エスティバル奪還大作戦<3>
代理執行官について適任者がいないかたずねられたロック・モニカは少し考えてからあのご老人ならとつぶやく。
「誰の事だ?」
ジラフはきちんと話すように促した。
「はい、商人館をご紹介くださった方で、お名前は……エディ・セリエル様とおっしゃったかと」
「どうした。ロック、お前にしては歯切れが悪いな」
「いろいろと噂が多い方なのでつかみどころがないのでございます」
「噂とは?」
「はい、こちらに来るたびに異国の王子だったという噂から、王家転覆を企む秘密結社の頭目だとか……確認のしようがないようなものばかり耳にしました。今日、実際にお見かけしたときは、普通の老人のようでしたが、歩きなれているとはいえあの雪道をなにもないかのように歩く姿は、尋常のお方とも思えません」
ジラフはなにやらおもしろそうに、ほうっと言った。
「他に適任者と思しき人間は?」
「そうですね。商人館の管理人であるマルシェ・ユラシ女史が適任かと思います。商人たちの話では気さくで、よく気が付く人だと。悪い噂はありません。たしか、ここの使用人の中に夫がいると聞きました」
ジラフが少し考え込んでいるとキャスバルはその女性に頼めないだろうかと言い出した。
「商人たちが敬意を表する人だ。十分に代理執行官が務まると思うが」
「確かにお前さんの意見はわかる。だが、女性の執行官の前例がない。それを理由に反発する者は必ずでるだろう。それに、商人館の管理をしているのだろう。両方やるというのは、無理だ。頼んだとしても否といわれるだろう」
キャスバルはそうかとあっさり意見を引っこめたが、ゼルダが素朴な疑問を口にする。
「旦那がここの使用人なんだろう?じゃあ、今残っている十六人の中の誰かってことだよな」
そう言われて、ジラフははっとする。
「あいつか?」
「なんだ?どうしたジラフ?」
「俺たちと犬部屋を掃除した男だ。確かバルセラ・ユラシと名乗っていなかったか?」
そういわれて、キャスバルとゼルダは納得した。
「ならば、彼に頼めばいいのではないか?年齢的にも問題ないだろう?」
キャスバルはどうだとジラフにたずねた。
「いや、それはやめた方がいいな。領民はたとえ使用人といえども、自分たちを苦しめた子爵家側の人間だと思っているだろう。彼が有能なのは、一緒に掃除したときにだいたいわかる。逃げ出した執事よりよほどの信頼をもって使用人たちは動いていたからな。まかりまちがって、余計な災厄を使用人たちにもたらすのはよくない」
「では、やはりエディ老人が適任ということになりますね」
ロックがそういうとジラフは、また黙って考え込んだ。そして、その沈黙を破ったのはゼルダの一言だった。
「老人に重荷をせおわせるより、ユシラ夫妻に担いでもらえばいいんじゃないのか?」
「それだ!!」
ゼルダ以外の全員がそう叫んでいた。
その頃、商人館には続々と人が集まっていた。
「このままだと、すぐに入りきれない人数になりますね」
マルシェはロンに困ったわとつぶやきながら、そう言った。
「そうですね。ここは病人とけが人の受け入れだけにして、元気な人にはお城の方にいってもらいましょう」
「大丈夫でしょうか?執行官は門を閉じているはずでは?」
「門は王子が開けました。おそらく、もう執行官は不在の状態でしょう。ただ、寝どこが確保できているかが気がかりなところですが。まあ、ジラフさんもいますから心配ないでしょう」
その辺はとロンはにこやかに答えた。
「では、私は外で指示をします。何かあれば呼んでください」
マルシェの行動は、はやかった。ロンが一言も声をかける隙がなかったのだ。
(なるほど、これはかなり有能な人材だな)
こんなとき、普通の女性なら言葉を濁し自ら寒空の下に立つなどとは考えない。ロンがいるのだから、彼が行くべきだと当たり前のように思うだろう。
さすがに商人たちから信頼されている商人館の主だ。物事の判断に自分の性別など、さしはさまない潔さは立派だとロンは感心した。そして、ロン自身は館内を歩き回り、外で暖がとれるよう火鉢を探して回った。
アルムは、アシュとカーヴェルに手伝ってもらい、運び込まれた病人やけが人を一人一人看ていた。けが人の多くは手足の骨折が多い。次が軽度の凍傷。病人のほとんどが風邪による咳・鼻水・高熱という状況だった。
とても三人ではケアできない人数になってきたが、それぞれの家族、特に女性たちがアルムの手当の仕方をつぶさに観察して見よう見まねで手当てをはじめた。それでも、どうしていいかわからない人は率直にアルムに質問をしたため、ある程度の治療が終わると、動かせない患者と面倒をみるつもりでいる家族にはその場に残ってもらった。
アルムが一息ついていると、エディ老人がやってきて健康な者たちには城へ行くようマルシェが指示をだしていると教えてくれた。
「そうですか。さすがに風邪はうつるので、いま衝立をアシュ君とカーヴェルさんにお願いしています。彼らにも休息をとるようにいったんですが、私では聞いてくれません。休むようにいっていただきますかね。エディさん」
「うむ、仕方ない子たちだな。できることはとことんやろうとする二人ですからな、こき使ってもらってかまわないが」
「いいえ、病人と接する人間には体力を維持する義務がある。それが私の信念です。手伝っていただく以上休憩はとってもらわないとなりません」
エディはうれしそうにうんうんと頷き、確かに承ったといって、二人を探しに行った。
マルシェは毛皮のコートを着て、必死でやってきた領民に怪我人・病人はこちらで預かることを説明し、問題のない者は城へ行くよう説明する。
「だが、マルシェ。城はあいつがいる。行ってもいれてもらえないぞ」
「それは大丈夫です。キャスバル王子がきてくださいました。ジラフ様もご一緒とのことですから案ずることはございません」
そう言われても、なかなか納得できないのは、仕方のないことだった。何度も助けを求めて城に行き、門前払いを食らってきたのだ。執行官や貴族、王族にたいして不信感がぬぐえないのだろう。
丁度、そこへロンが火鉢を抱えてやってきた。
マルシェを囲んだ領民たちはみな険しい顔をしている。マルシェの言葉に嘘がないことはわかっていても、わずか五分という目と鼻の先ほどの距離にある城が自分たちを拒み続けたのも事実だった。抗う心をなだめるのに、マルシェは言葉をつくすが領民たちの説得に困難をきたしているようだった。
「マルシェさん、火鉢もってきましたよ。みなさんもちょっと当たりませんか」
ロンは火鉢をマルシェの足元におく。この程度の火では手だって暖まらない。そのくらいのことはロンも承知の上だが、火鉢が使えると言う事実をもって、集まったものたちを説得にかかる。
ロンはしゃがみこみ、火鉢に手をかざす。
「う~ん、やっぱりあまり意味がありませんね」
すると、大柄の熊のような男がロンを胡散臭そうに睨みつけてどこの小僧だと言ってきた。ロンはまってましたとばかりに、にこりと笑う。
「王都から主人についてまいりました。今、商人館は病人とけが人でいっぱいなんです。手伝ってくれる方もいらっしゃいますが、何もできないでおろおろとされている方もいるので、お医者様がいらいらしちゃって困ってます。これ以上、人が増えると身動きとれないから、高熱を出してるお年寄りや子供の命にかかわるといって、僕は追い出されましたよ。どうです?みなさん、僕と一緒に城にいきませんか。城には今主がいますから、僕と行けば追い出されませんよ」
「それは本当なんだろうな。小僧」
「ええ、本当です。きっと歓待してくれますよ。準備が整っていればですが」
「準備?」
「みなさんを受け入れるための準備です。可及的速やかに行うとおっしゃってましたから、とりあえず、行けば、ここに突っ立ているより暖かいはずですよ」
ロンの言葉に熊のような男は、なら俺とこいとロンの腕をひっつかみ、ひきずるように城へむかった。マルシェが心配そうな顔をしたので、ロンは遠ざかりながらニコニコと手を振った。そして、マルシェはとにかく病人とけが人だけは、商人館にいれるよう指示をした。それがどれくらいの時間だったのだろう。血相を変えて男が戻ってきた。走ってきたから、息が切れてすぐに声がでない。男は雪で口を漱ぐとようやくひとこと言うことができた。
「城へ行こう」
その一言にその場にいた全員がおどろいた。男は続けて言う。
「執行官はすでにお払い箱だ。私腹を肥やしたものは、姿をくらませた。残った使用人は誰かの家族だ。つまり、俺たちと同じ領民だ。もう、広間の暖炉に火もはいってる。暖かい飲み物を今、用意してくれている」
男はそこで一息ついた。
「マルシェ、悪かったな。騒ぎたてちまって。あんたの旦那が城に残ってる奴らと懸命に受け入れの準備をしていてくれたよ。ありがとな。さあ、元気なやつは城にいこう!!」
男がそう叫ぶと、みんなは安心した様子で城へ向かった。
「あの人はどういうかたですか?」
不意に声をかけられてマルシェは驚く。ロンは人々の背中を見ながら、いつの間にかマルシェの隣にたっていたのだ。
「ああ、びっくりした。驚かさないでくださいな」
マルシェはそう言いながら苦笑しながらも、ロンの問いに答えてくれた。
「あの方は樵で狩人の親方をなさってます。ガンディ・ミュラーさんです。山のことなら彼の右にでるものはいません。ミュラーさんのおかげで、山はいつも私たちにたくさんの恵みをくれます。今年も今までなんとか持ちこたえてきたのは、彼らのおかげでもあるのです」
ロンはなるほどと納得し、マルシェに一度、館に入るよう促した。きっと今頃、商人館には病人しかはいれないと口づてに噂が広がっているころだ。
ところでとロンはようやくエディのことを尋ねた。
「彼はわたしの伯父です。昔、祖母に世話になったからと国を捨てて押しかけ夫になったんですって、おもしろい人でしょ。とても博学ですから、みんなからも尊敬されていますよ。私もエディさんが大好きなんです」
ロンはへえと感嘆の声をもらしながら、とても不思議そうにマルシェの瞳を覗き込む。
「伯父さんなのに、エディさんってよんでるのは、どうしてですか?」
「それは……ごめんなさい。お答えできないわ。家族のことに関わるので……」
「ああ、僕こそすみません。そういうことでしたら、忘れます。今の質問はなしです」
ロンは明るく笑い返した。マルシェも、ほっとしたように微笑んだ。




