悪戯は、一切を違わず。
…そんなに人の好きな人が気になるものなのだろうか。
女子は恋バナが好きだと聞くし、その類のものは幾度となく耳にしたことはあるが…
…なんて、自分は自意識過剰すぎる。好意はそう簡単に向けられるものではない。
でも…依澄さんのあの反応は…あれは…本当に…
「…アイス買って帰ってやるか。」
バニラアイスを溶かしながら、月を見上げゆっくりと歩みを進めた。
自分自身、あれだけの反応を受けて気付かないほど鈍感ではない。気づいてないと思われているのであればそれはそれで好都合だが、いつかは向き合わなければいけない。一度逃げた自分に、諦めた自分に、救えなかった自分に…そんな都合のいい事は許されない。
なんてことを考えながら歩く宵の口、あいつのことを思い出してしまった。
もっと考えるべきことはあるはずなのに、どうにも心に巣食って出て行こうとしない。女々しいと言われればそれまでだが…初恋は案外、儚くも深く残るものなのだ。
あいつは元気だろうか。久しく…いや、あの日以来会っていない。
今会ったら…何を思うんだろうか。何を考えるんだろうか。
…………………まだ、好きで居ていいのだろうか。
アイスが棒から外れて地面に落ちた。暗闇に眩しく光りそれが今だけは…やけに鬱陶しく思えた。
「…彼女さん、いるんだろうなぁ。」
当たり前と言われればそうなのだが、どこかで期待をしていた自分がいた。あれだけ魅力的な彼ならそりゃそうだ。自分のものに…は大袈裟だが、あの瞬間ぐらい…自分が勇気を出して問い詰めた瞬間ぐらい、私だけを考えて欲しかった。
考えれば考えるほど胸が締め付けられ、さっきまでの胸の高鳴りが束縛に変わった。
運ばれてきた宿題も手を付けようとは思えず、心で謝ってベッドに横たわった。
『依澄はその子のこと、好きなの?』
…あぁ、最初から答えなんて出ていたのだ。深凉と2人で歩いている姿を見た瞬間、恋に落ちていた。長く柔らかい黒髪、全てを見透かすような瞳、笑みを湛えた口元、誰もが陶酔する優しさ、一挙手一投足が目に焼きつく仕草、枚挙に暇がない。
彼の全てが…好きなのだ。そう気づいた瞬間胸がまた高鳴り、気づけば部屋着のまま、履き慣れた運動靴に履き替えドアを押し開けていた。
忘れるべきなのに、その姿を思い出したらまたどこからかその気持ちが湧いてきてしまう。いつの間にか私の中で彼は大きな存在になっていたらしい。
「はぁっ、はぁっ…!」
運動部でもないのにこんな時間に息を切らしている女子高生は自分ぐらいだろう。息は上がるのに足は止まらない。これが所謂恋の魔法というやつか。
草が足に当たる。鋭い感覚が足を襲う。だが今はそれさえ心地いい。
家は知っている。もう家に着いてしまっただろうか。途中、白い液体が道の真ん中に垂れていた。甘ったるい匂いを通り過ぎ、走り続けた。
「…いた…っ!」
忘れられない恋は、いつになれば忘れるのだろうか。
諦められない恋は、最後には叶うのだろうか。
そんなのどうでもいい。今はただ、会いたい。
「夕透くん…っ!!!!」
「…依澄さん…?どうしたんですか、そんなに息切らして…。」
「伝えたい、ことが、あって…それで…」
「え、足から血出てるじゃないですか!あそこの水道で冷やしま」
どさっ
「うわっ、え、依澄さん…?」
「…はぁ…はぁ…私、気づいたことがあるんだ。」
「…は、はぁ…。何ですか?」
「恋の力ってすごいんだよ。高校生になって思い知るとは思ってなかったけど…でもそれはずっと強くて、ずっと弱くて、今も夕透くんにもたれかからないと立ってらんないもん。えへへ。」
「…は、はぁ。」
「でも…そのお陰で、こうやって想いを伝えたい人のところまで走ってこられた。」
「…え?」
「私、好きな人がいるんだ。誰だと思う?」
「…分からないですね。」
「…ふーん。」
ぐいっ
「こんな状態の女の子の前で、そういうこと言うんだ?」
「…そんなこと言われても。」
「…本当にわかんない…?」
「……………。」
「…黙るってことは、心当たりあるんだ。」
「…僕から言うべきじゃないと思います。」
「そうかも知れないけど…ちゃんと夕透くんの予想が聞きたいな。」
「……。」
こそっ
「ん…ぅ…」
「…………。」
「ね、ねぇ…っ。」
「…どうしました?」
「…もうやめてよ、思わせぶりは。」
「…そんなつもりじゃ」
「簡単に勘違いしちゃうんだよ、女の子って。」
「……………。」
「…それで…?夕透くんの予想は…?」
「……………。」
「…ね、ねぇ…はやく…じゃないともう、わたし…がまんできなくなっちゃう…」
目の前の涙目の女の子か、昔の思い出。どちらを大切にすべきなのだろうか。
そんなの、こんなに近づいている女の子を振り払わない時点で…もう。
「…もう…本当にしちゃうよ…?後悔しないの…?ねぇ…嫌なら早く、突き放してよ…」
「……………。」
「答えてよ…!!夕透くん…。もう…くっついちゃうよ…?」
「……………。」
こんなことするつもりでは無かったのに。自分の気持ちだけ伝えて帰るつもりだったのに。走ってきた胸の動悸のせいか、それともこんな綺麗な夜のせいか、目の前の彼がどんなものより美しく、魅力的に見えて仕方がない。
「…するよ…?ほんとに…。」
そうしてだんだん距離が縮まり、縮まり…
柔らかい感触…だが、これは…?
「…何してるんでふか…?」
なぜか彼の人差し指に遮られていた。
「…きっと後悔します。今の気持ちに任せてキスをするのは。」
「でも」
「初めては…依澄さんのことを深く、永く、多く愛せる人に渡してあげてください。」
「……。」
「追いかけてきてくれてありがとうございます。それは本当に…嬉しかったです。」
あぁ、ずるいなぁ。
そうやってまた好きにさせて、愛させて、応えてくれない。
もう彼のいない生活を考えられない自分だけが、夜道に照らされていた。
ポケットを弄ると、絆創膏が三枚。
「…あはは…もう、やめてよ…っ…。」
これ以上は…ダメだ。もう耐えられそうにない。
彼からもらった優しさと共に、来た道を1人、辿った。
胸の高まりはもう収まっていた。
私には…何があるのだろうか。
そう考える気力さえ今度は無く、元いた日常へと戻った。
明日からのことなど、考えられそうに無かった。