第5話「もしかしたら、文明がひきこもりを推奨しているのかもしれないね」
「ぐへっ、ぐへ……。ぐへへへへぇ……ふへへへ…………」
もう何時間ぶっ通しでプレーしただろうか。気づけば月が仕事を終え、代わりに太陽が仕事を始めている。長いはずの夜も終わるのはあっという間だ。
パソコンの画面には、可愛らしく微笑んでいる二次元の美少女。ヘッドホンからは、彼女の美しい声が絶え間なく聞こえてくる。正直言って、結構眠いが、画面上の彼女たちが俺を寝かせてはくれない。んもー、モテるって大変だね! まぁ、画面の中だけなんだけど……。
だが、こんな生活が楽しくてしかたないのである。やめられない。
「えへへへへ……」
選択肢が現れるたびに、慣れた手つきでマウスを操作していく。
あー、可愛いなー。
俺がニヤけながら二次元の美少女を見ていると、唐突にヘッドホンが外された。驚いた俺は、瞬間的に後ろを振り向く。
「さすがに引きますよ、楓くん」
そこには見知った顔のポニーテールの少女が立っていた。夏咲空乃だ。
彼女はいつもの制服姿ではなく、なんとも可愛らしい私服姿だ。ハリのある太ももを締め付けている黒ストッキングに、思わず視線が吸い寄せられてしまう。
「楓くん。どこ見てるんですか」
俺の邪な視線に気付いたのか、夏咲がキリッとした目つきで睨んでくる。
「えっと……。いや、別にどこも見てないよ」
あはは、と笑い、適当にはぐらかした。
「正直に答えてください」
恐らく子供なら泣いているであろう鋭い眼光が俺を捉える。瞬間的に、正直に言わなければダメな気がしてしまう。
「その……御御足を見ておりました……」
「正直に話すことはいいことですが、なかなかに気持ち悪いですね」
結局、正直に話しても泣きたくなってきた。こうなったら、もうマゾに転生するしかないのかもしれない。
「っていうか。な、なんで俺の家にいるの?」
そうだ。なぜ隣の家に住んでいる夏咲が俺の家にいるんだ? ていうか、どうやって入ってきた? 鍵はしっかりとかけておいたはずなのに。
聞くと、彼女はスカートのポケットから鍵をひとつ取り出した。
「スペアキーです。高島先生から預かっています」
「はいっ?」
ちょいちょいちょいっ……。なんで他人の家のスペアキー持ってんの? しかも、家主である俺はそのことを知らなかったんですけどっ!
「楓くんがひきこもらないようにと、高島先生が私に預けてくれたんですよ」
まさか。昨日帰るときに高島先生が夏咲に渡してたのって、俺の家の鍵? ちょっとー。勘弁してよー。
「お、俺の家はフリースペースじゃないよ!」
「知ってますよ。ですから、何度もインターホンを押しました。それでも反応がなかったので、鍵を使ったんですよ」
淡々と述べる夏咲。もはやプライベートもなにもあったもんじゃない。
「な、なるほどね……。それで、俺になにか用事?」
早いとこ用件を済ませてもらって、夏咲には自宅に帰ってもらおう。そして、ギャルゲーの続きをしよう。
「ええ。私考えたんですが、やっぱり、脱ひきこもりをするには、規則正しい生活からだと思いまして」
「規則正しい生活ならしてるよ。ほら、好きなだけゲームとかネットをやって、好きな時間ずっと寝る。これも規則正しい生活だよね?」
「私には、その生活リズムのどこが規則正しいのかわかりませんよ」
夏咲は嘆息し、続ける。
「食事は摂りましたか?」
俺は首を左右に振りながら答える。
「いや、食べてないけど」
「そうですか。食事だって規則正しい生活に必要なことなんですよ。はぁ。しかたありませんね。私が食事の準備をしますから、その間に楓くんは着替えてください」
「ちょっと待って。言ってる意味がわからないよ! 今日は一日中パジャマの日だよ! ひとりパジャマパーティーなんだよ!」
「なんだか、悲しい響きですね。いいから着替えてください。あと、もう朝なんですから、カーテンは開けた方がいいですよ。お日様の光はちゃんと浴びた方がいいです」
そう言うと、夏咲は閉め切っていたカーテンを勢いよく開けた。
瞬間、眩い日光で部屋中が照らされる。
「うぅ……溶ける……」
「ひきこもりは日光に弱いんですか?」
「かもしれない……」
夏咲は適当に「そうですか」とだけ言うと、キッチンの方に行ってしまった。それにしても、太陽の光は眩しい……。それに、朝から夏咲の言葉は冷たい。
なんだか釈然としない。せっかく、極楽なひきこもり生活に戻れたというのに、夏咲が現れてはどうしようもなくなってしまう。でも、女の子がご飯を作ってくれるというのは、この上なくありがたい。
俺はギャルゲーをセーブし、パソコンを閉じた。携帯で時刻を確認すると、ディスプレイには、午前九時、と記されている。俺にとってはまだ、早朝と呼べる時間だよ……。
一夜をともにしたパジャマを脱ぎ捨て、クローゼットから服を取り出し、着替える。本当なら、今日は一日中パジャマでダラダラするつもりだったのに……。計画が大きく狂ってしまった。
俺のひとりパジャマパーティーはこれにて終宴となった。
しばらくすると、我が家の食卓に夏咲が作った朝食が並んだ。メニューはチャーハンだ。香ばしくて美味しそう。
「いただきます」
「召し上がれ」
女子の手作りのご飯を食べられるなんて、これは運が良い気がする。しかし、夏咲が真顔で俺のことを凝視しているため、ちょっと気まずい。
「な、夏咲は食べないの?」
「私はもう家で食べましたから」
「そ、そうなんだ」
ま、まぁいいや。では、さっそく。俺は夏咲お手製のチャーハンを一口食べる。口に含んだ瞬間、無意識に頬が緩んでしまった。……めっちゃ美味い。純粋な感想だ。これは美味い。次から次へと食が進む。
「随分と元気に食べますね。か、感想は……?」
夏咲が不安げに問うてきた。
「美味しいよ! 夏咲って料理上手なんだね」
「お、美味しいですか。そうですか。ひきこもりの割にはお世辞が上手なようですね……」
いつも無表情な夏咲が少しだけ嬉しそうな顔をした。あら、可愛い。これは……これなら、イケるかもしれない。
こんなに美味しいご飯を毎日食べれて、ひきこもり生活ができるなら、本当に最高だ。そう思った俺は、夏咲にひとつのお願いをしてみる。
「もしよかったら、毎日俺のご飯作ってよ!」
さっきまで嬉しそうな表情だった夏咲が、すぐさま顔を歪めた。
「は?」
絶対零度とも形容できそうな冷たい視線が俺のことを捉える。俺は瞬時に答えを悟った。しかたない……。なら、妥協してやる。
「な、なら。せめて味噌汁だけでも……」
「調子に乗らないでください」
「すみません、自分で作ります……」
よし……黙々とチャーハンを食べよう。美味しいものはさ、静かに味わって食べないとね。決して夏咲にビビったわけじゃないんだよ。ホントだからね。
朝食を食べ終わり、程よい余韻にひたっている時だった。夏咲が、さも当たり前のように言ってきた。
「それじゃあ、そろそろ出かけましょうか」
「え? どこ行くのさ」
できれば家でずっとゴロゴロしていたいし、ずっとゲームやネットをしていたい。ていうか、外に出たくない。脱ぎ捨てたパジャマを再びまとい、心置きなくひきこもり生活を堪能したい。
「あ、もしかして、漫画喫茶?」
漫画喫茶なら、自宅とほとんど同じようにダラダラと過ごせる。出かけるなら、漫画喫茶がいいな!
「それだと、普段のひきこもり生活の延長線になるだけじゃないですか」
見透かされていたようだ。特に表情を変えることなく、夏咲は続ける。
「買い物に行くんですよ。この家、冷蔵庫の中ほとんど空っぽじゃないですか」
「そう言われれば、確かにそうかも」
「普段、家から出ないのに、どうやって食事を摂ってたんです?」
「ネット通販さっ!」
「あー。なるほど」
小さく頷く夏咲。
ネット通販はすごいよね。なんでも売ってるし、なんでも買える。それに外出することなく、自宅でお買い物ができる。ホントすごい。ひきこもりの強力な味方だね! もしかしたら、文明がひきこもりを推奨しているのかもしれないね。
「でも、今日は普通にお店で買いますよ」
「えー。どうして。パソコンあるから、ネットで買おうよ。外行きたくないし」
「根っからのひきこもりですね。さっきも言いましたけど、それでは脱ひきこもりできませんよ」
「俺は別に脱ひきこもりしたいわけじゃないんだけど……」
できることなら、永遠にひきこもっていたいんだけどな。それに、夏咲の言い方だとひきこもりがダメな人みたいな聞こえ方になってしまう。これに対しては、まことに遺憾である。ひきこもりはとても優しくて、デリケートな生き物なんだ。それにとっても紳士。ひきこもりってのは、こんなにも良い奴なんだよ! どうしてそれをわかってくれないのか……。世間はもっとひきこもりに優しくするべきだよ。
「それでも、私の目的は楓くんをひきこもらせないことなので」
「勘弁してよー」
心からの叫びである。できることなら、そんな目的は早々に破棄して欲しい。
「それじゃあ、今日買い物に出かけなかったら、楓くんは家でなにをしてるんですか?」
「うーん。さっきまでやってたギャルゲーかな?」
中途半端なところで終わっちゃったし。キリがいいところまで進めておきたい。
言うと、夏咲は少しばかり思案する表情を作った。そして、ゆっくりと夏咲の口が開かれる。
「楓くんは、画面の女の子と私。どっちが大切なんですか?」
なんの色もない表情の夏咲が一点に俺を見据える。
「へ……?」
いきなりの問いに目の前が真っ白になった。これはなんだ? 夢か? 幻か? もしくはフラグか?
「えっと。それって、もしかして夏咲が俺のことを好きってこと?」
「いえ、全然。これぽっちも」
反射的に答える夏咲。つい、テンションが下がってしまう。……知ってた、知ってたよ。
「だ、だよねー。ははは……」
く、悔しくなんかないし。べ、別にショックとか受けてないから。
「でも、もし私を選んでくれたら、明日もご飯を作ってあげますよ?」
「ま、マジで」
「はい。マジです」
あの美味しいご飯が食べられるのか。それは嬉しいな。
「それなら、夏咲の方が――って、ちょっと待って。それって明日も押し掛けてくるってことじゃん!」
「あ。バレましたか」
「ふぅ……」
俺は額に滲んだ汗を拭った。
危ねー。ギリギリのところで気づいてよかったー。
「……なんだか、ちょっと悔しいですね」
夏咲を見ると、不満そうに俺のことを見ている。彼女としては、作戦がバレてしまったのが気に入らなかったのだろう。
「とりあえず、買い物には行きましょう。外の空気も吸わなきゃいけませんし」
少しだけ強くなる夏咲の口調。
それに圧されて、首を縦に振ってしまった俺。
「う、うん……」
「なら、さっそく行きますよ。もう一一時ですし」
わずかに感情を表に出し、夏咲が先に玄関を出る。
不本意ではあるが、俺も渋々彼女の後を追って我が家を後にした。
***
休日ということもあり、スーパーは混んでいた。と、いうより、俺がいつものスーパーを知らないからそう思うだけかもしれないけど。
「なんだか人が多いね……」
学校に行ったとき同様、人の多さに酔ってしまいそうだ。
「確かにそうですね。今日は人が多いかもです。楓くん。迷子にならないように、しっかりついて来てくださいね」
カゴをカートに乗せ、夏咲が俺に背を向けながら言った。
「子供扱いしないでよ。今年で一七歳なんだから」
「そうですか。その一七歳が、一日中ひきこもってゲームやネットですか。随分な大人ですね」
刺のある言葉が俺の体を貫く。おっと……。まったく相変わらず辛辣な物言いだね。
「行きますよ。本当に迷子にならないでくださいよ」
「わかってるって」
カートを押す夏咲に歩幅を合わせる。
それにしても、久しぶりにスーパーというものに来た。最後に来たのはいつだったろうか。
カートは野菜コーナーへと進む。
新鮮そうな緑色をした野菜が、所狭しと陳列されている。俺としては、そこまで野菜は好んで食べる方ではないため、早くこのコーナーから立ち去りたい。
だが、俺の思いとは反対に、夏咲は足を止めた。真剣な面持ちで野菜を選び始める。
「夏咲。早く行こうよ。俺、野菜はあまり好きじゃ……」
「楓くん。言いましたよね。脱ひきこもりをするには、規則正しい生活からって。それには、規則正しい食生活も含まれますよ」
「い、いや。でもさ……」
「でもじゃないです。あ、そうだ。楓くん。苦手な野菜ってあります?」
「苦手な野菜?」
そうだな……。苦手な野菜か。ていうか、夏咲はそれを聞いてどうするんだろう?
思案に沈んでいる俺を、夏咲がじっと見つめる。なんだか照れてきちゃうな。
「ピ、ピーマンかな。ちょっと苦いし」
「そうですか。わかりました」
言うと、夏咲はカートに乗ったカゴの中にたくさんのピーマンを詰め込み始めた。それはもう、たくさん。カゴがどんどん緑色に染まっていく。
「ちょ、ちょっと! そのピーマンはなに? 結構入れたよね。ていうか、カゴの中すっごい緑になってるしっ!」
「今日から楓くんに食べてもらおうと思いまして」
曇りのない瞳で俺を見る。
「いやいや。なんでさ」
「だから、規則正しい食生活のためにですって」
「半殺しにする気なの!」
「うるさいひきこもりですね」
嘆息する夏咲。俺はもう内心泣きそうだ。いや、もしかしたら心の中では泣いているかもしれない。ひきこもりはとっても繊細なんです……。
「酷いよ、夏咲……」
聞く耳持たずに夏咲はカートを押し進めていく。俺はその後ろをトボトボと歩いた。
その後、色々なコーナーを見て回り、現在俺たちは冷凍食品コーナーにいる。正直、冷凍食品だけあれば生きていける気がする。
大きな冷凍庫には、唐揚げや餃子など様々な冷凍食品が並べられている。種類が多い上に、とってもリーズナブル。家計にも、料理ができないひきこもりにも優しい。
「えっと。これと、これと……」
俺は選んだ冷凍食品をカゴの中へと入れていく。
その隣で夏咲が、カゴに入れた冷凍食品を次々と棚に戻していく。
「ちょっと待ってよ、夏咲さん!」
思わず敬語になってしまった。
「なんですか? 楓さん」
夏咲も敬語だ。しかし、目が死んでいる。もっと生気がある目で俺のことを見て欲しい。
「どうして、俺がカゴに入れた冷凍食品を戻しちゃうの?」
「多すぎだからですよ」
「いやいや、あれくらい必要だよ」
「いいえ。必要ないです」
しぶとく食い下がる夏咲。
「必要だよっ!」
「たくさん他の食材も買ったんです。冷凍食品はそれほど必要ありません」
俺の言葉を待たずに、夏咲はカートをレジの方へと進めていく。
「やっぱり、必要だって」
「絶対に不必要です。なんで唐揚げだけで三〇袋も買おうとするんですか? 理解できません」
「それだけあれば、食事に苦労しないじゃないか!」
「今日買った分の食材があれば、食事に苦労はしませんから、安心してください」
俺に目を向けることなく、夏咲が前だけを見つめながら続ける。
「それに、隣には私もいるんで、頼ってくれればいいですから」
いきなりの優しさに思わず驚いてしまった。え、なにこれ。ツンデレ? ついドキッとしてしまった。
「もしかして、夏咲ってホントは俺のこと好きだったりする?」
「一回本気で殴りますよ?」
「すみません」
現実はそんなに甘くなかったようだ。
あ。待てよ。夏咲にだったら殴られても……。いかん、いかん。それじゃあ、本当にマゾだよ。
俺は頭をブンブンと左右に振って、邪念を消した。
無事に会計を済ませ、スーパーから出た時だった。夏咲の携帯が鳴り出した。
俺に目を向け、電話に出ていいかと視線だけで問うてくる夏咲。それに首を縦に振って答えた。
「はい、夏咲です。あ。高島先生ですか」
電話の相手の名前を知って、背筋が冷たくなった。おいおいおいおい……。
「はい。……はい。今からですか? ええ。わかりました」
一体なにを話しているのかわからないが、なんだか少しだけ嫌な予感がする。
そんなことを思いながら、夏咲が電話でやり取りをしている姿を眺めていると、彼女は最後に「はい。連れて行きます」と言ってから電話を切った。
連れて行きます、ってなに? 言葉だけ聞くと結構怖いね。ていうか、なんでチラチラこっち見るの?
「楓くん」
「……な、なに?」
「今から学校に行きますよ」
「…………」
…………嘘だろ。高島先生からの電話という時点で、なんとなく予想はしていたけど、まさか当たるとは……。
「嫌だ。行きたくないっ!」
「駄々をこねても無駄ですよ。ほら、行きましょう」
俺の手を取り、引っ張る。
「ちょっと待ってよ!」
「なんですか?」
引っ張る手を止め、夏咲が眉根を寄せながらこちらを見る。
「考えてもみてよ。今日は土曜日。ホリデイだよ! なんで学校に行くのさ!」
「どうして休日を英語で言ったのかはともかく。ここ一年以上ずっとホリデイだった楓くんなら、土曜日に学校に行ってもバチは当たりませんから」
「いやいや。バチとかじゃなくてさ。休みなんだから、ゆっくりと休もうよ。ね?」
懸命に夏咲の説得を試みる。
「確かに楓くんの意見は正しいかもしれません。でもですね。どんなに説得されても私は、楓くんを連れて行きますよ」
「……で、でも。俺たち今、私服だし。学校に私服で行くのはいかがなものかと」
「そうですね。では、一回寮に戻りましょう。食材も置いてこなければいけませんし」
夏咲はそう言うと、俺の手を再び握り、引っ張っていく。
結局、説得したところで意味はなかった。どんなに口から言葉を吐いても、確固たる信念と力の前では無意味だと思い知らされた。
こんにちは、水崎綾人です。
ネット通販は、とても便利でよく利用してしまいます。これはもう、文明がひきこもりを推奨しているのではないでしょうか。などと、しょーもないことを考えながら、この辺で。
では、また次回。