第2話:傷だらけの隣人
「──謹慎処分、解除。今日から授業に出席しなさい」
寮監の冷淡な通告を受け、アリア・ミル・ローゼンは一週間ぶりに自室の重い扉を開けた。
入学初日。
絡んできたクラスメイトの男子生徒3人の腕をへし折り、鼻を陥没させた結果がこれだ。
「はっ、まぁいい筋トレ期間だったよ」
アリアは首をポキポキと鳴らしながら、真新しい制服に袖を通した。
一週間の監禁生活など、彼女にとってはただの休暇だった。
部屋の床が抜けるほど腕立て伏せをし、ベッドの柵を握力トレーニングでひん曲げたおかげで、体のキレは以前よりも増している。
王立魔導戦術学院、第18基礎クラス。
通称『Eクラス』。
校舎の最下層、日当たりの悪い廊下の突き当たりにその教室はあった。
ガラララッ……。
アリアが扉を開けた瞬間、騒がしかった教室が水を打ったように静まり返った。
数十人の生徒たちの視線が一斉に突き刺さる。
その大半は男子生徒だ。彼らはアリアを見ると、怯えたように目を逸らすか、あるいは遠巻きに睨みつけてきた。
(……フン。相変わらず陰気な連中だ)
アリアは構わず教室内を歩き、指定された席――窓際の一番後ろへ向かった。
ドカッと椅子に座り、机の上に脚を組んで乗せる。
誰もアリアに近づこうとはしなかった。
「狂犬」
「暴力女」
……そんな陰口がヒソヒソと聞こえてくる。
だが、一人だけ例外がいた。
「……あの、おはよう!」
隣の席から、恐る恐る、けれど努めて明るい声がかかった。
アリアが横目で見る。
そこにいたのは、小柄で栗色の髪をした少女だった。
少し大きめの制服を着ていて、小動物のような愛嬌がある。
だが、その笑顔はどこか引きつっていて、無理に作っているように見えた。
「……あ?」
アリアが低く唸ると、少女はビクリと肩を震わせたが、逃げずに続けた。
「わ、私、ミナ・アルレットっていうの。よろしくね、アリアちゃん!」
「……ちゃん付けすんな」
「だって、このクラス、女の子は私とアリアちゃんだけなんだもん。女子同士、仲良くしたほうがいいかなって……」
ミナは必死に笑顔を保っている。
アリアはため息をつき、威圧するように睨んだ。
「おい、チビ。私の噂を聞いてないのか? 初日に男3人を病院送りにしたんだぞ。私に関わると、お前の骨も折れることになるぞ」
普通の令嬢なら、これで泣いて逃げ出すはずだ。
だが、ミナは意外な反応を見せた。
「ううん。……私、見てたよ。あの日」
ミナは声を潜め、少しだけ頬を紅潮させて言った。
「アリアちゃんが、あいつらを殴り飛ばしたところ。……すごく、かっこいいって思ったんだ」
「はぁ?」
「あいつら、いつも偉そうで……誰かがやっつけてくれないかなって思ってたから。だから、私……アリアちゃんの隣になれて、ちょっと嬉しいの」
ミナはへにゃりと笑った。
アリアは毒気を抜かれたように、ふんと鼻を鳴らした。
「……物好きな奴だ。好きにしろ」
「うん! ありがとう!」
ミナは嬉しそうに教科書を広げ始めた。
拒絶されなかったことが、よほど安心だったようだ。
チャイムが鳴り、無精髭を生やした教師が入ってきた。
授業が始まる。
内容は『魔力循環の基礎』。
魔力を持たないアリアにとっては退屈極まりない時間だ。彼女は早々に寝る体勢に入ろうとした。
ふと、視界の端に何かが映った。
隣の席のミナが、黒板の文字を書き写そうと腕を伸ばした時だ。
少し大きめの袖がめくれ、手首から肘にかけての肌が露わになった。
「……っ」
アリアの目が細められる。
そこには、赤黒い痣と、火傷のような爛れた痕が無数にあった。
転んでできるような傷ではない。
明らかに、人為的に付けられた暴力の痕跡。
しかも、古い傷の上に新し傷が重なっている。
(……おいおい)
アリアの視線に気づいたのか、ミナは慌てて袖を引っ張り、傷を隠した。
そして、アリアに向かって「ごめんね」と言うように、またあの無理な笑顔を向けた。
「……どうした、その傷」
アリアが小声で問う。
ミナは一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに誤魔化すように手を振った。
「あ、これ? ううん、なんでもないの!
私、ドジだからよく転んじゃうんだ。えへへ……」
嘘だ。
その傷は、何かに縛られた跡や、熱した棒を押し付けられたような痕だった。
それに、教室の前方に座っている男子生徒たちが、時折ニヤニヤしながらミナの方を振り返っている。
まるで、所有物を確認するかのような、粘着質な視線。
(……は、くだらねぇ)
アリアは直感した。
この少女が、なぜ自分に近づいてきたのか。
単なる憧れだけではない。
彼女は、何かに追い詰められている。
そして、その原因はこの教室の中にある。
「……ふーん。気をつけて歩けよ」
アリアはそれ以上追求せず、再び机に突っ伏した。
だが、その瞳の奥には、冷たい怒りの炎が灯っていた。
(面白くねえな)
アリアは理不尽が嫌いだ。
視界の隅に映るニヤケヅラが、かつての婚約者と重なる。
それが自分に向けられたものであろうと、他人に向けられたものであろうと。




