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第十四話 弦月

 自分の中で、大切な何かが失われる気がした。それが何かはわからない。ただ、それが自分にとって、大切なものだとしか。

 大切なものなんて、龍神さまと友人の魔女、その使い魔くらいしかいない。だが、今失われる大切な何かは、それ以外のものだと感じた。


 それ以外に何か、大切なものなどあっただろうか。


 少女は考える。そしてそれ以外にはないと結論を出した。

 それなのに、なぜか寂しくなった。自分にぽかんと大きな穴が開いたようだった。


     * * *


「ん……」


 セリアがうっすらと目を開けてくれて、ルーシェルはほっとした。彼女が気絶して五時間ほど。もしかしたらもう、目覚めないのではないかと何度も考えた。

 セリアはごしごしと目をこすり、洞窟を見回す。


「何だか暗い……ってもう夜!?」


 がばっと飛び起きたセリアを、あわててまた横たわらせる。不満そうな顔をしていたが、おとなしく従ってくれた。

 目覚めてすぐ、アスメリ村へ帰るのは無理だろう。顔色は良くなっていたが、まだぼんやりとしている。


「私ってあの後気絶したの?」

「うん。……それでその、僕の心読める?」


 おずおずと尋ねると、セリアは今気付いた、という顔をした。


「読めないわ……。全く心が聞こえない。なのに違和感がなかった。……どうしてかな?」

「僕に訊かれてもな。でも、セリアは心が読めることを嫌がってたんじゃない? 僕と同じように」


 ルーシェルは、魔法なんて使えなく良かったといつも思っていた。おそらく、セリアも生き物の心を読めなくても良いと考えていたのではないだろうか。

 予想通りうなずいたセリアに言う。


「ならもう、考えなくてもいいんじゃないかな。生き物の心を読めなくなるのは、セリアにとっていいことじゃないの?」

「それはいいことだけど……」


 暗い顔をしたセリアを、ルーシェルは首をかしげて見た。いいことだと自分でも言っているのに、なぜ暗い顔をするのだろうか。

 心の中の疑問にセリアが答えないことで、もう彼女は心を読めないのだということを実感する。

 セリアは寂しそうに「だけどね」と続けた。


「今更、普通の『巫女』として生活することはできないわ。心が読めなくなったと私が言っても、村の人たちが私を恐れるのは変わらない」


 ひどい、とは思っても、それがおかしいとは思わない。

 ルーシェルだって魔法が使えない魔女だ。それでもおそらく、人間たちと仲良くすることなど不可能だろう。

 人間は、自分と違うものを恐れる。

 それは当然のことだ。


「当然のこと、よね」


 心を読まれたのか、と驚いてセリアを見るが、どうやら偶然らしかった。


「うん、偶然だよ」

「……セリア、本当に心読めないの?」

「ルーちゃんの考えは単純だから。心が読めなくても、ある程度わかると思うわ」


 単純と言われ、少し落ち込む。けなされたわけではないだろうが……。


「貶してないよ?」

「ええっ! 僕ってそこまで単純!?」


 またもセリアに心を読まれ、うろたえてしまう。こんなにぴったりと考えていることに答えられてしまったのだ。

 本当にセリアは心を読めていないのだろうか。


「読めてないってば。読めてるのに読めてないって言って、私が何か得する?」

「するんじゃない? 僕にはわからないけど」


 だがそれだと、なぜセリアが気絶したのかわからない。いや、心が読めなくなったとしても、理由はわからないが。

 とりあえず信じよう、とセリアの顔を見る。目が覚めてからしばらく経ったし、もう帰らせても平気だろう。


「セリア、そろそろ帰らないといけないんじゃない? 親が心配してると思うよ」

「……そう、ね。そろそろ帰ることにする」


 セリアは少し黙った後、そう答えて立ち上がった。

 そこで気付いた。



 セリアのことを心配する親など、いないのではないかと。



 今の間は、そういう意味だったのかもしれない。


「じゃあ、ルーちゃん、白猫君また明日」


 笑顔でそう言われてしまうと、もう何も言えなくなってしまう。ルーシェルも「また明日」と手を振り、先ほどまでセリアが転がっていた寝台にもぐり込む。

 寝台は暖かくて、すぐに眠りにつけた。


     * * *


 遅くなってしまった。

 月明かりを頼りに家へ帰ると、そこにはまた両親の姿があった。ふと、自分が心を読めなくなったことを知ったら、この人たちはどういう反応をするだろうと考える。

 他の村人なら、セリアを恐れることは変わらない。だがこの人たちは、仮にも自分の両親なのだ。

 もしかしたら……。

 そんな淡い期待を持ってしまう。


「……どこへ行っていた?」


 父が訊いてくる。母はこの間のように、黙ったままだった。


「少し、散歩をしていました。……月が綺麗だったので」


 今夜の月は弦月だった。セリアは満月が一番好きだが、どんな月でも綺麗だと思う。


「それに……考え事を、したかったのです」

「考え事?」


 父は眉をひそめる。その顔を見て、ああ、これを言っても無駄なのだな、と理解してしまった。

 だが、訊かれたからには答えないといけない。


「私の力……生き物の力を読む力が、失われたようなのです」

「……なるほど」


 何がなるほどなのかわからなくて、父にばれないよう首をかしげる。


「龍神さまのお声が聞こえなくなったのも、そのせいなのだな」

「ち、違います! 巫女としての力と、この力は別物です!」

「そうよ、こんな忌まわしい力と一緒にしないでちょうだい!」


 黙っていた母の一言で、セリアは涙がこぼれてしまいそうになった。

 忌まわしい力と言われるのは、慣れている。慣れているのに、どうしても泣きそうになってしまうのだ。


「……それもそうだな。すまないメリア」


 メリア、とは母の名だった。父の名はセルジュだから、セリアの名は二人の名を合わせたものなのだろう。それに気付いた時は、嬉しかった。

 だが今は、メリア、セルジュと互いのことを呼び合っている両親が、セリアの名を呼んでくれないと思うと悲しくなる。


「……お父さん、お母さん」


 初めて口に出す単語。声が震えたのがばれていないといい。


「私は……生まれてこない方が良かったですか?」


 ずっと訊きたかった。だが、どんな答えが返ってくるか怖くて、一度も訊いたことがなかった。


「ええ、もちろん」


 きっぱりと。

 母はもちろんと言ったのに、父は黙って何かを考えていた。


「……お前は巫女としては役に立ったからな。どちらとも言えないだろう」

「ああ、言われてみればそうね」


 目のふちに溜まっていた涙が一滴こぼれた。そこからは、後から後から涙がこぼれてきた。今まで我慢していたものが、一気に流れていく。

 両親は一瞬だけ驚いた後、不快そうに顔をしかめた。

 セリアは物心ついた時から、両親の前で泣いたことがなかった。なぜだか泣いては駄目だと思っていたのだ。


「……また、散歩をしてきます」


 父も母も、何も言わなかった。

 扉を開けて、セリアは家を出た。最初はゆっくりと歩き、だんだんと速く。最後には全力疾走していた。


(……訊かない方が、良かったかな)


 訊いてしまったことを後悔する。父はどちらとも言えない、と言った。だがそれは、巫女として役に立つというだけ。

 そんなふうにしか、あの人たちはセリアを見てくれないのだ。

 セリアは立ち止まって、空を見上げた。


(……満月が、見たかったな)


 空に浮かんでいるのは弦月。セリアが見たい満月の、半分の大きさしかない。














 だが、満月よりもずっと大きく、綺麗に見えた。






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