<トゥルース・オブ・ミラー>~無貌の恐怖~
<トゥルース・オブ・ミラー>~無貌の恐怖~
真実という言葉があるが、人間がこの言葉を使うときはたいてい事実を自分たちに都合よく解釈したときだ。
本来は隠蔽された事実や歪められた事実をあきらかにする為の言葉なのだが、たいていはそれとはまったく関係なく、あるいはまったく逆の用途で使われる。
しかしオレはその本来の意味の真実を知ることになっていた。
‘鏡の泉’それがオレにそれを突きつけたものの名だった。
リアルティメィトオンラインではアルケミストが造ったとされる鏡のように周囲の風景を映し出す泉だ。
まるで本物の鏡がそこに敷かれているように、泉は空と森を移していた。
その光景はまるで本当に異世界に紛れ込んだかの様な錯覚に陥らせてくれるが、オレにくだらない真実というやつを見せてくれたのはその泉ではなくそこに映ったオレの姿だった。
リアルティメィトオンラインから抜け出てきたような黒い皮の上下と腕環。
そこまでは、あまり良くはないが、まあよかった。
しかし、その見慣れない服を着込んだ男のその顔もまた見慣れたオレのそれではなかったのだ。
(誰だ? これは・・・)
そこに映っていたのは明るい金髪に青い瞳を持つ、頭も性格も軽そうな優男だった。
整った眉の下の少し下がった大きな眼とすっきりと通った鼻筋。
肌こそ少し黄みがかってはいるが、その顔立ちはどう見てもアーリア系コーカソイドのものだ。
これでブランドスーツでも着せれば金持ちのドラ息子といったところだろう。
(整形か? しかし─)
自分の顔に愛着をもつほどナルシストではないが、自分の知らない間に顔を変えられているというのは、とうてい気分のいいものではなかった。
これがカタギの人間ならアイゼンティティのひとつも崩壊していたかもしれない。
それでも、その顔にまったく見覚えがなければまだましだったろう。
しかしオレにはその顔をつい最近見たことがあった。
そうリアルティメィトオンラインの中で。
(やってくれたな!)
これは、リアルティメィトオンラインのキャラ作成機能で作られたオレのキャラクターの顔だった。
他のMMOでプレイヤーが分身として作る汎用キャラの、いわゆるアバターとは違いIDと一緒でまったく同じ顔には造れないキャラクターの姿をわざわざオレに押し付けたのだ。
まるでお前はオモチャだと言わんばかりに。
目の前が真っ赤になるような怒りとどす黒いまでの殺意。
そんな比喩を使いたくなるような感情が巻き起こってくる。
もしこれが恐怖を与えようという演出なら、やつは間違いなく間違えた。
オレは胸くそが悪くなるのを抑えつけて大きく息を吸い、呼吸を整えた。
(怒りは胸に頭は冷たく─)
自己暗示をかけるように頭のなかで冷静になる為の‘鍵となる言葉’をつぶやく。
状況を考えれば、どんなものであれここで感情に流されるわけにはいかない。
戦いの場では冷静さを忘れたものから消えていく。
感情の爆発で覚醒する能力なんてものは、物語の中でカタルシスを演出する一場面にしか存在しない。
能力なんてものは自分で自分を運用する為のプログラムにすぎないのだから、地道な努力の積み重ねでしか得ることはできないものなのだ。
故に危機に際しては冷静さを忘れずに。
パニックや逆上はもちろんだが、感情に溺れてもいけない。
(とりあえずは状況の再確認だ)
オレは‘鏡の泉’を覗き込みながら自分の顔をチェックしていく。
手で触りながら調べてみても整形されたという違和感はなかった。
しかし、だからこそオレの心の中には違和感が湧き上がってくる。
最新の技術ならこんな事も可能だろうが、ここまでのことをできるのは闇医者や一般の病院などではない一握りの存在のはずだ。
そんな存在がこんな馬鹿げたことに自分の技術を使うだろうか?
権力をもったイカレ野郎ならそれを強制できるだろうが、他国の先端技術を使えはしないだろう。
そうなると、それが可能なのはは医療先進国の権力者だけとなる。
その二つの条件を持つようなやつがいただろうか?
アメリカの大財閥のひとつにイカレた人間を輩出することで有名なヤツがあるが、あれはイカレ具合が違う。
まあ、オレが知らないキチガイどもがいないとは限らないが。
それに気になることはもう一つ。
例えどんな技術を持った整形医でも、整形してから自由に顔を動かせるまでの期間を短くするようなまねができただろうか?
もしできないのならオレが眠らされていたのは、最低でも二週間以上だろう。
それだけの間、寝たきりだったとしたら今の体調は良すぎるのだ。
人間の筋肉というヤツは負荷をかけないでいると衰えていくものだ。
ところが、今のオレは普段より格段に調子がいい。
いや、異常なまでに良すぎる。
初めは異常な状況下でアドレナリンなどの過剰分泌が起こったせいかと思ったのだが、それにしては長すぎる。
そういったホルモン分泌による肉体機能の上昇は長続きはしないはずだ。
(まさかドーピングされたか?)
いや、こんな状態にする薬物など軍関係ででもなければ扱えないだろう。
薬物や手術による人体改造となるともうSFか軍事謀略小説の世界だ。
けして不可能なことではないが普通はありえない。
(まて、普通は、だ)
そこまで考えて、オレは今の状況がもはやその普通の域を離れていることに気づいた。
だとすれば、普通でないところまで考えを広げなければならない。
そう考えると目の前の風景、この‘鏡の泉’もまったく違ったものに見えてくる。
鏡のように完全に辺りを映す泉など、どうやって造った?
これだけの土地を確保してこんなものを作り上げるなど正気の沙汰ではない。
ならオレはどうなのだろう?
正気なのだろうか?
正気だとすれば、ここは本当に現実なのだろうか?
確か今度の仕事はASVRの・・・
(・・・ここまでだな)
そこで思考を打ち切りオレは今後の行動方針へと頭を切り替える。
考えても答えが出ない問題は考えないのが正解なのだ。
何も考えないのは馬鹿以外のなにものでもないが、データの足りないのが判りきった状態で考え続けるのもまたバカのやることだ。
要は必要なときに考え、無用な思考に浸らない。
これが非常時の対処法だ。
(すでに五十km.近くは移動している)
東に向けてずっと移動してきたが、その間に見慣れた草木はなかった。
ここが日本とするなら、完全に外界と違う植生を維持する事を考えれば最低でも数百㎢の土地を用意しなければならない。
ここは日本ではないと考えるのが正解だろう。
今の日本にこれだけの広さの施設を秘密裏に造れるような余地はない。
文字通りの意味でそんな土地がないのだ。
無駄な道路や公共施設を造りまくって数十年近く政権を維持してきた連中のせいで、一般道路から見えない場所にこれだけの施設を造るのは不可能と言っていい。
それに不動産や建設に関連がある仕事に就いた人間なら判るだろうが、この規模の工事が行われて、それが利権あさりのハイエナどもや火付け屋のマスコミ連中の口の端にのぼらないわけがないのだ。
となると気は進まなくても‘隠者の森’の小屋までもどるしかないだろう。
ここがリアルティメィトオンラインのマップを正確に再現しているのなら、ここから先はただ荒野やダンジョンと呼ばれる危険地帯が続くだけだ。
だからこそ逃げるためにここまできたのだが、これだけ移動してこのMMOの擬似世界から抜け出せないとなると方針を変えざるを得ない。
すでに日は中天近くまで昇っていた。
急がなければ着く前に日が暮れてしまうだろう。
幸いといっていいかは微妙な気分だが、これだけ歩いても疲労のかけらもこの体にはなかった。
今のところはいいがこの調子がいつまで続くのかは判らない。
最悪、米軍の実験兵士やドーピングされたアスリートのようにまともに動けなくなるかもしれない。
ならば、動けるうちにやれることをやるだけだ。
オレは早足で歩き出しながらネガティブな考えを打ち払った。




