第三話 覚醒
変化した自分の体を確認する。
背中にはコウモリの翼。身体はバイクに乗る時のライダースーツの上から、黒い鎧を被せたような姿になっている。顔がどんな風になっているのかは分からないが。
「コバット。この姿は」
『キシシシ。ダイゴの深層心理にある強い姿だ』
そう言われると、何となくイメージがついた。
コウモリの騎士――俺の姿はそんなところだろう。
「よし。行くぞコバット」
俺は翼を広げると、屋上を蹴って空へと飛び出した。
巨大アリネズミに向かって飛びながら、右手を前に出す。するとそこには、長いバールのようなものが顕現する。なるほど、確かにこれは俺の心の中にある「強いもの」を具現化する力なのだろう。
「ギヂュギヂュギヂュギヂュ……」
ネズミはこの世のものとは思えない醜い声で、俺を威嚇するように鳴いた。まぁ、配下をあれだけ葬れば、恨みを買うのも仕方がないだろうが。
「ギヂュアアアアアアアア!」
「うるせえ!」
襲ってきたのはお前だろうが。
俺は空中で前転しながら、巨大アリネズミの頭を思い切り殴りつける。ゴインという鈍い音があたりに鳴り響き、奴は頭を抱えて蹲った。大丈夫、これなら戦える。
俺は上空へ舞い戻りながら、思考を巡らせる。
「コバット。どうしたら奴に止めを刺せる」
『あのアリネズミは、トーテムが憑依するための依り代を持ってるはずだ。それを見つけてオレに食わせろ』
「依り代? ネズミが持ってんのか」
コバットの依り代である勾玉のようなモノを、あのアリネズミが持っているようには見えないが。
『絶対に何かある。このトーテムは宿主であるネズミの意志を無視して憑依してんだ。その媒介として、依り代を身に着けさせるのは絶対だからな。それを探せ』
そう言われても、手がかりすらないんじゃな。
それに、あたりはすっかり薄暗くなってしまった。音で周囲を知覚するコウモリにとって、普通の行動をするにはさほど問題ないが、それでも依り代を探すとなると少々厄介だ。
「ギヂュギヂュギヂュギヂュ」
巨大アリネズミは周囲にあった樹木をバリボリと噛み砕いて、股の間から大型犬サイズのアリネズミをボトボトと生み落としていく。なるほど、あまり時間をかけるとあいつらがシオネのもとに到達してしまう。
『トーテム同士の戦いは、つまり依り代の奪い合いだ。あいつがシオネのところに辿り着く前に決着をつけろ』
「簡単に言ってくれるな」
仕方ない、やるしかないか。
俺が上空から真っ直ぐ舞い降りると、ネズミは待ち構えていたように両腕を広げる。誘い込まれたか。
俺が鈍器を振るうのと、奴が腕を振るのはほぼ同時だった。俺は確かな手応えを覚えながら、跳ね飛ばされてアスファルトに叩きつけられる。
「ギヂュアアアアアアアア!」
『ダイゴ! 大丈夫か!』
「あぁ。それより、一撃入れてやったぜ」
視線を向ければ、奴の前歯は二本とも根本が砕けていた。狙い通りだ。
奴が子ネズミを生み出すためには、その材料として樹木を齧る必要がある。それなら、齧るのを不可能にしてやればいい。痛い一撃も食らってしまったが、それだけの価値はあっただろう。
「――分裂召喚」
『ダイゴ!』
「コバットは分体で子ネズミどもを狩れ。シオネを守るのが最優先。俺はまだ戦える」
俺はそう言って立ち上がる。
身体がバラバラになるかと思うほどあちこち痛いが、不思議と思考は澄んでいた。巨大アリネズミを観察していて、一つ気がついたことがあるんだ。あれはおそらく。
「なるほどな……コバット。作戦がある」
話しながら、俺は翼を広げて空を滑る。
上空を右へ左へと飛び回る俺に、巨大アリネズミは忙しなく尻尾を振りながらキョロキョロと首を振って俺を追いかけてきた。先ほどのように両手を構えているが、今度は素直に突っ込んでなんかやらない。ときおり攻撃する素振りを見せながら……ひたすら奴を引き付ける。
そうしていると、胸の中に不思議な力が湧き出した。
頭の中にはシオネの声。
【ダイゴ。頑張って。私のヒーロー】
「あぁ、任せておけ――共鳴」
彼女のくれた祈りが、俺の体を修復して痛みを消す。
飛行速度がグンと上がり――俺は巨大アリネズミの腕をすり抜けて、その顎を思い切りかち上げた。奴の身体が硬直する。その刹那。
巨大アリネズミの背後では。
先程折った前歯を拾っていたコバットが、奴の尻尾を切断していた。
「ギヂュアアアアアアアア!」
鳴き叫ぶ巨大アリネズミからさっと距離を取る。
そう、観察していて分かったが。奴はずっと尻尾を庇うよう立ち振る舞っていたのだ。つまり、守るべき依り代が尻尾にあるのだと、自ら教えているようなものだった。
切り離された尻尾をよく見てみると、その先端部分には小さな……赤いリボンのようなものが結び付けられていた。もちろん普通のネズミの尻尾にそんなものは付いていない
「あれが依り代か?」
『あぁ。昔も今も、人間は気に入った動物に装飾品を付けたがるからなぁ……あのネズミも憑依されるまでは、誰かに飼われてたんだろ』
「……そうか」
俺が何とも言えない気持ちになっていると、コバットは尻尾の先まで飛んでいってリボンをパクリと食べた。
それだけで、あれほど巨大だったアリネズミはみるみる小さくなっていき、黒い甲殻もポロポロと崩れ落ちて……そうして残ったのは、白くて小さなハツカネズミの死骸だけだった。
こんな風にして、俺のコウモリ戦士としての最初の戦いは幕を下ろすことになったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
事件から数日後。
シオネと待ち合わせた俺は、喫茶店でコーヒーを飲んでいた。バイト先のコンビニもなくなってしばらく節約生活をする必要があるため、一番安いメニューを選んだ結果である。
目の前にいるシオネは、どう見ても中学生くらいにしか見えないくらい小柄なんだけど……一応、俺より年上なんだよなぁ。まぁ、それは良いんだが。
「どう? ダイゴ。そのコーヒー美味しい?」
「んー……大声では言えないけど。マジで不味い」
「マスター! やっぱりコーヒー不味いって!」
「おいこら」
シオネのとんでもない言動に震えていると、喫茶店のマスターはしゅんとした様子でケーキセットを持ってくる。
「すまないね。ウチのコーヒーは不味いと評判で」
「それは評判なのか」
「お詫びに紅茶をサービスするよ。こっちは美味しいから」
マスターはそう言ってシオネの前にケーキセットを、俺の前に紅茶のカップを置いて、コーヒーを回収していく。
「不味いならどうしてメニューに載せてるんだ」
「なんでも常連にコアなファンがいるらしいんだよ」
「えぇぇ……あのドブ水みたいな液体に?」
俺の言葉に、シオネはクスクスと笑う。
彼女の胸元では勾玉の首飾りが揺れている。
「えっと……改めまして。尾引ダイゴくん。先日は私のことを助けてくれてありがとうございました。本当に感謝しています」
「あぁ、うん。その言葉はもう十分過ぎるくらいもらったよ。むしろ俺のほうが感謝したいくらいなのに。巫女の役まで押し付けちゃって」
「ふふ。私が自分で決めたことだもん。それはもう良いんだよ。コバットとの暮らしも楽しいしね」
依り代をシオネに預けた関係で、コバットは基本的に彼女の家で暮らしている。
ただ、ヤツは毎日のように俺のもとに現れては飯を奪っていくので、最近ではあらかじめ二人分の食事を用意する生活が続いていた。地味に食費が痛い。
「コバットから話は聞いたよ。就職先の企業が倒産して、バイト先のコンビニも崩壊して、収入がないんでしょ?」
「う……そんな情けない情報、共有しなくていいのに」
「でもさぁ。コウモリの戦士としてこれからも活動していくんなら、普通の会社に就職するわけにもいかないじゃない? そこで提案があるんだけど……」
シオネはそう言って、ちょっとモジモジし始める。
「い、一緒に暮らさない?」
「へ?」
「せ、生活費は私が稼ぐから。贅沢はできないけど、とりあえず衣食住に困らない程度ならなんとかする。それだって戦士を支える巫女の甲斐性だよ。任せて」
いやそんな、ヒモみたいな。
「あーその……彼氏とかは」
「いないよ。いたこともないよ。私ちんちくりんだし。私に告白してくるのは極まったロリコンだけだし」
シオネは慌てたように手を振るが。
「別にシオネを好きになるのは、ロリコンだけとは限らないんじゃないか」
「おっと、意味深な発言だぞぉ。そういうの、私は聞き逃したりしない女だからね。へぇぇぇ。ふーん。ダイゴはそう思うんだぁ。うふふ」
「うふふじゃないが」
そうしてお互いに妙な探り合いのようなことをしながら、なんとなく一緒に暮らす方向で話が進む。コバットもこの会話を聞いているはずだが、なんで混ざってこないんだろうな。変な気でも使ってんのか。
「えっと、今のアパートじゃ狭いもんね。とりあえず物件を探すかぁ……どの辺に住みたいとかある?」
「いや、俺は特に。シオネの都合でいいよ」
「分かった。あ、バイクを置けるとこが良いよね」
「別にすぐに買おうとは思ってないけど」
前のバイクは大破しちゃったからなぁ。シオネを助けるためだったから後悔はしてないけど、大事に乗ってたから地味に心に響いてるんだよな。
それに現在進行系でヒモになる話をしているのに、バイクを買いたいなんて贅沢は言いづらいという気持ちもある。
俺の気持ちを見透かしてか、シオネはニヤニヤと笑いながらスマホで物件探しをしている。
「むふふ……正式な引っ越しは先だけど、とりあえずダイゴの部屋に転がり込もうかなぁ。押しかけ彼女的な感じでさぁ」
「グイグイ来るなぁ。別にいいけど」
「別にいいんだ。へぇぇぇ」
「……からかわないでくれ。不慣れなんだ」
そんな風にして、俺たちがなんとも言えないやりとりをしている時だった。
喫茶店の入り口から、一人の女性……ビジネススーツに身を包んだ、どこか冷たい印象の女性がツカツカと入ってきて、こちらへ近づいてくる。俺はシオネの顔を見るが、首を横に振っているので、知り合いではないのだろう。
「……尾引ダイゴさんですね」
「あ、はい」
そうして女性は、一枚の名刺を俺に手渡してくる。そこには彼女の名前と共に「内閣府トーテム災害緊急対策室」という仰々しい組織名が記されていた。政府の組織……か。
「私は小笠原マスミ。ト災対――トーテム災害緊急対策室の室長をしている者です。先日の変異体、通称アリネズミとの戦闘映像を拝見いたしました。まずは国を代表して、事件解決へのご協力に感謝します」
「はぁ。それはどうも」
小笠原さんは感情の籠もっていない声で形式的な感謝を述べると、鞄からいくつかの書類を取り出した。
「これは国からの要請です。ト災対としては、ぜひ貴方を国の特殊エージェントとして雇い入れ、変異体への対処を任務として依頼したいのです。もちろん、変異体の脅威度に合わせて報酬もお渡しいたします。詳しいことは書類をご覧ください」
なるほど。チラリと書類に目を落とせば、お硬い文章で雇用条件や報酬内容について記載されている。ちゃんと読み込むには少し時間がかかりそうだ。
「現在、トーテムの戦士はその多くが高額報酬に釣られて海外に行っております……しかし、政府としても日本を守る人材をみすみす逃したくはない。支援体制を整えるのはこれからですが、可能な限り便宜を図るつもりです。何卒ご検討を願います」
淡々とそう話した小笠原さんは「ご質問があれば名刺の連絡先にご一報ください」と言って踵を返した。ずいぶん棘々しい雰囲気で、忙しそうに去っていったが。
「どうする? ダイゴ」
「うーん。ヒモ生活よりは良いと思うけど」
『ダイゴ、シオネ。あの女の話に乗れ。あれは“長老”役としてなかなか良い資質を持ってるぞ』
「コバット。なんだ急に出てきて……とりあえず、書類をちゃんと読んでからだな」
そうして俺は、書類を読み込みながら、シオネと二人で今後の活動方針をあれこれ検討していった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ヒーローは見返りを求めないと言うのなら、俺はやはりちゃんとしたヒーローには向いてないのだろう。感謝をされれば嬉しくなるし、罵倒されればやる気も失せる。命をかける分のお金は欲してしまうし、戦い以外の日常だって楽しみたいと思っている。
だから、堂々とヒーローを名乗ったりはしないが。
「行くぞ、コバット!」
『下手を打つなよ、ダイゴ』
「あぁ――変身」
それでも俺は俺であるために、自分の心にだけは嘘はつかずに生きていこうと。今日もそうやって、戦い続けている。
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