第3話:ミナ
「――次は、ミナ・アルレット。前へ」
午後の実技演習。
無精髭の教師が気だるげに名前を呼ぶと、アリアの隣に座っていた小柄な少女、ミナがビクッと肩を震わせた。
「は、はい!」
ミナは慌てて席を立ち、教壇の前へ進み出た。
Eクラスの生徒たち――特に後方の男子グループから、下卑た笑い声が漏れる。
「おい見ろよ、掃除係のお出ましだ」
「今日は何を見せてくれるんだ? お洗濯か?」
クスクスという嘲笑の中、ミナは顔を真っ赤にして杖を構えた。
課題は『標的への魔力放出』。
単純な攻撃魔法の基礎だ。
「い、いきます! 『ウィンド・カッター』!」
ミナが必死に杖を振る。
だが、先端から出たのは鋭い風の刃ではなく、そよ風のような微弱な気流だけだった。
標的の紙が、ぺらりと揺れる。それだけだ。
「……ぷっ、あはははは!」
教室中が爆笑に包まれた。
「なんだそりゃ! 涼しくていいな!」
「扇風機代わりにもならねえよ!」
「う、うぅ……す、すみません……」
ミナは泣きそうな顔で俯く。
教師もため息をつき、冷たく告げた。
「不合格。……お前の適性は『生活魔法(洗浄・浄化)』しかないんだ。攻撃魔法など期待するだけ無駄か」
生活魔法。
それは魔導師の世界において、最も下等とされるカテゴリだ。
汚れを落としたり、水を浄化したりするだけの、家事手伝い用の魔法。
戦闘には何の役にも立たない。
「席に戻れ。時間の無駄だ」
「は、はい……」
ミナがトボトボと席に戻ってくる。
アリアは頬杖をついたまま、その様子をじっと見ていた。
(……今の魔力制御、悪くないけどな)
威力は皆無だが、魔力を練る速度と、放出した風の純度は高かった。
ただ、出力が絶望的に足りていないだけだ。
授業が終わり、教員が部屋を出る。
「……ドンマイ」
アリアが小声で声をかけると、ミナは驚いたように顔を上げ、そして弱々しく笑った。
「ありがとう、アリアちゃん。……私、昔からこれくらいしかできなくて」
「掃除が得意なら、部屋が綺麗になっていいんじゃねえの」
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいな」
ミナが少しだけ表情を緩めた、その時だった。
「オイ、ゴミナ(・・・)」
後ろの席から、野太い声が飛んできた。
教室の空気が凍りつく。
足を投げ出して座っている大柄な男子生徒、ガイルだ。
子爵家の三男で、素行不良でこのEクラスに落とされた男。このクラスの「王」を気取っている。
「ガ、ガイルくん……なに?」
ミナの表情が一瞬で強張る。
「喉渇いた。なんか飲み物持ってこい。……あ、ついでに俺の靴、汚れてるから綺麗にしとけよ? 得意なんだろ? 『お掃除』」
ガイルは泥のついた革靴を、ミナの机の上にドンと乗せた。
明確な侮辱。
「……っ」
アリアの眉がピクリと動く。
だが、ミナは怒るどころか、すぐに杖を取り出し、笑顔を作った。
「う、うん! わかった! すぐ綺麗にするね! 『クリーン』!」
ミナが魔法をかけると、革靴の泥が一瞬で消え去り、ピカピカに磨き上げられた。
「はい、綺麗になったよ……」
「おー、すげえすげえ。やっぱお前、メイドの才能あるわ! じゃあ次は飲み物な。1分以内で戻ってこいよ?」
「う、うん!」
ミナはパシリとして教室を飛び出していった。
ガイルたちはそれを見て、腹を抱えて笑っている。
「あいつマジで便利だわー」
「逆らわないから使い勝手いいよな」
(……クソが)
アリアは舌打ちをし、机を蹴り飛ばしたい衝動を抑えた。
だが、これはまだ序の口だった。
放課後。
アリアが帰ろうと荷物をまとめていると、またガイルたちがミナを囲んでいた。
「おいミナ。ちょっと来いよ」
「え、で、でも今日は寮の門限が……」
「あ? 俺たちの頼みが聞けねえのか?」
ガイルが凄むと、ミナは小さく震え上がった。
「……ううん、聞く。行く」
「よし。俺らちょっと肩凝っててさぁ。空き教室で『マッサージ』頼むわ。お前のその手、ちっちゃくて気持ちいいんだよなァ」
ガイルが卑猥な手つきでミナの肩を撫でる。
その意味するところを察し、アリアの中で何かが切れる音がした。
ガタッ。
アリアが椅子を蹴って立ち上がった。
「おい」
低く、ドスの利いた声。
ガイルたちが振り返り、アリアを睨む。
「あ? なんだよ狂犬。テメェもマッサージして欲しいのか?」
「テメェらのツラで、地面にマッサージ(・・・・・)させてやろうかと思ってな。……嫌がってんだろ。失せろ」
アリアが剣の柄に手をかける。
一触即発の空気。
だが、それを止めたのは、他ならぬミナだった。
「だ、ダメェッ!!」
ミナがアリアの前に飛び出し、両手を広げて立ちはだかった。
「アリアちゃん、やめて! お願い!」
「……はぁ? お前、何を――」
「私は平気だから! マッサージするだけだから! ね? だから……お願い、何もしないで……っ」
ミナの瞳は、懇願するように潤んでいた。
それは「助けてほしい」という目ではない。
「これ以上事態を悪化させないでくれ」という、諦めと恐怖に満ちた目だった。
「……チッ」
アリアは舌打ちをし、剣から手を離した。
本人が拒否している以上、無理やり介入すれば、余計に彼女の立場を悪くするかもしれない。
「……好きにしろ」
「ありがとう……ごめんね」
ミナはガイルたちに連れられ、教室を出て行った。
去り際、ガイルがアリアに向かって「バーカ」と口の形だけで嘲笑うのが見えた。
一時間後。
アリアが寮の談話室で本を読んでいると、ミナが戻ってきた。
「……」
その姿を見て、アリアは読んでいた本を握り潰しそうになった。
ミナの制服は乱れ、ブラウスのボタンが掛け違っていた。
髪はボサボサで、スカートには土埃がついている。
そして何より、襟元から覗く白い首筋には、新しくつけられた赤い鬱血痕のようなものがいくつもあった。
「……おかえり」
アリアが声をかけると、ミナはビクッと肩を跳ねさせ、慌てて襟を立てて首を隠した。
「た、ただいま、アリアちゃん……」
「……マッサージにしては、随分と激しかったみたいだな」
「う、うん……ちょっと、凝りが酷かったみたいで……あはは……」
ミナは乾いた笑いを浮かべ、逃げるように自室へ入ろうとした。
アリアはその細い腕を掴んで引き止めた。
「おい」
「っ!?」
「何された」
アリアの真剣な眼差しに、ミナの顔が歪む。
だが、彼女は首を横に振った。
「……なんでも、ない。私が我慢すれば、それで丸く収まるの。借金のこともあるし……逆らったら、もっと酷いことになるから……」
「借金?」
「……ううん、忘れて。あの、お願いアリアちゃん、私から話かけて変に思うかもしれないけど、私に関わらないで。教室では変わらずに話し掛けるけど、む、無視してほしいな……」
ミナはアリアの手を振りほどき、部屋に駆け込んで鍵をかけた。
扉の向こうから、押し殺したような嗚咽が聞こえてくる。
アリアは廊下に一人残され、ギリリと奥歯を噛み締めた。
(我慢すれば丸く収まる、だ?)
そんなわけがあるか。
奴らは、抵抗しない玩具を壊れるまで遊び倒すだけだ。
借金か何か知らないが、それを盾にここまで尊厳を踏みにじるとは。
しかも、学校側もこの出来事を知っているはずなのに黙認している。
「……上等だ」
アリアの瞳に、明確な殺意が宿る。
(私の前で胸糞悪い真似しやがって。……ガイル、だったか。テメェの寿命ごとすり潰してやる)
アリアは拳を握りしめ、冷たい廊下を歩き出した。
これは、報復でもなければイジメでもない。
ただの害虫駆除の簡単な仕事。




