第5話:断罪の教室
翌日の午後。
昼休みが終わり、午後の授業が始まろうとした時だった。
「先生! 大変です! 実験室の『Aランク魔石』がなくなっています!」
ガイルが大げさな声を上げて教室に駆け込んできた。
後ろには、わざとらしく困った顔をした取り巻きたちと、血相を変えた教師が続いている。
「なんだと? あれは貴重な教材だぞ!」
「僕たちも見回したんですが、どこにもなくて……。でも、昼休みに教室に残っていたのは『一人』だけでした」
ガイルが教室を見回し、そして窓際で頬杖をついているアリアをビシッと指差した。
「アリア・ミル・ローゼン! お前しかいないだろう!」
教室がざわめく。
教師が厳しい顔でアリアの席へ歩み寄った。
「……アリア。ガイルの言うことは本当か?」
「ハッ。寝言は寝て言えよ。証拠はあんのか?」
アリアは不敵に笑い、足を組んだまま答える。
その態度は、誰がどう見ても「ふてぶてしい犯人」のそれだった。
「証拠ならあるさ! 鞄の中を見せてもらおうか!」
ガイルがアリアの机に詰め寄り、彼女の革鞄を逆さまにして中身をぶちまけた。
教科書や筆記用具が床に散らばる。
そして、その中から――コロン、と。
青く輝く『Aランク魔石』が転がり落ちた──はずだった。
「――っ! あったぞ! やっぱりこいつが盗んだ……ん、だ」
ガイルが勝ち誇ったように叫んたが、しかし実際に転がりでたのは、ただの石、灰色の小汚い石だった。
「な、どういう……いや、中にはいっているはず!」
ガイルがもう一度鞄をも振るも、もはや何も出てこない。
「せ、先生! それに、目撃者もいます! ……おい、ミナ。お前、見たんだよな? こいつが魔石を鞄に入れるところを」
ガイルが、アリアの隣で震えているミナを睨みつけた。
「ひっ……!」
ミナの顔から血の気が引く。
教室中の視線が彼女に集まる。
ガイルの目は笑っていなかった。『言え。言わなきゃ親の店を潰すぞ』と無言で脅している。
「あ、あ……わ、私……」
ミナはガイルを見て、次にアリアを見た。
アリアは表情を変えず、ただ静かにミナを見返している。
「……おい、ミナ! 早く言えよ! こいつが盗んだんだろ!?」
ガイルが苛立ち、ミナの肩を乱暴に掴んだ。
その痛みで、ミナの中で何かが弾けた。
もう、誰かを裏切るなんて、あんな思い、二度とごめんだ。
「……ち、違います」
ミナは震える声で、けれどはっきりと言った。
「え?」
「アリアちゃんは……盗んでいません。……ガイルくんが、私に『アリアの鞄に入れろ』って命令したんです!」
「はぁ!?」
予想外の裏切りに、ガイルが素っ頓狂な声を上げる。
教室が水を打ったように静まり返った。
「な、何を言って……! おい! ふざけんなよ!」
ガイルが激昂し、ミナの胸ぐらを掴み上げた。
「テメェ! 自分がどうなるか分かってんのか!? 借金だぞ! お前の家の借金、今すぐ取り立ててやろうか! 親父とお袋がどうなってもいいのかよッ!!」
公衆の面前での、あからさまな脅迫。
教師が止める間もなく、ガイルはミナに拳を振り上げた。
「この嘘つきアマが! 教育し直してやる!」
ミナはギュッと目を閉じた。
殴られる。
でも、もう怖くなかった。
正しいことすると、こんなに勇気が湧くと思わなかった。
「──よく言ったじゃん」
ドガッ!!
鈍い音が教室に響いた。
ミナを殴ろうとしたガイルの腕が、真横から蹴り上げられていた。
「が、ぁ……!?」
「あーあ。語るに落ちてやがんな。その無駄にデカい頭蓋骨には、脳みその代わりに腐った汚泥でも詰まってんのか? これで『脅迫』と『教唆』の事実は確定だな、バカ息子」
アリアが机の上に立ち、ガイルを見下ろしていた。
その顔には、凶悪なまでの愉悦の笑みが浮かんでいる。
「借金? 取り立て? へえ、子爵家のご立派なご令息が、随分とセコい真似をするもんだな。だがな……金で人の心を縛れると思ったか? 残念だったな」
「き、貴様……! ふざけやがって!」
ガイルが痛みで顔を歪めながら叫ぶ。
取り巻きの男子生徒たちも、慌てて杖を構え始めた。
「やっちまえ! この女、退学覚悟で暴れる気だ!」
「ファイアボール!」
「ウィンドカッター!」
数人の男子が一斉に杖を構え、口々に詠唱を始める。
教室内のマナがざわめき、熱や風が渦巻き始めた。
だが、アリアは欠伸をするように軽く首を鳴らすと、嗜虐的に口角を吊り上げた。
「……だーかーら」
バヂィンッ!!
アリアが床を蹴った瞬間、木製の床板が悲鳴を上げて砕け散った。
視界から消える、などという生易しい速度ではない。
爆発的な踏み込みが生んだ突風が、一番手前の男子の前髪を巻き上げる。
「詠唱が、遅せぇんだよ」
耳元で死神が囁いた時には、すでに勝負は決していた。
アリアは男子の懐に滑り込むと、杖を握る右手首を逆手に掴み――容赦なく捻り上げた。
ボキリ。
乾いた破砕音が、詠唱の声に取って代わる。
「ぎゃああああッ!? お、俺の腕ぇぇぇッ!?」
「うるせえな、耳障りだ」
アリアは悲鳴を上げる男子生徒の下顎を膝で蹴り上げ、物理的に黙らせると、手から杖をもぎ取り、それを次の標的へ向かって、投槍のように振り抜いた。
ヒュンッ!
風切り音と共に放たれた杖は、炎魔法を放とうとしていた二人目の男子の額に、吸い込まれるように直撃する。
ゴッ!!
「あぶっ!?」
白目を剥いて倒れる男子。杖の先端に灯りかけていた火種が、儚く霧散する。
「ひ、ひぃッ! 来るな! 『ウィンド・カッター』!!」
三人目が半泣きで風の刃を放つ。至近距離。
避ける暇はない。
だが、アリアは避ける必要すらなかった。
彼女は近くの空き机の脚を蹴り上げ、瞬時に盾にしたのだ。
ガガガッ!
風の刃が天板を削る。
その木屑が舞う中、アリアは机ごと相手に突進し、その鳩尾へ机の縁を叩き込んだ。
「がはっ……!?」
魔法が発動する暇すらない。
いや、発動したところで、彼女の暴力には追いつけない。
一方的な蹂躙。
教室は一瞬にして、悲鳴と破壊音が支配する地獄へと変わった。
「せ、先生! アリアをめてください!」
ガイルが教師に助けを求める。
だが、教師が動くよりも速く、アリアはガイルの目の前に立っていた。
「お前は、なんだよ、魔法使わねぇのか?」
「な、舐めるよっ!」
ガイルは杖を捨て、指先に魔力を込めた。
アリアが挑発的に笑う。
その余裕の態度が、ガイルのプライドを逆撫でした。
「な、舐めるなよッ!」
ガイルは手にした杖を床に投げ捨てた。
貴族というものは、元来戦場で名を挙げた者の末裔。
彼──ドルトン子爵家も例外ではなく、特にこの一族は、魔力操作において一騎当千の働きをした男の末裔だった。
ガイルもまた、特別な遺伝子を持ち、凡人とは違う優れた魔力制御の才が刻まれている。
(杖など不要……! 俺の才能なら、指先だけで十分だ!)
彼は右の人差し指に、残った全魔力を一点集中させた。
圧縮。
凝縮。
それは彼がこのクラスで「王」として君臨できた理由。
初級魔法『マジック・バレット』を極限まで圧縮し、貫通力を高めた独自の必殺技──
『魔弾』。
「死ねぇぇぇッ!!」
至近距離から放たれた、高密度の魔力弾。
音速を超えるその一撃は、本来ならば回避不可能。
まともに喰らえば、人体など容易く貫通する致死の一撃だった。
――ヒュンッ。
だが、アリアは表情一つ変えず、首をわずかに傾けただけだった。
まるで蚊を避けるような、最小限の動作。
ジュウウゥッ!!
直後、アリアの頬を掠めた魔弾が、背後の壁に突き刺さった。
鉄筋コンクリートで補強された頑強な壁が貫通し、紫煙が上がる。
「は……?」
ガイルの動きが止まる。
今、確実に当てたはずだ。
この距離で、この速度で、外すわけがない。
呆然とするガイルの耳元で、アリアが楽しげに囁いた。
「へえ。いい魔法じゃん」
アリアの頬から、ツゥーっと一筋の血が流れる。
本当に、紙一重ではあったが。
「……だが、喰らうまでもねぇ!」
「ひっ……!」
アリアは悟らせない。
ガイルのネクタイを掴み、強引に引き寄せた。
至近距離で、猛獣の瞳が彼を射抜く。
「言っとくが、これは『正当防衛』だ。今の、当たってたら私、死んでたもんな? あとは……『取引』だな。……さあて、てめぇの両目が潰れるのと、ミナの借金を帳消しにするの、どっちがいい?」
教室が、戦場へと変わる。
Eクラスの王を気取っていた男たちが、本当の「捕食者」に狩られる時間の始まりだった。




