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かわいさは蹄でやってくる!―乗馬クラブで働く私の、馬まみれエッセイ―  作者: 時雨オオカミ
第一章【生活の音】

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馬がいる生活

 職場には階段を降りて徒歩十秒で辿り着く。

 始業時間ギリギリまでベッドにかじりついてあと五分……は誰でもよくあることだが、私もまさにそうだ。そういう意味では、この職場は最高の環境かもしれない。なんせ本当にギリギリ身支度ができる時間まで目を瞑っていられるのだから。


 手早く準備を済ませて階段を一歩降りれば、その音を耳聡く察知して一斉にいななきが響いてくる。犬の吠え声ではない。個性様々な鳴き方でいななく馬たちの大合唱だ。


 ドキュメンタリー番組とかなら、このいななきたちに「おはよ〜!」なんて字幕を付けたくなるだろうけど、多分実際には「ごは〜ん!!」の大合唱である。

 現場に生きる私たちにとっては、可愛く挨拶をする馬という夢はほぼ見られない。朝ごはんをねだって吊られた桶を鳴らす催促の音はそこまで可愛らしいものじゃないからだ。


 朝、職場に降りてまずはじめにやるのは馬たちの朝ごはんをあげていくことである。


 常に馬たちとの『密着二十四時』な生活。

 住み込みの乗馬クラブスタッフの朝はこうしてはじまる。


 ご飯を運んで、数人で三十頭くらいの馬たちのそれぞれ違うメニューを与えていくのだ。もちろんご飯の量は厩舎にそれぞれメモ書きが貼り付けてあるので、暗記をする必要はない。暗記は格好いいかもしれないが、馬のご飯を間違えるほうが大問題なのでそんなことは起こり得ないようにしなければならない。


 このご飯の際には投薬のある馬にもお薬入りのご飯が配られる。

 この投薬がまた難航する。

 驚いたことに、馬へ与えられる錠剤はほぼ人間と変わらないのだ。種類は変わらないが、量は違う。なんと一回十錠。つまり薬ワンシート分がデフォルト。体の大きさの違いに圧倒される量だ。

 当然のことながら人間や犬猫と同じように、馬も薬なんて苦いだけで大体嫌いである。それでも必要なときはあるもので、これまた同じくお薬を飲ませるための攻防が生まれるのである。

 なーんも気づかずにバリバリ他のご飯と一緒に食べる馬もいれば、砕いて混ぜても器用にその部分だけ残す馬もいる。

 最終手段は砕いてお湯で溶かしたあと、ペレット状の主食に吸わせて与えるご飯のお薬()えや、ニンジンに砕いた粉を纏わせて与える方法である。これだと大体の馬は仕方なく、あるいは気づかずに食べてくれる。


 そんなこんなんで朝ごはんの麦などの主食。そして何キロかの乾いた草(以下、乾草)を馬房に次々と入れていく。


 これが終わったら次は水の入った桶を洗って入れ替える人と、馬房を掃除していく人に分かれることだ。春から夏は問題ないが、秋や冬はこの水桶洗いの作業は過酷を極める。

 しかし春夏が楽というわけでもない。動物の住む厩舎で飼料を管理しているということは、ちょろちょろと歩き回るネズミさんもたくさんいるということである。

 洗う際に……水飲みに失敗したらしき姿がたまに浮かんでいる。ちょっとしたホラーシーンである。故に洗う際には慎重になりがちだ。怖いので。


 馬房掃除では様々な馬とのエピソードがよく生まれる。

 ただでさえ馬それぞれに性格があるので、馬房掃除ひとつでも行動がいろいろと変わって大変面白いのだが……それについては第二章にて多く触れようと思う。


 馬房掃除は多くの数があるため、午前中までに終われば万々歳。ここが一番の体力勝負だ。

 乗馬は優雅なものというイメージがどうしてもあるだろうが、下働きも乗るほうも等しく重労働である。乗るだけじゃんと思われがちだが、普通のスポーツとは違う筋肉を酷使するため、たとえスポーツ経験者でも初手筋肉痛になるのが普通である。

 さて乗馬については置いておいて、一番体力を持っていかれる馬房掃除の話だ。一人二人ではなかなか終わらないが、数人は馬の運動やお客さんのレッスンに行かなければならないので仕方がない。恨みがましい目をしつつ、運動する側も大変なので割り切ってざくざくお掃除。ここが工夫のし甲斐があるのだ。

 いろいろ試してひとつの馬房を掃除する時間を少しでも短く、しかしクオリティは下げないように……と、こう書くと小難しそうに見えるが、オタクの私としては、ゲームクリアの時間を短くするのに工夫する『タイムアタック』感覚である。


 馬房の掃除の間に、お客さんの送迎をしたり、馬に乗ったり、馬を紐で繋いでくるくる走らせる調馬策(ちょうばさく)をしたり、お客さんのレッスンをしたり、あっという間に午前中が終わるとお昼の時間。


 お昼には三百〜四百キロある大きな乾草ロールを転がしたり、悪魔の持っていそうな、三本歯の長いフォークを使って運んだりして分配。水を足してお昼ご飯の用意が完了する。


※なお、スタッフのお昼ご飯は現場に誰か一人いる状況を作りつつ、順番に行くものとする。

 全ては馬ファーストである。


 ただし馬もお昼頃にレッスンに出なければならない子は、渋々ご飯をつまみながら出てくることになる。廊下に落ちている草に首を伸ばして文字通り『道草を食い』ながら準備に向かう姿は若干哀愁が漂っている。そうだね、三十分前にご飯あげてたとしてもご飯中に連れていかれるもんね……。

 後ろ髪を引かれるという言葉がよく似合うくらい、紐で引かれながらチラチラ草を何度見もしながらお仕事に向かう馬は可愛い。こっちを見ても助けられないよ。頑張ってご褒美になにか貰うんだよ、と心の中で応援して手を振る。そんなぁという顔でとぼとぼ連れていかれる。可哀想だが、結構な癒しになる。


 馬の運動についても詳細はまた第二章で後述するとして、仕事のない馬は馬房でのんびりしたり、掃除したあとすぐに寝転がったり(そこをスタッフが通りかかり、インスタにアップする用の写真を確保したり)、放牧に出されて走り回ったり、人が紐をつけて一緒に散歩(曳馬(ひきうま))に行ったりする。


 運動が終わった馬は体のお手入れをしたり、お手入れに使ったタオル類を洗濯したりしながら終業の準備が始まる。

 運動が終わっていない馬をどうにか運動する人と、そして終業作業として夜ご飯の準備をする人。乗馬クラブによっては夕方にもごく軽い馬房掃除をする場合もある。


 夕方の分の乾草、薬、麦やペレットのような主食、そして明日の朝の分の乾草を用意して、水を足す。

 冬場なら、昼間の間に脱がせていた馬着(ばちゃく)を何枚か着せてあげたり、窓を閉めたり。


 全て終えて掃き掃除までして、明日のレッスン表、お客さんへ向けた、「今日はこの子に乗ってもらいますよ」という配馬表などをホワイトボードに書いたらおしまい。


 終業後はそれぞれ厩舎の上部にある社員寮の部屋に戻り、自由な時間を過ごす。(※ただし馬たちに異変があった場合はその限りじゃない)


 ……ゲームしたり、テレビ見たり、買い物行ったり、銭湯行ったり、外でご飯食べたり、仮眠とってから深夜活動を始めるオタクがいたり。乗馬クラブスタッフだとは言っても、仕事の後に自由な時間を過ごすのも、朝はできるだけ長く眠っていたいのも普通の人となにも変わらないのだ。


 ただ、すぐそばに馬がいる。背中越しに感じる馬の息遣いがそこにある。

 乗馬クラブスタッフは、ただそれだけの普通の社会人である。

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