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おとなりの吸血鬼は牛乳で生きている~高度に進化した怪異は人間と区別がつかない~  作者: 藤原ライラ


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1.おひとり様一本限り

 想像してみてほしい。


 スーパーユキイチの牛乳売り場の真ん中に、二度見するほどの長身の男前が立っている。ここだけ切り取っても日常系ドラマの一場面になるかもしれない。


 彼は「おひとり様一本限り」の貼り紙をされた成分無調整牛乳を食い入るような目で、見つめている。

 異国の血を濃く宿した青い瞳が、私を見つける。そうして、縋るようにこちらに声をかけるのだ。


「島崎さん、今日は、牛乳はご入用ですか……?」


「ああ、別にいらないですけど」

 そもそも一人暮らしだと一リットルを飲み切ることが難しい。だから私は普段、牛乳を買わない。


「ほんとうですか!」

 彫りの深い顔が、途端に華やいだものになる。


「こんなことをお願いするのは大変恐縮なのですが」


 そのまま彼はおもむろに私の手を取った。

 そう、これは田上(たがみ)さんにとっては死活問題。


「僕の分も買っていただけないでしょうか?」

 だって、田上さんは人間ではないのだから。



 *



 都心から二十キロ圏内のベッドタウン、職場まで一時間のこの街に私は住んでいる。


 1LDKの家賃の相場と比べて、このマンションの私の部屋はその半額。破格と言っていい安さである。

 最初は、五階建てなのにエレベーターがないせいだからだと思っていた。


「いやあ、本当に助かりました。最近は成分無調整牛乳が安くなることが少なくて」


「おひとり様一本限り」は一人暮らしに残酷だ。頭数の壁は一人ではいかんともしがたい。役に立てたなら、よかった。


「低脂肪乳とかは、ダメなんですよね?」


 こういうことは何もはじめてではない。前にも確か、こんな話をしたような気がする。


「そうですね。なにか、満たされない気がするので」


 田上さんは私の分も提げてくれている。食パンと申し訳程度の小松菜が入ったそれ。お金も払ってもらったので何ら問題はないのだけれど、彼は持つと言って譲らなかった。


 たまに行く水族館で買ったファンシーなペンギンのエコバックは、田上さんにはあまり似合わない。


 オートロックの玄関をくぐって、階段を五階まで上る。田上さんの部屋は角部屋だ。私の部屋はその隣。


 引っ越しの挨拶は、女の一人暮らしではしない方がいいと聞いた。だから、しばらくの間は隣人がどんな人かは知らなかった。


 だから、田上さんがおとなりさんだと分かったのは、一度たまたまその辺りでばったり会ってからである。


 あの日も、今日と同じように特売の牛乳を買ってあげた。

 その後、マンションに帰ってから田上さんは神妙な顔をした。


「お話しておかなければならないことがあります」


 こういう顔をした男前というものは、いいものである。はっきりとした顔立ちが途端に憂いを帯びたものになる。


「ああ、じゃあうちの部屋で」

「いえ、女性の部屋にお伺いするわけには」


「じゃあ田上さんのところにしますか?」

「いえ、僕の部屋も……」


 だったらどうしようというのだろう。結局悩んだ挙句、お互い食材を片付けてから手近なファミレスで集合することになった。


 食べたいものがあるわけではないので、単品のドリンクバーを二つ頼む。


 明るいパステルカラーのボックス席に浅く腰掛け、田上さんはテーブルの上で手を組んだ。私のカプチーノと田上さんのアセロラジュースが並んで置かれている。


 田上さんはたっぷり二十秒悩んでから、こう切り出した。


「島崎さんは、吸血鬼、というものをご存知でしょうか」


 その顔を目にしていなければ、揶揄われたと思っただろう。


「はい?」


 知らない、ということはない。映画や小説の中で何度も出会ったことがある、人の生き血を啜る怪異。


「僕は、吸血鬼の血を引いています。具体的にいうと、八分の一が吸血鬼です」


 田上さんの名前は瑠偉(るい)というらしい。どことなく外国の人っぽい名前。


 半分異国の血が流れていることを、ハーフという。

 四分の一は、クォーター。

 じゃあその次はなんと呼ぶのだろう。


「八分の一、ってなんていうんでしたっけ?」

 おそらく突っ込むべきはそこではない。分かっていたのに、私はそれを訊ねてしまった。


「そうですね。その文脈でいうと僕はワンエイスで、曽祖父が吸血鬼です」


 珍妙なことに珍妙なことで返されてしまった。


 頭の中にマントを着たおどろおどろしい男の姿が浮かび上がる。

 目は血走るように赤く、口には鋭い牙が生えている。

 これが、田上さんのひいおじいさん。


「田上さんは、不死なんですか?」


 吸血鬼は不死で、銀の弾丸でしか殺せない。そんな話をどこかで読んだ気がする。

 では果たして、この人は。


 田上さんは静かに首を横に振る。


「八分の一なので、僕の吸血鬼の特徴はわずかです。大体は人より少し丈夫なぐらいでしょうか」


「日光は?」

「夏はつらい時もありますが、最近は日傘もあるので」


 令和の吸血鬼は日傘男子だった。技術の進歩は怪異も救う。


 いやいや、他に聞くことがあるだろう。

 ここまで来てずっとじれったいほどに避けていた、この話の核心。


「本当に人の血を、吸うんですか?」


 意を決して問えば、青い目と見つめ合った。

 私の思う吸血鬼はもっとひょろりと青白い顔色をしていて、こんな精悍そうで立派な体格はしていない。


「僕は」

 ぱっちりとした二重まぶたはうらやましい限りだ。


「今までの人生で、人の血を飲んだことはありません」


 吸血鬼のアイデンティティが文字通りその「吸血」というところにあるのなら、血を吸わない吸血鬼はなんだろう。それはもはやただの人間ではないだろうか。


「代わりに必要なものがあります」


「アセロラジュースですか?」

 今田上さんの手の中のコップに満ちている、その液体。それは血のように赤かった。


「いいえ」


 もう一度、田上さんは首を振る。短く切りそろえた前髪が、ふわりと揺れる。


「僕のそれは、牛乳です」


 成分無調整牛乳、おひとり様一本限り。

 さっき見たばかりだ。


「ぎゅう、にゅう?」


 あんな白いもの飲んでどうするのだろう。私の疑問を見透かしたように、田上さんが続ける。


「島崎さんは、牛乳が元々何かご存じですか?」

「元々……」


 昔何かで見た乳しぼりの様子が蘇る。もちろん、牛の乳であることは知っている。けれどそこから先を具体的に思い浮かべることができなかった。


 牛乳の素は、


「なんですか?」


 田上さんはその彫像のような顔を少しも動かさずに言った。


「血液です」

「へっ」


 自分の喉から間の抜けた声がもれた。血の赤と牛乳の白がうまく繋がらない。それら二つは私の頭の中でぐるぐると混じり合って、ひどく浮かれたピンク色になる。


「牛乳は元々血液なんです。牛の乳房の中で栄養が変換されて、乳脂肪やタンパク質になる。この過程で血球成分が取り除かれて、赤色の血液が白い牛乳に変わるんです」


 だから代替品として成立するということなのか。本当に?


 田上さんはそこから何も言わずに、アセロラジュースの赤い水面と見つめ合っていた。そのまま、彼はアセロラジュースを飲みほした。


「僕は仕事でウイルスのことを研究しているのですが、ウイルスというのはおおむね弱毒化していくものなんですよね」


「じゃくどくか」


「宿主なしには生きられないウイルスは、宿主を殺してしまっては意味がない。だから、殺さない程度で増えられるように、弱くなっていく」


 低い声で紡がれるその言葉が最初はうまく漢字にならなかった。けれど、聞いているうちに分かった。


「吸血鬼も同じことです」


 血を吸い尽くされた人間は、死んでしまう。

 だから、殺さなくてもいいように、血の代替品で生きられるように、彼らは弱くなった。


「弱くないと、人とは生きられない」


「はあ」

 それは禅問答のようだった。「強くなければ生きられない」ならすぐに分かるけれど、なんだか意味がわかるようなそうでないような、不思議な気分だった。


「あの部屋の家賃が安いのは、僕のせいです」


 聞けば、あのマンション自体が田上さんの親族の持ち物だという。彼らは都会に出てきたかわいい甥っ子のために、そのうちの一部屋を貸した。


「それがどうして、家賃が安い理由になるんでしょうか?」


 私が問いかけると、田上さんは少しだけ眉を下げた。


「例えばあなたは、殺人鬼が隣に住んでいる部屋に安心して住めますか?」


 まるで罪の告白をするような声だった。そして、それが全ての答えだった。

 田上さんは最後に、他人事のように呟いた。


「高度に進化した怪異は、人間と区別がつかない」


 私の目の前にいるのは、弱毒化した吸血鬼。

 そうして、彼は人に紛れて暮らし、太陽を克服し、人の血の代わりに牛乳を啜るという。


「高度に発達した科学技術は、魔法と区別がつかない」

「クラークの三法則」の第3法則(アーサー・C・クラーク)

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