初めて芽生えた気持ち
「おはよう、愛華ちゃん」
「おはよう、ゆりかちゃん」
月曜日。中等部女子寮の談話室で愛華とゆりかは会った。愛華の手には桃色の封筒がある。それは兄が昨日送って来たものだ。
「今日は早起きだね。ゆりかちゃん」
「うん。今日って私、日直の日だから。そ、それとお弁当を2人分作らないとならなかったし」
「えっ?誰かに頼まれたの?」
「そう。春樹に、ね」
「吉澤君に?」
「うん。この間の地区大会の時、秘密にお弁当を作ってあげたの。春樹には陸上部のマネージャーの先輩から渡してもらったんだけど、春樹分かってたみたいでさ」
「そうだったんだ」
「だから・・・教室で渡す約束なんだ」
「じゃあ、そろそろ校舎に行こっか」
この日は早起きしたので7時には寮を出た。まだ他の生徒たちは寮の食堂に居るのでとても静かだ。木漏れ日の漏れる並木道に2人の影が揺れる。
「この時間だと涼しくて気持ちいいね」
「そうだね。・・・ねぇ、愛華ちゃん」
「何?」
「先週の金曜日の事なんだけど・・・。放課後、お出掛けした?」
「う、うん。したけど・・・」
「その相手って・・・誰だった?」
ゆりかの質問に戸惑った愛華。あの日のお出掛けについては誰にも言わないと約束しているのだ。けれど念押しすればゆりかは口外しないので教える事にした。
「絶対に誰にも言わないでね?・・・その日、一緒に出掛けたのね・・・一之瀬先生」
「やっぱり・・・」
「えっ?」
「あのね、その話・・・私たちの担任の宮瀬先生も知ってるよ」
「えぇ!?」
「昨日、朝の自主練をしてた春樹が見かけたらしいんだけど・・・普段、教室では見せない様子で一之瀬先生に詰め寄ってたんだって」
「・・・」
「もしかしたら宮瀬先生に何か言われるかも」
「じゃあ気を付けるね」
「もう着いちゃった・・・。話してると早いね」
「うん。じゃあ愛華ちゃん、先に教室行ってて良いよ」
「えっ?」
「ほら、私、日直だから日誌と出席簿を取りに行かないとならないし・・・。教室まで行くのに遠回りになっちゃうから・・・」
「一緒に行くよ。もし配布物があったら、1人だと大変だろうし」
「そう?じゃあ一緒に行こっか」
愛華はゆりかに付いて職員室の方に向かった。日誌と出席簿が置かれたラックは職員室の裏手にあるのだ。この遠回りが愛華に良い事を運んでくる。
「あれ?愛華?」
「あっ、おはよう。東城君」
「おはよう。あれ?今日、日直なの?」
「ううん。ゆりかちゃんの手伝いで来てるの」
「愛華ちゃん。えっと・・・彼は?」
「あっ、紹介するね。2Bの東城君だよ。いっつも美味しいスイーツ作ってくれるの」
「えっと・・・愛華の友達?」
「うん。ゆりかちゃんだよ」
「は、初めまして。2年A組の雪宮ゆりかです。これからよろしくね」
「僕は2年B組の東城勇人。こちらこそよろしく、雪宮さん」
「それじゃあ私とゆりかちゃんは此処だから」
「うん。あっ、雪宮さん」
「何?」
「これ、僕が作ったスイーツなんだけど良かったら食べて」
「ありがとう」
「はい、愛華にも」
「ありがとう、東城君」
「じゃあね」
勇人と別れた愛華とゆりかは2年A組の教室に入った。まだ2人の他には誰も来ていないので教室はひっそりと静まり返っている。2人は自分の席に鞄を置いた。
「今日、初めて東城君と話したけど本当に優しい雰囲気だね」
「でしょ?そのくれたスイーツも絶対美味しいよ」
「楽しみだなぁ。何を作ってくれたんだろう?」
「開けてみようよ。誰か来ちゃったら食べられないし」
「そうだね」
2人で教室の隅に移動して、勇人から貰ったピンク色のリボンで留められた小さな袋を開けた。すると中には可愛いマカロンが2個入っていた。
「マカロンだ!」
「とっても美味しそうだね。ピンク色の方はイチゴかな?」
「そうじゃないかな?きっと茶色の方はチョコだろうね」
「早速食べようよ。これが宮瀬先生に見つかったら大変だし」
「そうだね」
2人は急ぎつつ、味わいながらマカロンを食べ始めた。基本的に優しい宮瀬先生だが、教室での間食に関してはそれはそれは厳しいのだ。なので2年A組では先生の目を盗んでお菓子を食べるのが暗黙の了解となっている。
「おっ、今日は早いな。雪宮に夢美園」
『あっ、宮瀬先生。おはようございます』
「今日の日直は・・・雪宮か。早速で悪いが、このノートを返却しておいてもらえるか?」
「はい!」
「夢美園は雪宮を手伝ってもらえるか?」
「分かりました」
「朝だと思ってたら、あっという間に昼休み・・・」
「本当だね」
この日も愛華とゆりかの2人は教室の窓辺に並んで立ち、校庭で遊ぶクラスメイトたちの姿を見ていた。2人にとって昼休みの楽しみはクラスメイトたちの姿を見る事なのだ。
「何してんだ?ゆりか」
「あっ、春樹。愛華ちゃんと外、見てるんだ」
「好きだな、外見るの」
「うん。ところで春樹はどうしたの?」
「ちょっと・・・ゆりかに話があって、さ」
「話は良いけど・・・此処で話せないの?」
「あぁ。出来れば周りの目を気にしないような場所で話したい」
「分かった。それじゃあ愛華ちゃん、ちょっと出て来るね」
「うん。行ってらっしゃい」
愛華はゆりかと春樹が教室から出て行ったのを見送ると、自分の席に戻った。そして自分の鞄に入れていた桃色の封筒を持つと、愛華は勇人のクラスである2年B組に向かった。
「あっ、麻衣」
「愛華。どうしたの?」
「あのさ、ちょっと東城君に用があるんだけど・・・。東城君、居る?」
「居る事は居るんだけど・・・。あれ、見て」
「えっ?」
愛華は従妹の麻衣に言われるまま窓辺の席を見た。すると席に座った勇人を囲む女子たちの姿を見つけた。その時、愛華は目の前が暗くなる感覚になった。
「東城君って2Bの男子の中で1番人気だからさ。休み時間になるといっつも囲まれてるんだ」
「あれって・・・毎日?」
「うん。授業のある日は基本的にあんな感じ」
「そうなんだ・・・」
「でも愛華は東城君に用があるんでしょ?なら呼ぼうか?」
「ま、待って。麻衣」
勇人を呼ぼうとした麻衣を止めた愛華。ああやって女子に囲まれた勇人の姿を見た後では普通に接しられないと判断したのだ。
「どうかした?」
「何だか楽しそうだし呼ばなくて良いよ」
「えっ?でも用があるんじゃ・・・」
「私のは大した用じゃないから。別に放課後だって良いんだし」
「そう?・・・じゃあ愛華が来てたって東城君に伝えておくね」
「うん。それじゃ」
封筒を渡さずに教室へ戻る事にした愛華。2Bから離れる時、一瞬だけ勇人と目が合ったような気がしたが愛華はそのまま2Aの教室へと戻った。
「(愛華・・・?)」
「はぁ・・・」
昼休み以降、愛華の口から出るのはため息ばかりになった。もちろん誰もが大丈夫か尋ねた。しかし愛華は決まって平気だと気丈に答えていたのだ。
「愛華ちゃん」
「ゆりかちゃん。どうしたの?」
「どうしたのって言うか・・・愛華ちゃんこそ大丈夫?昼休み終わってからずっとため息吐いてるよ?」
「大丈夫だよ」
「そう?何かあったら直ぐ言ってね。力になるから」
「ありがとう」
帰りのホームルーム後、愛華は日直であるゆりかの手伝いで黒板を綺麗にしていた。ゆりかからの言葉に本音が出そうになった愛華は儚い笑みで上手く取り繕った。
「失礼しました」
「ゆりかちゃん、これで日直の仕事は終わり?」
「うん。じゃあ帰ろうか」
「そうだね」
日直の仕事をゆりかが終えるまで待っていた愛華。もちろん先に寮へ戻っても良かったのだが、1人で居ると昼休みに見た事を思い出してしまいそうで不安だったのだ。そんな愛華の心境を理解してか、ゆりかも何も言わず一緒に居た。
「日誌、すぐに宮瀬先生、受け取ってくれた?」
「うん。今日は数学なかったからね」
「そっか」
「でも宮瀬先生、愛華ちゃんのこと心配してたよ」
「先生が・・・?」
「うん。帰りのホームルームの間、ずっと上の空だったからどうしたんだろうって。でも先生よりクラスメイトの方が話しやすいだろうから、私に聞いてやれって言ってた」
「・・・」
「私で良ければ力になるから。何があったのか教えて」
ゆりかの言葉に少し戸惑った愛華。今の自分の気持ちを何と表現すれば良いのか分からないのだ。けれど黙ったままでは心配させてしまう。そこで昼休みに見たものと、今の気持ちを打ち明けた。
「そうだったんだ」
「うん。東城君が人気者なのは知ってたんだけど・・・」
「実際に見ると複雑?」
「そうだね」
「多分だけど・・・愛華ちゃん、ヤキモチ焼いちゃったんじゃないかな?」
「えっ?」
「ほら、東城君と同じクラスじゃないでしょ?でも同じクラスの子だったり、東城君と同じ部の子はよく話せる。それでヤキモチ焼いちゃったんだよ」
「そっか・・・」
ゆりかに打ち明けたお陰で沈んでいた気持ちの理由が分かった愛華。理由が分かると勇人に対して申し訳ない気持ちになった。きっと勇人を困らせてしまっただろう。
「ねぇ、ゆりかちゃん。私、どうしよう・・・」
「ん?」
「昼休み、2Bに行ったとき東城君には何も合図しなかったの。私が2Aに戻ろうとした時、一瞬だけ目が合ったような気がして・・・」
「東城君は気付いてたんだね」
「どうしたら良いんだろう・・・?」
「もし分かるならだけどメールしてあげたら?」
「そうだね。そうしてみる」