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おとなりの吸血鬼は牛乳で生きている~高度に進化した怪異は人間と区別がつかない~  作者: 藤原ライラ


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4.吸血と手当て

 田上さんの手が鞄を少しだけ探るようにして、それからキーケースを取り出す。がちゃり、と扉を開けて、我が家がぽっかりと真っ黒な口を開ける。


 勝手知ったるとばかりに田上さんが電気を点ければ、出ていった時のままの雑多なリビングがあらわになる。そこでおとなりも全く同じ間取りなのだと思い出した。


 自分の家に男の人がいるのは不思議な気分だ。長身の田上さんがいる分だけ、見慣れた部屋が狭く見える、気がする。


 私が人心地ついたのは、田上さんがリビングのソファを見つけた後だった。


 まるで『割れ物注意』のシールでも貼ってあるかのように、そっと。こんな風に誰かにされたのは、はじめてだった。


「何か手当てをできるようなものはありますか?」


「多分、救急箱がそこの一番上の棚に」

「分かりました。開けてもいいですか?」


 私が頷くと、田上さんはこれまた静かに棚を開けて救急箱を取り出した。次にその辺りに転がっていたティッシュ箱から何枚かティッシュを取って、正しい向きに戻した。


「傷の汚れを落とした方がいいので」


 水道で濡らされたティッシュが、渡される。指先だけ、微かに触れ合った。


「そう、ですね」


 ゆっくりとボトムスを膝までたくし上げたら、案の定砂利やら土などが付いている。つぅーっと傷口から赤い血が流れ出た。


 そこで、空気が変わった。


 絆創膏を持っていた手が戦慄くように震える。

 ぐしゃり、と絆創膏が握りしめられて、手の甲に血管が浮かび上がる。


 部屋中の空気の密度が増して、迫ってくるような息苦しさがある。

 荒い呼吸音が、部屋に満ちる。見れば、田上さんの青いはずの目が真っ赤だった。


「……ひっ」

「くっ」


 私の口から引きつるような音がもれたのと、田上さんが奥歯をかみしめたのが同時だった。低く絞り出すような唸り声。右手を左手で押さえつけるようにして、さっとこちらに背を向ける。


 引っ手繰るようにレジ袋を掴んだかと思うと、田上さんは牛乳パックを取り出した。彼に似つかわしくない乱暴な仕草でパックを開けて、そのまま口を付ける。


 私はその場で動けなくなった。


「……っ……!」


 嚥下に合わせて、喉仏が上下する。長身の男が、貪るように牛乳を飲んでいる。それが人の生き血であるかのように。


 その様を見ていたら、思い出した。


 ――高度に進化した怪異は、人間と区別がつかない。


 あの日田上さんはファミレスでそう言った。

 けれど、区別がつかないこととそうであることは、違う。


 やがて牛乳を一本丸ごと飲み干すと、田上さんは雑に手の甲で口元を拭った。

 ぽたり、と落ちた白い雫が、どうしてかひどく恐ろしいもののように見えた。


 色気とも凄味とも呼べるような何かが、田上さんを包んでいる。全てを絞り出すように、田上さんは大きく大きく息を吐いた。


「ちゃんと、手当てを、してください」


 掠れた声でそれだけ告げて、田上さんは逃げるように私の部屋から出ていった。


 残されたのは、歪に歪んだ絆創膏だけ。


 しばらくしてから、私はそれを手に取った。どれほどの力で、田上さんはこれを握りしめていたのだろう。


 汚れを拭い去ってしまえば、あんなに痛かったというのに、膝小僧に残る傷は拍子抜けするぐらい小さかった。


 歪んだそれを広げることはできなかったので、新しい絆創膏を取り出す。

 ぺたり、と貼ってしまえば、傷はもう見えなくなる。


 私は頭のどこかで、田上さんの話を信じられていなかったのかもしれない。


 吸血鬼なんて、本当はいなくて、全部彼の作り話なんじゃないかと。


 それを全部打ち砕かれる思いだった。

 たった小さな、こんな擦り傷一つで、目に見えない差異を炙り出されてしまった。


 ああ、やっぱり彼は、人間じゃなかったのだ。



 *



 週末、私は配信で吸血鬼ものの映画を三本続けて観た。


 電気を消した暗い部屋で、液晶テレビの放つ青い光が部屋に満ちる。自分がポテトチップスを齧るバリバリという咀嚼音が、緊迫したシーンで異様に大きく響く。


 彼らはみんな、真っ黒いマントを着て赤い目をしている。そして、一様に大きく口を開けるとその尖った牙を覗かせる。


 物語の中の吸血鬼は怪異の王だという。それを象徴するような、圧倒的な力があるのだ。


 生贄にされるのは、いつも若い女だ。ずらりと娘を横一列に並べたかと思えば、吸血鬼はゆっくりとその顔を見つめていく。


 すっ、と鋭い爪を頬に当て、不躾に顔を覗き込んだかと思うと舌なめずりをする。値踏みをするような、冷たい目。


 どうしてだろう。私はこの目を知っている気がした。


「人間など、ただの家畜。我らの足元にも及ばぬ、下等な生き物」


 人の役に立つために育てられるのが、家畜だ。だから、吸血鬼にとって人は、その血を得るための家畜にしかすぎないのだろう。フローリングに落ちたポテトチップスの欠片を、私は見ないふりをした。


 白い首元に容赦なく歯を立て、吸血鬼は娘の血を全て飲み干してしまう。ぐったりとした娘は、吸血鬼の腕の中でその生を終える。


 あの青い目に私はどんな風に見えるのだろう。


 牛乳の満ちた牛乳パックのように、ただの血が満ちた肉のかたまりのようにしか見えないのだろうか。


 その夜、私は夢を見た。


 テレビの中のアナウンサーが、XX市のマンションの一室で二十七歳の女性の変死体が見つかったという凄惨なニュースを淡々と読み上げる。


 部屋に横たわる変死体は、そのまま私の姿になる。


 映画の中の吸血鬼の城は大抵、深い森か人里離れた崖みたいなところにある。

 そして今、それとは程遠いはずの私の部屋の隣にも、住んでいる。


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