大公家の秘密
久しぶりに届いた甥からの手紙を見てエバンズ・ディラン大公は、頭痛を覚えた。
「あいつは嫁探しにいったんじゃなかったのか?」
「そのように伺っておりますが?」
と執事のアーサーは答えた。
エバンズは、深いため息を吐いて手紙をアーサーに見せた。アーサーは手紙を読んで、すぐに手配いたしましょうと部屋を出て行った。入れ違いに妻のラスティが入ってきて、夫の顔を見るなり苦笑する。
「なんだ?厄介ごとか?」
ラスティは、エキゾチックな美しい容姿にそぐわない口調でそういう。
「嫁さがしにいったはずのキャスバルがな。物資をよこせと言ってきた。それも北方の民が死にかけてるからだそうだ」
ラスティは豪快に笑った。
「笑いごとか?」
「いや、あの子供らしいなと思ってな」
「……あれは完全に恋愛とは無縁だな」
「そういうな。お前の可愛い甥っ子だろう?」
「俺はもう甥離れした身だ。お前こそ、俺よりアレのほうが気に入ってるんじゃないのか?」
「バカが……誰が好き好んで、国を捨ててお前のような面倒くさがりの大公などに嫁ぐ。私もほとほと男の趣味が悪い」
ラスティはくすくすと少女のように笑った。彼女はもともと敵国の将軍で、公家の令嬢だった。事情があって男として育てられ、武勇で名をはせた。この国でも、『血まみれの仮面将軍』として恐れられていたほど。
エバンズとも何度か剣を交えた仲だ。それが、なぜエバンズの妻になっているのかというと、戦中のどさくさに紛れ、二人とも味方に命を狙われたのである。そして、そのとき共闘し、ラスティはエバンズをかばって怪我をした。そのせいで、彼女が女性であることがエバンズにばれたのである。
その時、彼は彼女に言った。
『ともにここで死ぬか?それともお前、国を捨てて俺のものになるか?選べよ』と。
『あきれた男だな。我が国でも、知らぬものがないほどその武勇と知略をたたえられているエバンズ王子が……』
ラスティは結局、エバンズを選んだ。それは、彼女を暗殺しようとしたのは実の父であり、待望の男児を生んだ側室である侯爵家の娘の計略であることを知っていたから。エバンズは何をどうしたのか知らないが、ラスティは戦死し、自分は大けがで戦場に立てなくなったという嘘をまことにしてしまった。
現在、この事実を知っているのは、国王とキャスバル王子、執事のアーサーだけである。他の者は、戦争に巻き込まれたラスティがエバンズを助けて傷ついた哀れな乙女だと信じ、その結婚を反対できなかった。そして、敵国では革命が起こり、戦争どころではなくなったため、それを機に同盟を結んだのである。
「それより、ラス。お前、いつまでブーツを脱がないつもりだ?もう、十年だぞ」
ラスティは苦笑して、ドレスの裾を少し上げる。そこには無骨な軍靴が見えた。
「これでないと安心できんのだ。前にも言っただろう?子供のころからの癖だと」
「巷じゃ軍靴の大公妃なんて美しいお話になってるがなぁ…誰もそれに仕込みナイフがいくつも隠れているとは思わないのだから、俺としてはいい加減、平和慣れしてほしいもんだ」
エバンズはため息をつく。ラスティは、どんな状況であれヒールを穿かない。常に軍靴だ。そして、それは王に謁見するときでさえ、許されている。
理由は、裸足だった彼女にエバンズが穿かせてくれた大事な宝物という切ない物語がまことしやかに流布しているせいである。
「まあ、いいけどな。ところで、ちょっとこれを穿いてみないか?」
そういって、エバンズが差し出したのは美しいガラスの靴だった。
「無茶を言うな。私には小さすぎる。どうみても少女の足にしか合わぬ大きさだぞ」
「いくつぐらいの子どもなら穿けると思う?」
「せいぜい、十五六か……小柄な婦人ならそれ以上でも、穿けそうだがな。しかし、ガラスの靴など穿いたら怪我をするぞ」
「それがな。これを穿いてキャスバルと踊った姫君がいるんだよ。ちなみにこいつはガラスじゃなく高純度のクリスタルだ。そうやすやすとは割れない」
ラスティは深いため息を吐いた。
「もしかしなくても、お姫様探しも頼まれたのか?」
エバンズはにこやかに笑ってご名答と言った。
「なんでも、お姫様を見かけた連中が似顔絵を作ったのに、すべて別人の顔にしあがったらしくてな。手がかりはこれだけってことだ。兄上には自分で年内に探しだすと言ってしまったから、頼めないらしい」
「それで、こっそりお前に頼んできたわけか。相変わらず、可愛いことをする」
ラスティはくすくすと笑った。
「とりあえず、領内をまわってみないか?」
「面倒くさがりはどこへいった?」
「面倒は嫌いさ。面白いことは好きだがな。で?返事は」
ラスティはよかろうと笑った。
エバンズは不機嫌な顔でラスティと手をつないで市場を巡った。
「なぜ、そんなに不機嫌なんだ?やはり、面倒なのか?」
エバンズは小さくため息をつく。
「せっかくのデートなのに、お前ときたら……乗馬服とかなぁ。ひどいぞ」
「似合わないか?」
「似合う。似合うけどな。もっと可愛い恰好をしてほしかったよ」
ラスティは、うっすらと頬を染めてしかめ面をする。
「そういう恥ずかしいことは、屋敷で言え」
エバンズはその一言にそっと微笑む。
市場は相変わらず、活気にあふれにぎやかだ。二人の姿を目にした者は、微笑みながら会釈する。大公妃が庶民の出といわれているから、親近感がある上に大公は軍人であったにも関わらず、誰に対しても気さくに接する。年越しには、領内の中央にある広場で民といっしょに酒を呑み、踊り、歌う。楽しいことには俺もまぜろと公言してはばからない。まったく貴族らしさの欠片もないような性格が領民にはとても愛されている。そのうえ、領内で何か問題が起これば、速やかに解決するのだから、自然と敬意を集めるのも道理であろう。こうやって二人が手をつないで市場を巡るのも、そう珍しいことではない。
結婚当初は、さすがに領民も驚きのあまりどうしていいか戸惑っていたが、二年もしないうちに王族だの貴族だの領主だのという垣根をエバンズは軽々と破壊して飄々としている。一部の人間には都合が悪いらしいが、彼にとってそんな些細なことはどうでもいい話だった。
「ところで、エバンズ。どう考えてもふにおちんのだがな」
「何がだ?」
「領内にキャスバルの探す姫君がいるとは思えんぞ。よく考えてみろ。年越しに王都へ出向いたものは出領届けにサインしたはずだ。お前は市場で何を探すつもりだ?」
「まあ、確かにな。一応、届けには目を通したし、それらしい年頃の娘は数人だ」
「だったら、まず、そちらを当たるべきじゃないのか?」
「そうしたいところだが、まだ戻ってないようだし、まずはサガンに話をしてみるのもいいだろうと思ってな」
「サガンとて、同じことを言うと思うが……」
「ま、それはそれだ」
ラスティはあきれたようにため息をついた。
(ときどき我夫ながら、何を考えているのかさっぱりわからん……)
そうこうしているうちに、市場の集会所についた。サガンはおもにここで市場でのトラブルや相談事に対応している、いわゆる顔役だ。
「邪魔するよ。サガンはいるかい?」
エバンズが声をかけて集会所に入ると、五十代くらいの小柄だががっしりした体躯の男が笑顔でいらっしゃいと出迎えた。
「今日はどうなさったんで?」
サガンは二人を古びたソファーに座らせると、コーヒーを淹れながらたずねる。エバンズはにこにこしながら、特にどうということもないけどねといいながら、例のガラスの靴をテーブルに置いた。コーヒーを二人に運んできたサガンは、首をかしげる。
「何ですか?こりゃ?」
「見ての通り、ガラスの靴さ。といっても、クリスタルだがね」
サガンはエバンズの意図を測りかねたように、また、首をかしげる。ラスティは二人のやりとりを見ながら、黙ってコーヒーを飲んでいた。
「……持ち主探しですか?」
「さすがだな。そうなんだよ。実はな……」
エバンズは、ガラスの靴について簡単に説明した。
「そりゃ……また……」
サガンは小さく困ったような顔で笑った。
「けど、旦那。ここらで持ち主を探したって無駄でしょう。探すなら王都か、王都の舞踏会に出席した娘でなきゃ」
ラスティはほらみたことかとちらりとエバンズを見た。だが、エバンズはまるで気にしていない。
「サガンの言うのももっともだが、それじゃあ、面白くないだろう。せっかく、一年の猶予があるんだ。どうせなら、すぐに見つけるよりギリギリまで見つからない方がロマンチックじゃないか?」
サガンは、声をあげてそりゃそうだと笑った。
「それでだな。俺はしばらく領内を留守にしようと思うんだ」
ラスティは驚いたようにエバンズを見た。
「そりゃ、かまわねぇですよ。このあたりのことは私がちゃんと面倒みますやね。お屋敷の方はアーサーさんがいるから問題ねぇでしょうが……農地のほうはどうですかねぇ」
「村役がいるから問題ないだろう?」
サガンはちょっとだけ渋い顔をする。
「村役は去年、代替わりしたばかりですぜ。せめて補佐役が必要でしょうな」
「その人選は、サガンのほうでなんとかできないか?」
サガンは少し考えて、エバンズの依頼を承諾した。
「心当たりを何人かあたってみやしょう。それでご出発はいつごろで?」
エバンズは近いうちにと答えた。サガンはそれだけですべてを了承した。
集会所を後にした二人は、また手をつないで市場を歩く。
「まったく、何を考えてるのかと思えば……」
ラスティはため息交じりにそういうと、エバンズは別にいいだろうと答えた。
「よくないだろう?ちゃんと留守にすることは、領民に伝えておくべきだ」
「まあ、まあ、そう怒るなよ。俺がここを離れたと知れたら、またぞろ余計な企てをする奴もいるだろう?」
それは確かにそうなのだ。エバンズが滅多に領地をあけないのは、未だに王に対する逆心を持った者がいて彼を担ぎ上げようとするからであり、その逆にエバンズを葬りたがっている連中もいる。彼は貴族、特に軍の上層部で実戦経験もなくあぐらをかいている連中にとって邪魔な存在なのである。
エバンズの母親は、庶民から提督まで上り詰め、今でも伝説の英雄として語り継がれるアルテバラン・クロトワの一人娘。つまり、エバンズの母親は身分的には庶民と大差ない。例え、前王の子であっても側室で、庶民と変わりない身分の娘の子が大公であるというただそれだけの理由で、憎まれるのだから貴族というものは料簡が狭いのである。他にも理由がなくはないのだが。
ラスティはエバンズとつないでいる手に力を込めて言う。
「やはり、軍靴を脱がなくて正解だ。お前は私が守る」
「そんなに気合いれなくても大丈夫さ。だが、留守を守ると言われるよりはいいな」
エバンズはそういうとラスティの頬に口づけた。ラスティは真っ赤な顔で怒る。
「だから、そういうことは往来でするなと言っているだろう!」
エバンズはくすくすと笑いながら、悪かったと言いつつも反省する気はまったくないのは、ラスティにもわかっていた。
こうして、大公夫婦はキャスバルに託されたお姫様探しの旅にでることになったのである。