悪戯は、殊更に遠く。
…熱が出た。風邪か何か…分からない。
彼とずっと近くに居たからか、それとも単純に身体が限界だったのか。
分かっている。あれは彼なりの拒絶であり、優しさであったのだ。掴みどころがなく、すぐ物事を煙に巻こうとする彼だが、本当に大切な時にはきちんと向き合ってくれる。そんな彼の優しさに...また負けてしまった。
...彼に言ったことは全て本当だ。深涼ちゃんや依澄ちゃんと一緒に仲良く話している姿を見ると、どうにも胸の騒めきが収まらない。私だけを見て欲しい。彼になら独占されてもいい。いや、彼にだけ...独占して欲しい。この身を、この体を...彼にだけ捧げたい。
こんなに献身的な恋をしたのは初めてだ。自分でも知らず知らずの内に気づいていた。これが最初で最後の恋のような...そんな気がした。
「...う...ごほっ、ごほっ...」
思いを巡らすほど体調が悪化していくような気がした。しかし彼との思い出以外に自分を助けてくれるようなものが…今の自分にはない。
風邪と恋の熱気に魘されて体が熱くなってきた。手首に付けていたヘアゴムを取り首元で括った。比喩表現で恋の病とはよく言うが…実在するとすれば今の私の状況だろうか。壁にもたれかかるのも辛くなり、ベッドへと倒れ込んだ。響くのは自分の口から漏れる息だけ。虚しい。寂しい。
…彼がいれば。
そう、彼がいれば…不思議と、何でもできる気がする。何とでもなる気がする。
…正直、彼のことを無理やり襲おうと考えたこともあった。彼の唇を奪ったあの時だって、本当はもっと…だが、流石に自制心が働いてしまった。彼の目を見てしまうとどうにも自分の行動が憚られてしまう。
「…すき…ゆうとくん…」
こんなにも恋煩いしてしまうなら…恋なんか
「…電話…?」
そう言えば今日は幹部と先生とのミーティングがある日だった。決まったこととかを楓が教えてくれようとしているのだろうか。
「…え…?」
携帯の画面に表示されていたのは…他でもない、今私が一番求めている人物だった。
「わぇ、ちょ、ちょっと待って、何でっ…?てか、待たせちゃダメだ…!」
ピッ
『あ、もしもし…?未橋先輩?』
『う、うん…夕透くん…だよね…?どうしたの…?』
『あぁいやその…えっと…』
何だか彼にしては珍しく歯切れが悪い。
『どうしたの?はっきり言ってよ。』
『あ〜…いや…何と言いますか…』
『…もう、ちゃんと言って?』
『…体調、心配だったので。』
『…はぇ?』
夕透くんが私の体調を気にかけてくれている、その事実が…何よりも今の私にとって嬉しかった。
『いやあの、これは半ば名塩先輩が強制的に』
『ありがとう、夕透くん。嬉しいよ。』
『…はい。』
『…ねね、夕透くん。ゆーうーとーくん。』
『はい?どうかしました?』
『…呼んだだけ、へへっ。』
『…そうですか。』
『…ゆーうとくん。』
『…何ですか?』
『…すき。』
『……えっと、その…ありがとうございます。』
『…だーいすき。すきすきすきすき…ちゅーき。だいしゅき。』
『…あの、もうその辺で』
『…恥ずかしいの?』
『…切りますね。』
『え、あちょ、だめ』
ぷつっ
「あっ…うぅ…。」
少しやりすぎてしまったかもしれない…でも、あの反応は…照れていたのでは…
「…えへへ…」
さっきまでの憂鬱はどこへやら、晴々とした気持ちで咳をした。