第17話「ああ。よろしく頼むよ」
一週間後の昼休み。夏咲空乃は職員室に呼び出されていた。
目の前には、椅子に座った担任教師、高島美帆がいる。
「どうやら。小野宮は完全にひきこもりに戻ってしまったみたいだな」
小さく息を吐き、高島先生がどこか悲しそうな表情を作る。
「そう……みたいですね。深月さんもまだ学校に来ようとしてくれません」
小さく俯きながら、弱々しく発する空乃。
あの日以降、楓が学校に来なくなってから今日で三週間目だ。深月も同じく三週間学校に来ていない。毎日欠かさず説得をしているのだが、効果はまったくといって無い。
空乃のそんな姿を見て、高島先生は腕を組んだ。
「そうか。深月もか。ふむ……」
高島先生も生徒会長である深月が、これほどまで長い期間閉じこもるとは思っていなかったのだろう。
「なんとかして、小野宮と深月を学校に連れ戻せないものか……」
うーん、と唸り声を上げ、椅子の背もたれに深く寄りかかった。
そんな高島先生を見てふと、空乃は考えてしまう。
――なぜ、高島先生はこんなにも楓くんのことを学校に来させようとするのだろう。
生徒会長である深月を学校に来させようとするのは、至極当然のことだろう。しかし、ひきこもり生活通算一年と三ヶ月を自慢げに話し、ギャルゲーばかりしている少年のことを高島先生はどうして、そこまでして学校に来させたいのかわからない。
空乃自身、楓に対してそこまで悪い印象は持っていない。鈴原友美の一件では、楓は自分の体を張って『一番傷つかない方法』というのを実現した。良いところを探せば、少しは見つかるのだが、そこまでして高島先生が楓にこだわる理由というのが思いつかない。
気づいたら口は動いていた。
「あのっ……」
「ビックリした。どうした? 夏咲」
高島先生は体をビクッと反応させ、視線を空乃に合わせる。
「き、聞きたいことが」
「聞きたいこと? なにかな」
空乃は言い出しにくそうに顔を歪ませ、微かに感情的な語気になる。
「先生は……高島先生はどうして、そこまでして楓くんを学校に来させようとするんですか?」
「な、なんだ、いきなり」
「生徒会長の深月さんを連れ戻そうとするのはわかります。でも、楓くんみたいに一年以上もひきこもっている生徒なら、普通の先生は見限ったりするんじゃないですか? それなのに……どうして」
高島先生は短く息を吐き、そして微かに笑った。
「どうして、小野宮を学校に来させたいか、か……。そうだな……。それは、小野宮が可哀想な奴だから、かな?」
「可哀想?」
「ああ。キミはどうして小野宮がひきこもっていたか、理由を知っているかい?」
「……はい。親友と喧嘩したとかで」
空乃は初めて楓の自宅に行った日のことを思い出した。あの時、何気ない会話の中で楓に質問したことがあるのだ。
なぜ、ひきこもっているのか、と。
「そうだ。小野宮がひきこもる原因となったのは、親友との喧嘩だ。私も喧嘩の原因までは知らないんだがな。その当時、それはもう小野宮の落ち込み具合が酷くてな。……いや、もしかしたら、あれは落ち込んでいたのではなく、絶望していたのかもしれん。まぁ、なんにせよ、相当なショックを受けていたんだ。出張中のご両親に代わって、当時高校三年生だったお姉さんが間に入ってくれて、なんとか面会だけはできていた。しかしな、面会をしたらしたで、一言も会話をしない日もあった。顔はやつれ、目は涙で赤く腫れていた。それくらい酷い状態だったんだ。ほどなくして、喧嘩した親友は転校、小野宮は完全にひきこもりになった」
足を組み直し、どこか虚空を見つめる高島先生。その顔は、まるでその当時の楓を哀れんでいるようにも見える。
「今みたいに元気になったのは、その親友が転校してから半年後くらいだったかな。私からの電話も五回に一回くらいは出てくれるようになったんだよ。今では電話をすれば、五コール以内にちゃんと出るまで成長したがな」
ははは、と笑ってから、高島先生は再び視線を空乃に向ける。
「ゆっくりだが、小野宮は確実に立ち直りかけている。私はそのチャンスを逃したくない。……恐らく、彼は自分がこれ以上傷つかないために、ひきこもっていたんだと思う。だから、彼はなにも得ようとしない。失った時のことが怖いから。最初から自分の殻に閉じこもっていれば、たとえ孤独でも自らの身を守れると思っているんだ。私にはそんな小野宮が酷く悲しく思えてな……。とても可哀想に見えるんだ。だから、彼にはひきこもっていて欲しくない。また昔みたいに笑って登校してきて欲しいんだ。これが、私が小野宮をまた学校に来させたいと思っている理由だよ。ついでに言うと、私が今年も小野宮の担任をやっている理由でもある」
言い終わったあと、高島先生は少し照れくさそうに笑い、頬をポリポリと人差し指で掻いた。
「まぁ、そんなことを言っていても、結局、小野宮はまたひきこもりに戻ってしまったようだがな」
照れくさそうな笑いは、自嘲的な笑みへと変わった。しかし、それでいて、彼女の笑顔はどこかスッキリとしている。
「そう……なのですか……」
楓の過去と高島先生の決意を聞いて、空乃はいてもたってもいられてなくなった。
そもそも、楓をひきこもりから脱却させることが目的だというのに、楓を再びひきこもりに戻している。それに、深月のこともまだ問題を解決できていない。
口ではひきこもることを否定したが、楓のようにひきこもることで傷が癒えるのも事実。自分の無力さを痛いほど思い知らされる。
「先生」
空乃の真剣な声音を察したのか、高島先生も真面目な顔つきになる。
「どうした?」
自分が無力なら、どうしたらいいのか。空乃は自分に問うてみた。
そして、一つの結論を出す。
「私、頑張ってみようと思います。元々、先生から頼まれたのは、楓くんを学校に来るようにさせることですし。今のままでは、納得いきません。それに……楓くんは、ああ見えて結構良い人ですし」
短い時間だが、空乃はより近い距離で楓と接してきた。だからわかることがある。
いつもは、変なことを言ってふざけているひきこもりの少年だが、誰かを助けたいと思ったり、誰かのことを考えたりしているときは、決まって素の自分が出ている。
楓の言葉が心の中に響く。
――もし学校に来ても解決しなかったら?
――もっと心の傷が大きくなったら?
――ひきこもっていれば、これ以上、傷つくことはないんだ!
空乃は、そんな楓を本当の意味で学校に来させたいと思った。
彼自身が自ら望んで学校に来られるようにしてあげたいと思った。
空乃の決意を聞いた高島先生は、一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに優しく微笑した。
「ああ。よろしく頼むよ」
こんにちは、水崎綾人です。
今回は空乃視点です。いかがでしたでしょうか。
では、また次回。