第一話 契約
本作は全ジャンル踏破「ファンタジー_ローファンタジー」の作品です。
詳しくはエッセイ「なろう全ジャンルを“傑作”で踏破してみる」をご覧ください。
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――ヒーローとは強い信念を持つもの。決して見返りを求めてはならない。
その言葉が本当なら、俺は最初からヒーローになれる資質を持っていなかったのだろう。
気に食わないことに全身で反発しても無条件に許されるのは、無邪気な子どものうちだけ。たとえ余計なお節介だと罵倒されても、否定されても、自分の信念を貫き通せるヤツだけがヒーローになれるのだ。
「……俺は戦士なんて絶対やらん。そもそも他人のために戦うとか、そういうのに向いてる性格じゃない」
俺の言葉に、コウモリの怪物はケタケタと笑った。
『まぁまぁ、そう自分を決めつけんなよ。ダイゴ』
普通のコウモリは手のひらに乗るサイズだけれど、こいつは人間の子どもくらいの背丈で、デカい翼を持っている。しかも日本語を喋る。明らかに普通の生き物ではないだろう。
あ、てめぇ。
唐揚げを盗むな、馬鹿。
『ほう。このカラアゲっての美味いなぁ』
「俺の夕飯なんだが?」
『何言ってんだ、お前。トーテム様は一族を守護してくれる尊い存在。貢ぎ物をするのは当たり前だろう?』
そう言ってコウモリは胸を張る。
この怪物が言うには、トーテムとは人の祈りによって生まれる精霊のようなものらしい。
そして遠い昔、まだ人間が粘土をこね回して土器を作っていた時代に、俺のご先祖様が暮らすムラを守護していたのがコイツなんだとか。まぁ、つい最近まで封印されていたみたいだが。
このコウモリもどきが目の前に現れたのは、つい十分ほど前。自分はトーテムという存在であり、俺と戦士契約を交わしたいのだと言っている。
少し前までの俺なら、こんな怪物と邂逅したら自分の正気を疑っていただろう。しかし現在、世界はまさにこいつらトーテムによって大混乱に陥っているため、怪物の存在にも一応の納得はしている。
「……四国の山で封印が解けたのって」
『そうそう。封印の要石が破壊されたからな。今や数多のトーテムが野に解き放たれ、人に味方する奴も、敵対する奴も出てきている』
「信じたくないが……やはりそうか」
この混乱のきっかけとなった大事件。
それが起きたのは、つい一週間ほど前のこと。ある動画配信グループが徳島県の山で動画の生配信を行っていたのだが……しめ縄のされた霊験あらたかな岩の上で、奴らは酒を飲んで花火を行い、歌いながら大槌を振るって、ノリと勢いに任せて岩を破壊し始めたのだ。彼らはヤバいヤバいと興奮しながら、ひたすら馬鹿騒ぎをしていたのだが。
やがて、岩の中から色とりどりの光玉が溢れ出すと、彼らの様子は一変。突然の事態に誰もが戸惑う中、光玉の一つが近くの野原で弾ける。
するとそこから謎の生物が……ウサギとカマキリを混ぜたような醜悪な化け物が、大地を跳ねながら近づいてきた。そしてそのまま、次々と配信者たちの首を刈り取っていったのだ。
たくさんの光玉が空を舞って飛び去っていく様子を、生配信のカメラだけが無機質に捉える。そしてその映像は、今や世界中で大問題を引き起こしていた。
「あの動画……加工じゃなかったのか」
『そんなことより、そのメシは白米だけを選り抜いて炊いたやつか? 今の人間はずいぶん贅沢だなぁ』
「それは俺の夕飯……あぁ分かったよ、食え食え」
『キシシシシシ。人間社会の変わり具合には驚いたが、その中でもメシの変化は段違いだなぁ』
なんとも呑気なコウモリに、俺は毒気を抜かれてしまう。
「はぁ……俺の夕飯は塩おにぎりかな」
『オレの分も作れよ』
「お前は俺の唐揚げ弁当を全部食ってるだろ!」
冷凍ご飯をあたためながら、スマホで動画を探す。
再生した動画に映っているのは、先程までギャンギャン騒いでいた配信者どもが、ものすごい速度で跳ね回るカマキリウサギによって首を切り落とされていく様子だった。その血みどろの映像はメジャーな配信サイトからは削除されているため、閲覧するには規制の緩い少々アングラなサイトを検索する必要があった。
「なぁ、コウモリ。この映像の化け物って……」
『あん? あぁ、野兎の身体にカマキリ型のトーテムが憑依したんだろうな。別に珍しくもないだろ』
「珍しいんだよ、今の世の中だと」
あれ以降、世界各地で「変異体」と呼ばれる化け物が人間を襲い始めた。
また時を同じくして、トーテムと契約した人間が「戦士」として超常の力を振るい、変異体と戦うようになっている。彼らは皆からちょっとしたヒーローとして持て囃されているが……実際は、戦って命を落とす者も少なくない。
「トーテムと戦士契約をした人間はどうなるんだ?」
投稿された動画で分かっている範囲だと。
戦士になった人間は、臨戦態勢になると全身に入れ墨のような模様が浮かび上がる。さらにはトーテムを召喚したり、トーテムの一部を身体に纏って戦うこともできる。明らかに普通の人間とは違う存在に変貌しているな。
『そうだなぁ。魂の波長によっても変わるんだが……簡単に言えば、肉体が強靭に作り変えられ、特別な異能を扱える戦士になる。どうだダイゴ、契約する気になったか?』
「ならない。そもそも人間をやめる気はない。あんな変異体みたいな化け物と戦えるかよ」
俺はただのコンビニ店員だ。
内定を貰っていた企業が大学卒業間近に倒産したため、バイトで食いつなぎながら就活をしているだけのフリーターでしかない。第一、ヒーローなんて柄でもないしな。
『契約する気になったら、オレに“名前”を付けろ』
「名付けが契約ってことか?」
『そうだ。本来なら契約には、長老に依り代を用意させ、巫女に祈りを集めさせて、戦士に力を分け与える、と役割を分担するんだが……ダイゴはオレと波長が合うからな。一人で全部がんばれ』
「さらにやる気が失せたんだが」
ちなみに依り代というのは、トーテムが身体を休ませる家のようなモノらしい。前に露店で買った勾玉の首飾りを見せたら、それで良いという。なんて安上がりな住居だ。
こんな風にして、俺は平穏な日常から一歩だけ、足を踏み外すことになった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
バイト先のコンビニが瓦礫の山になっていたのは、翌日の午後のことであった。
いつもはコンビニまでバイクに乗って向かうのだが、その日は道が渋滞していて、仕方なく途中からバイクを押して歩いてきたのだ。すると、コンビニは建物ごと崩壊していて、そこだけ世紀末みたいな状態になっていたのである。
コンビニの瓦礫が車道まで飛び散っているため、片付けのために車線が規制されている。なるほど、渋滞の原因はそれだったのか。
「尾引くん……」
俺の名前を呼ぶ声がしたので、振り返る。
するとそこには、禿げ上がったタヌキのような優しげなおじさん――バイト先の店長が、疲れ果てた様子で項垂れていた。
「店長、これは一体」
「僕にも何が何やら分からないんだよ。参ったね……警察によると、変態だか変異体だかってバケモノの仕業らしい。バイトの子たちに怪我がなかったのは幸いだけど」
弱りきった店長に代わり、俺はスマホで店の写真を取ると、バイト仲間のグループチャットに投稿する。
【コンビニがなくなった。変異体の事件らしい】
【え、ダイゴくん、どういうこと?】
【俺も今聞いたところだから何も分からないけど、店長が凹みすぎて干しダヌキみたいになってる】
そうして、ぼんやりと宙を見る店長の写真も投稿。
冗談めかして書いたが、洒落にならない事態だ。
なるほど、これが変異体による被害か。
今までの俺は、一連の事件をどこか遠い世界のもの……自分とはあまり関係ないものとして一線を引いて考えていた。現実逃避とも言うが。しかし、目の前で事件が起きると、そう呑気なことも言っていられないな。
そうしていると、服の下に隠してある勾玉の首飾りから、シュンと音を立ててコウモリが現れる。
『キシシシ。どうだダイゴ。オレと契約するか?』
(しないって。それより、こんな人目のある場所で出てきて大丈夫なのか?)
『あぁ、どうせ他の奴には見えないから気にすんな』
聞けば、どうやら今の状態のコウモリを見ることができるのは相当波長の合う人間だけらしい。こうして「念話」で会話ができるのも同じ理由であり、本来なら巫女契約をしている者だけができる芸当なんだとか。
バイトの予定が急になくなったので、俺は仕方なくバイクに跨る。これからどうするか。新しいバイトを探すか……いや、いっそ就活に一本にかけるか。
『どうしてダイゴは、頑なに契約を拒むんだ?』
「単純に向いてないんだよ。そういうのは」
『ふん、嘘つきめ。お前、本当は――』
コウモリの言葉を遮り、バイクのハンドルを握りながら、俺は昔のことを思い出す。
小学生の俺は、間違ったことをひたすら嫌っていた。喧嘩している奴がいれば首を突っ込んで解決に奔走し、泣いている奴がいれば話を聞き出して大人相手にも直談判する。全ての物事は、どうにか頑張れば解決できると思っていて、世の中には「絶対に正しいもの」があるのだと信じ切っていた。
そんな俺が変わったのは、中学生の時のことだ。
ある日、俺は虐められている奴を庇ったのだが。
――君、ウザいって有名だよ。
助けた奴からそんなことを言われ、翌日からイジメのターゲットが俺に移った。それまで友達だと思っていた奴からも目をそらされ、自分は考えていた以上に周囲に疎まれていたのだと知った。
高校に通い始める頃には、俺は周囲の顔色を伺って波風を立てないように過ごすようになっていた。付いたあだ名は、日和見主義のコウモリ男。きっとコウモリ型のトーテムと波長が合うのだって、俺のこういった性格のせいだろう。
東京の大学を選んだのは、ただ地元から離れたかったという消極的な理由からだ。都会暮らしは快適そのもので、お互い必要以上に踏み込まないドライな人間関係の中、俺は少しずつ人との適切な距離の取り方を学んでいった。
「嘘つきか……そんなの、俺自身が一番理解してるよ」
フルフェイスのヘルメットは良い。
俺がどんな顔をしていても、全て隠してくれる。
幼い頃は特撮ヒーローに憧れていた。強い信念を持って悪と戦い、たとえボロボロになっても、泣いている人々を笑顔にするような。そんな格好いい男に。
だけど……残念ながら、俺には資質がなかった。
気晴らしにバイクを乗り回しながら、ポッカリと空いてしまった今日の予定を考える。遠出して自然を見にいく気分でもない。かといって、人混みに紛れたいわけでもない。そうして悩みながら、日が少し傾いてきたところで、ようやく行き先を決めた。
赤い電波塔。
高い所から人間社会を見下ろしてやろうか。
地元にいた時はあの赤いタワーに「東京」を感じて憧れを持っていたが、実際に暮らしてみると訪れる機会はあまりない。だがまぁ、たまには良いだろう。
そうして、バイクを走らせていると。
目の前に妙な光景が現れた。
「何だアレは……黒い、ネズミ?」
そこにいたのは、大型犬サイズの黒いネズミの群れだった。しかもそいつらは、きっちりと列を作って地下鉄の駅からタワーまでの坂道を往復している。
『おいダイゴ。かなりマズい状況だぞ』
「コウモリ。あれは一体何だ」
『アリネズミ。ネズミの身体にアリ型トーテムが憑依した奴だな……繁殖と統率。ある種、最悪の組み合わせだ』
見れば、確かにネズミどもの体はアリのように黒光りしている。あんなのに群れで襲われたらと思うとゾッとする。俺はすぐにここを離れようと、バイクを停めてハンドルを切ったのだが。
「いや! 離して! 助けて! 誰か!」
そんな絶叫が聞こえ、視線を向ける。
そこには……中学生くらいだろうか。小柄な少女が複数のアリネズミの背に揺られ、地下鉄駅に向かって運ばれていた。
勾玉の首飾りから、コウモリが飛び出す。
『ダイゴ、契約だ。俺の名前を呼べ』
「だが」
『馬鹿野郎。行動に理屈をつけるのは後にしろ。ヒーローだろうがなんだろうが……お前がお前であるために、必要なことは何だ。やりたいことは何だ。いつまでも自分の心に嘘ついてんじゃねえよ』
視線の先、少女を救うにはもう一刻の猶予もない。
今ここに至っては、俺自身のつまらない過去も、割り切れない感情も、自分への失望や諦念も、何もかも……ゴミのように無価値だ。あの子の命とは比べるまでもない。
俺はギリッと奥歯を噛む。
「分かった。降参だよ、このクソトーテム」
『馬鹿人間の相棒には丁度いいだろう?』
「違いない。それじゃあ行こうか」
もうこうなったら、やけっぱちだ。
「契約――行くぞ、コバット」
ドクン。心臓が脈打ち、身体が熱くなる。
これならいける。
アクセルを吹かして急加速しても、時間の流れは遅い。いや、感覚が研ぎ澄まされてるのか。そのまま一直線、少女を運ぶアリネズミどもに突っ込んだ。
バイクは大破したが……気にしない。
腕に抱えたお姫様の方が今は大事だ。
「あ、あ、あ、あの」
「話は後だ、嬢ちゃん。逃げるぞ」
そのまま踵を返し、アリネズミどもの足音を背中に聞きながら、俺は全力で大地を蹴った。