商人親子の密談
ソフィアはリリアを自分の部屋で休ませ、暖炉の前で父・ジリオンと話をした。
「借金の形に娘を売るなんて話は、よくあることだけど……まさか、爵位持ちがそれをやるなんてね……」
「ああ、さすがに僕も驚いたよ。僕が首になって三年しか経っていないのに……」
「当時のお家事情はどうだったの?お父様」
「うん、収支がとんとんだったね。無駄な買い物が多かったせいもあるけれど、領地からの税の取り方に問題があってね。そこから改善していったら、あっさり収益はのびたんだよ」
「税の取り方って……確か収穫の三割が領主、一割が国家、残りが領民の手元に残るのが基本よね」
「そうだよ。ところがね、男爵家は一割しか取り立てていなかったんだ」
「じゃあ、領民の手元に残ってたの?」
「いいや、代理執行官が私腹を肥やしていたんだ……その一部がガリア様に流れていてね。ヘーゼル様に反発していたせいだと思うけれど……」
「そのことは、ヘーゼル様に報告したの?」
「……できなかったよ」
ジリオンは深いため息をつく。
「もともと、ガリア様は武官より文官のほうに才能があったらしくてね。十代のころに国境警備隊に入隊されたんだが、いろいろあったらしい。入隊期間は三年だったけど、最後の一年間はリヒト将軍の秘書官をされていたそうだ」
ソフィアは顎に人差し指をあててなるほどねとつぶやく。
「ヘーゼル様はガリア様に武人であることを求めたわけね。でもそれが間違いの元だったてこと?」
「間違いと言うより、もともとガリア様には五歳上の兄上様がいらっしゃったんだが、病気で亡くなられてね。その方は武術に秀でていて、ヘーゼル様の期待も大きかったんだ」
ソフィアは首をかしげる。
「もしかしてガリア様ってお兄様と比較とかされてたとか?」
「さあ、そこまでは僕もわからないね。なんにせよ、ガリア様は男爵家をつぶしても構わないと思っていらしたことは間違いないよ。一度だけ、僕は聞いたんだ。ガリア様がこんな家などいらぬとつぶやかれたのをね」
ソフィアは深くため息をついた。
「……どういう事情にしろ、生きるため以外に自分の娘を売る言い訳にはならないわ」
ジリオンは首をかしげた。
「ソフィは、生きるために身売りすることに賛成なのかい?」
「まさか。でも、もしお父様の命がわたしの体一つで助かるなら、売られてもかまわないわ」
「僕は君を売るくらいなら、死んだ方がましだよ」
ソフィアは父の蒼い瞳が悲しみで曇ってしまったことに気が付いた。
(今のは、失敗だわ)
我ながらまだまだねとソフィアは心の中でため息をつく。母のアリアが五年前になくなったときの、あの絶望した父の瞳を忘れることができない。あのとき、どうにかして父を立ち直らせようと母親がほしいとねだって、無理に再婚をすすめたのだ。
(まさか、出戻りのこぶつきを選ぶとはおもわなかったけど……)
「そういえば、レインたちはどうしたんだい?」
「ああ、あの人たちならお城の舞踏会に行っているわ。お父様が帰ってきていることを知らないから、明後日までは帰ってこないかもね」
ソフィアは苦笑いを浮かべた。ジリオンは仕方がないねと同じように苦笑いを浮かべる。
「ねぇ、ずっと疑問だったんだけど、お父様はなぜあの人を再婚相手に選んだの?もっと若くて優しそうな人がいたはずでしょ?」
ジリオンは困った顔をしたが、そろそろ事実を打ち明けるべきだろうと考えた。
「それはね。僕はアリア以外の女性を愛せる自信がなかったんだ。だから、独身のお嬢さんは選べない。レインは、結婚の経験があるし、彼女の望みは愛情ではなく生活の安定だったんだ。だから、僕たちの結婚はお互いの利益が合致した契約結婚なんだよ。まあ、これほど贅沢三昧されるとは思っていなかったけどね。それに、君は家族が増えたことに大喜びだったから……」
「もちろんよ。だって、お父様は仕事でお留守が多いでしょ。家族が多ければ、わたしの心配をせずに仕事に集中できるじゃない。だから、大歓迎だったわ。ただし、すっかり意地悪な継母になってますけどね」
ソフィはくすくすと笑う。ジリオンは心配そうにそれでいいのかいと聞く。
「ええ、おかげでお父様がどんなに利益をあげても、他人から余計なやっかみを買わなくて済むもの。あれだけ、派手に買い物をして、わたしを女中のように扱っていることはみんなが知ってるわ。わたしはお母様に教わったお掃除やお料理を楽しめるし、彼女たちの贅沢のおかげで、洋服から食べ物まで流行りや新しい物を知ることができる。彼女たちは外出が多いから、わたしは好きなだけ本を読めるし、なにより、いろんな人が同情してやさしてくれるのよ。こんなにいいことはないわ」
ジリオンはまったくこの子はとあきれた顔をした。
「ソフィにとってはいいことづくしということなんだね?」
「ええ、お金持ちだからって脅されたり、さらわれるような危険もないわ。市場のみんなもおまけをくれるし、働き者でえらいわねって言ってくれるのよ。お母様は働き者の手が大好きだったし、必要以上のものを手に入れると苦労が大きくなって幸せが小さくなってしまうのよって言ってたもの」
ジリオンは懐かしそうにやさしい瞳でソフィアを見つめた。
「アリアは僕に最高の宝物を残してくれたんだね」
「そうよ。だから、お父様は自由にお仕事をなさって。それがわたしの一番の幸せよ」
ジリオンはソフィアを抱きしめて、額にキスをする。
「いつまで、そういってくれるのかな?君は」
「お父様より素敵な人ができたら……かしら?」
ソフィアはいたずらっ子のように微笑んだ。
「まあ、それはずっと先だと思うけど、まずはリリア様のことをどうにかして差し上げたいわ」
しかし、ジリオンは一商人であり、すでに男爵家とは交流がない。リリアをしばらく匿うことはできるだろうが、一歩間違えば誘拐の嫌疑をかけられる。
ソフィアはふっとつぶやいた。
「あのおばあさんなら、何とかできそうよね……」
ジリオンはおばあさんってとたずねた。それで、ソフィアは今晩の外出の理由を話した。
「証拠がこれ」
ソフィアがエプロンのポケットから、ガラスの靴を出した。ジリオンの瞳が商売人の目になる。キラキラ光るガラスの靴を手にして、あらゆる角度からみて間違いないとつぶやく。
「これはガラスではなくてクリスタルだ。それも純度がとても高い」
「じゃあ、それを売ればリリア様を助けられる?」
ジリオンは横に首をふった。ソフィアは残念そうにため息をついた。しかし、すぐに顔をあげてガラスの靴をジリオンの手から取り戻す。
「そうよ。そうだわ。それがいい!!」
何か思いついたらしく、ソフィアは急いで自分の部屋へ駈け込んで行った。そして、ぐったりと眠るリリアの足にそっとその靴を履かせてみた。それは、彼女の足にぴったりとはまったのである。ソフィアはリリアを起こさないように、そっと靴を脱がせて居間へもどってきた。
「どうしたんだい?何かいいアイディアでも?」
ソフィアは満面の笑みで最高のアイディアよと言った。こうしてアンダーソン親子は明け方まで、『最高のアイディア』について語り明かした。