魔女は微笑む
アンダーソン家は、新年から新しいお客様を迎えている。
リム・リリアンという商家のお嬢さん。とは、もちろん表向きで、彼女はリリア・クロム男爵令嬢である。
義母レインと姉たちが帰ってくる前に、ソフィはリリアの素性を隠すためのちょっとした策を弄した。まず、リリアの名前を変え、長く美しい金髪の髪を三つ編みにし、とある商家の娘ということで質素な服をあつらえた。そして、父・ジリオンの徒弟として商売について住み込みで学ぶことになったことを、義母と姉たちに説明した。
「あらそう、お部屋はどこを使っていただいてるの」
レインはあでやかな微笑みを浮かべる。
「あたしの隣の部屋ですわ。お義母さま」
ソフィアも負けず劣らず、にこやかにほほ笑む。
「あなたの隣?あそこは鍵がなくて開かなかったんじゃなくて?」
「お父様が鍵の場所を思い出したの。何か問題かしら?」
「いいえ、別に……」
ソフィアの隣の部屋とは、もともと彼女の母であるアリアの部屋でレインたちが越してきたときから、鍵はソフィアがもっていた。だが、レインたちに触られるのは我慢がならないので、鍵がない開かずの間としておいたのだ。
「それより、リリアンさん。何かご不自由はありませんこと?」
「いえ、大丈夫です。ソフィアさんがよくしてくださいますので」
リリアはぎこちなく微笑んだ。
「ご滞在はいつまで?」
「今年の年末です」
「そう、どうぞ私たちにも遠慮なさらずに、お家で過ごすようになさい」
「ありがとうございます」
リリアは必死で微笑む。レインも微笑んでいるが目が笑っていない。
「さあ、そういうわけですから、お姉さま方も彼女のお勉強の邪魔はなさらないでね」
ソフィアは二人の姉をみて釘をさす。
余計な詮索をするなという言葉を含ませた一言だが、他人の噂が大好きな姉たちである。
理解したかどうかは謎だ。
「いやぁね。お勉強に来ているお客様の邪魔なんかしないわ。あなたこそ、邪魔しないようにしさいよ」
「もちろんです。リムさんのお世話はあたしが父に任されましたから」
あっそうと二人の姉はそっけなくソフィアに返事しながら、ちらちらとリリアを観察している。
(あまり、興味を持たないでくれるといいんだけどなぁ)
ソフィアは軽くため息をはいて、夕飯の準備をしますからとリリアを連れて行こうとした。
「あら、お客様をどこに連れて行くつもり?」
姉たちがじろりとソフィアを睨む。
「花嫁修業もなさりたいとのことなので、お台所仕事などを見学していただくだけですよ。それが何か?」
「いいえ、それなら失礼のないようにしなさい」
「ええ、お気遣いありがとう。お姉さま」
ソフィアはにこりと笑い、リリアの手をとって台所に入った。
リリアは心配そうにソフィアにたずねた。
「あの、なんだか私迷惑かけてますよね」
ソフィアはくすくす笑う。
「あんなの。日常よ。あたしは彼女たちの存在を利用してるの。向こうもね。少なくとも母親であるレインさんは、そのあたりは理解してると思うわ。姉さまたちは、貧しい生活から一気に華やかな生活ができるようになって見栄ばかりはってるけれどね。今は、お互いさまなの。だから、リリア……じゃなかった。リムは心配しなくて大丈夫よ。でも、家事をやりたいって本気?」
リリアは、はいと返事した。
「私は自分のことは自分でできるようになりたいのです。ご迷惑かもしれませんが、お願いします。ソフィアさん」
「ソフィでいいってば。いい心構えだわ。何事も知っていることは大事なことだもの。学べるものはどんなことでも学べばいいって、あたしの母の口癖。今日は、とりあえず、作業をよく見ていてね。わからないことがあったら、どんどん聞いて。わたしができることは全部おしえてあげる」
ソフィアは楽しそうに微笑んだ。
リリアもうれしそうに微笑み返す。
リリアがアンダーソン家で過ごすようになって3か月が経った。
最初はソフィアの家事を見て、いろいろと質問をしていたリリアは、少しずつソフィアの手伝いができるようになった。
心の中では、父の消息が気になっていたが、今はそれを口にしてはいけないとリリアは思っていたけれど、ソフィアは市場にリリアを連れて行って、ときどき世の中の噂を彼女に聞かせた。
八百屋のおじさんが、いつも来るクロム家の使用人が来なくなったと話していた。
リリアは屋敷を飛び出す前に、執事のロウが使用人たちにはいくらかのお金を渡して解雇していたのをしっている。それは父の計らいではなく、ロウの判断だった。
ロウは父が散財するなかで、自分の給与や老後のための貯えを使用人たちに渡し、それぞれに必要とあれば紹介状を書いていた。
『旦那様には御内密に』
しわがれた寂しそうな笑顔で彼が言った言葉を、彼女は思い出していた。
ソフィアは八百屋のおじさんと話していた。
「何かあったのかしらね」
「さぁなぁ。いろんな噂が飛んでて、何が本当だかなぁ」
「いろんな噂?」
「ああ、クロム男爵様はお嬢さんが行方不明になったから王宮に探してもらうよう懇願にいっていて、屋敷は空だとか。あと、変な連中が屋敷に住んでるらしいとか。しまいにゃ、ロウさんの姿もみえねぇから、なんだかわからんが大事になってんじゃねぇかとかなぁ」
「へぇ。まあ、噂は噂よね」
「おお、そのうちはっきりするだろうよ。それより、今日は何が入用だい?ソフィアちゃん」
「そうね。おじさん、今旬のお野菜ってどれだったかしら?」
「そうだな。大根だろ、ジャガイモだろ、それに葉物なら白菜だな」
「あら、じゃあ大根を一本とジャガイモは二ざる。白菜は大きいのを一つくださいな」
ソフィアはにこにこしながら、そうやって魚や肉も買った。
リリアは黙って側にいた。
心は父やロウのことが心配でいっぱいだったけれど、家に戻ったらソフィアが大丈夫よと言った。
「お父様の話だと、クロム男爵は王宮で保護されてるし、お屋敷で働いてた人たちもそれぞれ新しい仕事についてるって。問題は、警邏があなたを探してるようなの。あまり、うちから出ない方がいいかしら?でも、息が詰まるだろうし。お買い物くらいは……そうねぇ、いろいろ変装するのもおもしろいかしら」
ソフィアは楽しそうに笑った。
リリアはほっとしたして、目が熱くなった。泣くまいと我慢しようとすると、ソフィアがぎゅっと抱きしめていう。
「わたしの前では我慢したりしないでね。あなたがクロム男爵のこと心配する気持ちわかるもの。わたしもお父様に何かあったら、泣くわ」
リリアは声を殺して泣いた。
そんなある日のことだった。
ソフィアは真夜中に窓辺に座って月を見ていた。
薄いナイフのような月。
(今のところは、問題はないわね。姉さんたちも、リリアより王子様の話題で大忙しだし。お父様もちゃんとリリアの勉強を見る時間を作ってくれてるから……うん。今のところは大丈夫よね)
それでも、ソフィアの中で少しずつ不安な感じが広がっていく。
なんだろうかとソフィアは、考えてみるが答えは出てこない。
「そりゃ、不安になってあたりまえよ」
不意にベッドのあたりから女の声がして、ソフィアが振り返ると苦笑を浮かべたあの小奇麗なおばあさんがいた。
ソフィアは、大げさにため息をついてみせる。
「こんばんは、魔法使いのおばあさん。いえ、シンディ・レイラって呼んだ方がいいのかしら?」
「あら、正体ばれちゃった」
悪びれる様子もなく、シンディは肩をすくめた。
「それで?今度はわたしにどんな魔法をかけるつもりですか?」
「あなたは察しがよすぎるわね。まあ、いいけど。今日は魔法を解きにきたの」
「え?魔法はあの日に解けたんでしょ?」
「一つはね。まさか、あなたがガラスの靴を他の子に譲るとは思ってなかったから。ねぇ、王子様は魅力なかった?」
「それなりに魅力的でしたよ。でも、世の中をあまりご存じない様子だし、なによりお父様ほど素敵にはおもえなかったわ」
ソフィアは苦笑する。
「そう。だから、あの子に靴を譲ったの?」
「ええ、だってわたしと同じような体系だし、わたしより彼女の方がきっとあの王子様にはぴったりなきがしたんですもの。靴もぴったりだったし」
「それが、問題なのよね」
「どうして?」
「あれはあなたにしか履けない靴なの。他の人の足にぴったりあっても、冷たくてかたくて歩くこともできないのよね」
「じゃあ、リリアにも無理ってこと?」
「そう。だから、魔法を解きにきたの。そして、彼女に魔法をかけなくちゃいけないってわけ」
ソフィアはほっとして、やわらかに微笑んだ。
「わたしの不安はそれだったんだわ。よかった。じゃあ、リリアは幸せになれるわね」
「それは、彼女次第なんだけれど。わたくしから見ても、あの子なら大丈夫だと思ったから、こうしてやってきたってわけ」
ソフィアは首をかしげた。
「王子様のお妃になるって幸せなことじゃないの?」
「あら、あなたはわかってるんじゃなかったの?」
「何を?」
「自分が幸せだって思わなきゃ、幸せじゃないってことをよ」
ソフィアは、あっと声をあげた。
(わたしとしたことが……一番大事なリリアの気持ちを考えてなかったなんて……)
ソフィアはどうしようと気弱なつぶやきをもらすとシンディは大丈夫よと笑った。
「彼女は自分にできることを、今一生懸命やっているわ。実は王子様も今色々とこの国の問題についてたちむかってるの。そんな二人が出会えたら……不幸になると思う?」
「でも、リリアが王子様に恋をしなかったら?」
「それは、そのとき。また、違う運命の輪が回りだすわ。とにかく、魔法を解くからちょとこちらへいらっしゃいな」
シンディはソフィアを手招きした。ソフィアはおそるおそる彼女に近づく。
シンディは何事かそっとつぶやいて、ソフィアの額にキスをした。
「はい、これであなたにかけた魔法は完全に解けたわ」
「リリアの方はどうするの?彼女の意思を無視するのは、気がすすまないわ」
「だから、さっきもいったじゃない。彼女が王子様に恋をしてもしなくても大丈夫。わたくしは二人を不幸にするつもりなんてちっともないんですから。けれど、出会うきっかけは必要でしょ。ガラスの靴は恋のきっかけになるだけの力しかないのよ」
「じゃあ、リリアの意思が無視されることはないのね」
「そう、あなただってガラスの靴を履いてても王子様には恋をしなかったでしょ」
ソフィアはなるほどと納得した。
シンディはふっとつぶやく。
「問題は今年中に片が付くかしらってことなのよねぇ」
「え?なんの?」
「国の。だから、リリアと王子様にはできるだけ年末まで出会わないでもらいたいんだけど」
「それなら、大丈夫よ。彼女はわたしと父が守るもの」
「そうね。確かにあなたたち親子なら……」
シンディはふふっと優しく笑って、今夜のことは誰にも秘密よと言って消えてしまった。
ソフィアはベッドにもぐりこみ祈る。
(お母さま、わたしに力をかしてね。リリアが幸せになれるように。全力をつくすから)
そしてぐっすりとソフィアは眠った。