優等生ちゃん②「信頼で成り立つ二人一組の競技」
優等生ちゃんが臆病なのは、前回話した通りである。
大きな音や、急な動き、予期しない出来事には、わりと素直にびっくりしてしまう。
突風が吹いたときや、遠くで何かが倒れた音がしたとき。はたまた木々のざわめきや、近くで鳥が飛び立つ瞬間、いきなり視界に入ったとき。これは人間もそうだが……たとえ、「今のなに?」くらいの出来事でも、優等生ちゃんは一瞬、ぎょっとした顔をして、そちらを不安そうに見てしまう。見て確認しないと気が済まないのだ。
「なんですか? 怖いやつですか? 大丈夫ですか?」
なーんて言いたげな目で見つめるのだ。
一目散に逃げ出してしまう馬も多くいるなか、彼女は逃げ出さずに辛抱強く我慢できるタイプである。でも相応に気になってしまいはする。
人間にとっては突然のロデオが発生しないため、安心安全な子だ。
たとえば競馬場で、あるいは動画などで、馬が跳ねたりしているのを見たことがあるだろうか? 通常の若い馬は、びっくりすると考えるよりも先に足が動いてしまうものだ。
歳を重ねるごとに『慣れ』て大抵の物音には動じず、人間のほうがびっくりしているのに、馬は微動だにしないなんて逆パターンになっていったりもする。
こういう大人しさは、体感だと主に体躯の大きな馬でよく見られる光景である。サラブレッドは基本的に感受性が敏感なので大きく反応してしまうが、外国産の馬などはこうして動じない子が多く感じる。
犬でたとえてみよう。小型犬ほど神経質で、大型犬ほどどっしりとしていて動じない。そんなイメージがないだろうか? 馬も同じなのだ。
さて、そんなサラブレッドの中でもことさら大人しい気質の優等生ちゃんだが、暴れないとはいえ困った性質がある。
動かない、けれど『知らない(気がする)もの』が通り道の近くにあるときに、その困った性質を発揮する。
たとえば散水車。馬場を湿らせ、砂埃を立たせないために使うことのある車だ。馬場の近くとはいえ、十メートル以上離れた駐車場に停まっているだけで、動きもしない。
――なのに、それがある日突然気になり始めてしまう。
さっきまで、何事もなかったようにその横を走っていたよね?
昨日も見たよね?
なんなら毎日そこにあるよね?
……というこちらの事情は一切関係なく、彼女は突然気がついたかのように気にし出してしまう。
優等生ちゃんはそんなとき、散水車があるほうの道を内側に切り込んでくる。なるべく近づきたくないというふうに、控えめに近回りしてきてしまうのだ。
馬の行く道のことを、乗馬用語で蹄跡と言う。馬が通るべき、決まったラインだ。車のタイヤの跡のようなもので、大体の馬はそこを通るだろう道。優等生ちゃんは、その蹄跡の内側にさりげなく入ってくるのだ。
当たり前の顔をして、さもここを通るのが正解ですよというふうに。
そうして近まわりをすることで、問題の物体からじわじわと距離を取ったルートを歩いたり走ったりする。
すごい! 賢い! 天才! と思うのだけど、実はこれ、騎乗中にやったら叱られてしまうポイントである。
フリーで放牧をされているときならいくらでも避ければいいのだが、騎乗中にこれをやられるということは、騎乗者が馬の意思で動かされているということになる。つまり、制御できていないということ。
この現象は、大抵『馬なりで動いている』と言われる。
つまるところ、優等生ちゃんが悪いのではなく乗っている人間側が問われる問題なのだ。
「そこ、通れるよ」
「大丈夫だよ」
馬にそう伝えられていない。伝わっていないということだ。
馬は背中で感じることができる生き物である。鞍越しだとしても、乗っている人がビビっていたら馬も不安になるし、騎乗中に意識が逸れていたり、あわあわして焦っていると簡単に馬にしてやられてしまう。馬にとってはレッスン中走る時間が長いのだが、なるべく近回りをして走る距離を減らそうと小細工するのは当たり前のことである。
優等生ちゃんにその気はないが、レッスン中。あるいは競技中に馬が制御下から外れていることが、そんな細かいところでバレるのだ。
故にここで、はっきり分かれてしまう。ただ馬に「乗っているだけの人」と、馬に「信頼されている人」に。
騎乗者は、ただ背中に乗っていればいいわけではない。相手は生き物なのだ。別々の意思を持った者同士で、手綱や乗りかたを通して言葉のない会話をし、そして意思疎通をはかってお互いに納得のできるようにやり取りをする。乗馬とは、常に2人一組によるチーム戦のようになる。
だから、騎乗者は馬を納得させなければならない。
「この人の言うことなら、きっと大丈夫だよね」
「この人が行けと言うなら、行ってみよう」
そう思ってもらえなければ、正しい乗馬は成立しない。
数年前のオリンピック競技で、障害飛越競技のソデ(支柱)がやたら派手なことについて物議を醸したことがあると思う。派手すぎて馬が怖がり、立ち止まってしまうようなものはいかがなものか? という問題だ。
私たち乗馬関係者にとっては競技のソデは馬をビビらせるくらいのものでなければならないと思っているから、一般の人々の感覚を知るいい勉強になったと言える。
そもそも、オリンピックに出るような人馬は高い障害を、バーを落とさずに飛ぶことなんて『当たり前にできる』ことだ。
あの派手なソデは、『信頼関係』を見るために存在している。派手じゃないソデでは平気な顔をして飛べるはずなのに、派手なソデで立ち止まってしまったりするということは、「行け」という騎乗者を馬が信頼しきれていないということになるからだ。
こうして大会の裏側を知ることで、分かることもある。また競技を見る機会があったら、その辺りのことも注意して見ていると面白いかもしれない。
さて、信頼関係についてをいち早く話してしまったが、弊乗馬クラブの優等生ちゃんは、その違いを実に分かりやすく教えてくれる子だといえよう。
信頼できる人が乗っているとき、彼女はちゃんと蹄跡を通るのだから。
不安そうにちらりと散水車を見る。でも、「大丈夫」と伝わるとそのまま進む。体は逃げそうになるが、騎乗者はそんな馬の内側のお腹に足をつけて壁をつくる。これ以上内回りをしてはダメだよとやんわりと。そうして会話をする。
一方「ただ乗っているだけ」のとき、彼女は容易に近回りをする。騎乗者が「あ」っと思った頃にはもう内側に切れ込まれていたりするのだ。
そして、乗り手のほうが叱られる。
優等生ちゃんは、別に人を困らせるためにそんなことをしているわけではない。
オリンピックだけでなく、馬の制御の話をしたが……ここでよく誤解されることがある。
ムチを持っている姿や、手綱を強く引く姿を見ると、恐怖で馬を支配しているように見えることがある。
だが、実際は逆だ。人間が本当の意味で馬を力でねじ伏せることなど、できやしない。本気で嫌がられたら、馬の力に人間の腕力で敵うわけがないのだ。
恐怖で支配しようとすれば、うまくいかないどころか、必ずどこかで破綻するものである。
だからこそ、乗馬は「信頼」で成り立っている。
馬が全身を預け、人がその命を預かる。
意のままに操っているように見えるあの状態は、実は完全に信頼されている証なのだ。それは、きっと競馬でも同じだろう。競馬というのは、馬の本能を強く刺激することで成り立っているものだからだ。
優等生ちゃんは、馬と人との信頼関係についてを教えてくれる先生でもあるということだ。
できていないことを、はっきりしかし静かに教えてくれる。
こちらをちらりと見て、「……どうする?」と問いかけてくるように見えるのはきっと気のせいじゃないだろう。
彼女に乗っているときだけでなく、他の馬に乗っているときでも、その問いにちゃんと答えられる人間でありたいと私は思う。
人馬一体という言葉は「信頼」の上で成り立っている。




