第6話:暴力という名の教育的指導
「さあて、てめぇの両目が潰れるのと、ミナの借金を帳消しにするの、どっちがいい?」
アリアはガイルのネクタイを締め上げ、眼球ギリギリに指を突きつけた。
冗談ではない。
こいつは本気でやる。
ガイルの本能がそう告げていた。
恐怖で股間が熱くなり、みっともない染みがズボンに広がる。
「ひぃッ……! わ、わかった! 帳消しだ! 帳消しにするからぁ!」
「口約束じゃ信用できねえな。……書け」
アリアは懐から一枚の羊皮紙とペンを取り出し、ガイルの目の前に突きつけた。
ミナに事情を聞いた昨日の時点で用意していた、借用書破棄の誓約書だ。
「今すぐここに『全額返済済み』と書いてサインしろ。 ……あ、印鑑なんて持ってねえよな? なら、拇印でいいか」
「へぶっ!」
こともなげにアリアはガイルの顔面を殴ると、ガイルの鼻からはポタポタと血が垂れてきた。
「ちょうどそこに、鼻血がいっぱい垂れてるしな」
「あ、あぁ……」
ガイルは震える指を自分の鼻血に浸し、誓約書に血の拇印を押した。
アリアはそれをひったくり、内容を確認してニヤリと笑った。
「よし。……ほらよ、ミナ。受け取んな」
アリアは呆然としているミナに誓約書を投げ渡した。
「あ……アリア、ちゃん……」
「これでその鎖はなくなった。……あとは、自分の足で立てるな?」
ミナは涙を流しながら、血のついた誓約書を抱きしめ、何度も頷いた。
「き、貴様ら……! いい加減にしろ!」
そこでようやく、腰を抜かしていた教師が立ち上がった。
顔を真っ赤にして叫ぶ。
「アリア! これは暴行傷害だ! いくらなんでもやりすぎだ! 即刻退学処分にしてやる! 衛兵を呼べ! この狂犬を突き出してやる!」
教師の怒号に、ガイルが「そうだ! 退学だ!」と息を吹き返す。
だが、アリアは涼しい顔で教師を見返した。
「退学? なんでですか?」
「な、なんでだと!? クラスメイトを半殺しにしておいて!」
「いやいや先生。校則、読みましたよ?」
アリアはポケットから、入学時に配られた『生徒手帳』を取り出し、パラパラとめくった。
「本校、校則第12条。
『構内における私闘は原則禁止とする。
ただし、一方が攻撃魔法(殺傷能力のある術式)を行使し、他方の生命を脅かした場合、被害者側による無制限の自衛権(反撃)を認める』」
アリアは倒れている男子生徒たちを指差した。
「こいつら、私に向かって『ファイアボール』だの『ウィンドカッター』だの撃とうとしましたよね? あれ、当たったら死にますよ?
私は死にたくなかったんで、必死に(・・・)抵抗しただけです」
「ぐっ……! だ、だが、彼らはまだ魔法を放ってはいなかった!」
「詠唱に入って杖を向けたら、それはもう『発砲動作』でしょうが。それとも先生は、撃たれて死んでから文句を言えと?」
「そ、それは……屁理屈だ!」
教師が顔を真っ赤にして反論しようとした、その時だった。
「──屁理屈、か。……嘆かわしいな」
凍てつくような低い声が、教室の入り口から響いた。
その場の空気が一瞬にして張り詰める。
全員が扉の方を向くと、そこには一人の男が立っていた。
銀縁の眼鏡。
白衣の上に、仕立ての良いスーツを着込んだ知的な青年。
『数理・戦術学部』の教授であり、この学院の実質的な管理者の一人、レインだ。
「レ、レイン教授……!?」
教師が狼狽える。
レインは冷徹な瞳で教室の惨状を一瞥すると、倒れている男子生徒たちをまるで道端のゴミでも避けるかのように跨ぎ、悠然と教壇へ歩み寄った。
「私が採用した教師が、これほど頭が固いとはな。……彼女の言っていることは『屁理屈』ではない。純然たる『事実』だ」
レインは手元のタブレットを教師の目の前に突きつけた。
「教室内の監視映像だ。ガイル・フォン・ドルトンによるミナへの恐喝、教唆。そしてアリアへの虚偽告発、窃盗の捏造。……全て記録されている」
「なっ……!?」
ガイルが顔面蒼白になり、ガタガタと震え出す。
レインはタブレットを操作し、さらに冷たい声で続けた。
「その上で、お前たちは寄ってたかって攻撃魔法の詠唱に入った。アリアの言う通りだ。先に殺傷能力のある武器を抜いたのはお前たちだ。彼女には、身を守るためにあらゆる手段を行使する権利がある」
「で、ですが教授! ここまでやる必要は……!」
教師が食い下がるが、レインはその言葉を鼻で笑い飛ばした。
「むしろ、魔力を持たない相手に、ここまでやられたと、恥ずべきじゃないのか?」
レインは眼鏡の位置を直し、倒れ伏して呻いているガイルたちを冷ややかに見下ろした。
「魔力を持った男が5人がかりで、魔力のない少女一人に、魔法を使う隙すら与えられず、一方的に制圧された。……その事実こそが全てだ」
レインの声には、怒りよりも深い、純粋な呆れと軽蔑が込められていた。
「恥を知れ。魔導師が、その慢心ゆえに泥を舐めたのだ。貴様らは魔導師以前に、戦士としても欠陥品だ」
「あ、あ、あぁ……」
ガイルは失禁したまま、絶望の表情で崩れ落ちた。
この学院のトップに「欠陥品」の烙印を押されたのだ。
それは、社会的な死刑宣告に等しかった。
「裁定を下す」
レインが宣言する。
「アリア・ミル・ローゼンの行動は『正当防衛』と認定する。暴行に関しては、不問だ。……逆にガイル他4名は、校則違反および著しい品位の欠如により、無期限の停学とする」
「て、停学……!?」
「安心しろ。ただ休ませるわけではない。
我が校自慢の『地下特別再教育プログラム』を受けてもらう」
レインがニヤリと、悪魔のような笑みを浮かべた。
「この学校は、創設者の意向により、『既存の権威』や『常識』よりも、『事実』と『実力』が優先される。」
歪んだ学校であることには間違いがないが──アリアの暴力は、学校側によって『正当な行為』と太鼓判を押されたのだ。
「……だってさ」
アリアは髪をかき上げ、ガイルを見下ろした。
「よかったな、退学じゃなくて。『再教育』ってのが何をさせられるのか知らねえけど……ま、精々頑張ってこいよ。出てきたらまた相手してやるよ」
「い、嫌だぁぁぁッ! 助けてくれぇぇぇ!」
ガイルたちの絶叫が響く中、いつの間にか現れた屈強な警備ゴーレムたちが、彼らを荷物のように担いで連れ去っていく。
教師も腰を抜かして動けない。
嵐が去った教室で、レインはふとアリアの方を向き、一瞬だけ眼鏡の奥の瞳を細めた。
「……やりすぎではあるからな。掃除の手間が増える」
「あんたも言ったろ、正当防衛だって。私がやらなきゃ、炎と風だ、建物ごと燃えてたぜ」
アリアが悪びれもせず答えると、レインは「ふん」と小さく鼻を鳴らした。
「まあいい。……面白いデータが取れた。次からはもう少し『綺麗に』やれ」
それだけ言い残し、レインは踵を返して教室を去ろうとした。
アリアはお咎めなし。
それどころか、事実上の「勝利」を公認されたのだ、が──アリアが叫ぶように言った。
「……気に入らねぇな! 一つ聞かせろ。お前ら、ミナがされてたこと気がついてたな」
レインの足がピタリと止まる。
彼は背を向けたまま、感情のない声で答えた。
「何のことだかな」
「とぼけんじゃねぇよ。学校の至るところに監視用の魔道具がついてんじゃねぇか」
アリアが鋭い視線を教室の隅へ送る。
一見すれば、壁のシミや飾りの黒い「点」にしか見えない。
だが、その違和感にアリアは最初から気づいていた。あれは壁に埋め込まれた超小型の「眼」だ。
「……あの教師の様子からして、先生全員があれの存在を知っているわけじゃねぇみてぇだが……。お前ら『運営』は見てたんだろ? ミナが脅され、玩具にされてるのを。ずっと、特等席で」
アリアの声に怒気が混じる。
この男たちは、イジメすらも「生徒の行動データ」として観察していたのだ。介入すべきラインを超えるまでは、放置することを良しとして。
アリアは拳を握りしめ、レインの背中を睨みつけた。
「次はねぇからな。私の連れ(・)を実験動物扱いしてみろ。……その眼鏡、叩き割ってやる」
レインは僅かに肩を揺らし、口元だけで笑ったようだった。
「ふっ」
肯定も否定もしない。
ただ、その嘲笑とも賞賛とも取れる短い吐息だけを残し、レインは今度こそ教室から姿を消した。
「……チッ。食えねぇ野郎だ」
アリアは不機嫌そうに舌打ちをして髪をかき上げると、へたり込んでいるミナの方へ向き直った。
「行こうぜ、ミナ。ここはもう、私たちの庭だ」
「う、うん……! アリアちゃん……!」
アリアは机を蹴って道を空けさせると、ミナの手を引いて歩き出した。
倒れ伏す男子生徒たちは、誰一人としてアリアの背中を睨むことすらできなかった。
教室を出て行く二人の背中。
その日、Eクラスのヒエラルキーは完全に崩壊し、新たな「支配者」が誕生した。
魔力ゼロの、最強の狂犬が。




