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第19話「ひきこもりの流儀」

「ここか」

 高島先生から住所を教えてもらい、地図アプリを駆使してここまでやってきた。

 目の前には、『深月』と書かれた表札が掛けられた、大きな家がある。普通の民家より一回り大きな洋風の家だ。そう、ここは深月陽菜花の自宅。

「結構、大きな家だなぁ」

 これなら、寮でひきこもるより、充実したひきこもり生活が送れそうだ。

 おっと、そんなことを考えている場合ではなかった。早く、深月に会わなければ。

 さっそく、インターホンを押す。女の子の家に来るなんて生まれて初めてのことだから、心臓がドキドキしてきたよ。

 ちょっとばかり待つと、若い女性の声が返ってきた。

『はい、どちら様ですか?』

「えっと、俺……じゃなくて、僕、陽菜花さんの学校の友達で小野宮楓といいます。陽菜花さんに会いに来ました」

 緊張して噛みそうになりながらも、なんとか言い切った。

 少しの間、沈黙が続く。

 きっと、この時間に学生が訪ねてくることを訝しんでいるんだろう。だって、普通なら今の時間は六時限目の授業をやっているからね。しかし、ひきこもりには、普通の時間の感覚は通用しないのである! 普通の学生が学校に拘束されている時間も、自由に動けるんだよ。

 しばし待つと、玄関の扉が開いた。開けてくれたのは、綺麗にカールされた茶髪を腰の辺りまで伸ばした女性だった。なんだか、とっても上品な印象を受ける。いい匂いもするし。

「どうぞ、お入りください」

「あ、はい。どうも」

 ペコリとお辞儀をして、家の中へと入る。玄関には靴がきちんと並べられており、見ていてとても気持ちがいい。それに、よくわからないけど、高そうな絵画が一枚、壁に掛けられている。

「あの、陽菜花さんは今……?」

 聞くと、女性は少しだけ言いにくそうに微笑んだ。

「陽菜花は部屋にこもったきりなんです。毎日、同じ学校の女の子が来てくれるんですけど、それでも部屋から出てこようとしなくて」

 毎日来てる女の子って、きっと夏咲のことだ。夏咲が毎日説得してもダメなのに、今日いきなり来た俺になにができるだろうか……。いや、その考えがダメなんだ。

「そうなんですか」

 俺は頷いた後に、ちょっと気になったことを聞いてみる。

「あの、つかぬことをお聞きしますが、陽菜花さんのお姉さんですか?」

 すると、女性は驚いたように口元を抑えた。そして、ヒラヒラと手を上下に振る。

「あらあらまあまあ。最近の高校生はお世辞が上手ですこと」

 照れたように笑い、終いには、女性は俺の背中をバシンと叩いた。

「痛っ」

 意外に力が強く、平手を打ち込まれた背中がヒリヒリと痛む。今まで俺の周りに物理的な攻撃をしてくる人がいなかったせいか、新鮮な気分だ。これがご褒美というやつか! 緩みそうになった口元を慌てて固くする。

「違いますよ。陽菜花の母です」

 なになに、このアニメとかでありそうな展開。三次元はいつの間にこんなにも二次元と近くなったんだろうね。

「そ、そうなんですか。いやー、お若く見えますね!」

「いえいえ。嬉しいわ。そうだわっ、ケーキ。美味しいケーキがありますの! 一緒に食べません?」

 急にテンションが高くなってきた深月母は、俺の腕を引っ張りリビングへ通そうとする。いつもなら、迷わずお言葉に甘えるのだが、今日は違う。用事があるのは深月陽菜花の方だ。

「すみません。今日は陽菜花さんに用事が……」

「そ、そうですわね。ごめんなさい。若い男の子と話すことなんてないから、つい。うふふ」

「いえいえ、俺でよかったら、いつでも話し相手になりますよ!」

 咄嗟に口から出てしまった。

「あらあら、それは嬉しいわね」

 俺を見て楽しそうに笑った深月母は、仕切り直すように手をパチンと胸の前で叩いた。

「陽菜花とお話がしたいんでしたよね」

「そうです」

「わかりました。では、付いてきてくださいね」

 そう言うと、深月母はウィンクをした。驚くほどナチュラルにウィンクされたため、普通に可愛いと思ってしまった。

「はい。――あ、そうだ。ちょっと待ってください」

 背を向け、移動を始めようとしていた深月母を呼び止めた。そうそう、渡すものがあるんだった。

 俺は右手に携えていた紙袋を深月母に差し出す。以前、深月が俺の家に来た時にはケーキを持ってきてくれたので、そのお返しだ。でも、品物のランクはかなり下がっているけど……。

「あの、つまらないものですが。どうぞ」

「あらあら。これは、なにかしら」

 深月母は紙袋を受け取り、興味深そうに袋を見つめる。

「いや~。つまらないものですよ」

「いえいえ、そんな謙遜なさらずに」

「ホントにつまらないものですよー」

 謙虚に答えているのではなく、結構真面目につまらないものなので、そこまで期待されるとちょっと困る。

 だって、中身はピーマンだから。ひきこもってからカップラーメンを大量に買ったせいで、財布の中身はほぼ空っぽだし、家の中にもあげられそうなものはなにも無かった。でも、ピーマンだけは大量にあった。いつだったか買い物に行った日に、夏咲が俺のためと言って買ったピーマンが沢山残っていたのだ。もはや、つまらないものと言うよりもお裾分けに近いけれど、手ぶらで他人の家に伺うよりはマシだろう。少しだけ後ろめたい気持ちはあるけど、この際、しかたない。

 そんな俺の思いとは裏腹に、深月母は自らの右頬に手を当て、「なにかしら~」とワクワクしながら紙袋を見ている。

「いえ、本当につまらないものですよ」

「そう? でも、ありがとうね。それじゃあ、陽菜花の部屋に行きましょう。こちらですよ」

 深月母は再び背を向けて、移動を開始した。

 階段を上り、二階の突き当たりまで進むと、深月母は足を止めた。

「ここよ。陽菜花の部屋です」

 そう言うと、深月母は扉をノックし、部屋の中にいる少女へと声をかける。

「陽菜花。お客さんよ、しかも男の子よ。名前は……えっと……その……なんでしたっけ?」

 申し訳なさそうに笑い、俺の顔を見つめてくる。さっき名乗ったけど、忘れちゃったのね。

「小野宮です。小野宮楓」

「そ、そう。楓くんが来てくれたわよ」

 しかし、扉の奥からの反応はない。まるで、扉の向こうには人がいないのではないか、と思うくらい静かだ。

 深月母は小さく息を吐いた。

「ごめんなさい。ずっとこんな感じなの」

 さっきまでは見せなかった哀愁を帯びた笑顔。彼女の瞳は俺のことを捉えておらず、右下を向いている。

 俺はそんな深月母の姿を見ていて、胸が締め付けられそうになった。

 ずっとこのままだったら、埒が明かない。俺がここに来たのは、深月陽菜花と会うためだ。

 俺はドアノブにそっと手をかける。そのまま時計回りに回し、深月陽菜花の部屋の敷居を跨ぐ。

 深月母を横目で見ると、両手で口を抑え、驚いていた。でも、驚くことじゃない。自分の殻に閉じこもっているときは、外から無理やり入るのが一番の近づき方だ。

 俺もつい最近、身を持って知った。とあるポニーテールの無愛想な少女が、ある日俺の殻の中に無理やり入ってきたからね。

 いざ入ってしまったけれど、女の子の部屋に入るのは人生で初めてだ。今頃になって緊張してきた。どうしよう……。

 急に心細くなっていると、大きな部屋の隅っこにあるベッドから声が聞こえてきた。正しくは、ベッドの上にある毛布の中の人物から、だ。

「な、なにしに来たんですの……?」

 その声は酷く枯れていて、いつもの深月とはまるで別人のような印象を受けた。きっと、ここ最近毎日泣いていたんだろう。

 俺は部屋の真ん中にあるテーブルの近くに腰を下ろした。

 つい暗くなりそうな雰囲気だが、努めて明るく振舞おう。

「深月と話をしようと思ってね」

「お話……ですの?」

 むくっと毛布が膨れ上がり、中から茶髪の少女が顔を見せた。その少女の目はものすごく赤く、頬には涙の跡、おまけに髪はボサボサ。まさに、この世界に絶望した姿だった。

 深月は毛布に身を包んだまま、ベッドの上に体育座りし、俺を見る。

「ところで、ママと随分と仲良さそうでしたわね……」

 涙で赤く腫れた目で睨まれた。

「い、いや。そういうわけじゃないんだけどね」

 ははは、と苦笑し、そこら辺のことはお茶を濁しておく。

 ジト目で俺のことを見ながら、深月は時計に目をやった。

「あの……どうして、この時間に楓がいますの? …………今はまだ授業をしている時間でしょ?」

「そうだね。実は俺もひきこもってるんだ」

「…………そうでしたの」

 深月はどことなく安心したような表情を見せた。おそらく、俺と同じであることを心強く思ったのかもしれない。

「うん。そうなんだ。ところで、深月はひきこもり生活を始めてみてどう?」

 毛布にくるまったまま、深月は小さく唇を動かす。

「ひきこもりっていいものですわね……。こうしているだけで、傷つかなくて済む。……一日中ベッドの上でじっとしているだけで、なんとなく安心できますの……。不思議ですわね。信頼し、仲間だと思っていた生徒会の人たちから、あんな風に思われていたのに、ずっとひきこもっているだけで、こんなにも安らぎを得られるなんて…………」

 彼女の口から紡がれていく言葉は、俺には痛いほど理解できる。傷つかなくて済む。安心できる。安らぎを得れる。まさにその通りだ。ひきこもり最高! と叫びながら町内を一周しても良いくらい同感だ。

「そうだよね。ひきこもりって良いものだよね」

 俺は大きく頷いた。

「今までひきこもっていた楓の気持ちがわかりましたわ…………」

 涙の跡がくっきりとついた顔で、深月は弱々しく微笑んだ。

 ひきこもりにとって理解者がいるのはとても嬉しいことだ。自分を理解している人がいると思うだけでも心強くなる。

 しかし、俺は今まで深月の気持ちを考えてなかった。自分がひきこもるための理由にし、昔の自分と重ね合わせ、彼女のことをろくに考えもせず、ひきこもることを是とした。

 でも、俺と深月は違う。別人だ。

 なら、彼女にとって一番傷つかない方法とはなんだろう? 心の傷を癒せる手段とはなんだろう? 

 ベッドの上に小さく固まっている少女を見ながら考える。

「……どうしましたの? 楓」

 なにも喋らずに黙念している俺に、深月の訝しげな視線が向けられる。

「い、いや。なんでもないよ」

 俺は咄嗟に言葉を吐いた。

「そうですか……。なにか難しい顔をしていらしたので……」

「そ、そんなことないよ」

 はははと苦笑いし、深月から目を背けた。すると、視界の隅に一枚の写真が入った。

 よく見てみると、その写真は深月をセンターとして写した生徒会メンバーの集合写真だった。それだけじゃない。辺りを見渡せば、生徒会から発行された生徒会新聞や、活動の記録など、いたるところに生徒会に関するさまざまなものが置かれている。さっきまで、緊張していてよく見えていなかったけど、深月の部屋は生徒会に関係するものでいっぱいだ。

 そうか……。そういうことか……。

 やっぱり、俺と深月は違ったよ。夏咲の言ったとおりだ。

「ねえ、深月」

「……なんですの?」

「俺、やっとわかったよ。深月の本当の気持ち」

「どういう……ことですの……?」

 深月の声が震えている。

「やっぱり、深月はひきこもるべきじゃないよ」

「…………へ?」

 驚いたように目を丸く見開き、充血した目がなんとも痛々しい。できることなら、今すぐ抱きしめて「大丈夫」って言ってあげたい。でも、それはできない。

 絶望し、上擦った声が彼女の口から吐き出される。

「どうして……ですの……楓? ……私と同じなのが、そんなに嫌なんですの? ……あなたも、私のことを…………見捨てますの…………?」

 手元にある毛布をギュッと握り、唇を強く噛んでいる。

俺は首を左右に振る。

「違うよ。見捨てるなんてことはしないよ。でも、俺と深月は違うってこと」

「どういうことですの…………」

 再び瞳には涙が溢れ、頬についた跡を伝って身を包んでいる毛布を少しずつ湿らせる。

 俺は立ち上がり、深月のすぐ前に歩み寄る。

「確かに、深月は信頼していた生徒会メンバーに見限られて、孤立した状態だった。悔しいし、悲しい、当然、涙も出るよね。それはわかるよ。でもさ、深月にとって生徒会はとても大きな存在なんだよ。たぶん、切っても切れないくらいに」

 俺に目を合わせず、深月は下を向いたまま聞いてくる。

「どういう……ことですの?」

「そのままの意味だよ。深月にとって生徒会の存在はとても大きい」

「だからなんだって言うんですの?」

「簡単な話だよ。つまり、深月は生徒会の仲間ともう一度、一緒にいたいって思ってるってことだよ」

 深月はぶんぶんと首を横に振り、声を荒げる。

「そんなこと思ってませんわ! だって……だって……私が感じていた信頼や友情は一方通行だったんですのよ! 向こうは全然そんなこと思ってないのに、私だけが一方的に信頼や友情を押し付けていた……。もう一度、一緒にいるなんて……できませんし、思ってもいませんわ……」

 俺は、小さく固まっている深月の隣に腰掛ける。

「ううん。絶対思ってるよ。だって、深月の部屋には生徒会に関係するものがこんなにあるじゃないか。もし、本当に生徒会の仲間たちとの関係が終わったって思ったのなら、きっと綺麗に処分するよ。俺ならたぶんそうしてる。自分が絶望したものを、いつまでも手元に置いておきたくないしね」

 深月は部屋をぐるっと見渡し、

「あれは……片付けをするのが面倒で……そのまま残していただけですわ」

「違うね。片付けられなかったんだよ。深月にとって一番大切で、一番大きな存在である生徒会メンバーとの記憶を捨てられなかったんだよ。きっと、無意識のうちにそう感じていたんだ」

 毛布に顔を埋め、必死に首を振る深月。

 俺は構わず続ける。

「だから、俺と深月は違う。同じじゃない。そして、ひきこもるべきじゃないんだ」

 すると、深月は力ない涙声で問うてきた。

「なら……だったら……私はどうすれば良いんですの? ひきこもりにもなれなくて、信頼していた仲間から見限られた私は……一体どうすれば良いんですの……?」

 俺は立ち上がり、深月に「顔を上げて」と促す。

「簡単だよ! もう一度、生徒会に戻れば良いんだよ」

 そう。彼女の心の支えの大部分を占めているのは、生徒会の仲間との絆だ。それが無くなったことで立ち直れないのなら、再び絆を作れば良い。それだけだ。

「そんなこと……今更できるわけが…………」

「いや、できるよ」

 俺は爽やかに笑ってみせた。

「どう……やって?」

 瞳いっぱいに涙を溜めた少女が、上目遣いで俺を見る。

「あの日、副会長が言ってたじゃないか。深月は世間知らずで、出してくる企画案は斜め上すぎる。その企画案を否定して空気を悪くするくらいなら、最初から賛成して、後から先生に却下してもらえばギクシャクしないで仕事ができるって。これって、一見相手のことを考えているようで、全然考えてないよね。生徒会の皆も、結局否定すると後が面倒だから否定しない。深月も自分の企画案にだけ意識が向いちゃっている。これじゃあ、心の距離もどんどん遠くなるばかりだよ」

「だったら……どうすれば……」

 深月は毛布越しに膝を抱き抱える。

「単純なことさ。もっとお互いが近づけば良いんだよ。ダメなものはダメと、良いものは良いと言えるように、お互いが歩み寄っていけば良いんだ」

「歩み寄る……?」

「そう。でなきゃ、深月はいつまでたっても生徒会に戻れない。ずっと、閉じこもって枕を濡らすことになる。それが嫌なら一歩を踏み出すしかないんだ」

 厳しいかもしれないけど、これが深月のためだ。俺が思う最善の手段。

 少しの沈黙の後、深月が乾いた唇を動かす。

「……確かに……私の心の大部分は、生徒会の皆さんとの思い出が占めていますわ。でも……それでも……私にはその一歩が怖くて怖くてたまりません……。もし、また同じような目に遭ったらと思うと……」

 落涙している彼女を横目で見て、俺は優しく笑った。

「もしもダメなら……その時は、一緒にひきこもろうよ。たぶん、その時は深月も立派なひきこもりになれると思うよ」

 言うと、深月は小さく笑った。その笑顔は自らを哀れんだ笑顔ではなく、吹っ切れたような爽やかな笑顔だった。

「随分と力強いですわね……」

 深月は、パジャマの袖で涙を拭い、頬をパンパンと二、三回叩いた。

「……そうですわよね。いつまでも、このままではダメですわよね」

 深月は自分に言い聞かせるように呟くと、俺の服をクイッと引っ張る。

「な、なに?」

「明日……私、生徒会の皆さんと話してきますわ。お互いが近づけるように」

「そうだね。いいことだよ」

「それで……お願いがありますの……」

「お願い?」

 チラッと深月の方を見ると、彼女の顔は微かに赤く染まっていた。言いにくそうに顔を歪めている。

「……その、……私一人だけでは心細いので……一緒に付いて来て欲しいですわ……。もちろん、生徒会室までだけでいいです。……どうでしょうか?」

「うん。わかった」

 俺は快諾した。せっかく、一歩を踏み出そうとしているんだ。このくらいのお願いなんてお安い御用だよ。

「……ありがとう、楓」

 しばらく無音の状態が続いた。決して、嫌な沈黙の時間ではなく、安らぎを与えてくれる優しい時間だ。

 だが、その静寂は深月からの疑問でかき消され、安らぎの時間は一分少々で幕を閉じる。

「あ。ところで、楓。あなた、どうして私に学校に行くように説得しに来たんですの? 考えてみましたけれど、わかりませんわ。私、てっきり楓ならひきこもることを応援してくれると思っていましたのに」

 俺は投げかけられた質問に快く答える。

「深月には、生徒会のみんなのところに戻るのが、最善の方法だと思ったからだよ」

「最善の方法?」

「うん。ひきこもりの流儀に則った結果そうなったんだ」

 言うと、彼女は小首を傾げる。

「なんですの、それ?」

「しかたないな~。教えてあげよう!」

 俺はゴホン、と一度咳払いし、得意げに口を開いた。

「ひきこもりの流儀っていうのは、傷ついた人を最善の方法で助ける、俺の流儀なんだ。なんたって、ひきこもりは他人の心の痛みがわかるからね!」


「随分とふざけた名前の流儀ですね、楓くん」


 俺が言い終わったすぐ後に、耳によく馴染んだ声で軽くあしらわれた。

 後ろを振り返ってみると、制服姿の女子が一人。

「夏咲?」

「はい。そうですが」

 特に顔色を変えることなく、夏咲はそう答えた。

「どうして夏咲がここに?」

「どうしてって、私が毎日深月さんの家に来ていることは知ってますよね?」

「う、うん」

「授業が終わったんで、今日も来たんですよ。まぁ、ひきこもりさんが深月さんの説得に成功したみたいですけど」

 そう言うと、夏咲は俺のすぐ横を通り抜け、深月の方へと足を進める。

「良かったです。深月さん。明日から学校に来てくれるんですね」

「え、ええ。空乃。あなたにも迷惑をかけましたわ。毎日家に来てくれてありがとう」

 深月が深々と頭を下げた。

「いいですよ。顔を上げてください。私は深月さんにまた学校に来て欲しかっただけですから。……その、わかり合えた仲だと言ってくれましたし」

「空乃……」

 深月は歓喜に声を震わせ、夏咲に抱きついた。頬をすりすりと夏咲に擦りつけ、「嬉しいですわ」と言って離さない。

「ななななななにをするんですか……」

 顔を真っ赤にして噛みまくっている夏咲は、言葉ではそう言うものの嬉しそうな表情をしていた。

 いいね、いいね。百合展開は大歓迎だよ!

 その後、小一時間ほど深月の家で過ごした。何気ない会話は非常に楽しく、あっという間に時間は過ぎていった。時計を見ると、あと数分で一七時になる。あまり長居するのも悪いと思い、俺たちはそろそろおいとますることにした。

 深月と深月母に見送られ、玄関を後にする。


 外に出ると、すっかり夕日が街を黄金色に染めていた。思わずその光景に見惚れてしまう。

 そんな俺を不審に思ったのか、一歩先を行く夏咲が振り返って俺を見る。

「なにしてるんですか、楓くん?」

「え? ああ、いや。なんでもないよ! 夏咲が可愛いなって思ってね」

 ふざけた調子でそんなことを言うと、ため息の後に夏咲が鋭く睨んだ。

「本気で殴りますよ」

 そう言うと、夏咲は右の拳をギュッと握り締め、胸のあたりまで持ち上げる。

 鉄拳制裁は良くないって!

「冗談、冗談」

「そうですか。わかればいいです」

 拳を下げ、夏咲は再び前を向いて歩き出した。

 俺は先を歩く彼女の隣まで小走りで移動し、同じペースで歩く。こんな風に歩くのも随分と久しい気がする。夜にコンビニで会って以来かな?

 そんなことを考えながらしばらく歩いていると、すぐ横を歩く夏咲が話しかけてきた。

「あの、楓くん」

「うん? なに?」

「どうして、深月さんを説得しようと思ったんですか? 楓くんはあくまでも、深月さんはひきこもるべきだって言ってたじゃないですか?」

 こちらを向いて小首を傾げた。

「まぁ、そうなんだけど。深月が本心では、生徒会の皆とまた一緒にいたいって思ってるってわかったからさ。なら、そうするべきだと思ったんだよ」

「結構いいこと言いますね。ひきこもりの流儀ってやつですか?」

 俺の顔を覗き込み、茶化すように笑う夏咲。

「そうだよ、ひきこもりの流儀だよ。やっぱり、ひきこもりって偉大だよね!」

 俺が見事なスマイルでそう言葉を返すと、夏咲はわかりやすくため息を吐いた。

「ちょっと嫌味な感じで言ったのに、どうしてそんな結論になるんですか、楓くん」

「心が綺麗だからだよ!」

 ポンと俺が胸板を叩くと、夏咲はクスッと笑った。

「そうですね。もしかしたら、そうかもしれないです」

 いつになく素直な夏咲をちょっと不審に思ったけれど、悪い気はしない。

 久しぶりにこんな風に夏咲と打ち解けることができたんだ、それが悪いわけがない。

 だからつい、口が滑っちゃうんだ。

「もしかして、夏咲って今デレ期?」

「はい? しばきますよ」

 そう夏咲が言った時だった。

 俺と夏咲めがけて野太い声が放たれた。

「おい、ふざけんじゃねぇよ!」

 その声の主は、すぐ目の前にいた。逆光のせいでよく見えないが、人影は三人分ある。

 誰だ? 俺にあんな知り合いいたっけか?

 そんなことを思っていると、彼らはどんどんこちらに近づいてくる。さっきまで逆光で顔がよく見えていなかったが、近づくにつれて顔が見えるようになってきた。

 あれ……。あれれ……。なんか見たことあるかも。

 彼らの顔を凝視していると、はっ、と記憶がよみがえった。もう何日前のことか忘れたけど、深月と『リア充爆発しろ』の名のもとにリア充の検挙をしている時に、捕まえた生徒の中に彼らがいたような気がする。

 三名の男子生徒は俺たちのすぐ前まで来ると、ものすごい形相で吐き散らす。

「おいっ、なんでテメェらがイチャイチャしてんだよ! 俺らにイチャつくなって言ってただろうがよぉ!」

「そうだそうだ! こっちはな、捕まって五〇〇円も払ったんだぞ」

「マジでふざけんなよぉ、ゴラァ!」

 あ……。やっぱり、検挙されたリア充たちだった。

「テメェらが校内で恋愛を規制するから、彼女に振られたんだっつーの! どう責任とってくれるんだよ!」

「規制してたお前らが、なんで楽しそうにイチャイチャしてんだよ!」

 彼らの勢いに俺は思わず一歩退く。すると、すぐ後ろにいる夏咲にぶつかった。

「あ、ごめん。夏――」

 慌てて謝ろうとしたが、彼女の姿を見て、俺の言葉は途中で止まった。

 夏咲は、震えていたのだ。鬼のような形相をしたリア充たちに、大声で迫られ恐怖に怯えているのだ。普段は怜悧で静かな夏咲も、普通の女の子。男子に怖い顔で迫られたら震えるし、大きな声で脅されたら怯える。当たり前のことじゃないか。

 俺が後ろを向いてそんなことを思っていると、リア充の一人が俺の胸ぐらを強引に掴んだ。僅かに俺の足が地面から浮く。

「オイ、どこ見てんだよ。こっち見ろやぁ!」

 そんな言葉は今の俺にはどうでもいい。夏咲が震えている。自分の知ってる女の子が恐怖に怯えているんだ、助けるしかない。

 でも、どうやって?

 普通に肉弾戦をやったら負ける。てか、勝てるわけない。

「テメェ、なにシカトしてんだよぉ!」

 俺の左右に残り二人のリア充が立つ。あれ、ちょっと待って。これって夏咲を守るよりも先に、俺がボコボコにされちゃうんじゃないかな? 

 額に汗が滲む。

 俺がどうしたらいいか迷っている時だった。震える手でクイッと夏咲が俺の服をつまんだ。まるで、恐怖に怯える子供が、母親の手を掴むように。

 瞬間、俺にはリア充たちの罵声は聞こえなくなった。そんなものなんてどうでも良くなったのだ。ただ後ろで震えている女の子を守りたい。そう思ったんだ。

「だから、聞いてんのかゴラァ!」

 俺の胸ぐらが強引に揺り動かされた。振動が脳まで伝わり、ちょっと気持ち悪い。

「まったく……いちいち、うるさいな」

 俺の口から出た言葉にリア充たちが一瞬たじろぐ。が、すぐにさっきの状態に戻る。

「おいおい、なに言っちゃってんの? うるさいだぁ?」

 横の二人も同時にぐちゃぐちゃ言ってくる。もう、言葉が混ざっちゃってほとんど聞き取れない。

 もうこうなったらやるしかない。ボコボコにされずに、夏咲を助けるんだ! 後は野となれ山となれ!

 俺は声を張り上げる。

「ええぃ、うるさい、うるさい、うるさいっ! これだからリア充は」

 まだ言いかけなのに、右隣にいるリア充が口を挟んでくる。

「あぁ? これだからってなんだよ!」

 もう、人が話してるんだから口挟むなよ! と心の中で思いながら続ける。

「校内で恋愛が規制されたからってなんだよ! お前たちリア充の恋愛っていうのは、学校の中でしかできないのか? 学校の中限定で恋愛してんのか! そんなに、恋愛がしたければ校外でやればいいじゃないか!」

 とびっきりの感情を込めて演説した。

 リア充たちは、まるで言い返す言葉を探しているかのように押し黙り、唇をギュッと噛んでいる。

 俺はさらに続ける。

「学校の中でしかできない恋愛なんて真実じゃない! 真実の恋愛というのは、毎日日が沈むまでパソコンの前に座って、必死に好感度チェックをして、現れる選択肢に命を懸けるもんだ! 睡眠時間を削って、ひたすらプレーするもんだ!」

 さらに俺は声を大きくする。

「そして、選択肢の結果たどり着いたエンドが、ハッピーエンドでもバッドエンドでも、それを受け入れ、また新しく攻略していくもんだ! それが……。真実の恋愛ってもんだろぉ!」

 右の拳を茜色に染まった空へ突き上げた。

 リア充たちは口を開けてポカンとしている。おかしいな、本当ならここで俺の言葉に感動して、リア充たちは涙を流すはずなのに。

 俺が思い描いた状況とは違うけれど、逃げるなら今しかない。

「夏咲っ!」

 言うと、我に返ったのか夏咲がはっ、と顔を上げた。瞬時に夏咲の手を取り、リア充たちの間を走り抜ける。

 俺たちに逃げられたことに気づいたリア充らは、ものすごい剣幕で追いかけてくる。怖い。正直、怖い。でも、それ以上になんだか楽しい。

 無我夢中で走り、気が付けば寮のすぐ前まで来ていた。

 振り返ってリア充たちがいないことを確認すると、スピードを緩める。

 汗を拭い、荒れた呼吸を整える。

「はぁ、はぁ……。いや~、走ったね。夏咲」

「そう……ですね……。楓くん……」

 夏咲の呼吸も荒れていた。やっぱり、結構走ったからね。そりゃ、息も上がるよね。

 しばらくの間、俺たちは呼吸を整えるのに専念した。

「助けてくれたのはありがたいですけど、さっきの演説はなんですか?」

 寮内のエレベーターの中で、夏咲がハンカチで汗を拭いながら聞いてきた。

「俺の心の叫びかな。……いや、魂の叫びかもしれない」

 腕を組み、ちょっとだけカッコつけて言ってみた。

「なんで、流し目でこっちを見るんですか」

 ジト目で睨まれてしまった。……あれ、これはこれで悪くないぞ。もしかしたら、俺はマゾに転生できたのかもしれない!

「ま、まぁ、なんにせよ。逃げ切れたからいいじゃん」

 言うと、夏咲は俺に背を向けた。そして、いつもより些か小さな声が彼女の背中から聞こえてくる。

「そ、そうですね。……ていうか、あの人たちには、私と楓くんが……その……付き合っているように見えたんでしょうか」

「どうだろうね。付き合っているように見えたんじゃないかな」

 俺が言ったところで、エレベーターは五階に到着した。重たい鉄の扉が開かれ、俺たちはエレベーターから降りた。

 夏咲は家の扉の前に立つと、ため息混じりに口にする。

「もし本当に付き合っているように見えたなら、……迷惑な話ですね」

「ひどっ!」

「嘘ですよ」

 そう言うと、彼女はいつになくにこやかな笑顔で頭を下げた。

「今日はありがとうございました。では」

「え、あ、うん」

 不意のことで満足に返答出来なかった。いつもなら、不満そうな顔でさらに辛辣なセリフを吐いてくるのに、今日はどうしたんだろう? 

 ホント、不思議だね。


 こんにちは、水崎綾人です。

 今回でタイトル回収です。

 また次回。

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