7話 お姉ちゃん
『また、ここに来てしまったのか……』
経験から、俺はすぐに悟った。
また、誰かの記憶を覗き見ていることを。
『この世界は、焔の魔女の……?』
ここはどこだ。
あたりを見回して、息を呑んだ。
そこは室内だった。
木製の壁で囲われた部屋はさほど広くはないが、あまり物が置かれていないがゆえか、窮屈な印象はない。
中心には赤い絨毯が敷かれており、その上にはランプと二つのコップが置かれた木製のテーブルに、椅子が三つ。
他には本が一冊置かれている以外にはなにもないけれども、夕食を終えたばかりなのだろうか、かすかにクリームソースの香りが漂っている。
間違いない、リオンの家だ。
何度かあげてもらったことがある。
三つある椅子のうちの一つは来客用だけれど、ほとんど俺が使用していたし、柱に刻んだ互いの身長もそのままだ。
ということは、やはり焔の魔女の正体は。
耳を澄ませば、食器を洗う水音に交じって、優しい鼻歌が聞こえてきた。
『この声っ……!?』
思い描いた人物がそこにいた。
長い銀色の髪を一つに束ねた少女の後ろ姿。
髪の長さこそ違えども、そのシルエットはどことなくリオンと似ている。
十年ぶりに見て、懐かしさに打ち震えた。
『……サラ姉』
呟く声に、返答はない。
これはあくまでも、記憶の中の光景だ。
俺はこの夢に干渉することはできない。
リオンの姉、サラ・クロス。
俺は当然のことながら、彼女のこともよく知っている。
顔に出やすいリオンと違って、サラ姉はめったに表情を変えない。
大人しくて寡黙な人だったけれども、妹のことを大切に思っていたことは間違いなかった。
リオンも、そんなサラ姉のことが大好きで、楽しそうに姉のことを話す姿を見るたびに、本当に仲のよい姉妹だなあと思ったものだ。
「それでね、お姉ちゃん」
溌剌と呼びかけるその声に、心臓が跳ねる。
俺は勢いよく体を動かし、瞠目した。
背は今の俺よりもずっと低く、年相応の幼さが残った顔つき。
肩まで伸びる雪のような銀髪も、夕日のように輝く赤い瞳も、すべてが思い出のまま。
探し求めていた、幼なじみがそこにいた。
『リオン!』
口元を緩ませて話す幼なじみの姿を見るやいなや、呼びかけるもその声は届かない。
これはあくまでも、過ぎ去った時間の記憶なのだ。
胸が締めつけられる。
もう何度も体験して、わかっていたはずなのに。
「今日ね、ハルが言ってたの。絶対に英雄になるんだって」
その台詞でピンときた。
これはリオンがいなくなってしまう直前の記憶なのだと。
懐かしい呼び名に胸が締めつけられる。
やっぱり、焔の魔女はリオンだったんだ。
彼女が生きていてくれたことに喜ぶのもつかの間のこと、すぐに疑問が沸き上がった。
どうして、リオンは変わってしまったのか。
生きていてくれたのは、当然のことながら嬉しい。
再会したいという悲願も叶った。
しかし俺の中では、リオンが魔女になってしまったことへの戸惑いがもう半分ほどを占め、心をぐちゃぐちゃに掻き回していた。
「ハルなら、絶対素敵な英雄になれると思うんだ。お姉ちゃんもそう思うでしょ?」
サラ姉はこくりと頷く。
「英雄になったら、私のこと守ってくれるんだって。期待しちゃうなぁ……」
ちょうど家事が終わったのか、サラ姉はリオンのもとへと歩み寄ると、優しく彼女の頭を撫でた。
「リオンは、ハルトくんのこと、好き?」
「お、お姉ちゃん! なんで急にそんなこと」
「だってリオン、いつもハルトくんの話ばかり」
「そ、それはっ。ハルは私にとって仲のいい友だちだから……」
顔を赤らめてうつむく。
コンコンとドアを叩く音が鳴った。
サラ姉はリオンから頭を離すと、玄関へと向かった。
「珍しい。こんな時間に、来客なんて」
「ハルかも! だって、こんな時間にわざわざ山奥に来る人なんてそうそういないわ!」
リオンは声のトーンをあげて、サラ姉の後をついていく。
俺はそんな彼女の言葉に眉をひそめる。
俺はあの日の夜に、リオンの家を訪ねた覚えはない。
それにリオンの言うように、こんな山奥にわざわざ訪ねてくる人なんてそうはいない。
「すみません。お待たせしました」
サラ姉が扉を開ける。
するとその先にいたのは、異様な身なりの集団だった。
訪問客は、黒い服に身を包んでいた。
彼ら、あるいは彼女らは、長い口ばしをあしらった不気味な鳥のマスクを被っていた。
ぽっかりと空いた穴の奥に、瞳を覗くこともできず表情を読み取ることも叶わない。
まるで、狂気が具現化したような印象。
緊張が走る。
帝都に向かうまで、俺は産まれてからずっと故郷で暮らしてきた。
幸せの日常に突如割り込んできた異質な空気。
あんなやつら、見たことがない。
四人からなる彼ら、あるいは彼女らは、この空間において明らかに異物だった。
「こんばんは。サラ・クロスちゃん。そして、後ろのきみは妹のリオン・クロスちゃんで間違いないかな」
「……こんばんは。あなたたちは、誰ですか? 私たちに、なんのようですか?」
「質問に質問で返すのはよくないな。だがまあ、特別に答えてあげよう。我々の名は、【アルスカリ】。きみたちを迎えに来た」
アルスカリ。
聞いたことのない組織名だ。
立場上、帝国内外の情報については耳に届くようになっているし、リオンを探すという目的もあってそう心がけてもいる。
「……私たちを、迎えに?」
「ああ、そうだ。きみたちのような身寄りのなく、素養のある少女を集めるのが、我が組織から下された使命」
「なにを、言ってるのかわかりませんが、申し訳ございません。お断りさせていただきます。私たちは、ここを離れるつもりはありません」
「そう言われても困るんだよね。なにせきみたちは、魔女の器に選ばれたのだから。さて、大人しく我々についてきてもらおう」
魔女の器だって……?
仮面の男たちの言葉に、二人は顔を強張らせて一歩二歩と後ろにさがる。
男たちもまた歩みを進めて距離を詰めようとするが、それより先にサラ姉が動いた。
「リオンっ! 逃げなさい!」
サラ姉は机の上のコップを手に取ると、仮面の男に向けて投げつける。
しかしやつらは突然の反撃に怯むこともなく、手の甲で弾くと魔法陣を展開した。
「魔法っ!?」
サラ姉が驚きを露わにした瞬間、幾本もの魔弾の線が放たれた。
光線はサラ姉の肩を穿ち、足を傷つけ、壁に穴をあける。
「お姉ちゃん! きゃっ!?」
『リオンっ! サラ姉っ! やめろお前らっ、二人を傷つけるな!』
何もできないことが歯痒かった。
大切な人たちが痛めつけられていく様に、キリキリと心臓が痛んだ。
仮面の男は、床に崩れ落ちるサラ姉の腕を引き上げて立たせると、無理やりリオンの方へと顔を向けさせた。
その視線の先には、リオンに向けて魔法の照準を合わせている別の男の姿があった。
「騒ぐなよ。抵抗するなら指の骨を一本ずつ折る。それでもなお抗うなら、足の指を一本ずつだ。賢明な判断をするのなら、大人しく従うことだ」
「やめて。やめてよ……。どうして、こんな酷いことするのっ……」
悲痛な声が、空に響く。
「……助けて、ハルっ!」
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