8話 嘘つき
1章完結です。
この物語は全4章くらいでの完結を想定しています。
夢から覚め、現実へと引き戻される。
冷たい汗が頬を伝った。
目の前では幼なじみの魔女が、俺に対して困惑の眼差しを向けている。
互いに無言だった。
「……どうして、殺さないの?」
赤い瞳がわずかに揺れる。その輝きは、消えかけの炎のように弱々しかった。
「ごめんな」
「は……?」
少女が呆然とした様子で口にする。
「十年前のあの日、俺はお前とサラ姉を助けてやることができなかった。お前たちが追い込まれるなか、俺はなにも知らずにのうのうと生きていた」
びくりとリオンの肩が震えた。
「なっ……!? どうして、どうしてお前が、姉さんの名前を知っているの!」
「言っただろう。俺とお前は幼なじみの関係だったって。それなのに、お前たちが仮面の男たちに連れ去られていた時に、助けに行くことができなかった」
「……意味が分からないわ。駆けつけられなかったというのに、どうしてあいつらのことを知っているのよ」
「俺の魔法は対象の心を映し出して、武器として変換するものだ。その力の副作用で、お前の記憶を覗き見たんだ」
「心を映し出して、記憶を覗く……?」
魔法を使う過程で、その武器を介して相手の記憶を覗き見ることがある。
だいたいの場合、そうして触れる記憶というものは、その人にとっての一番のトラウマであったり、あるいは特別なものであったりと、プライベートなものであることがほとんど。
だからこそ、俺は自分の魔法を極力使いたくなかった。
いくら強力な力を発揮することができるとしても、相手のことを深く知ってしまえば情がわくし、そもそも土足で他人の記憶に踏み入ること自体、許されることではない。
「お前が魔女になったのは、あの仮面の男たちのせいなんだろう。何度でも言う。俺はお前の力になりたいんだ。俺に詳しく聞かせてくれないか?」
魔女とは享楽的に悪事をなして、人々が苦しむ様子を嘲笑うような存在だと思っていた。
しかし、どうやら事実は俺の認識と異なるらしい。
少なくとも彼女に関しては、理不尽に牙をむかれて無理やりに歪められてしまっただけなのではないだろうか。
そうしてどれほどの時が過ぎただろうか。うつむかれてしまったために、彼女の表情はいっさい読めない。
風が吹き、ざわざわと木の葉が揺れた。
「……嘘だ」
リオンが呟く。
「仮にあなたの想いが本当だとしても、帝国は私を赦さないでしょう。それに、私は世界のことを憎み続けるし、この復讐を止めるつもりもない。ねえ、ハルト。あなたには帝国を捨ててでも、私を守り切る覚悟があるの?」
「帝国を、裏切る……」
俺は思いに反して固まってしまった。
すぐにでも頷くつもりだった。
リオンのことが大切で、何が何でも守りたいという気持ちに嘘はない。
だが、帝国を捨てるということは、クラヴィスやシエルも裏切るということで。
「――――っ!」
瞬間、剣を振り払う。
ギンッと甲高い音があがり、花火が散った。
リオンの首を狙った、一切の無駄のない太刀筋。
俺はその一撃を放った襲撃者へと視線をやって。
「クラヴィス!?」
「ハルト!?」
同時に、互いに互いの名前を呼ぶ。
意味合いは違えど、おのおのの声には焦りの色が含まれていた。
「ハルト、いったいどうして」
クラヴィスは先を続けなかったが、内容は予想できる。
――――どうして、魔女を庇うんだ。
俺は頭を悩ませる。
いったいどうやって説明したらいい。
幼なじみだから。俺の大切な人だから。
そう説明すること自体は簡単だ。
きっと彼ならば、時間をかけて事細かに事情を説明すれば理解してくれるだろう。
だからこの場に来たのがクラヴィスだけなら、それほど問題ではなかったかもしれない。
けれども、この状況は手詰まりだ。
彼の背後に目をやれば、そこには十数人の騎士が控えていた。
そしてその誰もかれもが、敵意を瞳に宿してリオンを睨みつけている。
背後には漆黒の炎に呑まれ、崩壊していく貴族の館。
そして、辺りに転がる同胞たちの亡骸。
リオンが焔の魔女として起こしてしまった、一連の凄惨な悲劇自体はどうすることもできない。
下手にいきさつを話したところで、彼らを刺激し反感を買うだけに終わってしまうのは火を見るよりも明らか。
そうなれば確実に、帝都内でのクラヴィスの立場も危なくなる。
こいつに迷惑をかけるわけにはいかない。
警戒心、怒り、困惑。
彼ら一人一人のむき出しの感情を、制御するすべは残念ながら俺にはない。
「……説明、してくれないかな」
言葉を探しながら、クラヴィスは呟いた。
どうするべきか。
俺は唾を飲み込んだ。
きっと、いや間違いなく今この瞬間が、俺の人生において大きな分岐点となっているだろう。
今なら、まだ引き返せる。
ここで彼女を見捨ててしまえば、俺はもとの日常に戻ることができる。
あてどなく旅に出ては人に危害を加える怪物を狩って生活する金を稼ぐ、わりと充実していた日々に。
そしてたまに王都に戻って、シエルにうざ絡みをされながら酒を飲み、軽口を叩き合いながらクラヴィスと肩を並べて歩く温かい日々に。
笑えてくる。
こんな状況に置かれて、俺はようやく気がついたのだ。
俺は自分が思っていた以上に、あいつらとの時間が大好きだったのだ。
ただそうした場合、リオンは。
「ふふっ、茶番ね。滑稽だわ」
背後で、リオンが小さく口にした。
「あなたが私のなんだったのかは知らない。けれど、『私を守る』だなんだと言っておきながら、けっきょくは我が身可愛さに何もできない嘘つきじゃない。ああ、ほんと、これだから帝国のやつらなんて……」
リオンが両手を掲げる。
肌がひりつくような、濃密な魔素が空気を震わせる。
邪気が、殺意が、死の香りが、充満していく。
リオンを起点に黒い炎が渦を巻き、ざわざわと葉が揺れた。
「まずいっ! みんな、退避しろっ!」
切羽詰まった様子で、クラヴィスが指示を出す。
「リオンやめてくれっ。ここでまたお前が殺してしまったら、いっそう取り返しが――」
「――――大嫌いなのよ」
しなやかなに腕を振り下ろす。
轟音。
視界を埋め尽くす爆炎の波が、すべてを捕食していく。
逃げ惑う兵士の叫び声も、美しく鳴いていた虫の音色も、すべてがかき消されていく。
俺たちは必死に駆け抜けた。
ただ生き残ることだけを意識して、迫りくる炎から距離を取ろうと、無我夢中で足を動かした。
やがて音が止み、魔素の気配が薄れていくと俺は地面に手をついた。
滝のように溢れる汗が、土に染みを広げていく。
煙と土埃が晴れると、そこには壮絶な光景が広がっていた。
木も草も石も死体も、ほとんどすべてが燃えつくされており、焦土が広がっていた。
わずかに燃え残った木々にも、黒い炎が灯っている。
「……リオン」
あたりを見回しても、すでに彼女の姿は見当たらない。
大技によってもたらされた混乱に乗じて、すでに離脱したようだ。
最後にリオンが、その赤い瞳に宿していたのは、燃え上がるような怒りだった。
――彼女の味方をしてやれるのは、俺だけだったのに。
「みんな、無事かい」
呻き声が漏れ聞こえるが、咄嗟に放ったクラヴィスの指示のおかげでとりあえず全員生きているようだ。
そのことに安堵して息を吐きだし、空を仰いだ。
また、離れ離れになってしまった。
また、彼女を救うことができなかった。
また、約束を果たせなかった。
「……俺は、嘘つきだ」
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