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第1話「とってもハートフルなひきこもり」

『まったく、キミはいつまでひきこもっているつもりだい?』

 電話越しに担任教師、高島美帆(たかしまみほ)の声が響く。

「いつまででしょうかね。自分にもわかりません。あははは……」

 それに対して適当に返事を返す俺、小野宮楓(おのみやかえで)

 受話器の向こう側から、はぁー、という深いため息が聞こえてきた。先生、疲れてますね。

『そろそろ学校に来たくなったりしないか?』

「いや……。別にそうは思いませんけど」

 俺の返答に今度はやれやれ、と聞こえてきた。どうやら俺のせいで疲れているらしい。

『このままでは、キミは青春を謳歌できずに高校を卒業してしまうことになるぞ。いや、もしかしたら高校を卒業できないかもしれないがな。はっはは』

 そんな何気ない先生の言葉に、俺は疑問を覚えた。

「先生」

『ん? どうした』

 俺の声色が変わったことが伝わったのか、先生も自然と真面目な声になった。

「青春ってなんですか」

『……なんだ、哲学か?』

「確かに、学校に行って恋愛したり、スポーツに汗を流したり、勉学に勤しんだりするのを世間では『青春』って呼ぶのはわかります。でも、俺思うんですよ……」

『う、うむ……』

 先生がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえてきた。

「毎日パソコンの前でゲームしたり、四六時中ネットサーフィンしたり、みんなが授業を受けている時間まで寝ているのも、……俺にとっての『青春』だな、って」

 そうだ。これだって青春だ。みんなが恋愛したり、スポーツしたり、真面目に勉強していたりする時間に俺だけはひとりでネットしたり、ゲームしたり、寝ていたりする。これだって青春。むしろ、世の中の学生が楽しんでいる青春とやらより楽しんでいる自信はあるよ。

『ふざけるなっ。そんなのは青春ではないぞ。そんなことを言っている暇があったら、とっとと学校に来い』

 ちょっと怒られてしまった。

「いやいや、先生。ひきこもりに『学校に来い』ってセリフは禁句でしょ~。もっと優しい言葉をかけてくださいよー」

『誰が一年以上もひきこもってる奴に優しくするかっ』

「先生。一年以上じゃなくて、一年と三ヶ月ですよ。間違えないでください!」

 見えていないことを承知で、俺は電話越しにえっへんと胸を張った。一年以上だとアバウトすぎますよ。

 それに、せっかくのひきこもりキャリアを間違われたくない。

『……あぁ、わかった。一年と三ヶ月だな。覚えておく……じゃなくてっ、今年こそは学校に来るんだぞ。そのために今年も私がキミの担任になったんだからな』

「なんだか、フラグ立ちそうなセリフですね」

 ふざけたように先生に言った。

『そんなフラグなんぞ、この手で捻り潰すまでだ。……まぁいい。こっちには考えがあるからな』

 先生の口調からは、どこか自信のようなものを感じた。それが少しばかり気になってしまう。考え、ねぇ……。

『もうじき昼休みも終わりか……。それじゃあ、今日はこの辺で失礼する』

「あ、はい。では」

 そう言うと、電話が切れ、先生との会話が終了した。俺は携帯をベッドの上に放り投げる。携帯は二、三回ベッドの上でバウンドすると、ベッドの中央に落ち着いた。

「さて……。格ゲーの続きでもしますか」

 誰に言うわけでもなくひとり呟き、テレビの前に座りコントローラーを握る。さて、始めますか。


 これが俺の日常。小野宮楓、高校二年生の日常だ。去年の六月からひきこもり、一年と三ヶ月後の九月現在もひきこもり生活は継続中。

 ひきこもりはとても楽だ。みんなが汗水流して働いたり、学校に行ったりしている時間に寝ていられるし、ネットやゲームを好きなだけできる。これぞ極上の幸せ。一度この生活に慣れてしまえば、もう二度と戻ることはできない。あー、楽しい。ひきこもりって楽しいな! 

 これが俺にとっての『青春』。

誰とわかち合うことなく、思う存分楽しめる究極の『青春』なのだ。


     ***


 そんなこんなで三時間が経過した。

 空はわずかに茜色に染まり、夕暮れの訪れを知らせている。

「そろそろ、対戦も飽きてきたな……。そんじゃ、次はネットサーフィンでもするか……」

 と、立ち上がろうとした時だった。

 ピンポーン、とインターホンの音が家中に響いた。

 お客さんか? いやいや、俺を訪ねてくるような奴はいないよ。第一、ずっとひきこもっているんだから、友達なんていない。なら誰が……。

 考えられる可能性はただ一つ。宅配便だ。

 つい先日のことだ。俺はネット通販でちょっとエロい抱き枕カバーを購入したのだ。きっとそれが届いたに違いない。あれちょっと高かったんだよね……。やっと届いたのか、ちょっとドキドキしてきたぞ。などと、思いながら階段を駆け下りる。

 玄関で立ち止まり、大きく深呼吸をしてから扉を開ける。

 瞬間、俺は目の前の状況を理解できなかった。

 今、俺の目の前にいる人物は、通販の荷物を届けに来た宅配便の人ではなく、俺が籍を置いている高校の制服を着た人物だったのだ。それも女子。女の子だ。

 肩を少し越えるくらいの黒髪を後ろで一つに束ね、陶器のように白い肌の少女が目の前にいる。

 えっと……。いつから宅配便のお姉さんは俺の高校の制服を着るようになったんだろう? ……あ。もしかしたら、新しい作業着が俺の高校の女子の制服に近いデザインになったのかな? いや、それにしても似てるというか……。むしろ同じデザインというか……。

「……あの」

 俺の思考を遮るように、目の前にいる少女が口を開いた。その目はどこまでも冷たく、完全に俺のことを蔑んでいるように見える。

「は、はい……」

「あなたが……小野宮楓くんですか?」

 鈴の音のような綺麗な声でそう言った彼女は、俺の返答を求めるように小さく首を傾ける。

「あ、お、うん。俺が小野宮楓だけど……」

「私、高島先生に言われてきました、夏咲――って、立ち話もなんなので、中に入って話してもいいですか? ちょっと暑いですし」

 自ら言葉を遮り、彼女は暑そうに制服の胸元をパタパタとあおぎ始めた。

「あ、そうだね。立ち話も――それって、俺のセリフじゃない?」

 なんだこの子。今まで出会ってきた子とはちょっと違うタイプ……? と言っても、ここ最近出会った女子なんていないけどね。だって、ひきこもってるからっ!

 言うと、彼女はおじゃまします、と言って我が家へ上がり込んできた。

 家の中に入れたけれど、さすがに玄関で話すというわけにもいかないので、とりあえず自室に招くことにした。

「さ、ここが俺の部屋。入って」

「エアコンが効いてて気持ちがいいですね」

 ぐるっと辺りを見渡した後、少女は部屋の中央に置いてあるテーブルのすぐ近くに腰を下ろした。しかも正座だ。礼儀正しいね。

 そんなことを思いながら、少女の正面に座ろうと移動した時だった。

「私は麦茶でいいですよ」

「へ?」

「飲み物は麦茶でいいです」

「あ、飲み物ね。なるほど」

 そうだよね、客人には飲み物の一つでも出すのが礼儀だよね。でも、まさか客人の方から麦茶出せ、と言われるとは思ってなかったよ。

 とりあえず、俺は部屋から出てキッチンに向かった。戸棚からコップを二つ取り出し、麦茶を注ぐ。そして、注ぎ終わった麦茶を部屋で待つ少女へ差し出した。

「ありがとうございます」

 少女はすぐさま差し出された麦茶を一口だけ飲んだ。

 続いて俺も麦茶を一口飲む。九月と言ってもやっぱりまだちょっと暑いからね。麦茶がめっちゃ合う。

 麦茶の余韻を楽しみながら少女の方に目を向けると、なぜかキョロキョロとしている。それに、無表情だった顔が、今ではちょっとばかり引きつっているように見える。今度はどうしたのだろうか。

 恐る恐る聞いてみる。

「ね、ねえ……どうしたの?」

「わわわ私、ひとりで男の人の家に入ってよかったんでしょうか?」

 コップを手にしたままガタガタと震えている。

 えー、自分から家に入れろって言ったじゃん……。

「そそそそれに、長い間ひきこもってる人だって聞きましたし。ひきこもってたら、きっと欲求不満で……その……あわわわわ……」

 どうやら、自分のとった行動に今になって慌てているようだ。それにしても、ひきこもりに対しての先入観がひどいな。

「いやいや、ちょっと待ってよっ! そんなことしないよ。世の中のひきこもりはみんなハートフルだよ。慈愛に満ちているんだよ」

「……え?」

 ものすごい疑いの眼差しを向けられた。

「……信じていないようだね。でも大丈夫。とりあえず、俺は安全なご帰宅を保証するよ」

 ポン、と自らの薄い胸板を力強く叩いた。ちょっと痛い。

「ホントですか?」

「ホントだよ」

「……良かったです。とりあえず安心しました」

 ほっと胸をなでおろし、さっきまでの引きつった表情から一変して無表情に戻ってしまった。どうやら、ひきこもり少年である俺の家にひとりで入ったことが、よっぽど怖かったらしい。そこまで怖がられるのは心外だな。ひきこもりは優しいんだぞ。そして、とっても紳士なのである。

 おっとそうだ。俺もこの子に聞きたいことがあったんだ。

「そういえば、キミは誰?」

 俺には女の子の知り合いなんていなかったはず。少なくとも三次元には。

 言うと、少女は居住まいを正し、口を開く。

「私は夏咲空乃(なつさきそらの)といいます。高島先生から言われて来ました」

 もしかして、先生の言っていた考えってこれか?

 夏咲は淡々と続ける。

「楓くんはひきこもっているんですよね?」

 俺を見る瞳には曇りなんてものはない。まさに純粋な瞳とでも言うべきか。

「ま、まあね。そうだよ。一年と三ヶ月くらいひきこもっているよ」

 一応胸を張っておく。

「そうですか。別にどれくらいひきこもっているかには興味はありません。ですので、単刀直入に言いますね」

 俺の言葉は簡単にスルーされ、夏咲の瞳がまっすぐ俺のことを捉える。その真剣そうな顔から、次に発する言葉が冗談ではないことを物語っているように思えた。

 極めて事務的に彼女は言い放つ。

「明日から学校に来てください」

 予想はしていた。高島先生が夏咲をよこしたということは、つまりは俺を学校に行かせるように説得しに来たということだ。だが、俺は屈しないっ! この極楽な生活を手放したくはない!

 俺は即答する。

「断るっ!」

「なぜですか?」

 特に感情が込められていない声が返ってきた。

「ひきこもりにひきこもってる理由を聞くのはいかがなものか」

「教えてください。あ。あと、麦茶のおかわりもお願いします」

 お願いされたのでしかたがない。そんなに隠しておくことでもないしね。とりあえず、夏咲のコップに麦茶のおかわりを注いであげる。

「ひきこもる奴の理由ってのは、案外簡単なんだよ。俺の場合は親友との喧嘩かな」

「楓くんに友達がいたんですか」

 目を丸く見開く夏咲。

「な、なんだ、その俺に友達がいたことが意外そうに聞こえる発言は?」

 夏咲は俺からコップを受け取ると、そっと顔を俯けた。

「ちょっと……いや、かなり意外でしたので。ひきこもりにも友達はいるんですね」

 なんだか釈然としないな。そんなに友達いないように見えるの、俺って。

「では、親友との喧嘩のせいで学校には行きたくないと?」

「まぁ、そういうことになるね」

 特に否定することもせず、すんなり頷いた。ずっと親友だと思っていた奴との喧嘩が原因で俺はひきこもりになったのだ。周りの連中からすれば、たいしたことがない理由かもしれないけど、当時の俺にとっては結構な心の傷だったのだ。

「あ。もしかして、俺を学校に行かせるために、元親友と仲直りをさせたりするの?」

「いえ、それは無理です。というか、そこまでしたくありません。ていうか、楓くんはその元親友とは仲直りしたいんですか?」

「いや、全然」

 だって、仲直りしちゃったらひきこもる理由がなくなっちゃうもん。ただのズル休みだよ、それ。

「ですよね、聞くまでもありませんでしたよ」

 コップに入った麦茶を夏咲は一気に飲み干し、コンッと音を立ててテーブルの上に力強く置いた。

「でも、明日からは学校に来てもらいます」

「なんでそこまで学校に行かせたがるのさ?」

「さあ? それは高島先生に聞いてください。私はただ頼まれただけなので」

 なんとも事務的に答える夏咲。

 だが、このひきこもりマエストロである俺がそう簡単に学校に行くかな?

「そもそも、ご家族は楓くんがひきこもっているのをどう思ってるんですか? 家族と一緒に暮らしてるのに、なにも言われないんですか?」

「いや、俺の父さん北海道に出張で二年くらい家空けているんだよ。母さんも札幌ラーメンが食べたいとかで、一緒に行っちゃったし。姉ちゃんは大学生で、一人暮らししてるから帰ってこないんだ」

「つまり、今この家には楓くんひとりしか住んでいないと?」

「そういうことになるね」

 笑顔で言うと、夏咲は自らの両腕を抱き抱え、身を縮めた。またもブルブルと身震いしている。

「身の危険を感じます。ややややっぱり、男子の家にひとりで来るのは軽率過ぎました……」

「だから、なにもしないってっ!」

 そんなに卑猥な目で見てないよ。ぜ、全然見てないんだからねっ! そのわずかに膨らんでる胸とか見てないからっ! 

「ひきこもりはみんなそう言います」

「今までどのくらいの数のひきこもりを見てきたんだよっ!」

 さっきも言ったとおり、ひきこもりは慈愛に満ちていて、とてもハートフルなんだ。女の子に手を出すことなんてないよ。

 少しすると、夏咲は落ち着きを取り戻したようで、再び居住まいを正す。

「すみません、取り乱しました」

「いやいや、大丈夫だよ」

 なんだか少し慣れてきたよ。

「では、本題に戻しますが、明日から学校に登校してもらいます。楓くん」

 いたって真面目な顔つきで夏咲が俺のことを見る。

「ですので、明日午前七時三〇分頃に迎えに来ますね」

 俺は夏咲の言葉に耳を疑った。迎えに来る? 聞き間違いかな?

「あ、ごめん。もう一回言ってくれる? ちょっと聞こえなかったよ」

「え、あ、そうですか」

 なぜか少し顔を赤らめる夏咲。咳払いをし、もう一度その言葉を発する。

「明日七時三〇分頃に迎えに来ます」

 聞き間違いではなかったようだ。

「えっと……誰を?」

 聞くと、彼女の細い指先がピンと俺のことを指した。振り返っても誰もいない。と、言うことは、俺のことを迎えに来るということらしい。

「ちょっと待ってよ。七時三〇分? 寝てるよ! 基本的に一二時くらいに来てもらわないと寝てるから!」

「九時から授業が始まるというのに、一二時まで寝てるとは、なんて羨ま――じゃなくて、怠惰な生活を」

「あれ、今羨ましいって言おうとしたよね? ね?」

 無表情な夏咲が徐々に恥ずかしそうな顔に変わっていき、頬が微かにピンク色に染まっていく。どうやら夏咲はただ無愛想なだけで、しっかりと感情はあるらしい。

「言ってないです。ずっとひきこもってたから幻聴でも聞こえたんじゃないですか?」

 ぷいっと俺から顔を逸らし、視線は右下を向いたまま固定された。

「と、とにかく、明日七時三〇分頃に迎えに来ますから、ちゃんと準備はしてくださいね」

「い、いや、でも……」

「『でも』じゃないです。とにかく迎えに来ますから、そのつもりで。それじゃあ、私はこの辺で失礼します。あと、麦茶ご馳走様でした」

 そう言うと、夏咲は立ち上がった。ずっと正座していたせいか、足がプルプルと震えているが、そこはそっとしておいてあげよう。ひきこもりはとっても紳士なのだ。


 夏咲が去り、我が家にはいつもどおりの平穏な空気が流れ始めた。誰もいない、静かな時間。そんな時間がたまらなく好きだ。だが――。

 毎日が休日だった俺の日常が崩れていく、そんな気がした。


 お久しぶりです、水崎綾人です。

 一人でも多くの皆さんに読んでもらって、少しでも笑っていただけたら幸いです。

 それでは、また次回。

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