悪戯は、自己を反芻する。
…久しぶりに人に怒鳴られてしまった。最近はできるだけ人の気持ちを鑑みた対応を心がけていたのだが…何か気に触る事をしてしまったのだろうか。いや、そもそも数学を教える連絡をしてから深凉さんとは何ら会話をしていない。となると…自分が他の人にしたことが、深凉さんを傷つけてしまったのだろう。しかし…あれほど怒られる原因になるような事をしてしまった記憶もない。まだ自分の思慮深さが足りなかったか。人を思わぬ形で傷つけてしまうことがあることは、今までの人生で学んできた。自分でも気づかない原因が潜んでいるものだ。そして何より…
「…渡せなかったな。」
深凉さんが好きだと言っていた…記憶のある、スイーツとミルクティーを差し入れとして持って行ったのだが、はたき落とされてしまった。まさかそれが癪に触ったとか…ではないだろう。深凉さんはそんな人では無い。そんな事を脳内で循環させながら帰路を辿っていた。その時。
「あれ、夕透くん…!?」
「あ、未橋先輩。こんばんは。」
「ちょ、そんなことより何があったの!?」
「…何でそんなに慌ててるんですか…?別に何も」
「そんな訳ないでしょ!じゃあ…何で泣いてるの…?」
「…え…?」
無自覚だった。今思えば、頬が妙にむず痒い。ひんやり冷たい。首筋を"それ"が伝う。疑うまでもなく、涙だった。
「あ、はは…何でもないですよ。多分目に砂埃でも入っただけなんで。気にしないでくだ…!?」
刹那、温かく優しい感覚に包まれていた。いつぶりの感覚だろうか。…いや、意識を向けるべきはそこではない。
「え、未橋先輩…?何でハグして…」
「…何があったか、きちんと夕透くんの口から聞けるまで、離さないから。」
「いや、だから別に何も…」
「...............。」
…そんな目で見つめてくるのは些か反則ではないだろうか。一発レッドカード級だ。
「大した事じゃないんですけど。」
「うん。」
「…友達に嫌われちゃって。なかなかにいい関係を築けていると思っていただけに…残念で。泣いてる自覚はなかったんですけど…思ったより打たれ弱いみたいで。自分。お恥ずかしい限りですよ。」
「...............。」
「…あの、言いましたけど…?」
更に擁力が強くなった。息苦しくなるくらいで、目の前には透き通った匂いのする鮮やかな茶髪があって、なぜかこの時間を望んでいる自分がいて。
「…私、夕透くんが苦しんでるところ、見たくないんだ。後輩だからじゃなくて。部員だからじゃなくて。一人の男の子として。」
「…ありがたい限りですけど、そんな重大な問題じゃなくて、自分が原因なんで。」
「…分かるよ。深凉ちゃんでしょ。」
「…!」
「…怒られた?嫌われた?……嫌いになった…?」
「…あの、それはどういう」
言葉を紡ごうとした瞬間、唇が湿った。視界に閉じた瞳が見えた。鶯が鳴いた。風が吹いた。
「…っはぁっ…はぁっ……もっと、私を見てよ、私を思ってよ。私を…私を…。」
「…好きになってよ…。」
「…え…?あの、未橋、先輩…?」
未だ処理待ちの情報が脳内で喚く中、なんとか会話を取り繕った。
「…まだ、言わなきゃわかんない…?」
「いやあの、聞き取れましたけど、ちょっと、まだ判断が…」
「…私のこと、どう思ってるの…?」
「…先輩…です。」
「…深凉ちゃんは…?」
「…同級生です。」
「…えへへ。夕透くんらしいね。」
「えっと、あの…返事…。」
「…じゃあさ、私の卒部式。それが終わったら…返事、ちょうだい?」
「…分かりました。」
「うん、いい返事。じゃあ…私帰るね。ちゃんと深凉ちゃんとも仲直りして。部活で待ってるね。」
「はい…ありがとうございました。」
「ん。じゃあね。」
「…...........っはぁ…。」
広辞苑を脳に刷り込まれたかのような状態で、不安と心配を抱えたまま、帰路を辿り直した。