第8話:王子の憂鬱
王立魔導戦術学院、最上層。
そこには、下層のEクラスとは比較にならないほど洗練された空間が広がっていた。
深紅の絨毯が敷き詰められ、豪奢なシャンデリアが輝く教室。
通称『Aクラス(特進戦術科)』。
ここに在籍するのは、高い魔力値を持つ高位貴族の子息や、類まれな才能を持つ特待生のみ。
選ばれた20名のエリートたちが、優雅に机を並べている。
その中心で、第一王子セオドア・フォン・ルミナスは、退屈そうに頬杖をついていた。
(……退屈だ)
教壇では、初老の教授が「高度戦術魔法理論」について熱弁を振るっている。
だが、その内容はセオドアにとっては、5歳の頃に家庭教師から教わった基礎の復習でしかなかった。
「――殿下。この術式の展開について、いかがお考えでしょうか?」
教授が媚びへつらうような笑顔で問いかけてくる。
セオドアはあくびを噛み殺し、指先を軽く振った。
「『展開』以前の問題だ。その術式、3行目のマナ変換効率が悪すぎる。媒介変数を『風』から『雷』に置換すれば、詠唱時間を0.5秒短縮しつつ、威力を1.2倍に上げられるだろう」
「は、ははぁっ! 流石でございます! 素晴らしいご慧眼!」
教室中から、パチパチと称賛の拍手が湧き起こる。
セオドアは薄く微笑んでそれに応えたが、内心では冷めきっていた。
(……茶番だ)
王命により、この戦術院に入学して1年。
表向きは「生徒の模範」として振る舞っているが、セオドアにとってここは「ゴミ捨て場」以外の何物でもなかった。
国中の貧民や、魔力の低い貴族をかき集め、兵隊として使い潰すための施設。
自分のような王族が、本来いるべき場所ではない。
(だが、父上は仰った。『これからは個の武勇ではなく、集団戦術の時代だ』と)
あの伝説の聖女ソフィア・ローゼンバーグが提唱した「魔導戦術」。
それを学ぶために、わざわざ泥にまみれて生活しているのだ。
「……失礼します」
授業の合間。
側近の男子生徒が、セオドアの耳元に近づいてきた。
彼はAクラスの級長であり、セオドアの腰巾着でもある。
「殿下。……少々、耳障りな報告が」
「なんだ?」
「Eクラス……あの『廃棄物処理場』の方で、小競り合いがあったようです。ドルトン子爵家のガイルが、停学処分を受けました」
「ガイル? ああ、あの魔力制御が少しマシだった男か」
セオドアは記憶の片隅から名前を引っ張り出した。
以前、Aクラスへの昇格を懇願してきたが、魔力値が基準に足りなかったため蹴落とした男だ。
「何をした? 平民でも殺したか?」
「いえ……逆です。『返り討ち』にされました」
「は?」
セオドアの眉がピクリと動く。
「相手はアリア・ミル・ローゼン。魔力値『2』の、魔法が使えない令嬢です。……ガイルは彼女に対し、取り巻きを含めた5人で挑みましたが、魔法を一発も撃てずに……その、物理的に粉砕されたそうです」
「……」
セオドアは絶句した。
魔導師が、魔力を持たぬ者に負けた?
しかも5対1で?
「馬鹿な。魔法を使われる前に倒したとでも言うのか?」
「はい。……さらに不快なことに、レイン教授はその暴挙を『正当防衛』として認め、アリアをお咎めなしとしました。今やEクラスでは、その女が英雄気取りで我が物顔をしているとか」
「……ハッ」
セオドアは短く嘲笑した。
「レイン教授らしいな。あの男は『結果』しか見ない。だが……美しくない」
セオドアは手元の美しい羽ペンを、指先でポキリと折った。
「魔法こそが、この世界における絶対的な『秩序』だ。魔力を持たぬ猿が、たまたま奇襲で人間に勝ったからといって、それを是とするなど……秩序への冒涜だ」
セオドアの指先から、青白い火花が散る。
彼にとって、魔力を持たない者は「守られるべき弱者」であり、同時に「支配されるべき家畜」だ。
家畜が主人に牙を剥き、それを許されたのなら、示しがつかない。
「目障りだな」
「はい。……どうなさいますか? 我々Aクラスの手で、制裁を下しましょうか?」
側近が問う。
セオドアは窓の外、遥か下層にあるEクラスの校舎を見下ろした。
「私が直々に動くほどの価値はない。……だが、学院の品位に関わる問題だ」
セオドアは立ち上がり、冷徹な瞳で告げた。
「レイン教授に提案しよう。来週の『合同演習』……予定を変更して、AクラスによるEクラスへの『戦術指導』をしてはどうか、と」
「戦術指導、ですか? しかし、それはまさか……」
授業と称して、鞭打つつもりだ。
「構わんだろ。猿には猿の分際を、泥には泥の居場所を教えてやるのが、上に立つ者の『義務』だ」
セオドアの全身から、膨大な魔力が陽炎のように立ち上る。
それは生徒のレベルを遥かに超えた、王族のみが持つ覇気だった。
「アリア・ミル・ローゼンか。……魔力なき騎士などという幻想が、いかに脆いものか。私の魔法の前で、絶望と共に理解させてやろう」
王子の憂鬱は、サディスティックな愉悦へと変わった。
彼はまだ知らない。
その「泥の兵隊」の中に、魔法の理屈が通じない天敵が潜んでいることを。




