難儀な大公妃
大公夫妻は三日ほどマルクルの町に滞在し、『アバナンス商会』についての噂を集めてみた。ここらあたりでは、直接接触があったのは件の武器屋ダルクと王都で働かないかと声をかけられたヤサグレ少年たちだった。少年たちの中にも『アバナンス商会』に懐疑的な感情を抱いたものもあった。というのも特に身内のいない子どもたちを連れて行ったというのである。
「いよいよきな臭いな」
ラスティの表情は硬いが言葉のどこかに微かに楽しんでいるような、少々不謹慎な音が混ざっている。
「このまま、直接王都へ行くか?」
「いや、とりあえず、手紙だけ書いて報告はしておこう」
「では、これからどうする?」
エバンズは少し考えてたから、答えた。
「まず、検問を抜けてアレスレイに入ろう。もっと正確な情報が必要だ」
「確かに、情報はある程度必要だな」
二人はマルクルの町を後にして、検問をとおりアレイスレイで情報を集めることにした。二人は三日馬車にゆられて、一番大きな街ルクセーランについた。ここはキャスバルの叔父、ブライアン・ネレジア大公領内である。キャスバルは一旦街の宿にとまり、手紙を書いてブライアンに謁見を求めた。翌日、すぐに大公からの迎えの馬車と使用人がきた。
「このような簡素な馬車にてお迎えする非礼をお詫びします」
「気にしないでくれ、そうしてほしいと言ったのはこちらだ。素性を隠して旅をしている身だからな」
執事はかしこまりましたと馬車の扉を開けて、二人が乗り込むのを確認し、馭者の隣にすわった。
「私は宿にいたかったのだが……」
ラスティはぼそりとつぶやく。さすがに巻スカートでは非礼なので、古着屋で普通のドレスを買ってきた。もちろん、靴は軍靴だが。
「夫婦できたんだから、挨拶だけは二人でいかなきゃならんだろう。それに、おば上はお前がたいそうきにいっているからな」
「それが困ると言うのだ。私は単に女性たちのサロンでの振る舞いを知らんのだ。うつむいてじっとしているしかない。まさに拷問だぞ」
エバンズはラスティの苦情にくすくすと笑う。長年、男として生き、戦場に立っては敵を脅かしてきたのだから、女性たちのおしゃべりに付き合うのはさぞや大変だろう。
「まあ、これも勉強だよ。ラス」
「平和なれのな」
ラスティはエバンズの言葉を遮る。耳にタコができるくらい、この男はそういう。ラスティとて慣れることができるのなら、そうしたかったが。
(問題が起こると血が騒ぐからしかたない)
ラスティは小さくため息をはき、女性的な作り笑顔の練習をはじめた。エバンズは、ラスティを引き寄せて頬にキスをする。
「そんなにいやだったのか、すまなかったな」
「別にアリシア様やネレジア公にお会いするのは嫌ではない。なにより礼儀を欠くのはよくないことも承知の上だ。ただ、どうしても緊張するのだから、仕方ないだろう。……絶対に失敗はせん。だから、いいかげん離れろ」
「誰も見てないよ」
エバンズは可愛いラスティに口づける。もちろん、リラックスさせるためだったが、ラスティは緊張が余計に高まって馬車を降りたときから、うつむき加減だった。
屋敷裏からの訪問であったため、出迎えてくれたのはメイドが一人だった。若いメイドだったが、信頼が厚いようで、丁寧にお辞儀をしてきぱきと事情を説明するとあっという間にラスティを拉致して奥方たちの待ち構えるサロンへを連れ去った。
取り残される形となったエバンズは、迎えに来た執事に案内され、叔父の執務室へと入った。スキンヘッドで筋肉質の体系を維持しているブライアンは、荒事好きという点でエバンズと似ていた。すっかり、平和になり退屈そうな顔をしていたが、エバンズを見るなりにやりと笑った。
執事はすぐに下がった。部屋にふたりきりになり、ブライアンはさっさとすきなところに座れという。エバンズは、言われたままソファーに沈む。
「で、そんな似非平民を装って、何をするんだ?わしのところに来たからには、一枚かませてもらえるんだろうなぁ」
「まあ、今日は一応挨拶のつもりでしたけど、その後様子だと退屈されていらっしゃるようですね」
エバンズは、思わず苦笑する。
「仕方なかろう。することと言ったら書類に判をおすことだ。まあ、ときどき牢屋にいって 咎人となんで罪を犯したか話を聞いて退屈しのぎはしているがなぁ。平和の世にもそれなりに問題はあるが、わしの好むような荒事は、警邏どもがかたずける。ま、腹いせに訓練と称していじめてやっておるがのう」
ブライアンは大公としてはエバンズとせるくらいにいい加減である。面倒事や細事でよくわからないことは奥方のアリシアと執事にまかせっきりだ。
本題に入る前に執事が紅茶とサンドイッチを持ってきて、また、すぐに出て行った。エバンズが紅茶を一口いただくとブライアンはさっそく本題にはいった。
「お前の手紙にあった『アバナンス商会』なぁ、俺の領内では影も形もない。よその代理執行官宛に手紙を出しておいたから、そのうち情報もあつまるだろう。それより、何かお前の領内で問題でも起きたのか?」
エバンズはサンドウィッチに手を伸ばして言う。
「合法的な拉致って感じでしょうかね。実は、荒くれものが王都で仕事があると言われて領内を出たきり戻らないんですよ。誘いを断った者の話だと、仕事の内容も不確かで、金持ちの護衛だといわれて誘われたという者もいれば、荷運びの簡単な仕事だといわれた者もいたんです」
そういって、エバンズは手にしたサンドウィッチをぱくついた。
「荒くれをあつめるってのは、看過できんな。王都で今騒乱でも起これば、厄介だぞ」
「ええ、兄上にも『アバナンス商会』について調べるよう進言しておきました。俺はとりあえず、このあたりから調べてみるつもりでしばらく滞在しようと思ってますよ」
「なら、うちにおればいい」
「いや、それじゃあ隠密になりませんよ」
エバンズは笑う。
「とかなんとかいって、単に愛しい奥方とのんびり庶民生活でもしようって腹だろう」
エバンズの笑顔がやや引きつる。
「当たりか。もう十年にもなるのに、相変わらず貴族の生活には慣れぬのか?ラスティ殿は」
「まあ、そういう謙虚なところが可愛いんですよ。それに俺も貴族らしくないから丁度いい」
本音としては、甘い生活など期待はしていなかったが、何かにつけ貴族のパーティなどに連れて行っては緊張し、おろおろと自分を探してくれるラスティが可愛くてしかたがないのだった。
「それにしても、お前の奥方は不思議な人だな」
「不思議ですか?」
「どうも、ただの平民とは思えん。ときどきな戦場の気配を感じることがあるんだよ。お前の側に立っているときの普段とはうって変わって凛とした姿がな」
さすがに歴戦の武将であるネレジア公だ。油断なく観察しているなとエバンズは苦笑した。
「妻は俺の命を助けた女ですからね。そんじょそこらのご婦人より勇気がありますよ。おそらく、俺の側にいると無意識にそういう勇気の気配がただようんでしょう」
エバンズは戦意を勇気と言い換えてブライアンを納得させた。
「それで、ここにおらぬならどこに行くつもりだ。当てはあるのか?」
「ええ、まあ、昔の知り合いが領内にいるらしいので、尋ねてみようかと……」
「そうか、無駄足に終わったら、いつでも来い。屋敷が嫌なら庭師の家を貸してやるから」
「お気遣いありがとうございます」
エバンズは深々と頭をさげたが、ラスティが嫌がる顔が目に浮かぶので叔父の好意だけ受け取っておいた。
その頃、ラスティの方は。
(針のむしろだ……)
居心地が悪い。何度、貴族たちのサロンに招待されても慣れない。特に女性たちのおしゃべりには、ついていけず、はにかむばかりのラスティだった。
「ごめんなさいね。貴女がサロンが苦手なのはわかっているんだけど。あなたの勇気を思うとこうしていてくださるだけでうれしくて」
「そ、そういっていたけるだけで、わたくしも光栄に存じます」
ラスティはいろんな意味で緊張しまくりだった。ネレジア大公妃アリシアは気さくで飾らない人ではあるが、男性にはない女性ならではの威厳が漂うのである。ラスティは、その威厳に引きずられて本性が出ないかとびくびくしていたのである。
「本当に可愛らしいお方だこと」
初めて会うご側室のアントワネットはどこかのんびりとしているようでいて、確実に言葉に毒がある。ラスティはそういう感情に敏感だ。彼女はとにかく表情を読み取られないように、恥ずかしげにうつむいて見みせる。
「ご結婚して十年でしょう。お子はまだですの?」
「え、ええ。……旦那様はおやさしいのですが、残念ながら未ださずかりません」
「アントワネットたら、そんなに困らせてはだめよ。子は授かりもの。現にわたくしだって娘しかさずかれなかったのだから。貴女が必ず男の子を生んでくださらなくてはね」
アリシアは飄々とアントワネットをたしなめる。
(く、空気が重い……)
これが戦場でのやり取りなら、いくらでも皮肉が口をつくラスティだが、平和な国の平和な(はず)のサロンは、戦場以上に彼女を疲弊させる。
(早く迎えに来い!愚か者)
八つ当たり先はもう、そこにしかないのだ。ラスティはとりあえず、話題を変えようとアントワネットが来ているブルーのドレスを褒めてみた。
「あら、これは大したものじゃありませんのよ。嫁ぐ前から持っていたお気に入りの一枚ですわ」
「そ、それは……」
(な、なんて返したら角がたたんのだ!)
ラスティは引きつり笑いしか浮かべられない自分の不甲斐なさに腹が立つ。『血まみれの仮面将軍』とまであだ名されて恐れられていたのに、悔しいやら情けないやらで、彼女はすっかり凹んでいた。
「あらあら、どうなさったの?顔色がよくないわ」
「緊張なさっているのよ。ラスティ様はとてもシャイなの。あまり困らせるような物言いはやめてちょうだいね。アントワネット」
アリシアは、穏やかに微笑みながら言葉を続ける。
「それに、はじめてお会いするデュラン大公妃に少し失礼ではなくて。そのドレスをあなたがどれほど気に入っているのか知らないけれど。あまり、良い生地でもなさそうだし、意匠も少々古びて見えて、あなたの美しさにはあまりそぐわなくてよ」
「まあ、それは失礼いたしました。デュラン大公妃様は、平民の出と聞いておりましたので、あまり華美なドレスはお嫌いなのかと」
アントワネットは、オブラートに包むのも忘れて平民出のデュラン大公妃を蔑む自分を、迂闊にも表へだしてきた。ラスティは、そのおかげで逆にほっとした。頭に上りかけていた血の気が、すっと引いていく。
(そうだ、私はもうただの女だ)
そう思うと緩やかに微笑みが漏れた。アントワネットもアリシアも思わず息をのむ。
「……あ、どうしましょう。わたくし、なんだかとても恥ずかしいわ」
急にアントワネットがそういうので、ラスティはきょとんとしてしまった。
「申し訳ございません、デュラン大公妃様。ああ、どうしましょう」
アントワネットはおろおろとアリシアに助けを求めるような視線をなげた。今にも泣き出しそうな顔をみたラスティは微笑みを讃えたまま言った。
「いいえ、なんの失礼もございません。わたくしを安心させてくださるためにしてくださったことですもの。とても、うれしいですわ」
本心からラスティは礼を述べた。それを聞いたアリシアは、感極まったように嘆息をもらし言う。
「本当にラスティ様はお可愛らしい。身分などなんの意味がありましょう。こんなに寛大な方をわたくしは知りません。ねぇ、あなたももうおわかりでしょう。アントワネット」
「はい、申し訳ございません。ああ、なんて恥知らずなまねを」
アントワネットは顔を覆ってしまった。なぜ、こんな状態に陥ったのかラスティに自覚はない。なぜなら、彼女は知らないのだ。自分が天使のような笑顔を讃えていることを。
「あの、どうぞお気になさらないでください。アントワネットさま」
おろおろとする可愛いラスティをアントワネットとアリシアはしばらくうっとりと見つめていた。




