少年少女イヌゾリ部隊
キャスバルとジラフが王宮にエスティバル地方の現状報告を書面にしたため、必要な物を請求した手紙を届けさせた。その日のうちに王子の側近たちは、各地の視察に出た。
執行官が全権委任状を持っているアービング候爵家とフロレンシア子爵家の領地および、ラブロニ候爵とロベーナ侯爵の領地にはジラフの部下が向かい、ウェルヘル子爵、ハイデン男爵、サラン男爵の領地および国境警備隊のところには、王子の側近たちが向かった。
◆
ジラフの部下たちは、自らイヌゾリを操れるが、王子の側近たちには無理である。そこでジラフは、城内にいる子供たちに声をかけた。
「せっかく王子様が来たんでな、ここらあたりを見てもらおうかと思うんだ……それで、イヌゾリ部隊を結成したいわけだが、志願者はいるか?」
子供たちはお互いの顔を輝かせて、どうする?どうしようか?と話し合い始めた。
一人の少年が手をあげた。
「ジラフ様、国境警備隊までは僕らじゃ五日はかかります。ラーニャが適任だよ」
「そうだ。ラーニャならきっと五日もかからないよね」
口々にラーニャの名が挙がっているが、本人の姿が見えない。
「ラーニャは?」
「今日は犬たちのところだよ。リスタルとミーシャと三人で部屋掃除してる」
「そういえば、三人は去年のレースでトップスリーだったな」
ジラフがそういうと、自分たちの事のように誇らしげにそうだよっと言った。
「そうか、それじゃあ、申し訳ないが誰か三人を呼んできてくれ。掃除も代わってやってくれるか?」
十歳くらいの子どもたちが、喜び勇んで部屋を出て行った。そのあとを追いかけるように、幼子たちも部屋を出ていく。
部屋に残っているのは、十二歳から十五歳の少年少女である。
「ラーニャにリスタルにミーシャ……あと二人必要だな」
「ジラフ様、それはあたしたちで決めてもいい?」
ジラフはにこりと笑う。
「そうだな。イヌゾリ隊の結成は君たちに任せよう。必要なものは?」
ほっそりとした少年がおずおずと言う。
「えっと、地図をかしてください。ルートを決めなきゃ」
「道具と食糧の量も決めなきゃね」
「橇の大きさも考えないと、大人を一人連れて行かなきゃいけないし……」
「何頭立てかも決めないと」
「犬たちの体調もみてあげないといけないわ」
子供たちはそれぞれ意見を出し始めた。
(まったく、頼もしい子供たちだ)
ジラフは彼らに優しいまなざしを向けると部屋をでた。頼まれた地図を執務室に取りに戻ると、王子たちはこの地域についての書物を開いてあれやこれやと話をしている。ジラフは軽く苦笑を浮かべて言った。
「百聞は一見にしかず。今、イヌゾリ部隊を用意しているから、それぞれ問題の領地を見てくればいい。その方が、何が必要かよくわかるだろう?」
「それは、もちろんなんだが……」
キャスバルは、書物に釘づけになっている。言葉の続きは、経済学者のタリス・ブレアが発した。
「おおむね、今、必要なものは食糧と寒さをしのぐための薪です。ただ、その後、継続できる産業についても考えておかないといけないと思いまして……」
「産業か……」
「ええ、それがあれば農業以外で収入が得られます。領主の失態は王がいかようにも処罰されるでしょうが、根本的に民が飢えない、あるいは集落ごとに貯えられる方法も考えねばならないとおっしゃいまして……」
タリスは、書物をあれこれとひっくり返すキャスバルをみて、苦笑する。
「……なるほど。まあ、じゃあ諸領視察についてはこちらで適当に準備しておこう。気が済むまでここの資料をあさるのもいいさ」
タリスはありがとうございますと丁寧にお辞儀した。ジラフは、ソファーで書物と格闘するゼルダにいろいろと説明をしているロンを見た。齢は王子とかわらないか、少し下だろうと思われる。しかし、その雰囲気はまっとうな貴族の子息とは違う気がした。
「さすがに、お前さんには剣の方が楽か」
笑いながら、ゼルダに話しかけると当然だと開き直る。
「俺が最大限使い物になるのは、有事だからな」
「今も、十分有事ですよ。ゼルダ様」
ロンはくすくす笑った。
「じゃあ、言い直そう。俺が使い物になるのは荒事だ。どうだ?これでよかろう」
憮然と言い直すゼルダを見てジラフはくすくすと笑った。
「なら、お前さんはここにいるより、俺と来い。これからイヌゾリ部隊を結成するのでな。いちばん図体のでかいのが来た方があの子たちも計画を立てやすいだろう」
ゼルダは半分ほっとしたような顔で、いいだろうと立ち上がった。からかうようにロンがいってらっしゃいと言う。
ジラフは苦笑しながら、地図をもちゼルダを子どもたちのところへ連れて行った。
ざっとみて三十人ほどの少年少女がいくつかのグループに分かれて話をしていた。狭い部屋は、熱気でぬくもっているようだ。ジラフとゼルダが部屋へ入ってきても、なかなか気づく者がいない。
(遊びに夢中になっているようだな)
ゼルダはそう思いながらも、子たちの真剣な表情に笑うことはできなかった。そして、ふっと一人の少女と目が合う。銀の髪を肩の上できっちりと切りそろえ、透明度の高い海のような青い目。少女はすっと立ち上がり、二人の前へやってきてゼルダを見上げて
「この人国境にいくのね」
と言った。
「いや、まだ決まっていないが……ラーニャにはこいつが適任に見えるか?」
ジラフがそういうとラーニャは当然のように言った。
「この人、軍人だもの。よその領地偵察させても軍人目線じゃ駄目よ」
ゼルダはぎょっとした。一目で軍人、正確には元軍人だがそれを見抜かれたことはない。
(現役のころなら、いざ知らず、退役後に、それもこんな子どもに……)
言葉の出ないゼルダの隣で、ジラフは大笑いした。子どもたちは、ようやく二人の大人に目をむける。
「貴様、何笑ってやがる」
ようやくゼルダの口をでたのは、ジラフへの悪態だった。ジラフはそれを無視してラーニャに説明する。
「いや、さすがラーニャだ。確かにこいつは元軍人だ。今は近衛兵だがな。今も書面から逃げ出してきたところだ。王子の側近のなかで一番でかいから、橇や頭数の参考にはなるだろう?」
「他の人はこの人より小柄なわけね」
「そういうことだ」
ラーニャはくるりと振り返り子どもたちに言った。
「この人が一番大きい人だって。で、あたしと国境行くから」
そうすると三人ほどの少年少女が、ゼルダに駆け寄ってきて体重や身長を確認する。中には体をべたべたとさわりながら、かなり鍛えてるから大丈夫だなとつぶやく小僧にゼルダは何がだよと問い返したかったが、必要な情報を手にした子どもたちは、引き潮のようにさっと散って行った。
(なんなんだ……まるで、一個小隊みたいな動きしやがって)
ゼルダが憮然としている間に、ジラフが持ってきた地図は床にひろげられていた。
「さて、俺たちの役目は終わったぞ」
「役目ってなぁ……」
「心配すんな。ラーニャは腕利きのイヌゾリ使いだ。それに俺も今年ほどではないが大雪の年に領民をここの地下にいれたら、あの子に『みんなを殺すの?』って言われたからな」
ジラフは思いだし笑いをする。
「そりゃ……また、辛辣だな」
ゼルダはジラフの過去を思い、うまく軽口が叩けなかった。
「ラーニャは本質を見抜く……野生の勘だがな。まあ、だから犬たちの信頼は絶大だ」
ゼルダはそうかと言って少女を見た。彼女の両脇に少年が二人いた。一人は茶色の髪をして体つきもがっちりしている。もう一人は、淡い赤毛の髪に利口そうな目鼻立ちだが、少し小柄であまりラーニャと変わらない。
「あの二人は?」
「ん?ああ、茶髪がミーシャ。赤毛がリスタルだよ。去年のイヌゾリレースの三位と二位だ」
「まさか、あの小娘が一位か?」
ジラフはにやりと笑った。
◆
(……立ってるだけでやっとだなんて……不甲斐ない)
ゼルダは、橇を降りて目的地の国境警備隊隊舎を見つめる。ラーニャは一足先に隊舎へ駈け込んで行った。犬たちは、ラーニャが与えた干し肉をうまそうに食っている。
ここにたどり着くのに四日。十二頭立てで一番大きな橇に二人の人間と食糧を積んでいた。100㎏以上はある荷物。普段はラーニャ一人なら三日程度の工程だが、四日かけた。
ジラフや子どもたちの話だと大型の橇に重い荷物、そのために通常は六頭立ての犬たちを倍にした。大人が一人でそれを操るとしても国境までは六日以上かかるだろうと言っていた。
つまり、ラーニャは特殊な状況であるにも関わらず、四日で踏破したのである。
その四日間の過酷さにさすがのゼルダもまいっていた。夜に泊まる宿などなく、斜面の雪を掘って犬と一緒に中で眠る。最初は、入口が雪崩でふさがらないかと冷や冷やしたが、ラーニャは犬たちと一緒にぐっすりと眠っていた。犬たちはかなり大型で毛足が長い。この地方では【狼犬】とも呼ばれ、どの家にも最低四頭は飼われているという。
ラーニャは休憩や眠るとき、十二匹の犬から一匹を選びだして頭をなでながら頼むねと笑いかける。そうすると犬は大きな口でワンと一言こたえてから、ずっと耳を注意深く動かし、鼻をひくつかせながら、まるで見張りをしているようだった。
(いや、あれは見張りだったんだろう)
目的地についた犬たちは干し肉を食べた後、ごろごろ身を寄せ合ってくつろいでいる。安心しきった様子で。
ゼルダがぼんやりと犬たちを見ていると、ざわざわと陽気な声が聞こえ始めた。振り返るとラーニャの後ろに数人の兵士と懐かしい男の顔があった。男はやたらと愛想よく駆け寄ってきた。
「オーフェン大尉!おひさしぶりです!」
「……お前なんか性格変わったか?」
男はまさかと昔のように冷やかな口調でささやいた。
「あんた、動けないんでしょう?ほら、肩組んで笑う」
密やかにゼルダに命令する。
(ああ、ばれてるか……)
ゼルダは男の肩に手を回し、久しぶりだなと笑顔を作った。
「隊長?そちらの方は?」
「私のもと上官殿だ。いろいろ世話になってね」
そう言いながら、ゼルダを支えて執務室に向う。彼は現在国境警備隊エスティバル隊隊長のクリス・ロード大尉だった。その二人の背中を呆然と兵士たちは見送る。
「どうしたの?荷物運んでくれないの」
ラーニャにそう言われて兵士たちは、はっと我に返り橇から荷物を下ろす。
「びびったぁ」
「だよなぁ」
「あんな上機嫌な隊長みたことねぇよ」
「天変地異の前触れか?」
ぶつぶつといいながら、荷物を運び、ラーニャが犬たちのハーネスを外して自由にしてやると、犬好きたちが橇やハーネスを手にしてラーニャと犬たちを隊舎の一室に連れて行った。
そこには床に古びた毛布が敷いてあり、壊れたソファーも置いてあった。
ラーニャはそのソファーにちょこんと座る。二匹の犬がその側でくつろぐ。
「ラーニャ、もうすぐラスが温かい物もってくっからな」
ラーニャがうんとうなずくのをみて、兵士たちは部屋を出た。
執務室に入ったゼルダは、ソファーに沈み込む。クリスは簡易コンロに火をつけて湯をわかす。
「軍部の支給は滞っているって聞いたが?」
「ええ、滞るどころか、エスティバル地域の領地から徴収しろだと言われましたよ。一応、命令通り各領地へ支援の要請をしましたが、やはりどこも余裕がない。食料はジラフ殿ができるかぎり支援するといって定期てきにラーニャをよこしてくれます。コンロのアルコールは、アービング候爵家とフロレンシア子爵家から分けていただいています」
「他の領地からは?」
「ハイデン男爵とサラン男爵のところからは、お断りの返事をいただきました。執行官は心から支援できないことをわびてくれましたよ」
「残りは?」
「返事なしです。まあ、この状況ですからね。仕方ないですよ」
そう言いながら、クリスはコンロの火を消して鉄のカップにコーヒーを淹れた。ゼルダはそれを受け取り、ため息をつく。
「アホどもが……」
そうつぶやくとクリスはじろりとゼルダを睨んでいう。
「あんたが上に行かずに、王子付になんかなるからでしょうが」
「うわぁ、俺のせいかよ」
ゼルダは苦笑する。
「半分はね。まあ、あんたに事務処理は無理なのはわかってますけどね」
そう言いながら、クリスは床に胡坐をかいてコーヒーを啜った。警備隊の現状は、一日一食。警備はこまめに交代と休息を繰り返し、体力の温存を図っていた。
「幸い、うちの料理人三人は腕がいい。おかげで、士気は安定しています。この状況で飯がまずけれ、内乱くらい起こるところですよ」
「300人分を三人で作ってるのか?」
「それも材料が少ないのに、料理のレパートリーが多い。特に一番若いラスは、とことん材料を使う方法を考えるし、ネルグは山林から食える植物を調達してくる。最年長のブリュラも近くの川で魚を調達してくる。おかげで、食事にケチつける奴はいないし、空腹に耐えられない奴はこっそり調理場へ行くこともみんなお互いに目をつぶってますよ」
ゼルダはなるほどと思いながら、コーヒーを啜った。その日、ゼルダはラーニャとともに兵士たちと同じ食事をとった。ラーニャは自分の分はちゃんともってきたと、主張したがラスは頑張ったご褒美だから食えよと頭をなでる。思ったより華奢な青年のラスは茶髪に琥珀の目をしていて、ラーニャとは似ていないが兄だとクリスが教えてくれた。ゼルダは具だくさんのスープと焼きたてのパンに驚いた。とても食糧事情が悪い部隊の食事とはおもえないほど、うまかった。
(なるほど、これに文句をつけるようならクリスがさっさと追い出すだろうな)
その晩は、クリスが自分のベッドをゼルダに貸してくれたおかげでぐっすりと眠ったが、翌朝、荷物の分だけ軽くなった橇は行き以上の殺人的ペースで王領へと戻った。