07 モラハラ夫良き夫になる
「ねえ、おとーさん。おきてぇ」
俺は小さな手が、頬をムニムニしているのを感じ、しばらく考えた。
はっとする。俺の産んだ青翔が大きくなったのか?
え?でも、さっき産んだばかりで?
慌てて目を開けて見ると、息子の青翔が真剣な顔で俺を起こしていた。
「早く、起きないと遅刻するよって、
ママが言ってる」
ママとは?
もしかして千春?
俺は青翔をだっこしてキッチンに足音を消すように、恐る恐る向かう。
リビングの扉を開くと、ガチャっと音が鳴った。
その音で気がついたのか、キッチンの主は、こっちを見ないで文句を言う。
「早く朝食を食べてくれないと、片付かないのよ」
ち、千春だ!!
あまりの嬉しさに俺は返事もできない。
だが、そのせいで千春はスッゴク不機嫌な声になった。
「ねえ、聞いてる?」
かなり苛立っている。
そりゃそうだ。
俺は朝御飯を食うだけ。
自分の身支度して出掛けるだけ。
でも、千春は青翔の用意して、自分の化粧や用意。
食べた後の後片付けもしている。それに、帰って来てからの家事を減らすために、風呂まで洗っている。
それを見ることなく今まで、任せていた俺。
今、千春のお腹には二人目がいるっていうのに・・。
動き回る千春を見て、俺はなんだか泣けてきた。
なんでか、涙が止まらない。
ここに帰って来た喜びと、千春に無理を言い続けた俺に、我慢してくれていた千春への感謝の気持ちが溢れたんだと思う。
「うっ・・ううう・・」
嗚咽が漏れる。
「え? まこちゃん? どうしたの?」
千春が食器を洗う手を止めて、俺の傍に来た。
「パパ? だいじょうぶ?」
青翔も、俺のズボンを引っ張りながら心配そうに下から覗き込む。
「・・ごめん。千春、今までごめん。俺、これから変わるよ。ちゃんと家事もする。買い物だって行くよ」
そう言うと、俺は千春の目の前でお袋に電話した。
「お袋? 俺の大事な嫁をいびるような真似はしないでくれ。今、千春のお腹には二人目がいて、大事な体なんだ。だから、今日からしばらくは家に来ないでくれ。何か用事があったら、俺に電話をくれ。もし勝手に来たら、二度と孫に会えないと思ってくれ」
それだけ言うと、お袋が喚いていたが電話を切った。
千春が目を真ん丸にして驚いていたが、ポツリと言った。
「まこちゃん、ありがとう」
って。
それからの俺は本当に変わったと思う。
俺はマザコンだった。その証拠の黒歴史である、お袋と選んだベッドを買い換えて、千春と新しく買った。
そして、これからは千春の意見を優先すると誓う。
ある日、家に帰ると千春がつわりで苦しそうにしていた。
すぐにビニールを被せた桶を用意。
「千春、食べられるものがあったら言ってくれ。今から開いてる店で買ってくるから」
そう言うと、千春は青い顔で「オレンジが食べたい」と言う。
俺は飛ぶようにスーパーマーケットまで買い物に行って、夢で作っていたご飯の材料を買って帰り、すぐに調理を始めた。
完璧・・、とは言えないがまずまずの料理を作り、青翔にも食べさせる。
その他の家事もこなし、千春が動かなくていいように、頑張った。
「まこちゃん。仕事から帰って来たばかりで、ごめんね」
千春の言葉に俺は首を振った。
「何言っているんだよ。それは千春も同じだし、それに千春のお腹には、二人の子供がいるんだよ。大事にして欲しいよ」
千春は何か言おうと思ったみたいだったが、すぐに苦しそうにえずいていた。
「可哀想に、苦しいよな・・。頑張れ、頑張れ」
俺が背中をさすると、青翔も一緒にさすってきた。
俺はその後も必死で考えて、千春の妊娠生活を支え、今度こそ千春に心穏やかな妊娠ライフを送ってもらうんだと心に誓う。
そして、千春の陣痛が始まった。
夢とはいえ、あの激痛は覚えている。
苦痛に歪む千春に寄り添い、手をさするが、それしか思い付かない。
せっかくの経験が全く活かされないのだ。
だって、あのときどうやって乗り越えたか、記憶が曖昧でさ。
無我夢中だったし・・。
「千春、俺がついてる。役に立たないけど」
苦しむ千春の顔がより一層歪んだとき、子供が産声をあげた。
俺の感動はマックスだった。
産まれた我が子を見て、大泣きだ。
「ちはるぅぅぅ・・、ありがとうぉぉ。痛みに堪えて、俺の嫁はすごい!!」
「もう、大袈裟よ。まこちゃん、恥ずかしいから涙と鼻水拭いてよ」
千春は俺の大泣きが恥ずかしいらしい。でもよ、あの痛みに堪えて、産んでくれたのだ。
感謝感謝だろー。
午前中に産まれた後、俺はずっと千春の傍にいた。
俺は離れがたかったが、夕方になると産院から、面会時間は終わりだからと、追い出される。
寂しそうな顔をする俺に、千春が「明日もきてね」なんて言うもんだから、「絶対に来るよ」って約束したんだ。
あー早く明日が来ないかなー!!
◇□ ◇□
千春が荷物を整理していると、同室の女性がカーテンを開けて話かけてきた。
「岡田さんの旦那さんって、優しいですよね。ずっと感激して、岡田さんのことずっと労ってましたよね?」
「ええ、家でも家事も子供の面倒も率先してしてくれて、本当に助かってますわ。でも、一人目の時は、酷くて離婚も考えていたんですよ」
千春は母子手帳を鞄から出し、その中に挟んでいた離婚届を出した。
「でも、たぶんもうこれは必要ないわ」
千春が破ろうとしたとき、同室の女性が慌てる。
「その離婚届、私にくださらない? 私はすぐにでも必要なの」
千春は迷ったが、女性に渡すことにした。
「真弓さんがそう言うなら、お渡ししますけど・・でも、お子さんが産まれたばかりなのに、いいんですか?」
千春が真弓と呼んだ女性は、清々しいまでに顔が晴れやかで、ずっと前から決意していたようだった。
「ええ、今まで我慢しなきゃって、ずっと思っていたんです。けど、少し離れたところから夫と姑を見る機会があったの。それで、思ったんです。私の人生にあの二人は要らないって。これからの人生を、この子とやり直すんだってね」
真弓は受け取った用紙を、大事そうに机にしまったのだった。
ギリギリで離婚を回避したことを、真は知らなかった。
だが、大事な家族をこれからも守ると決めた真は、千春と子供たちと末長く暮らしていく。
また陽一と留子は、この後、真弓にあっさり離婚されて、マザコン夫と子離れできない母として、不遇の人生を過ごしたのだった。
ーーーー終ーーーー