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第4話「大事だよ! 隣に女の子が住んでるなんて意識しちゃうじゃん」

 高島先生の連絡が終わると、帰りのホームルームは幕を閉じた。長かった六時間の授業がようやく終わったのだ。よし、これで帰れる。

 俺は右手にカバンを持ち、教室から出ようと勢いよく駆け出した。しかし、敷居を跨ごうとした瞬間、誰かに襟首を力強く引っ張られた。誰だ? と思いゆっくりと後ろを振り返る。

 感情が読めない表情をした少女がそこにはいた。

「な、夏咲……」

「どこに行こうとしてるんですか?」

「帰るんだよ。マイホームにね」

「め、目が血走ってますね。それは、ひきこもりの禁断症状ですか?」

「かもしれない」

 言うと、夏咲ははぁー、と嘆息する。ため息を吐きたいのは俺の方だよ。

「俺は、ちゃんと今日学校に来たんだ! 早く帰らせてくれよっ! 家に帰るのは、ひきこもりの正当な権利だ!」

「いや、ひきこもりじゃなくても、家には帰りますよ。そうじゃなくて、高島先生とのお話があるんじゃないんですか?」

「高島先生と?」

 そういえば、そんなこともあったような……。俺は朝の記憶を呼び覚ましてみた。あ、約束してたわ。時間空けときますね、って約束したわ。用事もなにもないのに。

「そうだった。約束してた」

「ですよね。ほら、行きますよ」

 夏咲は俺の手を引いて、教卓へと足を進める。あれ、でもあの時、夏咲って一緒にいたっけ?

 俺の手を握る夏咲の手はとても柔らかく、暖かなものだった。女の子の手を握れるなんて、ちょっとラッキーかも。

 そんなことを思っていると、あっという間に教卓の前に来ていた。

 目先には、なにやら楽しそうに唇の端を釣り上げた高島先生がいる。どうやら機嫌が良いらしい。とてもいいことだね。

「小野宮。私との約束を忘れていただろう?」

高島先生が笑顔のまま問うてきた。逆に怖い。

「ま、まさか。先生との約束を忘れるわけがないじゃないですか!」

 嘘。ホントは忘れてました。帰ろうとしてごめんなさい。

 隣では、夏咲が呆れたように首を振った。ポニーテールが首の動きにつられてフサフサと揺れている。

「本当か? まぁ、いいだろう。しっかりここまで来たんだ。不問にしてやる」

 よかった。高島先生って思いの外、心が広いんだな。

 ほっと胸をなでおろすと、元気な声音で先生が続ける。

「よし、それでは行こうか」

「え、どこに?」

 唐突な発言に思わず聞き返した。行く? どういうこと?

俺が質問を投げかけると、高島先生はスーツの胸ポケットから、キャラクターのキーホルダーがたくさんついている鍵を取り出した。それをジャラジャラと音を立てて振りながら、

「まぁ、ついて来るんだ」

 ニヤっと子供のような屈託のない笑顔で、高島先生はそう言った。


 俺と夏咲は高島先生の後をついて学校から出た。

「先生、どこ行くんですかー」

 いよいよわからなくなってきた。この先生は一体、なにを企んでいるんだろう。

 いくら質問しても、高島先生は具体的なことはなにひとつ言わず、「まぁまぁ。ついて来い」を繰り返すだけだ。隣に目をやると、夏咲はやはり無表情のままだ。彼女は高島先生が、なにを企んでいるのか知っているのだろうか?

 校門近くまで歩いていくと、そこには一台の車が止められていた。なんの変哲もない水色の軽自動車だ。

「さあ、乗って、乗って」

 高島先生は後部座席のドアをスライドさせ、俺たちに乗るように指示する。察するに、高島先生の車のようだ。

 高島先生は運転席に乗り込み、俺たちが乗車するのを待っている。だが、つい考えてしまう。俺はこの車に乗っていいのだろうか? 拉致とかされないだろうか、と。

 俺が乗るか否かを迷っていると、迷惑そうに夏咲が口を開いた。

「楓くん。早く乗ってください」

「えっ、夏咲は乗るの?」

 黙って首を縦に振る夏咲。そうか、夏咲は乗るのか。どうしようかな……。

「夏咲が乗るなら、俺も乗るよ」

 なんとなく夏咲がいれば安心な気がする。

 言うと、夏咲の顔がものすごく歪んだ気がした。きっと勘違いだろう。ひきこもりはとってもポジティブなのだ!

「……その理由はなんだか不快ですね」

 そうは言いながらも、夏咲は俺が乗車した後、すぐに車に乗り込んだ。俺の隣に夏咲が座る。小さい車のため、夏咲との距離は非常に近い。いつになく近距離だ。女の子特有の甘い香りが漂ってくる。そんな状況についドキドキしてしまう。落ち着け、俺。落ち着くんだ……。

「よし。全員乗ったようだな。それでは出発っ!」

 高島先生が元気よく右腕を突き上げ、車を走らせる。車はゆっくりと走行を開始し、俺の知らない道を突き進んで行く。


 一〇分くらい走ると、車はマンションらしき建物の駐車場に止まった。いよいよ、俺がなんでここにいるのかわからなくなってきたぞ。

「着いたぞ。降りてくれ」

 言われて、夏咲と俺は降車する。せっかく、夏咲とあんなに近い距離にいれたのに。なんだかちょっと残念。幸せな一〇分間でした。

 白を基調とした外壁で、清潔感を漂わせている建物が目の前にある。見た感じ六階建てのようだ。

「さあ、行くぞ」

 高島先生が唐突に切り出し、先陣を切って歩き出した。

 夏咲は真顔でその後を歩く。

 ここまで来たら、もうなにを質問しても答えてくれなさそうだ。しかたない、俺もついて行くか。二人の背中を追って歩く。

 エレベーターに乗り込み、高島先生が五階のボタンを押した。ボタンに目をやると、六階までのボタンしかない。どうやら、予想通り六階建てのようだ。

 少しすると、エレベーターが五階に到着し、重い扉が開かれた。

 高島先生が先頭を歩き、五〇二号室の前で足を止める。

「着いたぞ」

「着いたぞって……なんですか。誰かの家ですか?」

 純粋な疑問だった。見た限りでは、この建物はマンションだ。さっき、外からこの建物を見たとき、洗濯物が干してあったことからそう確信した。

「ああ、そうだ。キミの家だよ」

「なるほど。俺の家――はっ?」

 頭の中が真っ白になった。俺の家はここじゃない。俺の家は、学校から徒歩二〇分ほどの距離にある一軒家だ。マンションの一室ではないはず。どういうこと?

 俺は救いを求める視線を夏咲に向ける。

「なんでこっちを見るんですか。助けを求められても困ります」

 意外にも思いは伝わったらしい。いやしかし、今はそんなことはどうでもいい。一体、高島先生はなにを言っているんだ。さては、暑さで頭がおかしくなってしまったんだな! 冷たい水を飲んだほうがいい。

「先生、なにを言ってるんですか。ここは、俺の家じゃないですよ」

「いや、ここがキミの家だ。今日からな」

「ちょっと言っている意味が……」

「新居ということだ」

「いや、そうじゃなくてですね」

「ご両親にはしっかりと了承を得ている」

「ますます意味が……」

 高島先生はふぅと短く息を吐くと、腰まである長い髪を自らの手で翻した。

「昨日の昼頃に言っただろう。考えがある、と。キミには今日からこの学生寮で生活してもらう」

「えっ、ここって寮なんですか?」

 ここはマンションではなく、学生寮?

 先生は得意気に口元に笑みを浮かべ、ズボンのポケットから鍵をひとつ取り出した。

「そう。ここは我が校の学生寮だ。そしてこれがこの部屋の鍵。キミの新しい家の鍵だ」

 次々とぶつけられる情報の嵐に、思わず頭が痛くなってくる。

「まぁまぁ。そう暗い顔をするな。さぁ、新居を見てみようじゃないか」

 俺の肩に高島先生の手がそっと乗せられる。優しく置かれたはずなのに、その手はひどく重たく感じた。昨日の自信に満ちた言い方は、このことだったのか……。夏咲が現れたのは、あくまでも俺を一時的に家から出させる下準備。やるな、先生。称揚するよ……。だが、残念だったな。ひきこもりは家が変わったくらいでは、挫けないのだ。負けない心を持っているのだ!

 高島先生がゆっくりと俺の新居の扉を開ける。

 すると、綺麗に掃除が施された室内が俺の目に飛び込んできた。日当たりもよく、もしかしたら俺の家よりも良い環境な気がする。ここなら、爽やかな気持ちでひきこもれそうだ。

 玄関で靴を脱ぎ、中へと足を進める。

「どうだ? 意外と良い物件だろ」

 確かに良い物件だ。いや、むしろ充分すぎる物件だろう。部屋は広い。それに二つもある。家具も一通り揃っている。ここは本当に学生寮なのかと疑いたくなるほどだ。

 奥の部屋に足を向けると、そこにはダンボールが山のように積まれていた。きっと俺の荷物だろう。結構多いなー。

「結構な量だな」

 高島先生が驚いたように呟いた。持ち主である俺でも多いと思うくらいだからね。他の人から見たら相当な量なんだろうな。

しばし考えるような仕草をとった後、なにを思ったのか、高島先生が提案した。

「そうだな……。みんなで小野宮の荷物を片付けようじゃないか」

 俺は、やんわりと先生の好意を断る。

「え、いいですよ。先生。お構いなく」

「なぁに遠慮するな。みんなでやれば早く終わるだろう」

 だが、圧倒的な善意の前では俺の抵抗はまったくの無意味。でも、この先生の場合、一〇〇パーセント善意であるかどうかは怪しいところだけど。

高島先生が夏咲にも同意を求める。

「な。夏咲もそう思うだろう?」

 すると、彼女はなんともしかたなさそうに「はい」と頷いた。

 俺が高島先生の好意を断ろうとしているのは、別に遠慮をしているわけではないのだ。ひきこもりたるもの、……いや、男たるもの女子に見られたくないもののひとつくらいはあるだろう。年齢指定のゲームとか、ちょっと大胆な写真集とか、その他色々見られたくないものはある。そして、もしそれらが見つかればどうなることか……。考えただけでも寒気がする。

「では、さっそく取り掛かろう」

 そう言って、高島先生はスーツの袖をまくり、手始めに一番近くにあるダンボールを開けた。出てきたのは漫画だ。つい冷や汗が出てしまった。危ない、危ない。いつ、ゲームや写真集が出てきてもおかしくないこの状況は心臓に悪い。

「私もやります」

 夏咲もダンボールをひとつ開ける。中から出てきたのは衣服類だ。これもセーフ。誰かがダンボールを開けていくたびにドキドキしてしまう。この緊張感はひきこもりには辛い。


 そんなこんなで二時間くらい経過した。残すところダンボールは三箱。今はまだ年齢指定のゲームや、肌色の多い写真集は出てきてない。恐らく、この三つの箱の内のどれかに入っているはずだ。

 なにも知らない夏咲と高島先生がそれぞれ箱を手に取る。特に選ぶこともできず、俺は残ったダンボールを開けることになった。

 これにエロゲーなどが入っていなければ、俺は社会的にマズイ。まさにドキドキである。額に汗がにじみ、心臓の鼓動がどんどん加速する。

 ここまで来たら、やるしかない。

 覚悟を決めて、ダンボールを開ける。

 中から出てきたのは、見知った肌色のパッケージ、二次元の少女たち。……よかった。助かった……。そう。ダンボールに入っていたのは、ひきこもりが……いや、すべての男子が守るべきものだったのだ。よかった……。本当によかった……。これでなんとか夏咲と高島先生にバレずにすんだよ……。

 ふぅ、と安堵していると、夏咲が俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

「かかかか楓くん」

 やけに噛みまくっている夏咲。そんな彼女に若干の疑問を抱きながら振り返る。一体どうしたんだろう。

 すると、彼女はなにやら一枚の細長い布を凝視しながらプルプルと震えている。ついでに顔は真っ赤だ。

 その布には、恍惚な表情を浮かべながら、はだけた制服をまとい、なんとも大胆な格好をした二次元の美少女の姿が描かれている。あれはもしかして……俺がこの前注文したちょっとエロい抱き枕カバー。あれが届いていたのかっ! しかも写真で見たのより、エロさが増している気がする。実物と写真が異なりすぎだよっ!

「な、夏咲。落ち着け、落ち着くんだ」

「やややややっぱり、男子の家に上がり込むのは軽率でした。楓くんはこんなのを……使って……あわわわ……」

「待ってくれ。まだ、新品未使用さ! 使ってないよ!」

「小野宮。キミはこれを毎晩抱いて寝ているのかい?」

 訝しげな視線を向けてくる高島先生。

 俺は全力で否定する。

「違いますよ! これ今日届いたばかりですから!」

「ひひひひひきこもりはみんなそう言います!」

 顔を真っ赤にしながら、夏咲が言い放った。

「だから、夏咲は一体どれくらいの数のひきこもりを見てきたんだよ!」

「まぁ趣味は人それぞれだからな」

 腕を組んで深々と頷く高島先生。勝手に納得されても困る。

「先生もなに言ってるんですか!」

 これではもう収拾がつかない。抱き枕カバーが見つかってこれだけ騒がれるなら、エロゲーが見つかったらもっとヤバイ状況になっていたんだろうな。そう思うと、体全身がすっと冷たくなった。

 ホント、エロゲーが見つからなくてよかった。


 それから一時間が経過した。一通り荷物は整理され、随分と綺麗になった。夏咲も落ち着き、いつもの冷静さを取り戻した。先生の誤解もなんとか解くことができた……ようだ。もうね、ホント疲れたよ……。

「随分と片付いたな」

 爽やかに自らの額の汗を拭う高島先生。

「はい。おかげさまで。ありがとうございました」

 一時は大変だったけれど、高島先生たちのおかげで早く荷物が片付いたのは確かだ。だから、しっかりとお礼を口にした。ひきこもりはとっても礼儀正しいのだ。

「なぁに気にするな。キミは私の生徒だからな」

 高島先生はまくっていたスーツの袖を元に戻し、優しく笑う。つられて俺も微笑む。実はいい先生なんじゃなかろうか。

「夏咲もありがとね」

「い、いえ……」

 俺から目を逸らし、素っ気ない返事が返ってきた。まぁ、夏咲はいつもこんなものだ。

 これから、この部屋でひきこもり生活ができるとなると、今から楽しみだ。きっと前より極楽な生活なんだろうなぁ。考えただけでもヨダレが出そうだ。

「そろそろ私はおいとまするよ。小野宮」

 腕時計を確認し、高島先生は俺にこの部屋の鍵を手渡しながらそう言った。

 続けて、夏咲も、

「では、私もこの辺で帰ります」

 言うと、二人が並んで玄関の方へと歩き出した。途中、高島先生が夏咲になにかを手渡していたのが気になったが、気にするだけ無駄なことだろう。

 玄関で靴を履き終えると、

「それじゃあな、小野宮。明日が土曜日なのが少し残念だが、月曜日も学校に来るんだぞ」

「か、考えておきます」

 行かない。絶対に行かない。心に決めている。たとえ寮に移ろうとも、俺はひきこもるのだ。これ以上、学校には行きたくない。それに、この環境はひきこもるのに最適だ。ひきこもる以外に選択肢はない。

 高島先生は小さく息を吐きながら頷いた。

「あ、そうでした楓くん」

 今度は夏咲が話しだした。

「なに? どうしたの?」

「なにかわからないことがあったら、私に聞いてください。私、隣の五〇一号室に住んでますんで」

「へー、そうなんだ。お隣さんなんだね…………って、はっ?」

 衝撃の事実である。もしかしたら、今日一番に驚いたかもしれない。思わず、腰を抜かしそうになった。

「いや。だから、私、隣に住んでますから。なにか困ったことがあったら、私に言ってください」

「ちょっと待ってよ。なんでそんな大事なことを、そんな真顔で言えるの? ちょっとビックリだよ」

「そんなに大事なことですか?」

 感情の読めない表情でそう言う夏咲。

「大事だよ! 隣に女の子が住んでるなんて意識しちゃうじゃん」

「はい……?」

 今回ばかりは本当に引かれたみたいだ。一瞬で顔が曇ったのがわかった。そして一言。

「……ひきこもりは大変ですね」

 ひどく冷たい視線とともに、その言葉は俺の心と体を両断した。

 その後、高島先生と夏咲は俺の家を後にした。残ったのは静かな空間。そして、いつもとは違う新鮮な景色。

 俺はすぐさま制服を脱ぎ捨て、パジャマに着替える。

そして抱き枕に今日届いた抱き枕カバーをかぶせ、それを抱きかかえながらパソコンの前に腰を下ろした。

 ヘッドホンを装着し、マウスを握る。

 準備完了だ。

「さて……。引越し記念にギャルゲーでもしますか!」

 夜は長い。

 ここからは、ひきこもりの――いや、俺の時間がやってくる。

 朝までギャルゲーだ。そして、朝になったら一度寝よう。昼に起きてネットやゲームをしよう。本来のひきこもりの生活に戻るのだ。

 規則正しいひきこもりの生活リズムに。


 その夜、俺の部屋の明かりが消えることはなかった。

 こんにちは、水崎綾人です。

 誰しも隣に女の子が住んでいるとわかれば、多少なりとも緊張はするんじゃないでしょうか。そんなことを勝手に思ってしまいます。

 それでは、また次回。

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