02 モラハラ夫、つわりで苦しむ
トイレから出てきた俺が、あまりにもボーッとしているので、俺の旦那とやらに連絡を取って、迎えに来てもらった方がいいと看護師に言われた。
だが、全く名前も思い浮かばない。
そもそも俺の旦那って、想像しただけで気持ち悪いので断った。
運ばれた先が、俺こと真弓が通っている産婦人科だったということで、そこで今の住所と夫の名前を聞くことができた。
自分のことを教えて欲しいと看護師に頼んだときは、脳に異常があるんじゃないかと、精密検査を勧められたが、なんとかごまかした。
俺が真弓として住んでいる住所は、以前千春と暮らしていた同じ賃貸マンションだ。号室も同じでほっとする。
以前と同じ場所ってだけで、少し気が楽だな。
鍵を開けて家に入ると、中は全く違ってがっかりした。
俺が選んだ家具も、電化製品も何一つなかった。
そう言えば、お袋が選んだベッドは・・。
寝室のベッドも違っていた。
がっかりだ。
しかし、気落ちしていられない。
真弓としての、人物背景をちゃんと知っておかなければいけない。
っていうのは分かっているが、それよりも、帰って最初にしたのは、千春に電話をかけることだ。
持っていたスマホで千春の携帯に電話をする。
だが、繋がらない。
「お掛けになった・・」が流れたのだ。
次に俺のお袋(富子)にも電話をかけたがダメだった。
実家の家電もダメ。
友人、知人、職場繋がりも全滅だ。
そう、俺を・・真を知っている人は、この世界ではいないのか・・。
こんな、何も分からないところで一人放り出されたら、生きていけない。
産婦人科で教えてもらったことは・・。
俺は岡田真弓という女性、27歳。
夫は真弓と同い年の陽一という男。
会社は、イエウリマクール不動産開発株式会社という、俺の前の勤め先とは違う会社だった。
真弓の日記を読んで分かったが、真弓と陽一という男は同期で、新入社員の研修で意気投合して、すぐに結婚したっぽい。
「うっっ」
苦しい・・。
吐き気が・・。
トイレに駆け込む。
そう言えば今妊娠7週目って言われたけど、後ちょっとでこのつわりも終わるのか?
「げええ」
はーはー・・もうしんどい。
二日酔いはしんどいけど、吐いたその後、ちょっとは楽になるのに・・。
つわりは吐いても吐いても楽にならんのが辛い。
ピンポーン。
誰かきた?
配達か?
ピンポーン。
今、配達来られても無理、ここから動けねーよ。
ピンポーン。ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン。
しつこい。
急ぎの配達なのか?
吐き気と戦いながら、俺、インターホンに向かう。
「はい、ちょっ」
「早く鍵を開けろ!! いつまで旦那様を玄関で待たすんだ!!」
げっ!
こいつが俺の・・真弓の夫の陽一か?
ふらふらしながら玄関に行き、鍵を回すと同時ドアが勢いよく向こう側に開かれて、もう少しで転倒しそうになった。
「危な・・」
危ないだろう!と文句を言う前に、陽一がガミガミ怒鳴ってきた。
「俺がインターホンを押したらすぐに、鍵を開けにこいよ!」
は?こいつ何を言ってやがるの?
『俺は今吐き気でトイレに入ってたんだよ。出れるわけねーだろ。それに、そもそも鍵を持っているなら、自分で開けて入ってこいよ!!』
「私、吐き気でトイレに入ってたの。だから、出れなかったのよ。自分で鍵を開けて入ってきてくれない?」
見事に女言葉に変換してた。
俺ビックリ。
「一家の主人が帰ってきたんだから、鍵くらい開けろよ。ところで、晩飯は?」
「今日、つわりで倒れて、病院に行ってたの。だから、まだ何も作ってないわ。同じ会社なんだから知っているでしょ?」
こう言えば、普通に考えて『じゃあ、出前にするか』となるだろうな。
なんて思った俺がバカだった。
「主人が仕事から帰ってきたのに、待たすのか? 早くなんか作れ!」
目の前の男はなんと、妊娠で苦しむ俺を気にかけることもない。
なんてやつだ!鬼畜じゃねーか!!
・・・。
あれ?
俺、もしかして・・、千春が妊娠でつわりが酷かった時、こいつと同じこと言ってた気がする・・。
あ・・。
言ってた・・。
『俺が営業で歩き回って帰ってきたのに、メシ作ってねえの?』
俺がガミガミ言うと、千春は申し訳なさそうにしてた。
『つわりで、ご飯、作れなかったの。だから、今日は何か買って来てほしい・・』
あの時の千春、青い顔だった。
トイレでゲーゲー吐いてたもんな。
今なら俺、気持ち分かるよ。
二日酔いの方が、全然ましじゃん。
だって終わらない吐き気って、マジ、地獄だ。
あの時、千春立ち上がってご飯作ったよな。
なんて考えてたら、陽一が横に来て威圧する立ち位置で見下ろす。
こいつ178センチあって、今の俺155センチ。
こんなふうにされると、怖いって感じるんだ。
ゾッとしていると、陽一が睨みながら、「早くなんか作れよ」と一言。
くっそーー・・でも・・。
千春も作ってたんだから、俺もしないといけないのか?
立ち上がってご飯を作る。
だが、さらに気分が悪化する。
ご飯の炊ける匂いが、刺激になってますます吐きそうだし、生肉も焼いた肉匂いも全部無理。
作業する度、『おえー』ってなった。
やっと作ったご飯を並べる。
陽一は、俺が懸命に作った料理を目の前にしても、労いの言葉一つない。
当たり前のように席に着いて、食べ始めるが、俺はつわりでソファーに倒れ込んだ。
食べられないご飯を作る虚しさったら、ないぜ。
しんどい・・。
陽一は、食器の片付けすらしない。
俺もしなかった。
だって、以前の俺は主人だったし。
ん?
一家の主人ってなんだろう?
俺(真弓)も仕事してるのに、買い物、食事の用意、皿洗い、乾燥後の食器片付け、洗濯、洗濯干す、取り入れ、畳む、掃除、っておかしいだろ?
おえええーー・・
ストレスで吐き気が・・。
そう言えば、千春と生活してたとき、俺は何をしてた?
仕事から帰って来たら、千春の作ったご飯食べて、その後ソファーに寝っ転がって、テレビやスマホ見てただけだったかも・・。
今の俺、つわりで終了してる。
食器を流しに浸けるだけで、精一杯だった。
はーつらい・・。
明日になれば、治って動けるかも。
なんて思っていたら、ピンポーン。
だ、だれだ?
こんな遅くに、もう9時じゃないかよ。