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おとなりの吸血鬼は牛乳で生きている~高度に進化した怪異は人間と区別がつかない~  作者: 藤原ライラ


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2.おふくろの味

 ということがあったのが、二か月ほど前。


 それからしばらくは、田上さんの顔が頭から離れなかった。

 ひとつ言っておくが、彼は私の好みではない。


 田上さんは男前だ。整った大変美しい顔立ちをしている。


 けれど、いわゆる濃い顔である。


 一時期流行った分類に、『しょうゆ顔』だとか『ソース顔』だとかいうのがある。

 それでいうと、田上さんはバルサミコ酢かデミグラスソースか、というぐらいのこってりさだ。


 対して、私の好みはさっぱり『塩顔』である。ゆえに、全然好みじゃない。

 それでも、気になることは気になるのである。だって人間じゃないんだし。


 破格の家賃には何か理由があるだろうとは思っていた。けれど、事故物件の情報開示はなかったし、なんだろうなと思っていたら、こんなことだったとは。


 この壁一つ隔てた向こうで息をする人は、吸血鬼。

 まかり間違えば、私の部屋が事故物件になるかもしれない。


 身構えていたけれど、ただ人間どんな状況にでも慣れるらしい。こうして普通に歩いていると、田上さんが吸血鬼であるということをうっかり忘れそうになる。


 といっても、“おとなりさん”との距離感が急激に変化するわけでもなく。


 たまに会ったら挨拶ぐらいはするし、今日みたいに「おひとり様一本限り」で頭数を貸したりはするけれど、それ以上でも以下でもない。


「そうだ。島崎さん、筑前煮要りませんか?」

「ちくぜんに」


 エキゾチックな顔から放たれる純和風のワードに理解が追いつかなかった。


「圧力鍋を買ったので色々作っているんですが、参考にしたレシピが四人分で作りすぎてしまって」

「なるほど。いやでも、悪いです」

 たかだが牛乳を買うのに協力したぐらいで筑前煮は、もらいすぎのような気がする。


「食べきれないかもなので、もしよければ」


 その言葉に私は頷いた。空っぽの冷蔵庫に差し入れはありがたい限りだ。


「あとで玄関の扉の前にかけておきますね。インターホンだけ鳴らすので」

 こういう時も、田上さんは決して我が家に上がり込んだりしないし、逆もしかりである。


「では、また」


 互いの家の扉の前に立てば、持ってもらっていた私のエコバックが、そっと返される。


「はい、また」


 ぱたん、と扉を閉めて一人になる。そこで大きく息を吐いた。


 そこでまるで見ていたかのように、スマートフォンが鳴った。

 表示名は【お母さん】。


「もしもし、お母さん」

『ああ、千夏。元気しとる?』


「うん、まあまあね」

 隣には吸血鬼が住んでおりますが。


「なんかあったん?」


 母とは基本メッセージアプリでやり取りをしていて、電話がかかってくることは稀だ。


『いやね、連休のことなんやけど』


 連休といえば、実家に帰るつもりにしていた。久しぶりに母が作ってくれるごはんも食べたかったし、友人にも会いたい。随分前から予定を決めて、楽しみにしていた。


悠香(はるか)がはるくん連れて来たいって言ってて』


 悠香というのは、二つ上の私の姉。割と早くに結婚して、実家の近くに住んでいる。そして、一昨年生まれたのがはるくん。私にとっては甥っ子で、母にとっては初孫だ。


智昭(ともあき)も帰ってくるって言うしせっかくやし、にぎやかでええよね?』


 こっちは、三つ年下の弟。今は大学院生で、実家から新幹線で二時間ほどのところに下宿している。


 どっちも連休は旅行やらなにやらで実家には来ないと聞いていた。だから、帰省の予定を立てたのに。


「そうなんだ」


 弟の話をする時、母の声が少し嬉しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。

 それとも、私の側の問題なのだろうか。


 お姉ちゃんとは、昔はよく服も交換したし、母には話せないような話もいっぱいした。弟は口数は少ないけれど、仲が悪いということはない。


 けれど、いつからだろう。

 姉弟のいる実家に帰るのがひどく煩わしくなった。


 当然のように過ぎていく会話に、うまく入れない。ただテレビで流れていく映像を見ている視聴者のような気分になる。


「実はさ、私も連絡しようと思ってたんだけど、仕事がちょっと忙しくて」


 嘘を吐く時の自分の声はやけに高らかに響く。


 別に忙しくはない。誰にでもできる仕事を、誰でもできるようにこなしているだけ。代わりはいくらでもいるから、給料は上がらない。だから破格の家賃にも飛びついてしまう。


「だからちょっと帰れそうにないかも。ごめんね!」

『あらまあ。あんたまたそうやって』


 呆れたように息を吐く母が、それから先に続ける言葉を私は知っている。


『そんなんやったらいつまでたってもあんたの結婚式には出れなさそうやね。智に先越されるんちゃう?』


「その時はその時よ。じゃあ、また帰る時連絡するね」


 努めて明るい声でそれだけ言って、通話終了の赤いボタンを押した。


「はあ」


 五分程度の電話だというのに、どっと疲れてしまった。

 そこで、インターホンが鳴った。きっと田上さんだ。


 彼が戻った頃を見計らって、そっと扉を開ける。筑前煮の詰まったタッパが入ったヨルイチのレジ袋が、ドアノブに引っ掛けられている。


 ぱかっと蓋を開ければ、きれいに野菜が盛り付けられていた。彩りよくきぬさやまで入っている。

 行儀悪く玄関で花形の人参をつまんでみる。あの大きな手でこれを一つ一つ切ったのだろうか。仕事が丁寧すぎないか。


「おいしい」


 母が作ってくれた筑前煮とよく似た味がした。もっとも、母はこんな風に人参を飾り切りにしたりはしなかったけれど。


 娘の私が作れない“おふくろの味”を、おとなりの吸血鬼が作っている。

 そのことがおかしくて、私は少し笑ってしまった。


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