せたっスね。やっぱり、日々の練習は大切っス。毎朝四時に起きて、家で朝練して、学校に行ってもホームルームが始まるまで練習して、放課後も遅くまで練習してるっスからね』
『れ、練習って大事ですよね』
『そうっスね。練習あってこその本番っス。あ。そうそうっス。俺、実は昨日ヒットも打ったっス! 三遊間を抜ける鋭いゴロを打ったっス!』
『へ、へぇ』
『三回打席が回ってきて、全部ヒット打ったっス! これも練習のおかげっス!』
『そうなんですか。あ、あの……ヒットってなんですか? ……私、よく野球がわからなくて……』
『えっ! ヒットを知らないっスか? マジっスか?』
『す、すみません……』
『ヒットっていうのは、自分が打ったボールでアウトにならずに塁に出れたことを言うっス。そんなことも知らないっスか?』
『ご、ごめんなさい……』
『しかたないから、野球について徹底的に教えるっス』
『は、はぁ……』
金髪ツインテールが反応に困っているのが、手に取るようにわかった。昨日見せてもらったメールでのやり取りのように、鈴原が一反応したとして、里山くんは一〇反応している。
「あれって上手くいってるの?」
「わかりませんけど、里山くんは笑顔ですね」
「ずっとじゃない?」
「そ、そうでした……」
「あのさ、夏咲」
「なんですか?」
俺に視線を合わせる夏咲。
「もしかして、鈴原って人と話すの苦手なのかな?」
「昨日の会話から察すると、苦手なのかもしれませんね」
「だったら、相手のペースで一方的に話されるのは辛いかもね、たぶん」
ファミレスを後にしてから、鈴原たちはカラオケに行ったり、ゲーセンに行ったり、色々な場所に向かった。そして今、彼女らは公園にいる。もちろん、後をつけている俺たちも公園にいる。
しかも時刻は一八時。夕方だ。夏咲がロマンティックであると言った時間帯。
俺たちは鈴原たちと充分に距離を置き、ベンチに腰掛ける。
「うぅぅぅ…………」
「楓くん、だらしないですよ」
「し、しかたないよぉ……」
長い間ひきこもっていたのに、今日一日でカラオケとかゲーセンとか、人が大勢集まるところを巡ったんだ。気持ち悪くもなるよ……。
こんな状況だとしみじみ思う。やっぱり、外の世界は危険がいっぱいだ! 俺はずっとマイホームで暮らしていたい、て。
気持ち悪そうに俯いている俺の背中を、夏咲は優しくさすってくれている。こうしていると、結構安らぐ。
「あ、ありがと。夏咲」
「これくらいいいですよ、別に」
向けられた優しさに思わず涙が出そうだ。だから、つい、口が滑ってしまう。
「こうしていると、夏咲の手の柔らかさを体で感じることができて嬉しいよ……」
「一回本気でしばきますよ」
「ご、ごめん……」
夏咲は背中をさする手を止めた。
「楓くん。そろそろみたいです」
言われて、俯けていた顔を上げる。
見れば、鈴原たちは公園の中央にある噴水の前で向かい合っていた。
恐らく、鈴原が誤ってラブレターを出したことを告げるのなら、この時間帯でこの場所のはずだ。
茜色に輝く夕日が、この景色全体を幻想的に照らし、夏咲が言ったとおりロマンティックに演出されている。まるで、ドラマかなにかのワンシーンのように。
耳を澄まして鈴原たちの声を聞く。
『どうしたっスか? 公園なんかに連れてきて。……ま、まさか。今からここで野球するっスか! でも、夕方っスよ。ナイターの設備なさそうっスから、夜までやるのは危ないと思うっス!』
『そ、そうじゃなくて……。あの……』
『あ。わかったっス! キャッチボールっスか? キャッチボールっスよね! キャッチボールなら、ちょっと暗くてもそれほど危なくないっスからね! あ。でも、グローブとボールがないっス!』
『いや、そうでもなくて……』
『え? じゃあ、なんスか?』
小首を傾げる里山くん。
鈴原はスカートの裾をギュッと握り締め、口を開くも言葉が続かない。
はたしてこれは、本当に波風立てないやり方なんだろうか?
誰もが心に深い傷を負わない綺麗なやり方なんだろうか?
ふと、そんな疑問が俺の中によぎった。
確かに、ここで鈴原が里山くんに間違ってラブレターを渡してしまったことを告げれば、きっと誤解も解けて、鈴原の悩みは解決される。
でも、そうなったら、里山くんはどうなるんだろう?
今日一日、里山くんと鈴原を見てきたけれど、里山くんは楽しそうだった。ずっと笑顔で夏咲に野球のことを話していた。一方的ではあったけれど。
「ねぇ、夏咲」
「どうしました、楓くん」
鈴原たちから目を離し、夏咲が俺に視線を合わせる。
「これって、鈴原にとっては一番良い解決方法なんだよね?」
「そう……だと思いますが。でも、どうして」
「じゃあさ。里山くんにとっては、どうなんだろう?」
「里山くん、ですか。……どうなんでしょうか。少なくとも、ショックは……受けると思います」
やっぱり。夏咲もそう感じてるんだ。
「そうだよね。せっかく女の子からラブレター貰ったって思ってるのに、『間違いでした。ごめんなさい』って言われたら、そりゃ、ショックも受けるよね」
言うと、夏咲が怪訝そうに問うてくる。
「一体、なにを考えているんですか? 楓くん」
俺は夏咲の言葉を聞き流した。
これはあくまでも、鈴原だけ傷が浅く済むやり方だ。なら、里山くんの傷も浅くする方法は?
女の子からの告白が誤りだったことに対してショックを受けるとするならば……。
ショックを受けなくても済む方法は……。
小さく口元に笑みを作る。
「な、なにニヤけてるんですか。楓くん」
「ひきこもりは妙案を思いついたんだよ!」
「はい?」
意味がわからないと言わんばかりに、首を傾げる夏咲。
これなら、きっと……。
こんにちは、水崎綾人です。
いかがでしたでしょうか。少しでも多くの人に笑っていただければ幸いです。
では、また次回。