上りしかない
俺は、階段を上っていた。その階段には俺以外には誰も居ない。
なぜ上っているのか。そんなことは分からなかった。
だからといって下ろうと思っても、バベルの塔のように高い壁が立ちふさがっており、下ることは出来ないのだ。
日が昇って、月が沈んだ。月が昇って、日が沈んだ。
やがて、俺は広場にたどり着いた。広場といっても踊り場のような所だ。そして、進む道はやはり上り階段しかなかった。
そして、そこでには一人の男が身を休めていた。一升瓶を抱え、浴びるように酒を飲んでいた。
「あんたも上っているのか」
俺はその男に声をかけた。
「……あんたも、か」
男は白く濁った目で俺を見た。
「ああ。あんたは何で上っているのか、知っているか」
「いいや。それが分かった奴はここには居ないさ」
そう言って男は酒瓶に口を付け、一気にあおった。酒が瓶の底からノドの奥に落ちるように流れ込んでいく。
「……もしかしたら、落ち続けていたからかもしれんがね」
「落ち続けた?」
「ああ。俺の人生は転落人生さ」
男は酒を飲む。その顔は長い旅をし終えたような疲れが滲んでいた。
「俺はこう見えても神童と呼ばれていたんだ」
「中学、高校、大学……。どれも一流と呼ばれる学校だった」
「そして、一流企業に就職。どうだ? 凄かろう」
俺は相づちを打った。そして少し親近感がわく。男の身の上は、自分の人生とよく似ている。
「そこまでは良かった。だが、ある時、会社がいきなり倒産したんだ」
「もちろん、俺は悪くない。なのに」
「俺が横領していたことにされていたんだ」
「その使い込みのせいで不渡りが起きて、倒産した、だと」
男は顔を押さえた。その頬に一筋の滴が伝わっていた。
「警察はろくに調べもせず、裁判でも俺の言葉は無視」
「その上刑務所でも古株や看守にいびられ、刑期を終えてようやく外に出られたと思えば」
「待っていたのは冷たい目だ。再就職しようにも、横領したことにされたせいで信用されず」
「返済のために家は売り払われ、帰る家すらなくなり、日雇いで食いつなぎ」
「公園で慎ましやかに小金を貯めていれば、バカなガキに襲われ、金を奪われ」
「気づけば、こんな所で食い物も無しで昇り続けている、というわけだ」
男は一気にまくし立て、また、ぐいっ、と酒を飲み込んだ。
俺は、背中に氷塊を放り込まれたような気がした。
どういうことだ、これは。この男の語る人生は俺の人生と同じではないか。
男も俺のそんな様子を察したのだろう。
「もしかして、あんたも同じような目に遭ってきたのか」
俺は肯いた。関節が錆び付いたようだった。
男は、酒瓶を差し出した。
「飲め」
「よろしいんですか」
男は肯いた。
「きっと、落ちなくなる」
その言葉を信じたわけではないが、飲むことにして、俺はその酒瓶を受け取ろうとした。
しかし、うっかり手を滑らせて酒瓶を落としてしまった。
「落とすんじゃねぇ」
「す、すいません」
俺は慌ててその酒瓶を拾った。中身がそれほど残っていなかったためか、幸いな事にほとんどこぼれていない。瓶にはヒビ一つ入っていない。
俺はほっとして酒瓶に口を付け、ラッパのように飲む。
不味かった。酒としては全く駄目だ。
あまりの不味さに、俺は思わず噴いてしまった。
酒が地面に落ちた。
それを見ていた男は重々しく口を開いた。
「駄洒落オチか」
弁解の余地はありません。
最後までお付き合いくださった方。
正直すいませんでした。
そして、ありがとうございました。