第2話「適当な理由をつけて、学校に行かない気ですよね?」
そして、翌日。
俺の睡眠を妨げる鐘の音がしきりに鳴り響いている。かれこれ一〇分くらいずっと鳴っている。なんだよ、ピンポン、ピンポンって。うるさいな……。
そう思いながら、重たいまぶたを無理矢理に開け、枕の横に置いてある携帯のディスプレイを点灯させた。画面には七時四三分、と時刻が記されている。なんだよ……まだこんなに早い時間じゃん。誰だよ……朝早くから……。
――明日七時三〇分頃に迎えに来ます。
突然、夏咲の言葉が脳裏に浮かんだ。
あ、もしかして……。いや、でも夏咲なら来そうだ。
そうしている間にもインターホンは絶え間なく鳴り響いている。
俺は慌ててベッドから飛び出し、玄関に向かった。寝起きで体が重かったが、そんなことを気にしている場合ではない。
勢いよく扉を開ける。
すると、朝の鋭い陽光が体を突き刺し、その奥から腕を組んで冷たい瞳でこちらを睨む夏咲空乃の姿が見えた。あわわ……やっぱり夏咲さんでしたか。
「随分とお寝坊さんのようですね、楓くん」
「は、はい……」
まだ九月で少し暑いはずなのに、体全体が冷気で覆われている気がする。
「私、結構待ってたんですけど」
「ぞ、存じてあげております」
「七時三〇分頃に迎えに来るって言いましたよね?」
「そのとおりでございます」
「なんでまだパジャマなんですか?」
「すみません」
「とりあえず、早く着替えてください。私はそれまで待ってますから」
夏先はふぅ、とため息を吐いた。なんとも気だるそうな、面倒くさそうな顔で。
正直、俺は学校に行きたくない。ずっとひきこもって生活していきたい。家にいれば、暑い日はエアコンを効かせて涼しい部屋でダラダラできる。冬の日はコタツを使ってダラダラできる。そんな最高な生活ができるのだ、ひきこもりというのは。それを手放すなんてしたくない、してたまるか。……だが、朝からインターホンを鳴らされ、迎えにまで来られるとさすがに無視もできない。ひきこもりのため居留守も使えない。どうせ、家にいるのはバレているのだから。くそっ、俺のひきこもり生活はここで終わってしまうのか? そんなの嫌だっ!
自室に戻った俺は、クローゼットを開けた。この中には、もう着ることはないと思っていた制服が入っている。
「うぐっ……」
行きたくない。いや、マジで行きたくない。ていうか、夏咲はそこまでして俺のことを学校に連れて行きたいの? なに、もしかして俺のこと好きだったりするのかな? そんなわけないか。知ってる知ってる。
などと変なことを思っていると、ますます学校に行きたくなくなった。とりあえずクローゼットを閉める。
ちらっと横目でベッドを見る。あの中はまだ暖かいはず。今なら、いくらインターホンを押されても二度寝は余裕。さすがに、夏咲も二度寝している人を起こすほど厳しくはないよね。
そっと、ベッドの方へ一歩踏み出す。
と、その時だった。
俺の部屋の扉が勢いよく開かれた。次いで、感情の読めない抑揚の乏しい声が聞こえる。
「いつまで待たせるんですか、楓くん」
一瞬、体が凍りついたように固まった。この声は……。
なんとか首だけを動かし、背後を振り返る。そこには、待ちくたびれたと言わんばかりに眉根に皺を寄せた夏咲空乃の姿が。
俺の部屋の敷居の前に立ち、こちらをジト目で見据えている。
「え? あ、いや。なにもしてないよ」
ははは、と不自然な笑い声が、意図せずに俺の口から吐き出される。
「なんでベッドの方に行こうとしてるんです?」
「そ、それは……そう! ベッドの掛け布団の中に制服をしまってるんだよ。うん、そうなんだよ」
言うと、夏咲はわかりやすくため息を吐いた。それも物凄い呆れ顔で。
「はいはい。そんな嘘はいいですよ。どうせクローゼットでしょ?」
俺の嘘は簡単に見破られたようだ。どうやら、夏咲はなかなかの曲者らしい。ていうかさ、ひきもりにはもっと優しくすべきなのでは?
なにを思ったのか、夏咲は可愛らしくポニーテールをぽんぽんと揺らしながら俺の部屋の敷居を跨いだ。かと思うと、唐突にクローゼットを開ける。
「ちょおいっ!」
時すでに遅し、ってこのことを言うんだね。俺が声を上げたときにはもう、クローゼットは開いていた。
夏咲は横目で俺のことを一瞥すると、クローゼットの中へ手を伸ばす。そして、綺麗にクリーニングされた制服を取り出した。
「おかしいですね。布団の中にあるはずの制服がクローゼットの中にありましたよ?」
制服をこちらに見せながら、小首を傾げる夏咲。
「ほ、ホントだ……お、おかしいな……。なんでかな? いや~、世の中って不思議だね、うん」
「馬鹿言ってないで、さっさと着替えてください」
辛辣な台詞とともに、俺に制服を突き出してきた。なんだよー、ノってきたのは夏咲じゃん。
俺は半ば強制的に制服を受け取る。しかし、着る気にはなれない。
「いや、でもさ。俺一年以上学校行ってないし、いまさら行くのも気が引けるというか」
「そんなの知りませんよ。私からしたら、高島先生からお願いされたから楓くんを学校に連れて行くのであって、楓くんがどういうことを思っているかなんて興味ないですから」
おっと……。予想以上に手厳しい言葉。
「ちょっと言い過ぎでは?」
「だってなにを言っても、適当な理由をつけて学校行かない気ですよね?」
「うん、まあね」
「簡単に認めましたね」
当たり前だ。認めないわけにはいかないよ。
「仕方ないですね。高島先生に電話します」
「え?」
「どうしても来なさそうなときは電話しろ、と言われてますんで」
「なんで?」
聞くと、夏咲は無感情な表情で肩をすくめた。そして、スカートのポケットから携帯を取り出す。まさか、本当に電話をする気なのか。
「さあ。もしかしたら、高島先生がここに来るのかもしれませんね。朝のホームルームが始まる前ですし、時間的にはまだ余裕があります」
なんて恐ろしいことだ。電話越しでもほぼ毎日『学校に来い』と言ってくるのに、本当に家に来たら、強制連行されてしまう。……嫌だ。絶対に避けなければいけない。
なら、俺の取るべき行動は。
最善の選択は……。
脳をフルに使う。
「あ……もう、わかったよ……。しかたない。今日は学校に行ってやるよ……。今日だけだぞ。今日だけなんだからねっ!」
思いっきりツンデレな台詞を吐いた。
「まあ、明日は学校は休みですからね」
……いや、そういう意味じゃないんだよ、夏咲さん。
夏咲は、俺が制服に着替える、と言い出したので、部屋の外に出てくれた。
久しぶりに制服を身にまとい、通学用のカバンを右手に持つ。行きたくねー、学校行きたくねー。俺がもし小学生くらいなら、「お腹痛い」を連発して学校を休んでたかもしれない。ていうか、休みたい。けど、大きな力の前には逆らうことができない。悲しいね。
部屋の扉を開け、廊下で待つ夏咲に声をかける。
「お、お待たせ」
「はい。あ、やっぱり制服綺麗ですね。クリーニングしているからなのか、入学して三ヶ月しか着なかったからなのか」
「……う、うん」
可愛い顔して酷いことを言ってくる夏咲の言葉に満足に反応できなかったのは、俺自身が存外に緊張しているからだ。
理由は明白。久しりの登校だから。
静かに、それでいて深く深呼吸する。
不安と緊張を胸に抱き、俺は一年と三ヶ月ぶりに学校へと続く道に一歩を踏み出した。
しばらく歩いていると、夏咲に突然声をかけられた。今まで無言で歩いていたため、いきなり話しかけられるとちょっと驚いてしまう。
「楓くん、すごい顔ですよ。もしかして、緊張してます?」
「よくわかったね。まさか、テレパシーとか持ってたりする?」
「いえ、私の体はそこまでSFにはできてません。ただ、顔が引きつっていて、すごいので……」
夏咲は若干引き気味だ。
「うん。実は超緊張してる。もうヤバイくらいに」
でも、仕方ないじゃん。学校行くのは一年と三ヶ月ぶりだよ? 緊張するに決まってんじゃん。
手汗はもちろん、顔からも汗が噴き出している気がする。もしかしたら、本当に噴き出ているかもしれない。
俺はダメもとで夏咲にすがってみる。
「緊張が解けるように、俺になにか優しい言葉かけてよ。とびっきり甘い感じで!」
「私からは『頑張ってください』としか言えませんね」
優しさの欠片も感じない社交辞令的な言葉が返ってきた。
現実はとてもシビアだった。
こんにちは、水崎綾人です。
前回の続きです。まだもう少し序盤の話しが続きますが、ついて来ていただければ幸いです。
それでは、また次回